御油の松並木から赤坂宿はすぐそこ <名鉄の旅・第4回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
御油宿3-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 16-45mm f4



 今日は御油宿の3回目。こんなに引っ張るつもりはなかったのに、やけにゆっくりなペースになっている。今回と次回で、赤坂宿まで終わらせることにしたい。
 イチビキの工場を過ぎてしばらく行くと、いよいよ御油宿のクライマックスである松並木が見えてくる。クライマックスといっても所詮松並木なので、わぁー、きれいとかいう感動はなく、おお、なるほど、そういうことかといった感じでしかないわけだけど、それでも東海道に現存する松並木というのは貴重なもので、とりあえずの目的地にはなる。

御油宿3-2

 これが御油の松並木だ。なかなか立派な松が立ち並んでいて、見応えがある。とても地味ではあるけれど。
 信長の家臣だった篠岡八右衛門が松を植樹したのが始まりで、東海道を整備するときに家康が大久保長安に命じてそれを引き継いだ。
 風雪を防いだり、暑さよけのためという面と、一種の観光名所にしようという意図もあったのではないかと思う。 
 当初は650本ほど植えられたとされている。幕府管理で大事に保護されたものの、枯れたり倒れたりして本数を減らし、江戸中期には500本、後期には300本足らずにまでなってしまったそうだ。
 昭和に入っても本数は減り続け、このままではないけないと、戦争中の昭和19年に天然記念物に指定して保護することになった。そうしなければ伐採されて燃料にされてしまう恐れがあったからだ。
 その後、保護活動が実って少しずつ本数を戻し、現在では300本以上が600メートルの並木を作っている。江戸時代に植えられたものも20本ちょっと残っているという。
 松は病気になりやすい弱い木だから、守っていくのは大変だ。この道は地元の人の抜け道になっているようで、車がひっきりなしに通る。松にとってはそれもダメージになりそうだ。
 2009年に歩道ができて、車道の幅を狭くしたことで、以前より安心して歩けるようになっている。

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 これだけ太い松の木の切り株というのはあまり見ない。江戸時代に植えられたものじゃないだろうか。

御油宿3-3

 弥次喜多茶屋というのがあった。このときは営業していなかったようだけど、今でもやっているのかどうかは微妙なところだ。
『東海道中膝栗毛』の中で、悪いキツネが出て人をだますという話を聞いた弥次さんは、先へ行って待っていた喜多さんを見て、キツネが化けて自分をだましていると思い込んで縛り上げてしまう。その舞台になったのが、ここ御油の松並木だ。

御油宿3-5

 松並木の途中に家具センターがあった。このロケーションで家具はどうなんだろうと疑問に思った。閉鎖している姿を見て、そりゃそうだろうなと納得した。この道沿いで商売をするのは、どんな商売でも難しい。ましてや家具となると尚更だ。

御油宿3-6

 木とトタンの組み合わせが昭和っぽい。
 今は欠陥住宅だなんだとうるさいけど、昔の安普請などは、どこも欠陥だらけだった。それでもみんな文句も言わずに暮らしていたものだ。多少隙間風が吹き込んだり、傾いたりなんて、大した問題じゃない。

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 黒板の高い家と細い路地。好きな感じ。

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 松並木を過ぎて、天王川に架かる一ノ橋を越えると、もうそこは赤坂宿だ。驚くほど近い。
 御油宿と赤坂宿は、わずか1.7キロしか離れていない。東海道の宿場町は、だいたい9キロくらい離れているのが普通で、この近さは他にはない。
 当初は、ふたつの宿をひとつの宿として、それぞれが上りと下りの人馬の引き継ぎ業務を行っていたようだ。のちにそれぞれが独立してふたつの宿場町になった。
 赤坂宿も御油宿同様、遊興に特化した宿場で、最盛期には80軒以上の旅籠があり、ほとんどに飯盛女を置いていたそうだ。
 宿場としての成立は古く、中世の頃から遊女や旅芸人などが集まっていたという。
 赤坂は東海道が整備されるとすぐに幕府直轄地となった。ということは、そういう場所として公認していたのだろう。地理的にも江戸と京都の間というのもあっただろうか。
 俗謡に、「御油に赤坂、吉田がなくば、何のよしみで江戸通い」と謡われたという。

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 赤坂宿を訪れたなら、関川神社にも寄っておきたい。
 樹齢800年の天然記念物の大楠と、芭蕉の句碑があることで知られている。

御油宿3-10

 見上げる大楠は、大きく手を広げて葉を生い茂らせている。楠にとって800年というのはまだ若いようだ。元気いっぱいといった感じだ。
 この木が神社の御神体なのだろう。1001年に赤坂のお金持ち、宮道弥太次郎長富という人が、この楠の脇に社を建てて市杵嶋姫命(イチキシマヒメ)を祀ったのが始まりとされている。
 どうして宗像三女神の中のイチキシマヒメだったのかは、よく分からない。基本的には海(水)の神様だと思うけど、楠とも何か関係があるのだろうか。

御油宿3-11

 境内はなかなかの荒れっぷりで、鳥居もぽっきり折れて足しか残っていない。この様子を見て、かなりのけぞる。
 鳥居の脇には芭蕉の句碑がある。
「夏の月 御油より出でて 赤坂や」
 芭蕉の中ではあまり優れた句とは思えないけど、御油と赤坂の近さを歌ったものだろう。

御油宿3-12

 今の赤坂宿の日常風景。
 格子の古い家がわずかに残り、庭先の松の木に東海道の面影を残す。

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 昔の病院か、役場か、そんなような建物だ。当時はモダンな建築だったのだろう。

 今回、やっと赤坂宿に入ったものの、最後まで行くことはできなかった。この続きは、また次回ということにしたい。
 つづく。
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コメント
  • 2010/06/12 09:03
    おはです

    > 松並木
    おぉこれこれ。って御油には松並木見に行っただけで他は行ってないんで(^^;。
    歩道部分が出来たのですか。
    ほんとに以前は車ひっきりなしでした。おぃおぃこういうとこ(守ってるとこ)そんなに通ってええんかよ、と。
    松ってあんなに背が高くなるんですねぇ。背を低く横に伸ばすって印象なもんで。

    松並木の近く(南側?)にとろろ(でしたっけ?)を食べさせてくれるとこってありませんでしたっけ?
    行ってみたけど予約制とかで(だったかな)諦めてやめましたが。
  • 出没多数
    2010/06/13 02:45
    ★⑦さん

     こんにちは。
     ⑦さんもいろんなところに出没してますね(笑)。
     御油の松並木も行ってましたか。
     そうそう、あそこ、歩道を作ったんで、車がスピードを出しにくくなって、多少は歩きやすくなったようです。
     それでも、けっこうな交通量だったけれど。
     あの松は、つっかえ棒をしてるから、あんな風に上に伸びるんでしょうかね。
     食べ物屋は基本的に興味がないので、視界に入っていても見逃す公算が大です。(^^;
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