観光スポットはなくても寺社がある桑名駅西散策 <桑名15回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
桑名駅西-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 桑名の観光スポットは駅東に集まっていて、駅西にはあまり見所がない。初めて桑名を訪れた一般の観光客で、駅西まで散策する人はあまりいないんじゃないかと思う。
 しかし、私は歩く。時間の許す限り、気力の続く限り、そこに神社仏閣があるならば。
 この頃は相当足が痛くなっていて、普通には歩けなくなっていたのだけど、それでも駅西だけで3時間くらいは歩いた。その半分くらいが無駄足に終わったこともあって、最後は精根尽き果てそうだった。
 JR関西本線と、近鉄名古屋線が平行に走っていて、三岐鉄道北勢線はここより少し北で西に大きく曲がっている。遠くに見えているのが桑名駅だ。
 益生駅の北で線路を渡って、とりあえず北勢線の馬道駅を目指した。その少し西にあるお菊稲荷神社を目指したのだけど、これがまた見つかりにくいところにあって迷った。地図にも道が載ってなくて、どうなってるんだろうと思ったら、小高い山の上にあった。そりゃあ、分かりづらい。

桑名駅西-2

 人が通るための狭いトンネルがあったので、ここをくぐっていく。路地とかトンネルとか高架とか、そんなものを目にするとつい撮りたくなる。猫的な感覚なのか。

桑名駅西-3

 お菊稲荷を見つける前に、寺を発見した。ここは予定に入ってなかった。
 あとから分かったことなのだけど、走井山(はしりいざん)という小山の上が公園として整備されていて、そこにお菊稲荷と勧学寺が建っている。
 もともとここには矢田城という城があったところで、だから小高くなっている。
 このあたりは伊勢北畠氏の領地で、矢田半右衛門俊元という城主がいたという。そこに織田信長の軍勢が攻め込んで城を落とし、滝川一益勢の前線基地になったという歴史がある。
 その跡地に、お菊稲荷や勧学寺が建てられたというわけだ。
 ソメイヨシノが100本以上植えられていて、ちょっとした桜の名所として知られているそうだ。
 勧学寺の開基は行基という話だけど、本当かどうかは分からない。聖武天皇の時代というから、奈良時代だ。
 はじめは走井山の北のふもとに建っていたらしく、江戸時代の1620年前後に、桑名城2代藩主・本多忠政の家臣が今の山の上に移したという。
 本尊は千手観音立像で、これは廃寺となった海善寺から移されたものだそうだ。
 7代桑名藩主・松平定重が再建した本堂は、桑名に現存する寺院建築としては一番古いものらしい。

桑名駅西-4

 勧学寺の向かって左手奥に、お菊稲荷神社があった。
 特にここに思い入れがあったとか、どうしても行きたいと思ったわけではなかったから、それほどむきになって探すこともなかった。
 いつどういう経緯で建てられたお稲荷さんかも、よく分からない。調べても分からずじまいだった。
 隣には白龍龍神がある。
 少し西に離れたところに、玉三稲荷神社というのもあるようだったけど、もう深追いはやめた。

桑名駅西-5

 祠もなく、自然石が御神体になっているようだ。
 江戸時代に作られたものなのか、もっと古いのか。自然石が御神体として祀られたのが始まりとすると、起源はかなり古そうだ。
 お菊稲荷のお菊は何を指しているんだろう。

桑名駅西-6

 場所はだいぶ北に飛んで、照源寺へとやって来た。
 その前に、尾畑城跡というのを探して歩き回ったのだけど、結局見つけることができなかった。周囲をぐるっと半周くらいしても入口が見つからず、高い屏で囲まれていて中に入ることができない。
 帰ってきてから調べたところ、土地が個人所有になっていて、どこからも入れないようになっていることを知った。行く前に調べて行こうぜ、私。ここで30分ほど無駄歩きをすることになった。
 照源寺は最初から予定に入っていた。ここはいいお寺で、行っておいてよかった。

桑名駅西-7

 1624年、松平家の桑名藩初代藩主・松平定勝(家康の異父弟)が亡くなったとき、徳川2代将軍・秀忠は、定勝嫡子の松平定行に、父親の菩提を弔うための寺を建てることを命じた。
 寺の名前は、定勝の法号(戒名)・崇源院殿から崇源寺と名づけられた。
 しかし、のちに秀忠の夫人の法号が同じく崇源院殿となってしまい、松平家が遠慮して照源寺と改名した。
 以降、松平家の菩提寺として続き、墓地には藩主ら二十八基の墓が建っている。
 大きな本堂は、明治23年(1890年)に改築したものだそうだ。ここらは空襲にあっていないから、境内も昔の雰囲気をとどめている。

桑名駅西-8

 いい姿の鐘楼があった。外観の飾り気はないものの、日光東照宮などにあるのとよく似ている。
 明治10年に建てられたものだそうだけど、この地方には珍しい形というから、東照宮を意識したものじゃないだろうか。
 戦時中に鐘を軍隊に持っていかれて、平成12年にようやく新しいものを吊ったんだそうだ。ずいぶん長い間、鐘不在だったのだ。

桑名駅西-9

 寺の境内なのに、墓石の前に鳥居があったり、お稲荷さんがあったりして、少し戸惑う。
 神仏習合の名残が色濃い。

桑名駅西-10

 小さな地蔵さんがたくさん集まっていて、それぞれ色とりどりの前掛けを掛けている。
 仏教というのは本来、外国から入って来た新しい文化だったのだから、もっとポップな感じがあってもいいと思う。仏像は金ピカだったり、カラフルだったりするのが元々の姿だ。大仏のパンチパーマ(螺髪)も、本来は鮮やかな群青色をしていた。
 寺はいつしか、仰々しくて、重くて、暗いところになってしまった。極楽浄土を約束するのが仏教だから、お寺ももっと華やかで楽しい場所であっていい。

桑名駅西-11

 尾野神社まではまだ500メートルくらいあったから、あきらめて引き返した。そろそろ時間切れが近づいていた。
 桑名高校のすぐ東にある大福田寺へとやって来た。
 聖徳太子が創建したとされる古い寺で、聖天(歓喜天)を祀っており、日本三大聖天の一つを名乗っている。
 一般的に、東京都台東区の待乳山聖天(本龍院)と、奈良県生駒市の生駒聖天(宝山寺)にあと一つ加えて三大聖天とする。自称は他にも、埼玉県熊谷市の妻沼聖天(歓喜院)、静岡県小山町の足柄聖天(足柄山聖天堂)、兵庫県豊岡市の豊岡聖天(東楽寺)などがある。
 真言宗のお寺で、密教色や修験道の色合いが濃い。
 4月の桑名聖天大祭という法要でも、山伏姿をして、柴燈大護摩火渡神事(さいとうおおごまひわたりしんじ)というのが行われている。焚いた護摩の上を歩くやつだ。
 古くは伊勢山田にあって、天武・持統天皇や聖武天皇も訪れ、伊勢神宮の神宮寺として大神宮寺を名乗っていたという。
 空海がこの寺で密教の修行をしたことで、真言道場となっていったようだ。
 淳和天皇のときに勅願寺となり、宇多天皇、後冷泉天皇なども訪れ、明治までは天皇、皇室の祈願所で、菊の紋章を使うことを許されている。
 1280年頃に火災で伽藍が焼け、再興されたときに福田寺となり、のちに足利尊氏がこの寺を大事にして、大福田寺と名を改めた。
 現在地に移ったのは、1662年、松平定重による。

桑名駅西-12

 ここもまた鳥居だ。
 右奥にも朱色の鳥居が見えている。
 神仏習合が当たり前だったという知識はあっても、今の感覚からするとやっぱり戸惑いはある。不思議な感じがする。

桑名駅西-13

 たぶん正面が本堂だと思うけど、建物がちょっと変わった配置になっていて、よく分からなかった。

 このあと進路を西に変えて、西桑名神社と益田宮を目指すことになる。そこでもまた大いなる無駄歩きをすることになるのだけど、その話はまた次回ということにしたい。
 次で桑名シリーズは最終回になりそうだ。
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コメント
  • 2014/04/06 22:33
    今度はもう少し足を伸ばして、桑名西医療センター(旧桑名市民病院)の近くにある、土佛山聖衆寺はいかがでしょうか?

    浄土真宗の多い桑名の街で、真言宗の神仏混淆のお寺です。
    土佛さんの名の如く、土で造られた大きな阿弥陀如来坐像があります。

    また、本堂上の秋葉神社には烏天狗が奉納されており、薄暗いお堂の中で気味の悪い感じがたまりません(笑)
  • 更に広く
    2014/04/07 23:33
    >風神雷神さん

     レンタサイクルを借りると、だいぶ行動範囲が広がるから、次の機会があればもっと巡れそうです。
     土佛山聖衆寺も覚えておかないといけないですね。
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