この世は細分化されたものの集合体 <明道町・後編>

名古屋(Nagoya)
明道町3-1

PENTAX K10D+TAMRON 28-75mm f2.8



 今日は明道町の後編ということで、補足として写真を追加しつつ、もう少し明道町の歴史などについても書いておきたい。
 現在、明道町という地名はない。1994年の町名変更でなくなってしまった。ただ、バス停やジャンクションなどに明道町の名前は残り、問屋街も明道町の方が今でも通りはいい。
 問屋街が集まっているのは、新道2丁目と、幅下2丁目で、幅下の方がよりディープな世界が広がっている。
 名古屋駅から見ると北東、名古屋城からは南西で、2点を結んだちょうど中間あたりに位置する。
 すぐ南には以前紹介した円頓寺商店街や四間道がある。ちょっとひねった名古屋観光をするなら、一気にまとめて回るというのもいい。名古屋に対する印象がかなり変わると思う。名古屋人でもこのあたりは知らない人が多いと思うから、地元の人にもオススメしたい。
 この地区が菓子や玩具の問屋街として発展したのは昭和に入ってからで、戦後の復興とともにピークを迎えることになる。最盛期は600もの店があって、大変賑わっていたという。日本一の菓子、玩具の問屋街が名古屋にあったことを、名古屋人も案外知らないのではないか。
 時は流れ、現在ざっと見たところ数十軒といったところだろうか。それでもこれほど菓子の問屋が集まっているところは全国でも珍しく、今でも日本一と言っていいのかもしれない。
 駄菓袋の裏に名古屋市西区とあれば、それはこのあたりで製造、出荷されたものだ。
 あと、名古屋でこれほど菓子問屋が集まったのは、名古屋の結婚文化も関係している。「嫁入り菓子」といって、結婚するとき近所の人たちを集めて菓子を撒くという風習があった。今でも古い文化を大切にしている地域では菓子を配るそうで、そういう場合はここに嫁入り菓子を買いにくることになる。そんなものはコンビニやスーパーには売ってない。
 中京菓子玩具卸市場というのが2000年に閉鎖されて、以前の活気が失われてしまったそうだ。それ以前に一度は行っておきたかったと悔やまれる。現在の状況もいつまで続くか分からない。

明道町3-2

 このあたりは比較的入りやすそうな店だ。ビニールボールも1ダース単位とかではなく単品で売ってくれそうな気配がある。
 古くてプレミアがつくようなプラモデルなんかがあれば入ってみたいけど、そういう店ではない。
 観光客として訪れたらここはレトロ以外の何ものでもないゾーンだけど、商売をしている人たちにとってはリアルタイムの現実でしかない。だから、店側としてはレトロを売り物にしているわけではない。結果的にレトロなだけだ。
 そのあたりの温度差を感じるから、私としてはもう一歩踏み込みきれなかった。興味本位で冷やかすのは失礼な気がして。

明道町3-3

 版権を持ってるんだろうかというビニールキャラクターたちが店先に並んでいる。正式な問屋だから正式な商品なんだろうけど、アジアチックなものも感じる。
 花火を売りにしている店が多いようで、夏場はけっこう賑わうんじゃないかと思われる。

明道町3-4

 松原ピーナツという名前の店。ピーナツ専門店かと驚いたら、そうでもないようだ。
 それにしても、世の中には自分とは関係のないところで実に様々な需要と供給があるものだと、あらためて思い知る。需要は狭くても、特殊な専門店ならではの強みもある。

明道町3-5

 建物と建物の狭い間の奥に、神社の石柱が見えた。なんかすごいところに注連縄もかかっている。
 これは入ってみるしかないと、奥に進んでみた。

明道町3-6

 とりあえず反対側に突き抜けてみた。こちらに鳥居がある。ここにつながっていたのか。
 段ボールが神社の前まで転がってきているけど、誰も気にする様子はない。

明道町3-7

 一本の参道がそのまま境内の歩ける範囲で、拝殿、本殿は入口に対して横向きになっている。
 いくらなんでも最初からこんなに狭かったはずはない。かつてはもっと広かったに違いない。
 隅田神社という名前で、創建は江戸時代初期の1688年というからそこそこ古い。
 当時このあたりはまだ江川沿いの農村で、熱病と火事をしずめるためにスサノオとカグツチを祀ったのが始まりだそうだ。
 スサノオといえばアマテラスの暴れん坊の弟で、カグツチはイザナギとイザナギの子供で火の神だ。村人の気持ちは理解できる。スサノオに熱病と戦ってもらって、カグツチには火事が起きないようにと願ったのだろう。
 私の今年の初詣は、期せずしてここになった。スサノオのように攻撃的な一年になるのかどうか。

明道町3-8

 店から子供が出てきた。このあたりに住んでいる子にとっては、問屋も普通の菓子屋やおもちゃ屋のような感覚かもしれない。

明道町3-9

 頭の上を高速が走るようになっても、昔からここに住んでいる人たちの暮らしはあまり変わらないように見える。
 それでも、大きく様変わりしてしまった風景を見て、ときどきは昔を懐かしんで感慨にふけるだろうか。

明道町3-10

 果糖、ぶどう糖、砂糖、澱粉。
 ずいぶんマニアックなものを作ってるなと思ったら、菓子の原料なんだと納得した。
 なるほど、お菓子を作っている会社も、原料は他から買い付けていて、その原料を専門に作っている会社もあるのか。
 看板の文字の間に空間があって、ほとんど消えかけている赤い字がある。ここには何が書かれていたのだろう。隣の緑色の部分とともに気になるところだ。

明道町3-11

 特殊紙業という業種も初めて知った。
 グラビア印刷とある。グラビアアイドルの写真集の紙は、こんな町工場で作られているのか。
 一つの製品はたくさんの専門職の人たちによって成り立っているものなんだと感心する。

明道町3-12

 サンゲツは聞いたことがある。インテリアなんかの会社だ。
 名古屋ローカルなのか全国区なのか、よく知らなかった。調べたら、東証1部上場というから全国区なのだろう。本社が名古屋のこんなところにあったとは。

明道町3-13

 このあたりにいる人たちがどういう人なのか、たまに分からない。問屋のおじさんやおばさんだったり、スーツを着たサラリーマンだったり、一般客だったり、近所の人だったり。一見ホームレス風の人が普通に家の中に入ったりして、ちょっと驚いたりもした。
 なんとも不思議な感覚になる町だった。
 面白いので、お近くの方はぜひ一度足を運んでみてください。日曜、祝日はほとんどが休みなので、ご注意を。
 このあと、名古屋城まで歩いていった。そのときの話はいずれまた。
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コメント
  • 遠い記憶
    2010/01/10 19:47
    こんばんは。
    明道町は小学生のときに親父の仕入れについていったことが何回かあります。
    どの店で何を仕入れていたのかはまったく記憶にありませんが、
    ついていくとあの街のどっかの店で好きな菓子を買ってくれました。
    夏休みのときは花火を買ってもらったこともありました。
    昭和40年代後半~50年代前半くらいのことなので、当時もし写真
    撮っていたら、さぞかし活気のある風景だったでしょうね。
    行って見たくはなったのですが、土日行ったら店閉まってないかが心配です。
  • ぜひトリップを
    2010/01/10 22:21
    ★mihopapaさん

     こんにちは。
     mihopapaさん、子供の頃明道町へ行ったことがあったんですね。
     それは貴重な思い出ですね。
     今行ってみると、激変していて感慨深いものがあるかも。
     mihoちゃんを伴って行くと、最深部まで入り込めそうです。
     もし行ったら、中央菓子卸市場の中まで入ってみてくださいね。
     日曜休みだけど、土曜ならたぶん開いてるはずです。
  • はじめまして
    2010/01/11 14:14
    懐かしさを感じる素敵な画像ですね。
    暖かい気持ちになります。
    また、遊びにこさせてくださいませ。
  • はじめまして。
    2010/01/11 15:24
    『晴明神社』と検索したらマサユキさんのブログに繋がりました。 面白くて沢山読ませて頂きました。私は名古屋人(中村区)なので明道町はとても親しみがあります。最近行っていないので、また近いうちに駄菓子を買いに行こうと思いました。
  • 日本のどこかに
    2010/01/12 00:56
    ★ひょんすんさん

     こんにちは。
     明道町のこの町並みは、懐かしさを通り越した異空間のようでした。
     有名ではなくても、日本全国にはそういう古い町がたくさんあるんでしょうね。
     みんな足並みを揃えて21世紀になってるわけじゃない。
  • 清明山の地名は残るものの
    2010/01/12 01:00
    ★亀島トワ子さん

     はじめまして。
     ようこそいらっしゃいませ。
     晴明神社は、なんでしょうね、あれ。(^^;
     冗談みたいな神社で、ちょっと笑えるのでした。
     安倍晴明の名古屋在住伝説はどこから来たんだろう。何らかの根拠はあるんだろうけど。

     中村区は、名駅の裏側は未知の部分が多いので、いずれ巡らないといけないと思ってます。
     豊国神社も再訪したい。
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