初めての訪問は再訪への足がかり <高山・後編>

観光地(Tourist spot)
高山2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 高山のことをよく飛騨高山という。この言い方をとてもややこしいと感じている人は少なくないんじゃないかと思う。
 飛騨というのは、現在の高山市を中心とした地域の旧国名だ。と同時に、飛騨市というのもある。耳で「ひだたかやま」へ行くと聞くと、飛騨と高山とまとめて行くというように聞こえがちで、実際にそうである場合もあるし、そうじゃないこともある。そうじゃない方が多い。
 ではどうしてわざわざ飛騨高山というかといえば、高山の意地のようなものも少しある。もともと飛騨高山という呼び名は昔から一般的であったのだけど、2004年に古川町や宮村が合併して飛騨市が誕生するというとき、高山の人々は反対した。飛騨というのは昔から高山を中心とした土地のことで、古川市などはその一部だったにしても飛騨市を名乗られてしまってはそちらが飛騨の本家のように思われてしまうではないかというのがその主な理由だった。飛騨古川といったりもするから、かえってややこしいことになる。
 高山と古川は、隣り合ってはいるものの、歩いて行けるようなお隣さんではない。よそ者からすると一緒のようなものだろうと思うと、本人たち同士は一緒にしてくれるなという気持ちらしい。文化が違うともいうし、静岡県の東西の関係に近いものがあるのだろうか。高山本線が開通する1934年までは行き来は盛んでなかったようだし、距離ほどお互いの心は近くなかったのかもしれない。
 飛騨市ではなく古川市にしておけば混乱も少なくてよかっただろうにと思うのだけど、いろいろ事情もあったのだろう。
 そんなわけなので、飛騨高山というのはたいていは高山市のことを指し、飛騨市も行くなら飛騨と古川へ行くと言った方が混乱が少なくてよさそうだ。

 ついでなので、高山の歴史について少し触れておくことにする。
 飛騨の歴史は古く、縄文時代にはかなりの人が住んでいたことが分かっている。こんな山奥の不便なところで、寒かっただろうに、何を好きこのんでここに暮らしていたのかは知らない。
 地理的には日本列島の中心あたりで、山を越えると盆地があって、きれいな川が流れていたことで、四方から人が集まってきたのではないかと考えられている。海はなくても、動物を狩ったり木の実を採ったりしていたのだろう。山に囲まれているという安心感もあったかもしれない。
 律令時代の7世紀には国として成立していたようだ。当時は斐太や斐陀と表記していたという。
 大化の改新で日本国の基礎ができると、地方の国は米などで税を納めなくていけなくなった。しかし、飛騨は山国で米などがあまり穫れない。その代わりとして差し出しのが労働力だった。大和で寺社などを建てるとき、山国育ちの彼らは木を扱う大工としてかり出されることになる。飛騨の匠の技がいきるなどと今でも使われているけど、それはここから来ている。
 室町時代になると、飛騨は京極氏が守護をつとめた。戦国時代は、守護代の三木氏が力をつけるようになる。のちの姉小路氏だ。この三木氏は、天下統一間近の秀吉にも従わなかった。
 そこで、秀吉は配下の金森長近に飛騨攻略を命じる。これはちょっと相手が悪かった。あっさり攻め落とされてしまい、翌年には金森長近が飛騨の国主となってやって来ることになる。現在の高山の歴史を作ったのは、この長近だから、高山にとってはよかったと言えるだろう。
 長近は高山城という立派な城を築き、城下町を整備した。今の城山と呼ばれているところに城はあった。現在は石垣や堀の跡くらいしか残っていない。
 城と城下町の配置は少し変わっていて、普通は城を北に、南に向かって城下町が広がるものだけど、高山の場合、城山を中心として武家屋敷、寺社、町がぐるりと取り囲むようになっている。地理的な理由もあったのだろうけど、現在の高山駅から歩いていくと、地理の感覚を掴むのに苦労する。
 金森氏6代が100年以上支配したのち、飛騨は幕府直轄領となり、1695年には高山城は取りつぶしということになった。
 高山の町を現在は年間200万人も訪れるという。春と秋の高山祭りは特に賑わう。京都の祇園祭、秩父の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の一つとされ、京都の祇園祭、長浜の長浜曳山祭と並んで日本三大山車祭ともされる。
 くりだされる屋台は大変立派なもので、ここにも飛騨の匠の技が発揮されている。

高山2-2

 高山駅前。
 いかにも地方都市の駅といった感じで、思うほど街中でもなく、山奥でもない。祭りのときは、この規模では収容しきれないんじゃないかと思うけど、どうなんだろう。年に2回のことだから、そのときだけは我慢してもらおうということか。

高山2-3

 駅の東が観光地で、西は住宅地といった区分けになっているのだろうか。
 最初は、国分寺通りの国分寺商店街を歩いた。地方のシャッター通りほどさびれてはいない。開いている店も多いし、それなりに活気はある。

高山2-4

 通りを少し歩くと、飛騨国分寺がある。
 聖武天皇が全国に命じて建てさせた国分寺の一つで、757年、行基が開基とされている。
 室町時代の本堂や、江戸時代に再建された三重塔など、見所はいろいろあるのだけど、時間がなくて表からサッと見るだけしかできなかった。もう少しゆっくり見たかった。

高山2-5

 鐘楼門は、高山城から移築されたものらしい。

高山2-6

 宮川朝市と陣屋前朝市の二つあって、年中無休で午前中に開かれている。
 宮川朝市は江戸時代前期から始まったもので、陣屋前朝市は大正時代の昼市、夜市が朝一になったものだそうだ。

高山2-7

 路地コレクション。通称ロジコレ。
 いい路地を見つけて、撮って喜ぶ。
 個人的には、こういう路地とはほとんど無縁なんだけど、なんとなく惹かれるものがある。

高山2-8

 古い町並みは、通称「さんまち」と呼ばれている。上町、下町の三筋の町並みを合わせてそう呼んでいて、三町というのがあるわけではない。
 高山屋台会館や高山陣屋は、町並みから少し外れたところにある。しっかり高山散策をしようと思えば、正味2時間は欲しいところだ。城山まで行くと、もっと時間はかかる。

高山2-9

 勇猛な武将であり、茶人、趣味人であった金森長近の美意識が、高山の城下には反映されたと言われている。長近は京都の町並みを意識してまちづくりをしたという。

高山2-10

 家屋の屋根にはこんな守り神みたいなのが乗っかっている。狛犬やシーサーみたいなものなのだろう。

高山2-11

 ファミリーマートも、景観を邪魔しないようにそれっぽい雰囲気の外観になっている。色は茶色にして、格子風のもので目隠しまでしている。これはいいことだと思う。

高山2-12

 雪国に住むと、自転車も雪かきしなくてはいけないのだ。外に出しておくとこんなことになってしまう。
 雪は他人事として見てる分にはきれいだけど、自分の身に降りかかってくるとなるとやっかいだ。のんきにきれいでいいなんて言ってられない。

高山2-13

 古そうな店舗。雑貨屋さんか、化粧品店だろうか。

高山2-14

 夕方で気温は1度。けど、意外と寒くない。名古屋なんかでも雪が降ると寒く感じないものだけど、高山もそうだった。相当寒いのを覚悟していったら拍子抜けで、その前の下呂の方が寒いくらいだった。風がない分、寒くないのだろう。

 高山は機会を作ってもう一度行きたい。1時間やそこらでは充分見て回った気になれない。
 古川の町もよさそうだから、次はそちらとセットで行くことにしよう。
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コメント
  • 確かに!
    2010/01/22 21:46
    >飛騨と高山とまとめて行くというように聞こえがちで、実際にそうである場合もあるし、そうじゃないこともある。そうじゃない方が多い

    ごもっともです!!

    そうじゃないほうが多いですw

    自分みたいに、地理音痴には迷惑な表現です、ってかもっと勉強しろ俺!!
  • 行って初めて
    2010/01/23 01:24
    ★ただときさん

     こんにちは。
     飛騨高山は、ややこしいですよね。私も実際に行くまで、はっきり分かってなかったです。
     飛騨っていう名所と、高山の名所は別かと思ってたくらいで。
     日本全国、知らないところはたくさんありますね。
     地元の常識は一般常識ではないし。
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