何はなくとも赤坂宿には大橋屋がある <名鉄の旅・第5回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
赤坂宿2-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 旧赤坂宿の町並みも、御油宿とよく似ている。古い建物が点在しているだけで、宿場町だった頃の面影はあまり残っていない。それでも、昭和の名残が感じられて、写真を撮りながら歩くのは楽しかった。
 ここでの一番の見所は、旅籠の大橋屋だ。御油宿方面から行くと、一番最後に待っている。
 上の写真は、大きな商家風の家屋だ。かなり立派なもので、かつての外観をそのままに近い形で残している。今は一般家庭のようで、説明板などはなかった。
 何を撮っているんだと、自転車で前を横切った兄さんは、家の方を見上げながら過ぎていった。旅行者にとっては珍しい建物でも、ここで暮らしている人にしたら見慣れたものに違いない。

赤坂宿2-2

 清正や菊鶴など、どこかで聞いたことがあるような名前だ。
 江戸後期の1841年創業の白井醸造というところの酒らしい。残念なことに、醸造元は2006年に廃業してしまったようだ。
 この酒店も、残っているのは看板だけで、店は閉まって久しいようだった。

赤坂宿2-3

 現在の赤坂宿の町の様子。道路脇には普通の家が並んでいる。元は宿場町だったと言われなければ、気づかないくらいかもしれない。

赤坂宿2-4

 本陣跡も、説明板が立っているだけで、これといったものは何も残っていない。
 こだけでは昔の宿場町を頭に思い描くことも難しい。

赤坂宿2-5

 御油宿と比べると、赤坂宿の方が多少なりとも宿場町だった歴史を大事にしようという姿勢がうかがわれる。
 高札場を復元したりもしている。ちょっと背が低すぎるような気もするけどどうだろう。

赤坂宿2-6

 1612年に江戸幕府は直轄領にキリスト教禁止令を出した。赤坂も直轄地だったので、キリシタンを取り締まるためのお達しがあったようだ。高札場は復元でも、文章はそのままのはずだ。
 キリストの司教や信者を見つけて密告すれば賞金を与えるという内容だ。本当にその金額をもらえたのかどうかはともかくとして、銀500枚は庶民にとっては宝くじに当たるような大金だから、それくらいキリシタンを厳しく取り締まっているのだぞということだったのだろう。

赤坂宿2-7

 昔ながらの商店があった。ここはまだ営業しているようだった。

赤坂宿2-8

 感冒のユイツとは聞いたことがない。ムヒ本舗は、虫さされのムヒとはたぶん関係がない。

赤坂宿2-9

 これが大橋屋だ。東海道筋では江戸時代から現在に至るまで営業を続けているただ一軒の旅籠になった。
 創業は江戸時代前期の1649年。この建物は1716年頃に建てられたものといわれている。
 創業時の屋号は伊右エ門 鯉屋だった。
 現役の旅館だから、予約すれば泊まることができる、一泊1万円からだそうだ。
 御油宿が松並木なら、赤坂宿は大橋屋で、これを見るだけでも訪れる価値はある。

赤坂宿2-10

 丸ポストがあった。古い町並みには丸ポストがよく似合う。
 奥にある正法寺は、なんとなく寄らなかった。
 ただ、手前にあった浄泉寺は寄っておくべきだったと、帰ってきてから悔やんだ。

赤坂宿2-11

「よらまいかん」とかいう名前の休憩所があった。この日は定休日で閉まっていた。
 広重の赤坂宿の図が看板になっている。ここに描かれている蘇鉄が、浄泉寺に植え替えられて残っているようだ。
 御油宿ほど露骨ではないものの、やはり旅籠と飯盛女が主役になっている。風呂上がりの客や食事をしている男、寝転んでいる人がいて、別の部屋では飯盛女たちが化粧をしている。

赤坂宿2-12

 久しぶりにこの言葉を見た。子供の頃よく見た文句だ。

赤坂宿2-13

 大橋屋も見たことだし、赤坂宿はここまでとした。本当はもう少しだけ足を伸ばして、杉森八幡社まで行った方がよかったかもしれないけど、まあよしとする。
 御油宿と赤坂宿はすぐ近くとはいえ、国府駅から歩いてきているから、ここまでもう4キロくらい歩いたことになる。まだまだ旅は始まったばかりで、前半から深追いは禁物だ。
 それに宿場歩きはまだ残っている。ここから電車で2つ戻った本宿へ行かなければいけなかった。次回はそのときのお話となる。
 つづく。
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