
他の人が梅を見上げてる横で私は地面を探して歩く。ここにもない、こっちもない、あ、あった。ああ、駄目だ、ここも駄目。こっちもか。何か駄目かというと、しっかり開いているオオイヌノフグリがないことだ。たくさん花はあるのにどれも閉じているか半開きかで、しっかり開いているものが見つからない。それもそのはず、オオイヌノフグリは、朝日とともに花開いて、夕方には花を閉じてしまう一日花なのだ。私がうろつくのはいつも夕方。だから、全開のオオイヌノフグリが群生してる様子をほとんど見たことがない。早寝早起きの彼らと私とでは生活のリズムが違う。
そんな中、やっと見つけた開いてるやつがいた。ちょっと閉じかけだけど、どうにか間に合った。のんびりさんは人だけじゃなく花でもいる。夜更かしさんも。オオイヌノフグリはたいてい固まって咲いているのに、こいつはポツンと離れたところで咲いていた。そういう性格だったのか、環境がそんな性格を作ったのか。仲間が夕方になって閉じていることに気づかなかったのかもしれない。
普通の花は、虫に密を吸わせる代わりに受粉をしてもらう。オオイヌノフグリも例外ではない。ただ、この花は一日で花が閉じて落ちてしまうという特徴があるため、保険をかけてある。虫がやってこなかったときは、自らおしべをめしべにくっつけて自家受粉するという最終手段を持っている。特に虫の少ない早春に咲く花だけにこのシステムは必要不可欠だった。
だから、去年咲いていた場所に行けばほぼ確実に今年も咲いているというわけだ。その二段構えで今では日本全国だけでなく、広く世界で自生しているという。
原産はユーラシアやアフリカで、2年草。日本で最初に見つかったのは明治の初期だと言われている。それまで日本に咲いていたイヌノフグリを一気に蹴散らして、大正時代には全国に広まった。逆に言えば、江戸時代の日本人はオオイヌノフグリを見たことがないということだ。
今では早春のもっともありふれた野草のひとつだけど、日本に定着してからさほど年月は経っていない。
もともとあったイヌノフグリがどこかへ追いやられてしまったのは残念だ。最近ではめったに見ることができないものとなってしまった。私も見たことがない。江戸時代の人たちは、ピンクがかった白いイヌノフグリをよく見ていたのだろう。
オオイヌノフグリは漢字で書くと「大犬の陰嚢」という気の毒な名前を付けられている。元々イヌノフグリの実が犬のタマタマに似てることからそう呼ばれていて、そこへあとからやって来たこれをイヌノフグリに似ている大きな花ということでオオイヌノフグリと名づけた。大きな犬のタマという意味ではない。イヌノフグリの実は似てるけど、オオイヌノフグリの実はそれほど似ていない。
この名前はいくらなんでも気の毒だろうといろんな人がいろんな別名を考えた。瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳、などと。しかし、一般的にはやはりオオイヌノフグリとして通っている。
英語圏では、Birds-eyes、鳥の瞳と呼ばれている。猫の目というところもあるらしい。小さくて可憐なコバルトブルーの花だから、きれいな名前を付けたくなるのはよく分かる。
学名はVeronica persica。ペルシャのヴェロニカ。ヴェロニカとは、十字架を背負ったキリストの汗をハンカチでふき取った聖女の名前だ。
花言葉は、神聖、清らか、信頼。和名だけがイメージを壊している。
やっとオオイヌノフグリを写真に撮ることができて、また一歩春に近づいた気がした。早春の野草3点セットであるホトケノザ、オオイヌノフグリとあとひとつ、ヒメオドリコソウを撮れば完結だ。そこからあとは次から次へと春の野草が咲いてくる。
小さな小さなオオイヌノフグリだけど、この時期に咲くコバルトブルーの花は他にないので、ちょっと気をつけて地面を見ながら歩けばきっと見つかるはず。見つけたら、しゃがんで一度じっくり見てみてください。とてもきれいな花だということに気づくはず。子供がいたら、一緒に見て教えてあげてください。ただし、人がたくさんいるところで、「ねえ、お母さん! ふぐりって何!?」と大きな声で訊かれるかもしれないので気をつけてくださいね。
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