鎮国守国神社でふたり力を合わせて桑名を守る <桑名8回> - 現身日和 【うつせみびより】

鎮国守国神社でふたり力を合わせて桑名を守る <桑名8回>

桑名城2-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 桑名城本丸の天守があったあたりには、現在、鎮国守国神社(ちんこくしゅこくじんじゃ)が建っている。どういう神社か、少し説明が必要だ。
 護国神社というのが全国にたくさんあるから、それと似たようなものかと思ったら違った。桑名城に関係する二人の人物が祀られている。鎮国に松平定綱、守国神社に松平定信と、二つの神社があわさって鎮国守国神社となっている。
 という説明だけで分かる人は相当歴史に詳しい人で、普通は知らない。松平定信が寛政の改革の中心的人物だったと覚えている人はいるかもしれない。
 松平定信は、1758年、御三家に次ぐ御三卿の田安徳川家・田安宗武の七男として生まれた。
 8代将軍徳川吉宗の孫とはいえ、七男ではまず家督を継ぐことはないし、出世も望めない。しかし、定信という人は相当出来が良かった。家を継いだ兄が病弱だったこともあり、兄に代わって田安家を継ぐべきだという声もあったという。あるいは、10代将軍家治の次の将軍候補という話も出たらしい。
 このとき、田沼意次全盛時代、将軍家は賄賂まみれになっていて、それを定信は激しく非難したことで目を付けられてしまう。
 そこで、陸奥国の白河藩へ養子に出されることになる。養父は白川藩2代藩主・松平定邦で、その後、白川藩を継いだ。
 ここで天明の大飢饉を乗り切ったり、藩政の手腕を認められたりで、ついに幕閣入りを果たすことになる。天敵の田沼意次は死去していた。
 幼かった11代将軍家斉を補佐すべく老中首座・将軍輔佐となり、田沼派を一掃して、清い政治を目指した。このとき行ったのが寛政の改革で、祖父・吉宗の享保の改革を手本にしたとされている。そして、それは一応の成功を収めることになる。
 ただし、誰もが納得する政治というのはあり得ないことで、「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」という大田南畝の歌にもあるように、倹約ばかりで面白くないという人々も少なくなかっただろう。禁止事項も多く、庶民や大奥にはとても評判が悪かったという。
 さて、鎮国守国神社の話はどうなったかというと、定信が白河城内で松平定綱を鎮国大明神として祀ったことに始まる(1784年)。
 松平定綱は定信の祖先で、桑名藩5代藩主を務めた人物だ。本多忠勝が築城した桑名城を改修し、桑名の城下を発展させた人ではあるけど、どうしてこの人を特別視したのか、よく分からない。
 本多忠勝親子に代わって入城したのが松平定勝で、次が定行、定綱はその弟に当たる。定信は定綱を特に高く評価していたのか、何か特別な共感があったのか。定綱が飛び抜けて優れた藩主だったという話は伝わっていない。
 1823年、定信の嫡男・定永が桑名へ移ってきたのを機に、鎮国大明神も一緒に桑名城内に移された。そのとき定信が守国公として祀られ、鎮国守国神社となったというわけだ。
 私もさっき勉強して知ったことで、これでようやくすっきりした。

桑名城2-2

 明治維新のあと、しばらく本丸の外に移っていたらしい。今の場所に移ったのは明治40年のことだそうだ。
 明治8年には村社、明治13年には県社に格が上がっている。
 大正8年に拝殿が建てられたというけど、今あるのがそうなのだろうか。けっこう新しいように見えた。空襲では焼けなかったのか。
 賽銭箱はもっと新しいものに見える。何故か天満宮印が入っている。

桑名城2-3

 横には天満宮でお馴染みの牛さんがいる。摂社の日吉菅原社のようだ。
 久松松平家の祖神が天満天神らしく、昭和天皇がどうとかという説明があったのだけど、経緯はよく分からない。
 もう一つの摂社、旭八幡社はどこにあったのだろう。
 信定百年祭記念で建てられたという宝物館も見つからなかった。

桑名城2-4

 一応撮っておこうと撮っておいたものの、説明板のアップ写真を撮り忘れて、どういうものだったか忘れてしまった。

桑名城2-5

 横にももう一つの鳥居があったので、いったん出て、別の鳥居から入り直す。

桑名城2-6

 定綱が本丸に井戸を掘ったとき、龍神を祀るために建てた神社らしい。

桑名城2-7

 九華招魂社。
 戊辰戦争から第二次大戦までの桑名出身の戦没者を祀っている。

桑名城2-9

 更に隣のお稲荷さん。

桑名城2-10

 最近、どこかで妙に背の低いお稲荷さんの鳥居をくぐったのだけど、それがここだっただろうか。頭を低くしないと歩けなかった。もしかしたら、別のお稲荷さんだったかもしれない。

桑名城2-11

 鎮國稲荷神社と額にはある。地図では宮光稲荷大明神として載っている。

桑名城2-12

 手こぎ井戸がある。もう出なくなって久しい感じだ。
 このあたりは揖斐川の河口沿いだから、井戸水も塩分が混じっていたんじゃないだろうか。

 鎮国守国神社といえば、地元では金魚まつりが有名のようだ。
 江戸時代に、大和郡山から江戸の将軍家に金魚を運ぶ途中に寄った桑名の殿様が金魚を気に入って、それ以来桑名城下でも金魚がもてはやされるようになったんだとか。
 そんな話が伝わって、明治に入ってから例大祭で金魚市がひらかれるようになり、今でもそれが続いているらしい。
 昔はたいそうな賑わいだったそうだけど、今は金魚すくいもあまり流行らなくなった。

 桑名城紹介もこれで終わって、桑名観光に関する持ちネタは、神社仏閣だけとなった。次回からはまたしばらく神社ネタが続きそうだ。
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コメント
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旭八幡宮ですが、今はいなべ市員弁町平古にご鎮座されているものだと、聞いた覚えがあります。

宝物館は、お稲荷さんの横に止まっているパジェロイオ?の前のコンクリート造りの建物です。

開館は金魚祭(5/2~3)のみだったと思います。(有料)

2014-04-06 23:24 | from 風神雷神 | Edit

いろいろありがとうございます

>風神雷神さん

 いろいろ教えていただきありがとうございました。(^^)
 桑名を巡ったときの記憶がよみがえりました。

2014-04-07 23:34 | from オオタ | Edit

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