
PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8
近所の神社巡りシリーズは長らく中断したまま進んでいなかった。一時期、どういうわけか神社へ寄りつきたくない気分になって、まったく行かなくなってしまったことがあった。ここのところそういった拒否反応みたいなものはすっかり消えて、またぼちぼち巡り歩くようになった。
休んでいた間に、どこまで進んだか分からなくなってしまった。尾張旭は全部回って、守山区と名東区、千種区の途中だったはずだ。名東区もほぼ終わったんだったか。春日井も平行して始めていた。一つずつ順番に回っていって思い出していくことにしよう。
今回行ってきたのは、春日井にある二つの八幡神社だ。王子バラ園へ行く途中にあったので、二つまとめて行ってきた。
同じ道沿いで、直線距離にして400メートルほどしか離れてない場所に、二つの八幡神社があるのが不思議だった。どちらも村社とあるから、その地区の代表の神社だったということだ。片方は中切町、もう一方は下条町にある。二つは昔から別の地区だったのだろうか。それにしてもこんなに近くに二つの八幡神社が必要だったのかという疑問が残る。まったく無関係だったということはないだろうけれど。
上の写真は、中切町の八幡神社だ。区別するためか、地図上ではこちらは八幡神社となっていて、下条町は八幡宮となっている。ただ、下条町の方は、石柱に八幡社と刻まれている。どれが正式名なのか知らないけど、なんにしても紛らわしいことだ。

道に面した鳥居をくぐると、すぐ正面が行き止まりになっている。右に曲がってもう一基の鳥居があり、少し向こうに拝殿が見える。
区画整理のときに無理矢理狭い場所に閉じ込めたことでこんなことになってしまったのだろう。本殿は西南向きになっている。元々こんな方角を向いていたのではないと思う。
社殿は全体的に新しい。戦後に建て直されたものだろう。白い鉄筋コンクリート造りはちょっといただけないと思うけど、いろいろ事情もある。
入口の狛犬は昭和9年のものということで、いい感じに古びて、説得力があった。

祭神はどういうわけか、玉依姫命(タマヨリビメ)となっている。タマヨリビメは、初代天皇・神武天皇のお母さんで、京都の下鴨、上賀茂神社などで祭られている神だ。八幡神社とは関係がない。八幡神社の中心となる祭神は誉田別命(応神天皇)と相場が決まっている。
八幡社の総本社は大分の宇佐神宮で、祭神は誉田別命(応神天皇)、比大神(ひめのおおかみ・卑弥呼という説も)、神功皇后となっている。これが基本のトリオで、全国の八幡神社もこの顔ぶれが多い。
中切町の八幡神社でも誉田別命は祀られているようだけど、中心人物ではなさそうな感じだ。アマテラスやヤマトタケルも祀られている。
ここは根っからの八幡神社ではなかったのかもしれない。詳しいことは調べがつかなかったのだけど、他の神社と合祀される中で、最終的に八幡社として落ち着いたということだろうか。だとすれば、もう一つの八幡宮とはあまり関係がなかった可能性もある。

下条町の八幡宮は、少し奥まったところにあって、見つけるのにちょっと時間がかかった。
道沿いに短い階段があって、その向こうに蕃塀が建っている。なんだこれはと思う。神社では絶対にあるはずの鳥居がない。鳥居がない神社など見たことはない。信じられない思いで周囲を一周回ってみても、やっぱりない。
帰ってきたから知ったのだけど、道を挟んで南側に桜並木があって、それが本来の参道で、その南に鳥居があるようだ。
だとすると、神社の境内を一般道が横切っているということになる。そんな馬鹿な。鳥居の先は神域で、生活道が横断していいはずがない。
それにしたって、もう一基は鳥居が必要ではないのか。写真のこの場所に建っていないといけない。鳥居をくぐらずに参拝するなんて初めてのことだっただけに、最後まで戸惑いが消えなかった。
けれど、この神社、実はとてもいいのだ。元々はかなり格のある神社だったはずで、それが手入れされてなくて、荒れてしまっている。もう少しちゃんと手入れさえすれば、必ずいい神社に戻せる。このまま放置しておくのは惜しいところだ。

拝殿なのか、舞台のようなものなのか、けっこう立派なのに、放置されたまま傷んでいる。
拝殿にしても賽銭箱もないから、とにかく先に進むしかない。

進んだ先がやはり拝殿のようだ。見上げると龍などの彫刻が彫られている。
この彫り物は見覚えがある。同じ春日井にある内々神社のものと似ている。同じ彫り師集団の仕事かもしれない。
これだけ見ても、この神社が昔は立派なものだったことが分かる。

内々神社の彫刻と比べるとやや落ちるようだけど、姿はよく似ている。向こうは有名な立川一門の作だそうだけど、こちらはどうなのだろう。もう少し時代は新しいものだろうか。

境内社も無造作に積まれた石の上に乗っけられている。強い風が吹いたら転げ落ちそうだ。
全般的に何もかもが行き届いていない。なんというか、奥さんに先立たれてしまったやもめ暮らしの立派な邸宅みたいな感じとでもいおうか。

拝殿まで進んでも賽銭箱がない。お世話をする人がいなくなって、放置されたままなのだろう。
投げられた一円玉が向こうに届かず、こちら側に落ちている姿も悲しみを誘う。私の二十円も、最初は一枚しか入らず、投げ直してやっと放り込むことができた。大晦日くらいは回収に来るのだろうか。

横から見る拝殿も格好いい。木々に囲まれた様子もいい雰囲気だ。なんとかこの神社が再生することを願いたい。いい素質を持っているだけにこのままにしておくのはもったいない。
結局、二つの八幡神社のつながりは分からずじまいだった。1670年頃に藩撰された「寛文村々覚書」には、下条村に二つの八幡社があると記されているそうだ。一つは下条町のものだろう。もう一つは中切町のものなのか、それとは別にあって今はなくなってしまったものなのか。
今回は下条町の八幡社を知ることができたのは収穫だった。
今後もぼちぼち近所の神社巡りシリーズを続けていこうと思っている。
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