覚王山日泰寺の参道はなかなかいいところ

名古屋(Nagoya)
覚王山-1

PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8



 覚王山の日泰寺(にったいじ)には何度か行ったことがある。けれど、参道を歩いたことはなかった。車で行くと境内にとめられるから、参道を歩くという発想が浮かばなかったのだ。参道の雰囲気がいいという話は前から聞いて気になってはいた。
 今回、自転車でゆっくり走りながら写真を撮ってきた。なるほど、なかなか悪くない。ここ10年くらいで古い建物が減ったり、新しい店ができたりと変貌していっているようだけど、参道らしい雰囲気は残している。いくつかの心惹かれる風景にも出会うことができた。
 覚王山(かくおうざん)の地名は、日泰寺に由来している。
 日泰寺は、タイから送られた仏舎利(釈迦の骨)を安置するために建てられた寺で、日本で唯一、どの宗派にも属さない超宗派のお寺だ。京都などと激しい誘致合戦を繰り広げられた末に名古屋に寺が建てられるようになった経緯などは、以前日泰寺を紹介したときに書いた。
 覚王というのは、悟りを開いた釈迦を敬って呼ぶ呼び方だ。このあたりは丘陵地帯で、月見坂町や観月町という地名も残っている。そこから覚王山と名づけられた。
 日泰はそのまま、日本とタイ国を表している。初めはシャム国だから日暹寺(にっせんじ)だったのが、シャムがタイと名前を変えたときに、ここも日泰寺と改名した。
 どうしてタイなのだろうと思った人もいるかもしれない。釈迦はゴータマ・シッダールタとしてネパールに生まれ、インドで死んでいる(入滅)。なのにどうして釈迦の骨がタイ国から送られたかというと、1898年にイギリス人のペッペがインドで古墳を発掘したところ、そこから釈迦の骨と刻まれた壷が見つかり、ペッペは英国王室に献上し、英国から仏教国のシャム国へ贈られた。それを希望の国に分けることになり、一部を日本が譲り受けたという経緯があったためだ。
 日本とタイは山田長政以来の友好国で、今でも仲がよい。王室を持つタイと皇室の日本という似た部分もある。どちらかというと日本人よりもタイ人の方が親しみを抱いているようだ。現在タイがもめている現状を見ても、日本人はあまり積極的に助けようとしていないように思える。
 それはともかくとして、名古屋には釈迦の骨があるということをもう少し宣伝してもいい。今ひとつ、全国的な知名度が低すぎる。
 ついでに書くと、仏舎利というのは昔からたくさんあって、どれが本物かどうかなどということは知りようがない。
 何しろ釈迦が生まれたのは、紀元前5世紀という大昔で、日本でいうと弥生時代の中期に当たる。一時はその存在さえ疑問視されたほどだ。仏教の本場であるはずのネパールやインドではヒンドゥー教に押されて仏教が主流ではなくなってしまったため、大事なものが散逸して残らなかったという事情もある。
 仏舎利は、釈迦が入滅したあと、8つに分けられ、それぞれが寺院に納められた。当時は激しい争奪戦が繰り広げられたという。のちにそれを掘り返して、粉々に砕いて再配布を行ったため、途中で偽物が紛れ込んだりして、どれが本物か分からなくなってしまった。最終的には8万以上の寺院に仏舎利は納められたという。ほとんど砂状態だ。
 日本においても、古くは仏教が入ってきた飛鳥時代に贈られて、各寺院に奉納されたという記録が残っている。奈良の法興寺や法隆寺、大阪の四天王寺などがそうだ。
 いったん仏舎利信仰はすたれたものの、空海たちが帰国したときにたくさん持ち帰って、再び仏舎利ブームが起きたりもした。
 現在でも仏舎利が収められている寺院や仏舎利塔がいくつかある。にもかかわらず、日本人は意外と仏舎利には無関心のようで、仏舎利巡りをしているという人の話はあまり聞かない。日本では最初から釈迦そのものよりも仏像信仰の比重が高かった。

覚王山-2

 日泰寺の参道は、地下鉄覚王山駅を出て信号を渡ってすぐに始まる。わずか500メートルほどの通りで、思ったよりも短かった。
 昔からの店と新しい店が混在して雑然としているのだけど、騒がしくない空気感が優しく感じられる。
 普段は至って静かなこの通りも、毎月21日の縁日にはたくさんの店が出て、大賑わいになるという。写真でしか見たことがないその光景だけど、普段の様子を知っていると、ここにこんなにも人が集まるのかと驚くほどだ。
 何故21日なのかといえば、それは釈迦には関係がなかった。空海こと弘法大師の命日が21日だからだ(3月21日、61歳)。日泰寺と弘法大師の関係性はよく分からないのだけど、とにかくそういうことらしい。
 上の写真の手前は、雑貨屋さんで、奥は「えいこく屋」というティーハウスだ。
 駄菓子屋や製氷問屋もあるらしいのだけど、どうやら見逃したようで写真を撮っていない。昔は料亭があって、芸者さんもいたそうだ。
 一本入った路地に覚王山アパートという古い建物があって、現在はギャラリーになっている。そこも知っていれば見にいっていた。ちょっと予習不足だったから、再訪しなければいけない。
 梅花堂の鬼まんじゅうというのが覚王山名物だそうだ。午前中に売り切れることもあるというから、買うなら電話予約した方がいい。

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 履き物屋さんがまだ頑張って続けている。
 草履などが充実しているようだから、需要はありそうだ。草履や下駄を売っている店は貴重だ。

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 ビジネス旅館、酒井屋。
 ここもまだ現役で商売を続けている。素泊まりなら一人5,000円、二人なら4,200円という価格帯だ。
 ビジネス以外でも泊まっていいのだと思うけど、覚王山あたりに泊まる用事があるのだろうかと思ってしまう。
 地下鉄の駅がすぐ近くで、名古屋駅まで15分という距離だから、静かで安いところに泊まって、翌日移動するというのも手かもしれない。

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 全然コインランドリーに見えない店構えだけど、ガラス入りの木の扉をガラガラっと開けると、そこには業務用の洗濯機が並んでいたりするのだろうか。

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 昭和の古い感じだ。たぶん、もうやっていないようだけど。

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 扉には閉店のお知らせの貼り紙があった。
 古くからの町も、どんどん移り変わってゆく。いつまでも変わらないで欲しいというのは、甘い感傷に過ぎないのだろう。

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 名古屋市内ではほとんど見かけない丸ポストがあった。
 市内では、有松の2つと、名鉄百貨店の簡易郵便局にあるものと、全部で4つしか残ってないそうだ。

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 門前の様子。左には新しいマンションも建っている。

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 無宗派ということもあって、日泰寺の雰囲気は無味無臭な感じがする。良くも悪くも寺臭さがないというか、いかめしさがない。威張ってないから気軽に入っていける。そういう気安さから、ここを訪れる人も多い。境内の駐車場で休んでいるタクシー運転手やセールスマンなんかがいたりもする。
 建物に関してはあまり見所がない。本堂も三門も立派だし、五重塔もあるのだけど、すべて戦後に再建されたものだ。空襲で焼かれなければ、100年以上が経過して、そろそろ味わい深いものになっていただろうに。

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 寺や神社で子供たちが遊んでいる姿を見ると、ちょっと安心する。寺社というのは願い事をするために訪れるだけの場所ではなく、昔から社交の場でもあった。子供が境内を遊び場にしているのは、伝統的な光景で、ちっとも罰当たりなことなんかじゃない。神様や仏様だって、誰も来なくて静かよりも子供の歓声が響いている方が寂しくなくていいだろう。

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 せっかくここまで来て、参道だけ見て帰るというわけにもいかない。一応、挨拶だけしていくことにした。

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 太鼓を叩きながら経を読んでいた。
 無宗派なので、各宗派から選ばれた代表が三年ごとに交代しながら住職を勤めている。

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 日泰寺の北に、仏像などがたくさんありそうなところがあった。扉が閉まっていて中には入れなかった。ここも日泰寺の境内だろうか。
 21日の縁日の日には、普段非公開の鉈薬師堂が公開される。そこも見てみたい。
 今月の21日に行けるようなら行ってみよう。
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