
PENTAX K10D+DA 16-45mm f4
熊野古道がある尾鷲へは、紀勢本線での旅となった。
亀山から出発するこの電車は、途中の新宮でJR東海からJR西日本へと管轄を変え、紀伊半島の海岸線をぐるりと回って、和歌山まで行っている。総延長384キロ、始発から終点までは3時間半ほどかかる。
乗った感じ、ものすごくローカル線というほどでもなく、尾鷲高校の学生が乗っていたり、海へ行くちびっこがいたりと賑やかで、よくある地方路線の雰囲気だった。電車も飯田線のように手動ドアではなく、自動ドアだ。
紀伊長島駅で25分くらい停車した。特急の追い越し待ちなどで、よくあることらしい。多気から新宮までは一日10本程度しか走っていない。乗り遅れると致命的だけど、20分以上もただ座って待っているのも退屈だから、外に出て写真を撮ってみた。
キハ11形100番台というやつのようだ。新宮駅まで行くと、JR西日本の車両と並んでいるところが撮れるんだとか。いや、別に撮りたくないけど。

列車内は、バス風になっている。地方に行くとよく見かけるシステムだ。整理券を取って乗り、降りるときに運転士の前で運賃箱に整理券と乗車賃を入れる。改札のない駅が多いので、扉は運転士がいる前の扉しか開かない。ワンマン運転として理にかなっているようでもあり、もう少し効率のいい方法はないものかと思ったりもする。

尾鷲駅の一つ手前の相賀駅で降りた。ここから馬越峠を越えて、尾鷲駅へ行くというのが今回のコースだった。逆でももちろんいいのだけど、私は尾鷲の港と町を散策するという目的もあったので、尾鷲を最後に持ってきた。
上の写真は相賀町の町並みだ。駅の東に白石湖があり、そこではカキの養殖をしているようだから、そちらへ行くと港町の風情があったのかもしれない。駅の西は普通の小さな町だった。
相賀駅には熊野古道に関する案内がなく、しばし途方に暮れて立ち尽くすことになった。駅を出て、どちらへ向かって歩き出せばいいのか、まったく分からない。左か真っ直ぐかという選択肢しかないにしても、あちら方面というくらいの案内標識があってもよさそうなものだ。
とりあえずは真っ直ぐ行った方が分かりやすい。300メートルほど歩くと、国道42号線の広い道に出るから、そこを左折して、1.8キロくらい歩くと、馬越峠の入口に着く。この2キロの道のりが意外と遠く感じた。これだけでけっこう疲れてしまい、更に道の駅でいきなりアイスを食べたことでおなかの具合が悪くなったのも、その後の峠越えを苦しいものとした原因だった。

出発してしばらくは、車通りの激しい国道42号線の歩道を歩くことになるから、散策でも散歩でもなく、ただ目的地に向かって歩いているだけで、気分はさっぱり盛り上がらない。
橋を渡る銚子川も、これといった特徴のない普通の川だ。
向こうには鉄橋が見えている。尾鷲に向かう紀勢線だ。電車なら8分で行く距離も、峠越えをして歩いていくと4時間以上かかる。あらためて文明の偉大さを思い知る。

道の駅の近くに咲いていた花。よく見かける気はするけど、名前は知らない。
道の駅の存在はありがたかった。トイレに行って、ジュースを仕入れて、アイスを食べた。準備が整ったところで出発だ。ここから500メートルくらい行ったところに、熊野古道の入口がある。

連なる山並みと、谷間の集落。
ここ海山は、種まき権兵衛の故郷らしいのだけど、種まき権兵衛を知らないので、感心のしようがない。誰だそれって感じで。
山の雰囲気はよかった。

ようやく入口まで辿り着いた。
この横に、無料駐車スペースがある。車で行けば楽だけど、車の場合は、行って戻ってこなければいけない。峠を越えて向こうまで行ってしまうと、往復になってかえってきつくなる。峠の上まで行って引き返すと後半を見ずに終わる。なかなか悩ましいところだ。

最初はこんな花を撮ったりする余裕もあった。その後すぐにへたばって、ヨレヨレになる。
きついとは聞いていたからそれなりに覚悟していったつもりだけど、そんな覚悟は歩き始めて10分で砕け散った。たった10分でと思うかもしれないけど、ビルの階段を10分間登り続けることを想像してもらうと、そのつらさが分かってもらえるはずだ。

石敷きはけっこう雑然としていて、下を見て足を置くところを選びながら歩かないといけないから、余計に疲れる。ところどころ石がぐらついたりもする。
きつー、と思う。

尾鷲地方は、年間を通じて雨が多いところで知られている。面積の90パーセントが山林で、海に面しているという地形が雨を呼ぶ。年間の降水量は4,000mm以上で、1,500mmの名古屋の倍以上になる。一日に800mm降ったという日本2位の記録も持っている。
尾鷲の熊野古道が石敷きなのは、この雨から路を守るためだった。雨でぬかるんだり、土砂が流れたりするのを防ぐために、当時の舗装を施したのが石敷きだったというわけだ。
現在も約2キロに渡って石敷きの路が残っていて、伊勢路熊野古道の人気のコースとなっている。

私が汗だくでヘロヘロになっていたのに、すれ違った下りの若いカップルは軽い足取りで歩いていった。若さに負けた。
小さな子連れのお母さんも歩いていたくらいだから、みなさん意外と余裕だったのかもしれない。私は平地ならどこまでも歩き続ける自信があるのだけど、アップダウンになるととたんに弱くなって、人並み以下になるようだ。

登り勾配がだんだんきつくなり、ヒザもおかしなことになってきた。息も上がる。まだまだ道のりは長い。
似たような写真が多くなったのは、少しでも立ち止まって休みたかったというのもある。路写真もまだたくさん残っている。
今日のところはこれくらいにして、明日に続くということにしよう。
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