
PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8 / DA 55-300mm
以前に一度、目の前まで行きながら中に入らなかった愛知縣護國神社。伏見のキヤノンギャラリーへ行った日の帰りに行くことができた。ずっと行けずにいたことがなんとなく心に引っかかっていて、今回入ることができて心のつっかえが取れた。
場所は丸の内の官庁街で、すぐ西には移転した家庭裁判所と地方裁判所がある。どうしてこんな官庁街のまっただ中にあるのか不思議に思うけど、この場所に移ったのが昭和10年のことだったようだ。
明治2年に、尾張藩主・徳川慶勝が戊辰戦争で戦死した藩士25人を祀ったのが始まりだった。そのときは昭和区川名山で、名前も旌忠社だった。
それから第二次大戦までの戦いで命を落とした人たちも祀りつつ、名前も明治8年に招魂社、明治34年に官祭招魂社と名を変え、大正7年に名城公園に移り、昭和10年に現在地に移ってきた。愛知縣護國神社と改称したのは、昭和14年で、戦中は一時、愛知神社とも称していたそうだ。
ここは日本神話の神様や歴史上の有名人を祀った神社ではない。戦没者を神として祀ったところだ。日本各地に同じような護國神社がいくつもある。
そういう性格の神社だから、何か願い事をしにいくようなところではない。個人的には、一言挨拶しておいてもいいかなという気持ちで鳥居をくぐった。
鳥居の前に大きな輪っかがある。何のことか分からず、よけて通った。
帰りに説明書きを読んだところ、8の字にくぐると厄払いになると書いてある。茅の輪(ちのわ)というんだそうだ。けど、帰りにくぐってもどうだろうということで、そのままぐぐらずに帰ってきた。
鳥居の外にはアジサイがまだ少し残っていた。

境内には桜の木が植えられていて、ちょっとした桜並木になっている。夏の木漏れ日がきれいで、心地よかった。
春には桜に彩られて華やかな境内になるのだろう。

神職の人たちが何か相談しながら作業をしていたり、巫女の恰好をした女の人が忙しそうに行き来していた。神事の準備か、結婚式も行うようだからその下準備でもしていたのだろうか。
拝殿の前に立っている丸太の木は、太玉柱(ふとたまばしら)と呼ばれるものだ。
神様の数え方は、一柱、二柱というように、柱を御神体のように考えている神社もある。諏訪神社の御柱(おんばしら)は有名だ。

社殿は昭和20年の名古屋空襲で焼け落ちてしまったので、現在のものは戦後に再建されたものだ。
本殿と拝殿は昭和33年に建てられた。
神門、舞殿、廻廊が再建されたのは平成10年というから、まだ最近のことだ。

これはある種の迷信めいたものなのだけど、柏手の音が高く響く神社は良い神社という考え方がある。誰かがどこかで言ったのを聞いたのか、自分が勝手にそう思い込んでいるのか、よく分からないのだけど。
霊感の強い人は、ホテルなどの部屋に入ったとき、まず手を打って響きを確かめることがあるらしい。響かない部屋はよくないから、交換してもらうこともあるんだとか。
そんなこともあって、柏手の音の響きというのはけっこう気になるものなのだけど、この愛知縣護國神社はちょっとないほど良い響きだった。あんなに響くことはめったになくて、自分で驚いた。それがとても印象に残った。

愛知縣護國神社だけではひとネタにならなかったので、この日の前後の写真をあわせて一回分のネタとしたい。
ちょっと目を引く洋館があった。愛知県議員会館とある。
名古屋市長を務めたこともある弁護士の大喜多寅之助が住宅兼事務所として大正9年に建てた邸宅だそうだ。
昭和27年に、愛知県に所有が移り、議員の宿泊や会合に使われているらしい。
外観だけでもなかなか魅力的で見学したいところではあるのだけど、一般公開はしていない。

白壁にある豊田佐助邸。
かつてこのあたりには豊田一族の邸宅が集まっていた。豊田喜一郎邸や豊田佐吉邸は現存せず、佐吉の弟である佐助の邸宅だけが残っている。
大正12年に建てられたもので、現在は名古屋市が借り受けて資料室として使っている。
ここは公開されていて、無料で内部を見学することができる。一度入ってみようと思っている。

白壁地区は、かつて中級武士の武家屋敷が建ち並んでいた場所で、その流れを汲んだ家並みが今でも残っている。
これまでにも断片的に写真を載せてきたけど、まとめて紹介はしていない。いずれしっかり写真を撮ってきて、紹介しなければと思っている。

名古屋最古の教会であるカトリック主税町教会を裏手から。
ここは前に中にも入ったことがある。そのときの様子はブログでも紹介した。

名古屋城の外堀に架かる本町橋。
最初は明治44年に架けられたようだ。
昭和12年にコンクリートで改築されてはいるけど、市内に残る唯一の煉瓦造アーチ橋だそうだ。

都会の中に突如現れた森林のような風景。公園なのだろうけど、なんだかちょっと不思議な景観だった。

古い和菓子屋さん。
この距離感から見るともうやっていないように見えるけど、実はひっそり営業していたりするかもしれない。

少し古めかしいビルがあった。
坂文種報徳会(ばんぶんたねほうとくかい)という病院関係のところが所有する貸しビルらしい。
昭和6年建築ということで、なかなか雰囲気が出ている。
ちょっと寄せ集めで雑多な感じになったけど、今日はこんなところ。
雨降りが続いて、写真を撮りに行けない。この週末には梅雨も明けそうだ。