高座結御子神社と熱田神宮のつながりがもう一つよく分からない

神社仏閣(Shrines and temples)
高座神社-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 熱田で「たかくらさん」といえば、高倉健さんのことではなく、高座結御子神社(たかくらむすびみこじんじゃ)のことをいう。名古屋で「めいだい」といえば、明治大学ではなく名古屋大学のことを指すのと同じだ。
 熱田神宮の北800メートルほどの場所に、高座結御子神社はある。三つある熱田神宮境外摂社の一つだ。あとの二つは、緑区の火上姉子神社(ひかみあねこじんじゃ)と、熱田区白鳥の青衾神社(あおぶすまじんじゃ)で、まだどちらも行ってないから近いうちに行かなければいけないと思っている。
 摂社というのは、本家の神社と関係の深い神様を祀った神社で、境内にあるものを境内摂社、外にあるものを境外摂社という。末社というのは、祭神に直接的な関係はないものの、本家の管理下に入っている神社をいう。
 この神社が尾張氏に深く関係していることはまず間違いない。けど、ちょっと分からないところがいくつかある。
 たとえば、祭神は尾張氏の祖神である高倉下命(タカクラジノミコト)というのだけど、一般的に尾張氏の祖神といえば、天火明命(アメノホアカリノミコト)ではないのか。
 天火明命は、尾張国の一宮・真清田神社(ますみだじんじゃ)の祭神として祀られているし、かつては熱田神宮に次ぐ大社だった東谷山山頂の尾張戸神社(おわりべじんじゃ)もそうだ。
 ちなみに、熱田神宮が尾張国の三宮とされているのは国衙から遠かったのがその理由とされているようだけど、格式からいえば断然一宮になってもいいはずなのに、このあたりもちょっと謎だ。
 天火明命は、アマテラスの孫に当たる。お父さんは天忍穂耳命(アメノオシホミミノミコト)で、その弟が天孫降臨したニニギノミコトになる。
 高倉下命は、アマテラスのひ孫の世代に当たるようだけど、関係ははっきりしていない。
 初代天皇である神武天皇(カムヤマトイワレビコ)が東征中、熊野で苦戦しているとき、タケミカヅチ(建御雷神)の分身である霊剣フツノミタマ(布都御魂)を持って颯爽と現れたのが、高倉下命だったという。高倉下命は夢のお告げによってアマテラスや高木神からこの霊剣をさずかったとされている。
 その後、霊剣フツノミタマは奈良県天理市の石上神宮(いそのかみじんぐう)に運ばれ、ここの御神体となっている。
 石上神宮は、物部氏とのゆかりが深い神社で、高倉下というのは高い倉の下、つまり武器を管理する物部氏との関連も考えられる。
 創建年は意外に新しく、平安時代前期の835年とされている。
 天武天皇の時代に創建されたという説もあるようで、どちらかといえばそちらの方が納得がいく。壬申の乱が672年で、この時代の方が尾張氏の力は強かっただろうから。
 それにしても、熱田神宮の創建が113年とすると、年代的な開きが大きすぎるようにも思う。もう一つの境外摂社である火上姉子神社の創建は195年とされている。
 この神社があるあたりは弥生時代から人が住んでいたことが分かっている。古墳も多数見つかっていることから、古くから尾張氏の拠点地だったと考えられる。とすれば、神社の成立ももっと古いんじゃないだろうか。
 ただ、どうして祭神が高倉下命になったのかはよく分からない。高倉下命は、古くからこのあたりの鎮守神、産土神として大事にされてきたようだ。いつどういう経緯で熱田神宮の摂社になったのかも、調べがつかなかった。最初から摂社として創建されたとは思えない。
 そんなこんなで、もやもやした気持ちを抱えつつ、先へ進むことにする。

高座神社-2

 参道はしんとして、なかなか悪くない。いい意味で暗くて静かだ。本家の熱田神宮より雰囲気がある。
 この神社は子育ての神様として知られているところで、特に毎年6月1日の例祭のときは、大勢の子供連れ参拝客で賑わうそうだ。 
 境内にある御井社の井戸をのぞくと、子供の虫封じになるといわれていて、みんなこれを目当てにやって来るらしい。
 その他、4月3日の子預け祭や、7月の御井社祭などもある。

高座神社-3

 地下鉄の最寄り駅は西高蔵で、そちらから歩いたから西の鳥居から入ることになった。
 社殿は南向きで、南にも鳥居がある。西から入った方が長い参道があって気分は出るだろうけど、南からも入り直してみた。
 元はもっと広かったに違いなくて、南鳥居が正面で、昔はもっと南にあったんじゃないだろうか。南向きの神社なら南の鳥居から入る方が自然だ。

高座神社-4

 尾張造の本殿を織田信長が造営したというのだけど、その話もにわかには信じられない。
 1571年といえば、信長にとってはとても多忙な時期だ。前年に姉川の合戦で浅井・朝倉連合を破り、天下統一が少し見え始めたところで、1571年は比叡山焼き討ちを行っている。
 どんなに合戦に忙しくても、寺社の造営くらいは人に命じればできるとはいえ、あえてこの時期に熱田神宮の一摂社にすぎない高座結御子神社の造営に着手するかといえばちょっと疑問だ。
 桶狭間の戦いのとき、熱田神宮で必勝祈願をして勝利した義理があったとしても、それはもう10年以上前のことになる。社殿が完成してから信長がこの神社を訪れたという記録はない。
 何の根拠もなく信長の名前が出てくることはないだろうから、信長にお伺いを立てて許しを得たといったあたりだろうか。援助金くらいはくれたのかもしれない。
 江戸時代に入った1618年には、蜂須賀家政が修繕を行っている。蜂須賀正勝(小六)の息子で、徳島藩祖となった人物だ。
 ただ、この話も少し引っかかる。蜂須賀正勝といえば秀吉の説得で家臣になり、墨俣一夜城の築城に力を貸したことでも知られる武将だ。息子も秀吉に仕え、数々の武勲をあげている。
 だから、関ヶ原の戦いのときはどちらにもつききれなかったし、大阪の陣のときも西軍につこうかどうしようか迷って戦闘に参加していない。しかし、息子が徳川方について活躍したことで家康に許されて、蜂須賀家は淡路国25万7,000石に加増されて移っている。それが1615年のことだ。
 にもかかわらず、その3年後の1618年に、どういう話の流れで熱田の高座結御子神社を修繕することになったのか。もしかすると、天下普請でお金を使わせるために徳川家が命じたのだろうか。
 江戸時代を通じて徳川家も大事にしたようで、1686年には江戸幕府が修復を行っている。
 当時の社殿は、昭和20年の空襲で焼かれてしまって残っていない。アメリカ人は今も昔も、世界中の神にケンカを売っている。
 現在の社殿は、昭和38年(1963年)に、尾張造を元に改良した形で建てたものだ。どうしてオリジナルのスタイルを踏襲しなかったのだろう。
 尾張造というのは、拝殿、祭文殿、本殿を回廊でつないだ左右対称の様式で、津島神社や国府宮神社に残っている。

高座神社-5

 祭神は、高倉下命ではなく、ヤマトタケルの子供である仲哀天皇や、ヤマトタケルの異母弟・成務天皇ではないかという説もあるそうだ。
 いずれにしても、この神社の成り立ちには謎がある。

高座神社-6

 こういうお守りとかを売っているところを、授与所(じゅよしょ)と呼ぶらしい。つい最近知った。よく神社へ行っていても、知らない専門用語などはたくさんある。

高座神社-7

 高座稲荷社。
 豊臣秀吉の母・なか(のちの大政所)が、まだチビだった息子の秀吉を連れて、立身出世を祈ったとされる稲荷神社で、太閤出世稲荷とも呼ばれている。
 最初からすべてを疑っているわけではないけど、この話もどうなんだろうと思う。
 秀吉が生まれたのは中村区で、名古屋駅のだいぶ西だ。直線距離でも10キロは離れている。幼い秀吉を連れて、わざわざここまで歩いてきただろうか。熱田神宮へ参拝したとき、ついでに寄ったと考えるならあり得るか。
 秀吉の出自についても、実は農家ではなかったという話もあるし、よく分からないことも多い。手紙の字や内容を見ると、貧乏な農家の息子とは思えないほど教養を感じる。本当に貧乏な農家の息子なら、読み書きもできなかったはずだ。

高座神社-8

 お稲荷さんに来ると、必ず朱塗りの鳥居が撮りたくなる。
 伏見稲荷の千本鳥居もいつか撮ってみたい。

高座神社-9

 御神木となっている大楠。かなり大きい。
 根元に木製の小さな鳥居がいくつも置かれている。何かの祈願だろうか。

高座神社-10

 神社や公園の周辺では、たくさんの古墳や貝塚などが見つかっている。
 弥生時代中期にはそこそこの規模の環濠集落が形成されていたようだ。その周りにはたくさんの墓があったことも分かっている。当時は伊勢湾に近い海のそばで、生活するにはいい場所だったのだろう。 
 彩文土器や有彩立壷なども多数出土している。
 古墳時代になると、人々は竪穴式住居で暮らしてたようだ。その跡地も見つかっている。 
 5世紀後半から7世紀にかけては、小型方墳や円墳も築かれていた。明治時代の発掘では7つの円墳が見つかり、現在は4つが確認できるのみとなっている。最大で20基ほどがあったのではないかと考えられている。
 時期的に6世紀あたりのものは、近くの断夫山古墳との関連もあるのだろう。
 現在は神社や公園となっているため、当時の姿を想像するのは難しい。

 近いうちに熱田神宮についても総まとめとして書くつもりでいる。できれば、火上姉子神社と青衾神社にも行っておきたいところだ。
 そのあたりについて調べていくことで、高座結御子神社についての疑問点も解明していくかもしれない。
 神社は横のつながりと時代的な考証を同時にやらないと見えてこない部分もあって、たくさん回るほどこれがあそこにつながるんだという発見があったりして面白い。
 あなたの趣味はなんですかと訊かれて神社巡りと答えるのはちょっと嫌だけど、これだけ巡ってしまうともはや趣味ではないと言い張るのは難しい。
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コメント
  • はじめまして!
    2009/05/30 23:45
    こんにちは、「桜天神社」で検索してたどり着きました。
    名古屋暦5年ほどですが、史跡や神社が多く、季節の草花や昆虫を見るのも好きなので散策しやすくて結構歩き倒しました。
    歴史も古代~近代まで充実しているので本当飽きません。
    熱田神宮、高蔵さんはご近所なので去年は神事になるべく全部出ようとしたりもしていました。奥深い世界ですよね、神話も歴史も色んな説があって。
    小さい鳥居、私も気になってたのですが「ぐっさん家」という番組で少し解説されてて、安産祈願などにあの小さい鳥居に願い事を書いて楠の木の根元に置く、というのがあるそうです。熱田神宮内にもひっそりと一箇所、ありました。

    で、私はガサツなもので持ち歩くのが怖くデジカメを利用しなくて、形が分かればいいや程度の携帯画質で満足しているのですがやっぱり画質や撮り方が良いと全然違いますね~!
    去年は名鉄ハイキングにハマったりしてたのですが、時間が合わなくなってきた事などあり、散歩情報の参考にさせていただこうと思います。
  • 歩くところには事欠かない
    2009/05/31 02:52
    ★あかねさん

     はじめまして、こんにちは。

     桜天神でようこそいらっしゃいませ。
     あそこは、すごいシチュエーションに建ってますよね。
     最初に見たときはのけぞりました。

     神社仏閣と散策好きには、名古屋はいいところですよね。
     たくさん見て回るところがあって。
     私もまだまだ今回っているところです。

     ぐっさん家はだいたい観てるつもりだったのに、高蔵さんの回は見逃したようです。しまったな。
     なるほど、そういう願掛けだったんですね。ありがとうございます。

     今日から熱田神宮について長々と書き始めましたので、お時間のあるときにでも読んでみてください。(^^;
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