
木曽川を見下ろす小高い崖の上に建つ犬山城は、戦国時代から今に至るまで、昇る朝日と沈む夕陽を見続けてきた。犬山に住んでいる人にとってはそこにあって当たり前でも、年に一度か二度遠くから見るだけの私にとっては、何度見ても、ああ、いいお城だなぁと思うのだった。広々としてゆったりと流れる木曽川と、その向こうの姿のいい伊木山、断崖の上の城と、ロケーションもまた素晴らしい。
そんな犬山城に今日始めて入った。閉まる30分前で焦りつつも天守閣も登ったり、天守の内部も一通り見て写真も撮って、しっかり堪能してきた。なんといっても国宝だけに本物感が違う(国宝の城は、犬山、姫路、松本、彦根の四つ)。城の規模としては小さいものだけど、急な階段や、板張りの廊下、古い柱、大部分が木造りと、戦国野郎や戦国少女にはたまらんものがある(私はそこまでディープではない)。戦国の空気感を持った城は、今となってはとても貴重なものだ。短い時間ではあったけど、満足感は強かった。
犬山城が現在の位置に建てられたのは、1469年と言われている。斯波義郷の家臣、織田広近がこの地に築いたのが始まりだ。その後、1537年に本丸を現在のところに移築したのが織田信長の叔父織田信康だった。当時このあたりの地は尾張と美濃の斎藤氏が争っており、そのための備えという意味合いが強かったのだろう。天守閣に登ってみると、背後は木曽川と高い崖に守られ、周囲一帯が非常に良く見渡せる位置に建てられていることが分かる。
その後の犬山城には様々な出来事が降りかかる。信長に攻め落とされたり、小牧長久手の合戦の時に秀吉の本陣になったりもした。城主が戦死したりして何代か代替わりし、関ヶ原の合戦では西軍について負けて家康のものとなり、その家来の成瀬家の居城となってしばらくは落ち着いた。しかし、明治時代になって廃藩置県で廃城、天守を除く大部分が解体されてしまう。それに追い打ちをかけたのが明治24年の濃尾地震。いよいよ城も古くなってもう取り壊してしまうかって話になった。しかし、そこでちょっと待ったと手を挙げたのがかつての城主だった成瀬家家臣の子孫たちだ。修理、保持するという約束で無償で譲り受け、犬山市民の寄付などで補修が行われて存続することとなった。なので、2004年までは日本で唯一の個人所有の城として有名だった(その後さすがに支えきれなくなって財団法人化された)。
昭和36年から4年かけて解体修理が行われて現在に至っている。
犬山城は別名、白帝城と呼ばれている。三国志の劉備が最期を迎えた白帝城にちなんで、江戸時代の儒者荻生徂徠が名づけた。白帝城が長江のほとりに建っているということもあったのだろう(本家の白帝城の方は、現在ダムの中で孤島のような姿になってるらしい)。
犬山城は、天守閣に登っても感じるものが多く、離れたところから見るのがまたいい。もしこれから行くなら、絶対両方を味わって欲しいと思う。特に夕暮れ時がオススメだ。北東の木曽川沿いを歩きながらもいいし、川の対岸からも違った味わいがある。
春はソメイヨシノ、夏は鵜飼いと花火、秋は十五夜の月とライトアップ、冬には雪景色、どの季節もそれぞれの楽しみがある。
ひとつ注意事項があるとすれば、天守閣の外側の廊下にはヒザあたりまでの木枠しかなくて、高所恐怖症の人はかなり怖い思いをするであろうことだ。雰囲気を壊す無粋な金網やネットなどというものはない。おっちょこちょいでお調子者の人がそこではしゃいだりすると落っこちる危険があるので、くれぐれも気をつけてください。怖いな、危ないなと思ったときは、四つんばい、または腹ばいになるのがコツです。