堀川を北上して名古屋城裏を歩く <前編>

名古屋(Nagoya)
堀川から名城へ-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6



 風邪菌だかインフルエンザウイルスだか知らないけど、猛烈なやつに打ちのめされて、ほぼ3日間、寝込むことになった。3日の睡眠時間は合計で60時間を超えたんじゃないかというほどのやられようで、一時はもう復活できないのではないかと思ったほどだった。今回の敵は凶悪だった。
 今日になってなんとか回復したものの、回復度はまだ30パーセント程度で、日常生活もままらない。あまりのんびりもしてられないので焦っている。
 とにかく早く元気になりたい。寝てるのもいい加減飽きたし、寝てるだけで疲れる。
 そんなわけで、今日も京都シリーズは始められず、つなぎネタでつなぐことになった。
 明道町の駄菓子屋街へ行ったのはいつのことだったか。年明け早々だったような気がするけどよく覚えていない。その続きで、堀川沿いから名古屋城裏を歩きながら撮ったのが今日の写真だ。

堀川から名城へ-2

 さざ波模様の川面がきれいだった。堀川がこんなに美しい川だなどと思ったら大間違いで、写真は嘘つきだ。でも、いい嘘だと思う。

堀川から名城へ-3

 那古野神社の例祭を知らせる案内のようだけど、読もうとして読み切れなかった。
 元旦神火授與は、がんたんしんかじゅよ、とかだろうか。かみび?
 求火祭執行は、きゅうかさい? ぐかさい? きゅうかまつり、とかもあり得るか。
 とにかく火に関する祭りらしいというのは分かる。

堀川から名城へ-4

 地下へ続く階段と扉。アパート風なんだけど、地階に部屋を造ったりするだろうか。表の出入り口に扉らしいものはない。不思議な構造の建造物。

堀川から名城へ-5

 ぷらぷら歩いているうちに名古屋城が見えてきた。
 銅像は、名古屋城築城の責任者だった加藤清正像だ。
 左奥に見えているのは、名古屋能楽堂で、1997年(平成9年)に建てられた新しい建物だ。
 公演がないときは無料で中を見られるというのを今回初めて知った。せっかくなので見せてもらった。写真は撮っていいのかどうか判断がつかず、やめておいた。

堀川から名城へ-6

 名古屋城の石垣はなかなかに立派なものだ。天守はアメリカ軍の空爆で燃えてしまったけど、石垣は残った。

堀川から名城へ-7

 カラスの陣取り合戦。ポールの先にとまりたいらしく、常に争いが起こっていた。あそこの先にとまった者勝ちみたいなところがあるようだ。

堀川から名城へ-8

 堀に浮かんでる渡りガモは、キンクロハジロが優勢多数だった。ホシハジロなども少し混じっている。オナガガモは別のグループを作っていて、マガモやコガモはほとんどいない。

堀川から名城へ-9

 西日を浴びて光る金シャチ。
 銅瓦葺の屋根は、日中に見ると水色でなんとなく安っぽい感じがするのだけど、夕方に見る深い色はなかなか悪くない。
 築城当初は土瓦だったものを、江戸時代中頃に銅瓦にしたようだ。最初に銅瓦を使ったのは、家康が隠居した駿府城だったとされている。一時、大阪城もそうだったらしいけど、昔のものが現存しているのは少ない。弘前城くらいだろうか。

堀川から名城へ-10

 カラスの群れが舞う空。

堀川から名城へ-11

 こちらはユリカモメの群れ。

堀川から名城へ-12

 夕陽でシルエットになる西北隅櫓。通称、清洲櫓。
 清洲城の小天守を移築したもので、これは空襲で焼けなかった。

堀川から名城へ-13

 一部大がかりな工事中。石垣を直しているのだろうか。
 どこの城も、こちらを直した頃にはあちらが駄目になり、あちらを直すとまた別のところが傷んでくるといった感じで、常に補修工事が行われている。

堀川から名城へ-14

 石垣の表情も場所によって違うので、見比べてみると面白い。
 名古屋城裏写真がまだ残ったので、続きはまた明日。
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