諸戸氏庭園は入れないあがれない見てるだけのもどかしさ <桑名4回> - 現身日和 【うつせみびより】

諸戸氏庭園は入れないあがれない見てるだけのもどかしさ <桑名4回>

諸戸氏庭園1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 六華苑をあとにして、次は諸戸氏庭園(もろとしていえん)へとやって来た。
 昨日も書いたように、六華苑も諸戸氏庭園も、もともとは初代諸戸清六が邸宅として買い取ったひとつづきの広大な庭園付き邸宅だった。今は分かれてしまっているため、いったん外に出て、別の入口から入り直さないといけない。六華苑から行く場合は、桑名リバーサイドボウルの横の細い道を通って南から回り込むことになる。歩いて5分以上かかる。
 六華苑は二代目清六が邸宅としてあらたに建てたもので、それ以前はこちらの諸戸氏庭園に本宅があった。上の写真は、本宅と店舗を兼ねた本邸と呼ばれる建物だ。
 手前の丸ポストがいつここに置かれたのかは知らない。かなり中途半端な場所にあって、ここにしなくてもよかっただろうと思わせる。もう少しどちかに寄せてもよかったんじゃないか。昔からここにポストがあったのか、昭和に入ってからここに置かれたのか。諸戸家の人々が住んでいるわけでもないし、あえてこの場所に残しておく必要もないと思うのだけど、関係者にとっては重宝しているのかもしれない。

 この場所が歴史上最初に登場するのは、鎌倉時代の1260年頃のことだ。贄左京之助という人物の所領となり、柚野庵を創建したことに始まる。
 戦国時代は織田家家臣の矢部氏の館となり、当時は江の奥殿と呼ばれていたという。
 矢部氏が何代か続いたあと家が断絶し、江戸時代になって、桑名藩の御用商人だった山田彦左衛門が隠居所として買い取ることになる(1686年)。
 このとき、かなり手を加えて庭園や屋敷などが整備されたようだ。
 初代諸戸清六が山田邸を買い取ったのが1884年(明治17年)というから、200年は山田家の屋敷としての歴史がある。山田家が没落して、そこに米で儲けた新興の諸戸氏が買収したというところに時代の移り変わりを感じさせる。諸戸氏も、代々庄屋だった家系だから、必ずしも成金というわけではないのだけど。
 清六、このとき38歳。18歳で家督を継いで、大借金から20年で大邸宅を買収したというのだから、やはり並みの商才ではない。
 8,000坪の敷地に、あらたに御殿や洋館、庭園、赤煉瓦倉庫などを、次々に増設していった。その結果、ややとりとめのない印象を与えるものとなっている。

 予習が済んだところで、そろそろ中に入っていくことにしよう。
 春と秋の限定公開ということで、行くときは事前にやっているかどうか調べていった方がよさそうだ。
 今年の春公開は、4月15日から6月30日までとなっている。秋は10月下旬から12月上旬にかけてのようだ。
 ここの残念なところは、非公開部分が多いことだ。建物の中にもほとんど入れない。
 本邸も、和室、洋室とも見ることができない。何か事情があるのだろうけど、もう少し見せて欲しいというのが正直な感想だった。庭を一周回って、え、これで終わり、って感じだった。

諸戸氏庭園1-2

 本邸向かって左手に大門がある。こちらが本来の表門だったようだ。
 薬医門と呼ばれる様式の門で、明治27年(1894年)頃に建てられたとされている。
 本邸や大門、御殿など、主だった建物は重文指定になっている。

諸戸氏庭園1-3

 本邸が入口で、玄関からいったん外に出て、左の庭から回るのが順路になっている。
 うねった芝生の丘に、大きな岩がいくつか置かれている。何故か、砲弾も飾ってあった。前衛芸術みたいだ。砲弾は何かの記念とか何とかという説明書きがあったような気がする。
 遠くに見えている赤煉瓦煙突も目をひいた。屋根は日本家屋のようだけど、場所的に見て洋館部分だろうか。

諸戸氏庭園1-4

 御殿前の玄関と車寄せで、さあここから見学かと思ったら、いきなり立ち入り禁止だった。外から中をのぞくことはできるけど、部屋にあがることはできない。ある意味、使用人気分を味わうことになる。旦那さま、お入れくだせえ。
 御殿玄関の寄木張りの床が当時の外務省を真似て作られたというのだけど、近くから見ないことにはよく分からない。
 マップを見ると、この奥には玉突場もあるらしい。当時はビリヤードというのが一種のステータスシンボルだったのだろう。岩崎邸は、離れとして玉突場を持っていた。もしかしたら、それを見て自分ちにも欲しくなったのかもしれない。

諸戸氏庭園1-5

 苔むした庭と飛び石。好きな風情だ。苔萌えとしてはたまらん。

諸戸氏庭園1-6

 このあたりは本邸の裏手にあたるから、勝手口に通じる道だろうか。

諸戸氏庭園1-7

 白壁の蔵らしき建物。

諸戸氏庭園1-8

 菖蒲池に出た。庭の中心となる場所で、山田家時代からの歴史があるものだそうだ。ちょうど花菖蒲が見頃を迎えていた。約20種800株の花菖蒲が植えられている。
 江戸時代はカキツバタだったようで、だからこの橋も八ツ橋と名づけられているのかと納得した。個人的にはカキツバタの方が好きだけど、手入れの大変さと難しさが全然違うだろうから仕方のないところか。
 今は花菖蒲の花盛りで池庭の様子がはっきり把握できないけど、本来は琵琶湖を模して造られた池庭らしい。宮内省から技師の小平義近を招いて設計されたという。
 岩を竹生島、石橋を天橋立に見立ててるそうだけど、言われなければ気づかない。

諸戸氏庭園1-9

 菖蒲池のほとりに建つ推敲亭(すいこうてい)。
 山田家時代に建てられたもので、覚々斎原叟(かくかくさいげんそう)が建てた草庵と伝わっている。
 ここからカキツバタや月を眺めながら詩歌を推敲したことから名づけられたらしい。

諸戸氏庭園1-10

 庭の一番奥まったところにある藤茶屋。これも江戸時代の山田氏が建てたもので、代々の桑名藩主が藤を見にやって来たという。
 昔のものは空襲で焼かれてしまって、現在のものは昭和43年(1968年)に再建されたものだ。
 ここもあがらせてはくれない。重文でもない新しい建物なのに。藤の季節だけあがれるということはあるのだろうか。

諸戸氏庭園1-11

 写真の枚数が多くなって、一回には収まらなかった。ということで、前後半の二回に分けることにする。
 つづきはまた次回。
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