
PENTAX K10D+DA 16-45mm f4
熊野古道をあとにして、尾鷲の市街地に向かった。熊野古道を歩くと決めたとき、せっかくなら尾鷲の町も見てみたいと思って、町散策も楽しみにしていた。
特に何を見たいというわけでもなかったのだけど、どんな町も自分の足で歩いてみれば感じるものがあり、馴染みにもなる。尾鷲というのは、三重県松阪生まれの私にとっても遠い未知の土地という感覚が強かったから、一度見てみたかったのだ。
疲れていて足取りが重かったということもあり、1時間半ほどの散策になった。まずは港の方に向かい、その後、朝日町と中央町あたりを歩いた。今日はそのときの写真を紹介したいと思う。
上の写真はまだ市街地のはずれで、北浦町の風景だ。ノラらしき猫が前を横切って、民家の方に駆け込んでいった。ノラに会う町というのは、それだけで相性の良さを感じさせる。

町は思ったよりも新しくて、古い家屋などはあまり残っていなかった。都市部と同じように、人の出入りがあって、家がどんどん建て替えられていっているということだ。
それでも、ところどころに心惹かれる田舎の風景が残されていて、撮りたくなるシーンがちょくちょくあった。狭い水路が流れ、家同士がくっつくように建っている様子などは、うちの田舎と似ている。

尾鷲を侮ってはいけないと思わせたのは、ミススカートのお姉さんがツカツカと早足で歩き去ったシーンに出会ったときだ。ここは私が想像していたよりも都会寄りの町らしい。地図を見ると、主婦の家とかしか載っていないから、もっとひなびた田舎町を思い描いてた。
駅東に大きな商業施設などはないようだけど、駅北と西にはボウリング場やジャスコ、ダイソーなどがある。

北川に架かる橋。北川橋だったか。
ここを越えると尾鷲の市街地に入っていく。
右手100メートルほどのところに尾鷲神社が見えている。普通なら当然寄って挨拶をしていくところだけど、今の私は神社仏閣離れを起こしていて、どうにも行く気になれなかった。

おっとびっくり。いきなり銭湯が現れた。しっかり営業中のようだ。
そうそう、こういう風景が見たかったのだと嬉しくなる。

人が住まなくなって久しい古い家屋も、少しあった。見ると撮らずにはいられない。

尾鷲港へとやって来た。
なかなか本格的というか立派な港で、いわゆる漁村の風情はない。港は港、住宅地は住宅地で分離しているようで、港と住居が渾然一体となっている港町ではなくて、これもまた意外だった。
私の尾鷲に対するイメージは、スケール感がずいぶん間違っていた。尾鷲は確かに海と山に囲まれてはいるけれど、数千人といった小さな町ではない。歩きながらイメージの修正をすることになった。
これも実際に行ってみて初めて実感として分かったことだから、そういう意味では収穫があったと言える。

港へは誰でも出入り自由で、許可も何もいらないのか、釣り人がたくさんいた。
正面遠くに見えているのが、登った天狗倉山だと思う。あの山頂に立ったと思うと、あらためて感慨深かった。
麓に見えている集落は、天満地区だろうか。あちらまで行くともう少し港町の風情が味わえたのかもしれないけど、そこまでの余力と時間は残っていなかった。

尾鷲湾は、名古屋港がある三河湾あたりと比べるとずっと水がきれいで、海の色も青い。

港を見たあとは、町の中を歩くことにした。細い道を入っていくと、そこには求めていたような風景がある。それは日本全国、どこの地方都市に行っても言えることで、観光名所ではなくても古い家並みは多少なりとも残っている。
こういうところをぷらぷら歩きながら写真を撮るのが好きだ。

惹かれる細い路地。昭和の面影。

尾鷲市役所の前に出た。
「津波は、逃げるが勝ち!」というのは、生まれて初めて聞く標語だ。思わずクスッと笑ってしまった。住人してみれば切実な危機で笑い事ではないだろうけど、街で暮らしていると津波から逃げなくてはいけないなんてことは考えたこともないから、こういう言葉はとても新鮮に感じる。

尾鷲駅が見えてきた。電車の時間も迫ってきて、駅西の散策はあきらめることにした。西に熊野街道が通っているから、そちらの沿線の方が発展しているのかもしれない。

駅前のメインストリート。賑わっているとは言えないまでも、学生たちの姿などもあって、それなりに活気はある。正面にはサークルKの看板も見えている。

尾鷲駅に到着。
どうにか無事に熊野古道歩きと熊野散策を終えることができてホッとした。
馬越峠で早々にへたばり、天狗倉山登りでは身の危険を感じながら限界を超えて歩き、尾鷲ではイメージとの違いに戸惑ったりと、いろんな意味で思惑を越える旅となった。でも、終わってみれば全部いい思い出だ。写真の収穫もそれなりにあったし、まずはよしとしたい。
次回からはまた新しいシリーズを始めたい。別の旅にはもう行ってきた。