亀山宿歩きで伊賀上野方面の旅は完結

観光地(Tourist spot)
亀山宿-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / DA 55-300mm f4-5.8



 亀山城跡は、亀山駅の北、約600メートルほどにあり、その中間あたりを東西に旧東海道が通っている。亀山宿は、東の露心庵という寺から西の京口門までの約2.5キロの間にあった。江戸から数えて46番目の宿場町である。
 熱田の宿から舟に乗った旅人は、桑名の渡しで降りたあと、四日市宿、石薬師宿、庄野宿を通り、亀山宿に辿り着く。
 桑名から亀山までは40キロ弱。健脚の持ち主でもそろそろこのあたりで泊まりたいところだ。ただ、亀山城には将軍の宿泊所があり、藩の領内には幕府直轄の宿場が置かれたため、参勤交代の大名たちは亀山泊まりを遠慮したという。ちょっと堅苦しい雰囲気を嫌い、あと5キロ歩いて関宿まで行って泊まった旅人もいたかもしれない。
 歌川広重の東海道五十三次、亀山宿「雪晴」は、亀山城下にあった京口門が描かれている。一面雪景色の中、急峻な坂を旅人たちは門を目指して登っていっている。広重が実際に旅をして自分の目で見たのかどうかはともかくとして、広重のイメージする亀山は坂の上の宿場というものだったようだ。
 実際に駅から亀山宿、亀山城へ向かって歩いてみると、かなりの勾配で登っているのを実感する。曲がりくねった道も多い。亀山宿は、宿場町でもあり、城下町でもあった。
 駅から北上すると、上の写真の場所で旧東海道とぶつかる。かつて問屋場があった跡で、西町と東町と二つに分けていた境でもある。

亀山宿-2

 西町では、昨日の白い土塀や武家屋敷跡を撮った。今日は東町を紹介したい。
 分かりやすくするために、旧東海道の道をカラー舗装している。雰囲気的にはどうだろう。味気ないアスファルトの色よりは土色っぽくていいといえばいい。

亀山宿-3

 なかなかの荒れっぷりに反応する。宿場町の風情とは関係なく、こういうのは見つけたら撮る。

亀山宿-4

 亀山のマンホール蓋。やはり亀山城の石垣と多聞櫓が描かれている。

亀山宿-5

 関宿のお隣とは思えないほど、宿場町としての面影をまったく残していない。近年、急速に古い家が減っていったそうだ。国道一号線は宿場や亀山城跡よりも北を通っているから、条件としては関宿と変わらないはずなのに、この違いは何なんだろうか。関宿の残り方がむしろ不自然といえるかもしれない。
 せめてこれくらいはしようということで、それぞれの家にはかつての屋号の木札がかけられている。それでわずかに往時を偲ぶしかない。
 よろずやといえば、銀ちゃんだ。神楽や定春がいるところを想像して楽しむ。

亀山宿-6

 レトロモダンな感じのパン屋さん。ふじっこぱん。
 閉店して久しい感じだけど、昭和の名残のような優しい光景だった。

亀山宿-7

 遍照寺の鐘楼門だったと思う。眼下に町並みが見えている。
 17世紀に創建された古刹で、本堂は亀山城の二之丸御殿玄関部分を移築したものだそうだ。そんなことは知らないから、中までは行っていない。

亀山宿-8

 こういうクランク状の道を枡形(ますがた)と呼んでいる。城下町ではよくある作りの道だ。大勢の敵が一気に攻めてくるのを防ぐためのものだそうだけど、どれくらいの効果があったのだろうか。

亀山宿-9

 元々は白壁の土蔵だったのだろう。トタンっぽいものを白と黒に塗って、それっぽい外観になるように補修してある。

亀山宿-10

 少し広い道路に出た。この先は旧東海道の名残もあまり残っていないようだ。地方都市のさびれた商店街風景となる。
 予定のコースを歩き終わって、日没も近づいてきた。そろそろ帰ることにする。

亀山宿-11

 これまたすごいことになっている民家。台風の直撃を食らって、そのまま古びてしまったかのようだ。

亀山宿-12

 池の側と名づけられた池は、かつて亀山城の外堀だったところだ。
 このもじゃハウスも、今頃は新緑になっているだろうか。
 池のほとりには、石井兄弟敵討ちの碑というのが建っている。父と兄のカタキを追いかけること28年。ようやくこの地で仇討ちを成し遂げたのだそうだ。翌年に起きた赤穂浪士の討ち入りと並び称されたというけど、こちらのエピソードはあまり後年まで伝わらなかったようだ。

亀山宿-13

 なかなか大きなクツ兼カバン屋さん。近頃はこういう個人のクツ屋さんも少なくなった。

亀山宿-14

 スポーツ用品店の店先で、完全に油断して眠りこける犬。この町の平和さがうかがわれる。

亀山宿-15

 駅前に能褒野神社(のぼのじんじゃ)の鳥居が建っている。直線距離で5キロも離れているのに、それだけ神社の重要さを示しているということか。
 能褒野神社は、ヤマトタケルが東国を平定して故郷の大和を目指す途中に命を落としたとされる場所で、全長90メートルの前方後円墳がある場所だ。
 なんとかして行きたいと思ったのだけど、結局行けなかった。行くには、一つ東の井田川駅まで行って30分歩くか、亀山駅から市バスで行くかしかない。しかし、市バスはとっくに終わっており、井田川駅から歩くと日没までに間に合いそうになくてあきらめた。それが今回の旅の心残りとなった。
 なにはともあれ、こうして伊賀上野から関宿、亀山の旅は無事に終わった。なかなか楽しくもあり、収穫もある旅となった。
記事タイトルとURLをコピーする
コメント
  • 2010/05/05 08:59
    ミノヤの文字がさりげなく”遠近法”になってますねw

    ちょっと見、八百屋かと思ったw

    オオタさんの文章は本当にいいですね
    もしかして本職は”ルポライター”じゃないんですか?

    あ、最近”ルポライター”って言葉も聞かなくなってきたなぁ・・・
  • そこは気づかなかった
    2010/05/06 00:49
    ★ただときさん

     こんにちは。
     ミノヤの遠近法によく気づきましたね。
     全然気づかなかった。
     ミはすごく立体なのに、ヤになるとダイレクトに描いてる。
     細かいところに懲りましたね(笑)。

     ルポライターって、浅見光彦くらいでしか耳にしないような。
     ルポライターのルポってなんだろうと思ったら、ルポルタージュなんですね。
     記録文章とかって意味なのかな。
コメント投稿

トラックバック