東海道の宿場つながりで去年訪れた二川宿の話

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
二川宿-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 やや唐突ではあるけれど、今日は二川宿を紹介することにした。
 ここを訪れたのは去年の9月のことだった。蒲郡から豊橋、浜名湖と回ったとき、二川宿にも少し寄っておいた。それをここまで出さなかったのは、出すタイミングを失ったまま時が流れてしまったからだった。大事に温めていたとかそういうことではない。
 ではどうしてこのタイミングだったかといえば、関宿、亀山宿を訪れて、東海道の宿場つながりとしてちょうどいいと思ったからだ。この機を逃すと次はまたいつになってしまうか分からないから、ここで挟むことにした。

 二川宿は東海道五十三次の中で、品川から数えて33番目の宿場に当たる。遠江国から三河国へ入って最初の宿場がここだった。
 このあと、吉田宿、御油宿、赤坂宿、藤川宿、岡崎宿、池鯉鮒宿と続き、尾張国に入って鳴海宿、そして熱田神宮の宮宿となる。
 二川宿は、本陣1、脇本陣1、旅籠約30、町並みも1.3キロ程度の小さな宿場だった。宿泊客も少なく、本陣の財政も非常に厳しかったという。
 当初、二川村だけで問屋をやっていたのだけど、負担が大きすぎるということで隣村の大岩村も共同して行うようにという幕府からのお達しが来た。しかし、二つの村は1キロ以上も離れていたため、問屋の業務が大変すぎた。そこで幕府は次の一手として二川村を西に、大岩村を東に移動させて、くっつけるという荒技をやった。宿場は二川村だけにして、問屋を大岩村に置いた。
 宿場というのは何をするところかというと、人を泊めるための宿場町というだけではなく、人と荷物を次の宿場へ送ることがもっと大事な業務だった。人馬の継ぎ立てといい、それを行っていたのが問屋だった。
 問屋には、年寄、帳付(ちょうつけ)、馬指(うまさし)、人足指(にんそくさし)、定使(じょうつかい)などといった役職があり、東海道の場合は人足100人、馬100頭を常に待機させておくことが定められていた。これが宿場の大きな負担となった。それでも足りないときは、助郷(すけごう)に指定された村から人や馬を借りることになる。ここでもよくモメて、出すの出さないのというケンカもしばしば起こったという。
 そんなわけで、人気がなかった二川宿は、宿場をやっていくのがとても大変だったようだ。たびたび起こった火事がそれに追い打ちをかけた。
 本陣の職は当初後藤家の五左衛門が務めていたのだけど、何度も火事にあって家が没落してしまい、引き継いだ紅林権左衛門も火事で立て直すことができず、最後は馬場彦十郎が嫌々引き受けて明治を迎えることになる。
 ついでに書くと、本陣というのは大名や役人、公家などが泊まる家で、その宿場で一番大きくて格式がある家がその役を務めた。一般人が泊まる宿屋ではない。
 脇本陣は、本陣が一杯のときに使う臨時の宿だ。
 旅籠が武士や一般の旅人が泊まる宿で、これは食事付きだった。素泊まりするなら木賃宿で、そこでは旅人が自炊をした。
 宿場町制度は、明治5年に廃止されて、その後、宿場町は急速に衰退していくことになる。

二川宿-2

 ここは二川駅の裏手、南口の風景だ。二川駅付近では、東海道本線と新幹線の線路が隣り合わせに走っているから、新幹線が通過していくのがよく見える。
 南側には動物園の「のんほいパーク」があって、歩いていける。二川宿は駅の北側にある。
 駅舎は2002年に新しくなった。その前は木造の味のある駅舎だったそうだ。
 マンホール蓋には、豊橋名物の手筒花火と吉田城が描かれている。

二川宿-3

 屏から出ている松の木などは、かつての街道の雰囲気を持っている。
 ただ、古い家屋は少なく、宿場町の面影はあまり残っていない。少し前の写真を見ると古い家が写っていたりするから、ここ数年で昔の家屋は減ってしまったようだ。
 枡形の道など、当時の町割はほぼそのまま残っている。

二川宿-4

 宿場の名残がなければ、昭和の名残を探す。なんだか昔ながらの感じに心が和む。

二川宿-5

 さりげなく丸ポストがあったりもする。
 それにしても、道が狭い。狭いのに車の往来が激しい。歩道もなく、人が歩くスペースさえないところもある。道の真ん中で写真なんて撮っていたらひかれそうになる。ここではのんびり町散策とはいかない。
 駅から二川本陣跡までは約1キロ。普段なら近い距離なのに、このときはなんだか遠く感じられた。二川に来るまでにさんざん歩いたあとだったのと、車をよけたり立ち止まったりを繰り返したからだろう。

二川宿-6

 うば車店というのを初めて見た。田舎の方では、お年寄りが乳母車を押して歩いている姿をよく見かける。杖代わりにもなり、歩くのが楽なんだそうだ。そういう需要が多くて、こういう店がやっていけるのだと思われる。この町が特別子供が多くて、乳母車が飛ぶように売れるというわけではあるまい。

二川宿-7

 古い家風の新しい店。
 こんなところでも撮らないと、他に撮るところが見つからなかったのだ。

二川宿-8

 東海道の宿場町で、本陣の建物が残っているのは、ここ二川宿と、滋賀県の草津宿の二つだけとなっている。
 現存する本陣の建物は、馬場家が1807年に再建したものだ。
 代々馬場家当主が引き継いだのち、昭和60年に豊橋市に寄贈され、昭和63年からは資料館として一般公開されるようになった(400円)。

二川宿-9

 開館は16時30分までということで、私が行ったときはもう閉まっていた。
 本陣建物内部や資料などが展示されている。
 平成17年(2005年)には旅籠を再現した清明屋も建てられた。

二川宿-10

 表から中がちょこっと見えたので、のぞき撮りする。
 本陣資料館を見られなかったのは残念だったものの、宿場町の雰囲気は味わったからよしとする。

二川宿-11

 時間に余裕があれば、もう少し東まで足を伸ばして、西の大岩町も歩いてみるところだったけど、このあとまだ弁天島へ行かなくていけなかった。日没も近づいてきたところで、引き返して駅へ向かうことした。
 機会を見つけて、また他の宿場町も歩いてみることにしよう。
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