桑名神社特集その1~とりあえず片っ端から回る <桑名10回> - 現身日和 【うつせみびより】

桑名神社特集その1~とりあえず片っ端から回る <桑名10回>

桑名神社1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 桑名では神社仏閣を巡りに巡った。狭い地域にたくさんの寺社があるのは、東海道沿いであり、桑名城の城下町として発展した歴史故だろう。伊勢の玄関口でもあり、更に歴史を遡れば、かなり早くから人が住み始めた地域でもある。
 ただ、数は多いものの大きな寺社は少なく、一神社一ネタになるほどではない。なので、いくつかまとめて、何回かに分けて紹介していこうと思う。
 順番としては、まず桑名総鎮守である桑名宗社(くわなそうじゃ)から始めるのが妥当なところだろう。一般的には春日神社の方が通りがいいようだ。
 ここの名物はなんといっても大きな青銅の鳥居だ。
 桑名が埼玉の川口市と並んで鋳物の一大産地なのは、初代桑名城藩主・本多忠勝によるところが大きかったといわれている。築城の際に鋳造技術が必要ということで、鋳物師を呼び、そこから歴史が生まれた。
 1667年に、7代藩主の松平定重が、桑名鋳物師の辻内善右衛門に命じて建立させた青銅鳥居は、高さは7メートル弱、柱の周りは60センチ近くある。
 何度も天災に遭いながら持ちこたえ、空襲にも耐えた。しかしながら、昭和34年の伊勢湾台風のとき、流された船が激突してついに倒壊してしまう。それでも、もう一度立て直して、現在に至っている。
 青銅鳥居では日本一だそうだ。
 鳥居の足元には、古い「しるべ石」が建っている。
 行方不明になった人を捜すための伝言板のようなもので、尋ね人の情報を紙に書いてここに貼ったという。今でいうところの、迷子の猫を探してますと電柱に張り紙をするのに近い。
 昔は寺社の門前に、このしるべ石というのがよくあったそうだけど、今でも残っているのは珍しいという。
 東海道は少し東だけど、桑名の総鎮守ということで、旅人の多くはこの神社に寄っていったことだろう。

桑名神社1-2

 青銅鳥居の先では、立派な楼門が出迎えてくれる。
 ただしこれは、平成7年に再建されたごく新しいものだ。古いものは空襲でやれてしまった。
 最初に建てられたのは1833年で、15代藩主・松平定永(寛政の改革の定信の嫡子)が寄進した。
 当時の随神門なら相当なものだったろう。

桑名神社1-3

 手水舎で手を洗っていると、いきなりおじさんが説教を食らわせてきた。突然のことで戸惑っていると、作法がなっていないと怒り、嫌味を言って去っていった。何事かと唖然とする。
 門のところでホウキで追い払われた人もいるそうだ。気にくわない人間を見つけると、片っ端から因縁をつけているのかもしれない。それっぽいおじさんが境内にいたらお気をつけを。おちゃらけていると追い出されかねない。
 ちょっと動揺しつつ、気を取り直して参拝することにした。
 一つの拝殿に二つの賽銭箱が置かれ、左右では別の神様を祀っているらしい。ほとんど予習もしていかなかったので、このときはどういうことかよく分からなかった。とりあえず左側にお参りしたのだけど、それは片参りだったことをあとから知る。別の神様だから、両方お参りしないといけなかったのだ。
 ここの神様も少しややこしいことになっている。
 まずは二つの神社、桑名神社と中臣神社が合体して、桑名宗社となっているということを知る必要がある。
 古株は桑名神社の方で、景行天皇の時代の110年に、宮町あたりあった三崎大明神が元になっているという。
 その後、宝殿町に移り、115年に今のところに移ってきたらしい。
 しかし、にわかには信じられない。それはいくらなんでも古すぎる。卑弥呼でさえ175年頃の生まれとされているのだ。
 第一、古代の海岸線は今よりもずっと内陸で、ここは海の底だったはずだ。
 平安時代の延喜式に載っているから平安時代にすでにあったことは確実だけど、その時代でさえここはまだ海だ。
 祭神は、この地方の有力豪族だった桑名首(くわなのおびと)との関わりが深く、駅のずっと西の高塚町に桑名首のものと思われる高塚山古墳がある。だから、本来の場所はもっと西だったのではないだろうか。古墳は前方後円墳だから、神社の成立も、早くて4世紀から5世紀くらいかもしれない。
 祭神は、天津彦根命(アマツヒコネ)。
 アマテラスとスサノオの誓約で生まれたアマテラスの三男とされている神だ。
 同じく桑名の多度山にある多度神社の祭神も天津彦根命だから、二つの神社が関係あることは間違いなさそうだ。
 もう一柱の祭神は、天津彦根命の子供で、桑名首の祖神である天久々斯比乃命(アメノクグシビ)とされる。こちらはメジャーな神様ではなく、桑名開拓の神とされる地方神だ。
 中臣神社はまた別の歴史を辿っている。
 769年に、奈良の平城京に春日大社を建てるとき、中臣氏が常陸国の鹿島神宮から建雷命(タケミカヅチ)を連れてきた。そのときに通過した地に神社を建てたのが始まりとされている。
 ただ、主祭神はタケミカヅチではなく、天日別命(アメノヒワケ)となっている。これは、神武天皇が国を治めるときに活躍した功臣で、伊勢国造の遠祖とされる神だ。
 最初は今より2キロほど西の山の上にあったらしい。
 1290年に桑名神社の境内に移し、1297年に奈良の春日大社から春日四柱神を勧進した。このときから春日大明神と呼ばれるようになり、今でも春日さんと親しまれている。
 タケミカヅチや、中臣の祖神・天児屋根命(アメノコヤネ)や、その妃神・比売神(ヒメガミ)も相殿に祀られている。
 というのが、桑名宗社の成り立ちだ。代々、有力者に保護され、歴代将軍や信長、家康も神領を寄進したりしている。
 明治になって京都御所から東京の皇居へ移るとき、明治天皇もここに宿泊している。
 空襲で社殿はことごとく焼け、昭和29年に拝殿、昭和59年に本殿と幣殿が再建された。

桑名神社1-4

 境内社には、皇大神宮御分霊社、八重垣神社、稲荷神社がある。
 さっきのおじさんが向こうで作業をしていたので近づけず。参拝の仕方にさえイチャモンをつけられそうだったから、遠くから写真を撮って、ここをあとにした。
 結局、写真は4枚しか撮ってなかった。もっとゆっくり見て回りたかった。
 あとから考えると、私の作法も気持ちがこもってなかったと、反省はした。

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 所変わって、ここは住吉神社。七里の渡し跡から少し北へ行った揖斐川沿いに建っている。
 川沿いの吹きさらしのようなところにあって、ちょっと唐突な印象を受ける。神社はもう少し囲まないと神域と日常空間との区切りができない。
 昔はもっと趣があったのだろうけど、伊勢湾台風のあとの堤防工事で風景は一変してしまった。昔の面影は残っていない。
 社殿もずいぶん新しい感じだったから、近年建て直したものだろう。
 常夜灯は江戸時代の1788年に建てられたものだそうだ。
 神社は1715年の創建という。
 住吉神社といえば、大阪の住吉大社で、海の神様だ。桑名も海や川の物流拠点として発展した土地だから、住吉神社を建てるのは理にかなっている。住吉神社は尾張氏との関係も深いところだから、場所柄も合う。

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 太一丸堤の上にあった神明社が合祀されているそうだ。
 12月中旬から正月過ぎまで、ここの鳥居から朝日が昇るということで、初日の出スポットとしても有名らしい。

桑名神社1-7

 赤須賀神明社。
 ここを探し当てるのに苦労した。
 桑名城跡の南東にあって、昔ながらの混み合った町並みが続く行き止まりのようなところに建っていた。
 通称、猫とび横丁。家と家との間隔が狭く、屋根から屋根へ猫が飛び移れるくらいだというところからそう呼ばれるようになったんだとか。
 1561年に、愛知県幸田町からの移住者が住みついて漁師町として発展したという歴史を持っている。
 ここは住吉神社ではなく、神明社を建てた。神明社というのは、伊勢神宮のアマテラスだから、まあ万能の神ではある。
 赤須賀新田(現在の地蔵)に住民が移転させられ、一時は武家屋敷が建ち並んでいたというから、その頃建てられたものだろうか。
 ここから南西150メートルあたりに赤須賀城があったと伝わっている。
 築城は水谷正吉で、1560年前後らしいのだけど、幸田町からの移住の前なのか後なのか。神明社が創建されたのもその頃だそうだから、何か関係があったかもしれない。
 この神社に関しては、詳しいことは調べがつかなかった。分かっているのは、明治19年から始まった木曽三川の改修工事のときに、赤須賀神明社も現在の場所に移転してきたということくらいだ。

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 祭神はアマテラスでいいとして、別宮に一目連社を合祀しているとのことだ。
 一目連神社は次回登場予定なのだけど、桑名の神社はいろいろなところでリンクしていて面白い。別の場所に一目連神社があり、多度大社の別宮にも一目連社がある。
 ここで祀られる天目一箇神(アメノマヒトツノカミ)というのも変わっているというか多彩な神で、金属の神とされたり、水の神とされたり、農耕の神とされたりと忙しい。一つ目だから妖怪ではないかとか、多度大社の場合守り神がヘビだったり、太陽との関連を指摘されたりもする。伝説の巨人、ダイダラボッチのことだという説もある。
 詳しくはまた一目連神社のところで書くとして、赤須賀神明社では水難除けの神様として祀られているようだ。一つ目になった龍だという話もある。

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 御神木と狛犬。

桑名神社1-10

 これが別宮だろうか。だとしたら、隣の建物は何だろう。神馬とかがいそうな感じだけど、中には何もなかったような気もする。

桑名神社1-11

 お稲荷さんも参っておく。
 ここは全般的に新しい。明治というより昭和の香りが色濃い。こんな金属製の賽銭箱も昔はなかったはずだ。

桑名神社1-12

 ほとんど意地のように地図上に出ているすべての神社を回っていった。
 これは東野神明社だ。
 写真に写っているのがほぼ全域の小さな神社だった。
 調べたけど、ネットには情報らしい情報が出ていなかった。

桑名神社1-13

 ここも小さな神社だった。泡州崎八幡社(あわすざきはちまんしゃ)。
 地図には出てないところで、歩いていてたまたま見つけた。
 本多忠勝が町割りをして城下を整備する以前、このあたりは町屋川の流れで、自凝洲崎(おのころすざき)、加良洲崎(からすざき)、泡洲崎(あわすざき)の三洲に分かれていて、この一帯を泡洲崎と称していたんだそうだ。神社の名前はそこから来ている。
 泡州崎八幡社はこの地区の鎮守で、一色町の光徳寺にあったようだ。
 明治41年にいったんは桑名宗社に合祀され、戦後の昭和25年に新町の産土神として今の地に分祀されたらしい。
 八幡社ということで、祭神は誉田別命(ホムタワケ)で、応神天皇ということになる。
 相殿にはアマテラスと、天児屋根命(アメノコヤネ)が祀られている。アメノコヤネは、桑名宗社の春日神社から連れてきたのだろう。

 桑名神社編の第一回はこれくらいにしておこう。
 全部で3回になるか、収まらずに4回になるか。
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コメント
非公開コメント

桑名宗社=くわなそうしゃ です。

住吉神社は桑名宗社の境外社となります。

また新築町には新築神社があり、そこは桑名宗社の中臣神社のお旅所となっています。


赤須賀神明社ですが、神馬舎には造り物の白馬があります。
その前にあるのは末社の恵比寿社です。
また、東野神社は赤須賀神明社の境外末社となるそうです。

式年遷宮があったように、今度、赤須賀神明社の鳥居もお木曳きをして、滝原宮の鳥居を払い下げられます。

昭和49年までは、外宮一の鳥居だったようですが、背が低く、お盆に行われる石取祭の祭車(山車)がくぐれなかったため、以降内宮意外の一番大きな鳥居をあたり、滝原宮の鳥居をいただく事にお願いしたそうです。

2014-04-06 22:05 | from 風神雷神 | Edit

伊勢の玄関口

>風神雷神さん

 桑名はお伊勢さんの玄関口ですもんね。
 鳥居は瀧原宮からいただいたんですか。
 瀧原宮は、この前初め行きました。
 素朴でいい神社ですね。

2014-04-07 23:25 | from オオタ | Edit

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