敦賀について少し勉強をして、今日から敦賀編を始める <第五回>

観光地(Tourist spot)
敦賀1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 美浜をあとにして、この日最後の目的地である敦賀(つるが)へとやって来た。
 駅前に古代人の像が建っている。こういうのを見ると、ヤマトタケルだろうと思うけど、これは違った。ツヌガアラシト?(都奴賀阿羅斯等) おたくはどちらさん?
 若狭湾の最奥であり、日本海側の玄関口として栄えた敦賀の港は、古くから外国に知られる存在だった。朝鮮半島や中国大陸だけでなく、ロシアとも人や物の行き来が盛んだったという。
 昔は笥飯浦(けいのうら)と呼ばれていたらしい。
 新羅(しらぎ)の王子であるアメノヒボコは、逃げた奥さんを追いかけて日本にやってきて、そのときは奥さんに会うことが叶わず、但馬国に上陸したと『古事記』にある。
『日本書紀』では、その前に加羅国の王子だったツヌガアラシトが敦賀(笥飯浦)にやって来たことになっている。
 一説では、アメノヒボコとツヌガアラシトは同一人物だというが、よく分からない。
 その王子の額に角が生えていたというので、人々は角額の人だと言い、そこから角鹿(つのが)という地名ができ、転じて敦賀になったという話だ。
 そんなわけで、駅前にはツヌガアラシトの像が建っているわけだけど、一般の人には分かりづらい。
 敦賀は、福井県の西部に位置していて、北東部の福井市や越前とは気候や風土がかなり違っている。小浜県の一部だったり、敦賀県というのがあったりした歴史もあり、三方を険しい山に囲まれていることもあって、越前方面とは断絶していた。なので、精神的にも西の滋賀などに近いものがあるのではないかと思われる。琵琶湖からも20キロほどしか離れていない。
 名古屋から敦賀まではわりと近い感覚があって、だけどそこから更に福井まで行こうと思うとかなり遠く感じる。車で海岸線の道を東尋坊まで行ったときは、途中で泣きそうになるくらい遠かった。
 敦賀の観光といえば、一番はやはり気比の松原ということになるだろう。最後はそこへ行くとして、まずは駅から近い気比神宮を目指して歩くことにした。

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 駅前のゆめさき通り商店街。
 昔から物流の拠点として栄えたという歴史があるため、駅前の商店は多い。ただし、現状、あまり活況を呈しているという風ではない。やや閑散としたアーケードに、昭和の名残を感じる。
 商店街の西には、国道8号線が敦賀の町を縦断している。京都と新潟を結ぶ道で、かつの北陸道が元になっている。

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 駅前の通りには、銀河鉄道999と宇宙戦艦ヤマトのモニュメントがたくさん置かれている。
 敦賀は松本零士と関係があるのかと思いきや、縁もゆかりもない。敦賀港100周年を記念するとなったとき、敦賀は港でも鉄道でも栄えた町だから、999とヤマトを呼んでしまおうということになったらしい。
 それぞれのキャラクターや名物シーンを再現してあり、全部で28あるそうだ。
 私はすぐに通りを逸れてしまったので、一つしか見ることができなかった。この存在は知っていたから、メーテルだけは見たいと思っていたのだけど。

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 丸ポストを見つけたら、撮ることにしている。
 少し向こうに小学校の門があって、おじいちゃんが孫の迎えに来ていた。

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 カトリック敦賀教会。
 教会も私の中では神社仏閣と同列なので、見るとだいたい撮ってしまう。ここは特に印象的な建物でもなかった。

敦賀1-6

 いくら神社仏閣離れを起こしている今の私でも、敦賀に行って越前国一宮である気比神宮(けひじんぐう)に立ち寄らないような罰当たりなことはできなかった。挨拶だけはしていくことにする。
 入口では、日本三大鳥居の一つとされる大鳥居が出迎えてくれる(残りの二つは、春日大社と厳島神社)。
 江戸時代初期の1645年に建てられたもので、国の重要文化財に指定されている。

敦賀1-7

 境内は妙に人が多くて、活気があった。出店が並んでいて、特別な祭りでもしてるのかと思ったけど、そうでもないらしい。一言で言うと、ここは人気がある神社だ。流行っていると言ってもいい。
 ざわついている分、重厚さやおごそかな空気感が支配しているわけではなく、陽気な感じがする。その雰囲気がとても意外に感じられた。良く言えば、威張っていないというか、気取っていないというか、人々に親しまれている。こういう感じは、他ではあまり経験したことがない。

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 拝殿前。
 祭神は、伊奢沙別命(イザサワケノミコト)というのだけど、この神様についてはよく分からない。元々は食事関係の神様として祀られていたらしい。
 気比神宮の創建についても詳しいことは分かっていない。延喜式に載っている式内社で、かなり古くからあったことは間違いないようだ。
 以前ならこのネタで一回分、びっしり書くこところだけど、今回はサラッと流す。境内社の写真なども撮るだけ撮ってきたから、いつか気が向いたら詳しく書くことがあるかもしれない。

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 これだけ屋台が出ているということは、普段からそれだけの参拝客が来て商売になるということだ。私が思っていた以上に、気比神宮は人気スポットだった。

敦賀1-10

 敦賀のマンホールの蓋は、なんといっても気比の松原の松だ。若狭の海も描かれている。
 こういうふうに名物がはっきりしているところは、作る方も訪れる方も分かりやすくていい。
 気比神宮を出て、港方面に向かって北上することにした。とりあえず金ヶ崎方面に向かってみる。

敦賀1-11

 途中、天満神社というのがあった。名前からして菅原道真の天神様だろう。郷社とあるから、このあたりの氏神だ。
 ここも表から写真だけ撮って、頭を下げて通る。

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 たばこ屋兼雑貨屋らしき店の前の丸ポスト。

 敦賀編の一回目は、これくらいにしておこう。全部で何回になるかは、今のところ未定。
 次回につづく。
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