
PENTAX K10D+DA 16-45mm f4
馬越峠のコースにはこれといった見所といったようなものはあまりなく、あるとすれば二つの地蔵と、茶屋跡といったあたりになるだろうか。そのうちの一つが上の写真の夜泣き地蔵だ。入口から20分ほど登ったところにある。
もともとは旅人の無事を祈って建てられたお地蔵さんだったのが、いつからか子供の夜泣きに効くという話になって、夜泣き地蔵と呼ばれるようになったんだとか。地蔵さんの前にはほ乳瓶が置かれている。石組みの祠の上に積み重ねられた石は、祈願で置かれたものだろう。
もうこの時点で相当やられてしまっている私だったけど、少し休んでまた歩き始める。まだ先は長い。

石敷きの路は、ときに荒々しく、ときに美しい。仕事ぶりの違いは、工事をした人の違いなのか、時期的な違いなのか。とにかくなんでもいいから石を敷いてしまおうというような感じで作られているところと、せっかく作るなら美しく仕上げようとしたのが感じられるところがある。そのあたりの思想は、城の石垣に通じるところがある。
上の写真は、美しいところの一つだった。登り勾配であるけど、安易に石段にせず、傾斜に合わせて石を選んで敷いてある。見た目もきれいだし、とても歩きやすい。
それにしても、これだけの石をどこからから運んできて、一つずつ敷いていったのは、大変な苦労だったろう。江戸時代、紀州藩が街道整備の一環として作ったといわれている。

路のそばには水の流れもある。それが心地よくもあり、目も楽しませてくれる。
昔の旅人はこの水を飲んだはずだ。今でも飲めそうなくらいきれいに見えた。

木が大きな石をまたいで根を張っている。なんだかすごいことになっている。
木と石が互いに支え合っているようでもあり、お互いが邪魔に思っているようでもある。
どうしてもここじゃなきゃいけなかったのか。

気になった植物の枯れ姿。らせんを描きながら垂れ下がっている。シダの葉か、別のものか。

私はスギとヒノキの区別がついていない。分かっているのは、スギ花粉にもヒノキ花粉にも反応してしまうということくらいだ。たぶん、葉っぱとかを比べたら全然違うのだろうけど。
このあたりには美杉村とか、大杉谷とかいう名前のところがあるから、スギがたくさんある地域に違いない。ただ、馬越峠に生えているのは、ヒノキ林ではないかと思うけどどうだろう。

登りはますます険しさを増す。
疲労に加えて、おなかの調子があやういことになってきた。登り始めたら、途中にトイレなどないので焦る。

石の路が途切れて、平坦になる。これでもうあとは下るだけだろうと喜んだら、甘かった。一瞬喜ばせただけで、このあともまた登りの石路が続く。

地中から浮き上がってきた根が、うねうねと恐ろしげな模様を描く。すごい迫力だ。

ようやく馬越峠の頂上に到着した。疲労はピークを越えて、少し楽になっていた。
かつてここに旅人のための茶屋があったというのだけど、そんなに人通りがあったのだろうか。
今の時代こそ、この場所に茶屋か何か必要だと思う。ただ、店の人は毎日の行き来が大変だ。

この場所からは尾鷲の町並みと海が一望できる。
標高は325メートル。まずまずの高さだ。
一般的にはここから尾鷲方面に下っていくことになる。私もそうしておけば、まずまずしんどかったけど、まああんなものだろうと軽く振り返ることができただろう。
しかし、ここでプラスアルファを求めると、疲労度は倍以上になる。横道から天狗倉山(てんぐらさん)の頂上へと道が続いていて、山頂からの眺めが抜群だという。
迷った末に結局行くことになるのだけど、人にオススメできるかというと、少しちゅうちょする。かなり大変だから、体力に余裕がある人向けだと思う。この山登りの往復だけでプラス1時間。勾配は峠道の倍くらいある。確かに、山頂の眺めは苦労してでも行く価値はあるのだけど。

この写真を見て、これくらいなら楽勝と思える人は、ぜひ登ってみて欲しい。こんな道が30分続く。
私は途中でよほどあきらめて引き返そうかと思った。もうこれ以上登りたくないと心底思った。どうしようか考えて立ち尽くしていたとき、1匹のモンキアゲハが私を誘うように、上に向かってヒラヒラと飛んでいった。それを見て、なんとなく励まされているようで、どうにかこうにか辿り着くことができたのだった。
そのときの様子はまた次回ということにしたい。次が熊野古道シリーズの最終回ということになる。
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