
PENTAX K10D+PENTAX DA 55-300mm f4-5.8
雨池は被写体としてなかなか魅力的なところなのだけど、池の周りの散歩コースを歩いている人が多くて、落ち着いて撮れないのが難点だ。自分の他に写真を撮っている人もおらず、散歩組と写真組では写真組が圧倒的不利となる。この人何を撮ってはるんだろうという目で見られてしまうため、人目が気になって集中できない。たとえ早朝に行ったとしても、きっと夜明け前から散歩している人がいる。今まで人がいなかったためしがない。
それでもときどきふっと思い出して行きたくなるのは、行けば必ず何かしら撮れると分かっているからだ。特に何があるわけでもないのに、なんだかんだで撮るものがある。相性がいいのだろう。この日もそうだった。

今シーズンも雨池でミコアイサに出会えた。律儀というか、よほどこの小さな池がお気に入りのようで、毎年忘れずにやって来る。
牧野ヶ池にもいるし、今年も見てはいるけど、あそこはあまりにも遠すぎて小さな粒にしか見えない。雨池なら比較的近くから撮ることができる。
とはいえ、警戒心は強く、少しでも距離を詰めるとさりげなく泳いで離れていくのが小憎らしい。数メートルとかいう近距離まで近づけたことがない。
オス、メスあわせて6羽くらい見た。

油絵調の風景。少し暗いトーン。
光と色とシルエットと水面の模様に惹かれるものがあった。
絵に描くとしたらどの場面をどんな風に描くだろうと想像して、それを写真で再現すれば、それが正解ということになるのだろう。
イメージを頭の中で完成させる力が足りないのを自覚していて、そこが大きな課題となっている。少しずつは見えてきているのだけど、まだまだだとも感じている。
今月号の「デジタルカメラマガジン」の添削コーナーに、私の写真(光のトンネル)が出ている。そこでも指摘されていることだけど、写真は撮る前にすでに頭の中で完成していることが理想だ。シャッターを押してから始まるのではなくて、シャッターを押すという行為をもって完結しなけばならない。トリミングに対する安易な考え方も改める必要がありそうだ。

撮りたい写真のイメージが見つかりつつある。だいぶ分かってきた。
絵画的であることも、その一つだ。

水のある場所へ行けば、水風景はいつも狙う。
魅力的な水紋を見つけたときの喜びは大きい。
光の加減がよくて、いい感じの水紋風景ができていたので、バチバチたくさん撮った。こういうのは一発でイメージ通りにいくわけではなくて、撮ってみないとどう写っているか分からない。だからたくさん撮るのは間違いじゃないと思う。

なんて劇的な水紋風景。
こんなのはなかなか見られない。肉眼で見るより写真に撮った方がずっとドラマチックになる。

変哲のない濁った池の水が、光と影の演出でこんなにも魅惑的な光景になる。光の偉大さを再認識する。

逆光のスズメ。
桜のつぼみはまだ小さく固い。
今週は15度以上の日が続くようで、かなり暖かくなってきた。もう梅シーズンに入ったと言っていいし、桜もそう遠くない。
春の野草撮りにも出かけなくては。

冬鳥のツグミは、春になればまたカムチャツカの方へ渡っていく。
季節を感じさせてくれる鳥はいろいろいるけど、その年最初にツグミを見ると冬の訪れを感じる。春になってウグイスやツバメなどに気を取られていると、いつの間にかツグミの姿がなくなっている。
行く鳥来る鳥、鳥もいろいろ。

冬のシルエット。
これはこれで美しいと感じる。

フォトジェニックな金城学院ランドルフ記念講堂の鐘の塔。
夕陽をバックにした姿は特に絵になる。

雨池のS字コーナー。峠道みたいでなんとなくここの感じが好き。

光を受けてプラチナシルバーに光る線路を見て、なんてきれいなんだと写真を撮っている私は、もうほぼ鉄の人になりかけている。電車を撮るために線路に入って電車を止めるようなことはしないようにしたい。

最近、団地とか給水塔とかに目がいきがちだ。工場萌えはすでに自覚してるし、だんだんマニアック路線に進みつつある。

夕暮れを行く瀬戸電。ちょっと撮るタイミングが遅れた。被写体ブレもある。けど、好きな雰囲気だ。流し撮りしてもよかったか。
ご近所散歩写真も楽しいから、今後も続けていこう。
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