伸ばすつもりが縮んでまた縮んだ名松線の旅

観光地(Tourist spot)
伊勢奥津-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 人は行き止まりの先に何もないと分かっていても、そこへ行きたがるようにできているらしい。何もないことを自分の目で確かめたいからなのか、行き止まりだからこそ心惹かれてしまうのか。アントニオ猪木が言うように、行けば分かるさ、ということだろうか。
 名松線(めいしょうせん)のことを意識するようになったのは、確かおととしだった。一度終点まで乗ってみなければいけないだろうなとぼんやり考えていたところ、思いがけないニュースが入った。2009年の去年、台風による風水害で、名松線は全線運休になったという。
 すぐに復旧するだろうと軽く考えていたら、被害は甚大で、松阪から家城(いえき)までは一週間で運行再開したものの、家城から伊勢奥津(いせおきつ)までは復旧しなかった。当面、家城から先は代替バスを走らせるということだった。
 あれから一年近く経ち、いまだ家城以降は復旧していない。というよりも、JRは投げ出した。腹づもりとしては、このままなし崩し的にバス運行に切り替えてしまうつもりらしい。
 完全復旧には相当のお金がかかり、お金をかけるだけでの収益はまったくもって見込めないのだから、JRの気持ちも分かる。この路線はずっと昔から赤字続きで、よく廃線にならないとむしろ不思議に思われていたくらいだった。
 かつて廃線にするという話が持ち上がったときは、住民の反対だけでなく、道路の整備が不充分で、代替のバスを走らせるにもすれ違えないという理由で廃線が先送りになったという経緯がある。
 現在は道路もある程度広げられて、バスも通れるようになった。この路線は、大雨が降るたびに土砂崩れなどがあり、たびたび列車は止まったりしていたので、いっそのことバスに切り替えた方が利用者にとっても都合がよいだろうというのがJR側の説明だ。
 伊勢奥津から乗る乗客の平均が一日50人足らずでは、JRも高いお金をかけて復旧したいとは思えないのも理解できる。乗客数的には充分バスでまかなえそうだ。
 2006年に、名松線の列車が深夜に無人のまま走ったというニュースを覚えている人もいるかもしれない。運転士が車止めを忘れたからだったのだけど、夜中の1時にライトもつけない電車がコトコト走っていく様は、なんだか幻想的でもあり、オレはまだまだ走りたいんだという列車の強い思いが自走させたと思わないでもない。
 しかも、同じことが2009年にも起きている。このときは22時台という早い時間帯で8.5キロも無人のまま走っていった。

 名松線が開通したのは、昭和4年(1929年)で、松阪ー権現前間だった。伊勢奥津まで伸びたのは、昭和10年(1935年)のことだ。
 計画自体は昔からあって、住人も待ち望んでいたのだろう。明治25年に、松阪から榛原を経て桜井へと至る「桜松線」として計画されたのが始まりだ。
 しかし、それは実現せず、妥協案として松阪から名張を結ぶ路線が決定された。名松線の名前は、それぞれの頭文字を取ってつけられた。
 結果的に名張まで伸びず、伊勢奥津で止まってしまったのは、参宮急行電鉄(のちの近鉄大阪線)に先を越されてしまったからだった。遅れること5年、昭和10年にようやく伊勢奥津までが開通し、そこから先は計画打ち切りとなってしまう。
 現在、伊勢奥津駅前から名張までバスが出ているものの、平日1本、週末2本では、かろうじてつながっているだけだ。行き先がライバルの近鉄大阪線名張駅というのも、皮肉と言えるかもしれない。

 このまま待っていても、伊勢奥津まで復旧する見込みはなさそうなので、行けるチャンスのときに行っておくことにした。考えてみると、伊勢奥津へ行ってみることが目的なのであって、私はJRの乗りつぶしをしているとかではない。名松線も家城までは行ってるし、ローカル線の風情は充分に味わえる。
 バスは鉄道と同じダイヤで走っているから、乗り継ぎも、折り返しも、問題ない。
 それじゃあ、一度行ってみるかということで、今回の旅は決まった。松阪乗り換えのときに松阪の町を散策して、帰りに四日市へ行くというのが、この日のコース設定だった。
 松阪から一両編成のディーゼル列車で、ゴトゴト三重県の奥へ向かって進む。

伊勢奥津-2

 初めて見る車窓風景は新鮮だ。
 稲の伸びた田んぼが広がり、空が広い。梅雨が明けて、空も夏の表情になった。
 非電化の路線は風景がすっきりしていていい。

伊勢奥津-3

 家城駅前では、代替バスが待っていた。
 乗り換え時間は5分。列車の到着に合わせるから、乗り遅れることはないはずだ。列車も到着しないのに定刻通りに出発しても誰も乗らない。
 代替バスは三重交通が代行しているようだ。そこにJRの職員らしき人が乗り込んで、乗客数のチェックなどをしていた。代替バスでも大丈夫というデータを取っているのではないだろうか。
 乗客は5人だったか、6人だったか。折り返しのバスで同じメンバーが3人だったから、残りは地元の人だったのだろうか。

伊勢奥津-4

 5分では駅前の散策もできない。
 古びて味わいのある家屋があったので、一枚だけ写真を撮った。

伊勢奥津-5

 もっと山奥のへんぴな土地を想像していたけど、思った以上に民家が多かった。田舎の方の住宅地といった風景が続く。

伊勢奥津-6

 三交バスの停留場に、JR代行のシールが上から貼られている。
 新しかったから、三交バスのものを借りて代用しているのだろう。
 その向こうの家もまた、すごいことになっていた。崩壊寸前だ。

伊勢奥津-8

 奥の方に進んでも、あまり風景は変わらない。
 とはいえ、トンビが空を滑るように飛んでいたのは、町中では見られないものだ。

伊勢奥津-7

 油断していたら、唐突にこの光景が現れて驚いた。
 周囲の山村風景とはおよそ似つかわしくないリゾート地が突如現出する。
 朽ちたメリーゴーランドにウォータースライダー。ホテルらしき建物と時計塔。人の姿はない。
 帰ってきてから調べたところ、美杉リゾート火の谷温泉雲出湯館というところのようだ。
 かつてはおおいに賑わっていた頃もあったようだけど、今はもう営業しているのかどうか、よく分からない。プールはもうやっていないみたいだった。

伊勢奥津-9

 ときどき線路と併走する。
 ところどころで草が伸び始めて、だんだん廃線風景に近づきつつある。使わないレールは錆びて、赤茶色に変色していく。

伊勢奥津-10

 もはや列車が走ることはないであろう橋梁。
 バスの車窓から見える範囲に、大きく崩れているようなところは見えなかった。被害は何ヶ所もあったようだけど。

伊勢奥津-11

 車窓の緑。
 走り抜けていくのは真っ赤なポルシェではなく、三重交通のバスだ。対向車とすれ違うときは、バックミラーやらサイドどころではなくボディを木々の葉っぱにガンガンこすっていく。そっちのせいでもこっちのせいでもないので、怒鳴っても仕方がないことだ。
 道はけっこう狭く、都会のバス運転手では務まらない。田舎道に慣れた地元の運転手だから行ける道だ。

伊勢奥津-12

 美杉村は、名前の通り、杉の産地として知られている。
 それにしても、美杉村が津市といわれても、ピンと来ない。津市も松阪市も、合併吸収して範囲がすごく広くなった。美杉村は、むしろ松阪の方が感覚的には近いんじゃないだろうか。伊勢奥津までいくと、もう奈良県の県境に近い。

伊勢奥津-13

 伊勢奥津駅に到着した。バスの乗車時間は30分ほど。松阪からは1時間ちょっとということになる。
 1時間程度だから、それほど奥地まで来たという感慨はない。風景も、うちの田舎の勢和村とそんなに違わない。

伊勢奥津-14

 立派な新しい駅舎が建っている。
 開業当時からあった古い駅舎は、2004年に取り壊されて、2005年に新駅舎が完成した。
 昔の駅舎は風情があってよかったらしい。こんなことになるなら、古いまま残しておいて欲しかった。
 自治体の八幡地域住民センターと一体化しているから、今後も利用されることはあるのだろうけど、それにしてももったいないくらいの造りだ。杉材もふんだんに使われている。

伊勢奥津-15

 駅舎の中。早期復旧は住民の願いだろう。ただ、よほどのことがない限り、実現は難しそうだ。
 それでも、鉄の人たちはこれからもこの場所を訪れることになるだろう。青春18きっぷでどこか行こうとなったとき、名松線は恰好のターゲットになる。
 ここを訪れた人たちが書き記したノートが何冊にもなっていた。

伊勢奥津-16

 行き止まり。デッドエンド。
 線路の終わりは、物事には終わりがあることを実感させる。

伊勢奥津-17

 SL時代に使われていた給水塔が残されていて、伊勢奥津駅のシンボルとなっている。
 ツタに覆われながら、夏の空を背景に、しっかり踏ん張って立っている。

 バスの折り返し時間まで50分ほどあるので、この間に伊勢奥津を散策することに決めていた。ここはかつて、伊勢本街道の奥津宿があったところで、わずかにその頃の名残もある。次回はそのあたりを紹介することにしたい。
記事タイトルとURLをコピーする
コメント
コメント投稿

トラックバック