
あなたがもし、ふいに神社を好きになって、いろんな神社をめぐってみたいと思ったとき、どこへ行けばいいのかを決めるためのとっかかりとなるものがいくつかある。
たとえば、その地区の一宮、二宮、三宮だったり、平安時代の「延喜式神名帳」(えんぎしき じんみょうちょう/しんめいちょう)に載っている式内社だったり、社格廃止後の別表神社(べっぴょうじんじゃ)といったあたりがまずは手がかりとなるだろう。そこへとりあえず行っておけば間違いないという定番神社だ。
しきないしゃと聞いてすぐにピンと来る人はあまり多くないかもしれない。多少なりとも神社に詳しくなれば、しきないしゃと聞けば反射的に式内社という漢字が思い浮かぶようになる。
「延喜式神名帳」というのは、927年にまとめられた神社の一覧表のことで(施行は967年)、これに載っている神社は一般的に格式の高いものとされた。
官幣大社、国幣大社、官幣小社、国幣小社があり、全部合わせて3,000社ほどだった。当時すでにあって「神名帳」に載っていないものは式外社となるのだけど、その中で六国史(りっこくし/日本書紀・続日本紀・日本後紀・続日本後紀・日本文徳天皇実録・日本三代実録)に名前が出てくる神社が391あり、それを国史現在社(こくしげんざいしゃ)という。
ついでに書くと、『延喜式』というのは全50巻から成る律令制度に関する様々な取り決めなどが書かれたもので、9巻と10巻が「神名帳」になっている。
明治維新後は、式内社に代わるものとして、近代社格制度というのが制定された。
詳しく説明するととてもややこしいから省略するけど、官幣大社、国幣大社、官幣中社、国幣中社、官幣小社、国幣小社、別格官幣社とあり、その下に、府社、県社、藩社、郷社、村社と、細かく分類されていた。無社格のところもたくさんあった。
このように、昭和21年(1946年)まで、神社は国が管理していたと聞くと、意外に思った人が多いんじゃないだろうか。神社を国が管理していたと思わなかった人もいるだろうし、今でも国が管理してると思っている人もいるかもしれない。
現在は神社本庁という宗教法人が管理していて、全国の大部分の神社はこの管理下に入っている。ただし、有名どころでも、靖国神社や日光東照宮、伏見稲荷大社などのように単独の管理、運営となっているところもある。
国の管理の廃止に伴って、公的な社格は廃止され、伊勢の神宮を除くすべての神社は建前上、平等ということになっている。
ただし、それではいろいろ都合の悪いことも出てくるからということで、特別な神社として別表神社というのがある。主に人事に関して特別な決まりを設けたものなのだけど、事実上、これに載っている神社は格が高いということになる。
長い前置きで一体何の話をしてるんだと思ったかもしれない。今日は名古屋の別表神社の一つである、若宮八幡社(わかみやはちまんしゃ)を紹介しようと思って、まずはこの話から始めたのだった。
名古屋には別表神社が3つある。3つしかないと言った方がいいだろうか。熱田神宮、愛知縣護國神社、そして若宮八幡社だ。
愛知県となると、尾張国一宮の真清田神社(一宮市)、二宮の大縣神社(犬山市)、三河国一宮の砥鹿神社(豊川市)、三河国二宮の知立神社(知立市)、尾張国総社の尾張大國霊神社(国府宮神社)(稲沢市)、天王総本社の津島神社(津島市)となる。
三河国三宮の猿投神社は入っていない。別表神社と式内社が重なっていなかったりということもある。
これであなたも今日から神社通。初詣デートで神社へ行ったときなどに、さりげなく社格の歴史などを披露してみるといいかもしれない。そのネタに食いついてくる女性はあまりいないだろうし、女子がそんな話を熱く語り出したら一般男子は引くだろうけど。

若宮八幡社が名古屋の総鎮守だということを知っている人はどれくらいいるだろう。ガイドブックに書かれているのを見たことがないし、名古屋在住の人でもあまり知らないんじゃないだろうか。
そもそも若宮八幡社の存在自体が、熱田神宮などに比べたらマイナーだ。どこにあるかもあまり知られていないような気がする。
白川公園とパルコの間といえば名古屋人なら分かるだろうか。住所でいうと、矢場町になる。
若宮大通は、この若宮八幡社から名づけられている。

創建の詳しいいきさつについては伝わっていない。文武天皇(もんむてんのう)の時代というから、701年から704年の間ということになる。飛鳥時代の末期だ。
文武天皇というのは持統天皇の孫に当たる。
若宮八幡というのは、八幡宮の祭神である応神天皇の息子・仁徳天皇を祀ることから来ている。宇佐神宮、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮などにある若宮を勧請して建てた若宮八幡が全国にある。
名古屋の若宮八幡社がどこから勧請したのかは調べがつかなかった。最初はさほど重視された神社ではなかったのかもしれない。のちに名古屋城や尾張藩主との関わりが深くなったことで崇敬を集めるようになっていったのではないか。
名古屋がまだ名護野だった頃、今市場に建てられたのが始まりとされている。現在の名古屋城の三の丸に当たる。
そののちの911年に天王社(現在の那古野神社)が勧請され、隣り合っていたという。
延喜年間(901-923年)に再興され、室町時代はこの地の支配者だった斯波氏が大事にしたようだ。
古い社殿は、1533年の名護野合戦(織田と今川の争い)のときにほとんどが焼けてしまったとされ、その後、信長の父の信秀が1540年に再建している。
秀吉も、1585年に社殿の改修を行っている。このときは名古屋城はまだ建っておらず、那古野城は廃城になって久しい。当時の尾張の首府は清洲城のある清洲だった。今の名古屋城のあたりはかなり荒れていたのではないかと思われる。
ここに目を付けたのが関ヶ原のあとの家康で、1609年に名古屋城を建てるとなったとき、天王社のみを三の丸の中に取り込み、若宮八幡社は城外に出されることになった。このあたりのいきさつもよくは分からない。天王社を城内の総鎮守、若宮八幡社を城下町の氏神とした。
祭神は応神天皇と仁徳天皇、何故か武内宿禰(たけのうちのすくね)も祀られている。景行天皇から仁徳天皇まで5代の天皇に仕えたという伝説の人物だから、お仲間に入れてしまおうということになったのか。
昭和20年の空襲で社殿は焼失。江戸時代のものもなくなってしまった。
現在の社殿は昭和32年に再建されたものだ。
毎年、5月15日から16日にかけて、若宮まつりが行われる。
若宮まつりの試楽祭を撮りにいく
江戸時代、天王社の天王祭、名古屋東照宮の東照宮祭と並んで名古屋三大祭と呼ばれたひとつで、山車7両が神輿とともに、名古屋城三の丸の天王社と若宮八幡社を往復したそうだ。
現在は、唯一残った山車1両(福禄寿車)と神輿が、那古野神社との間を練り歩く。

激しい交通量の大通りから一歩入っただけとは思えないほど緑が豊かで、静かな境内だ。都会の雑音が遠ざかって聞こえない。木々が音を遮断するという効果もあるのだろう。

摂社、末社がたくさん並んでいる。祠だけというところが多い中、ここは境内社でもそれぞれが鳥居を持っていたりして、独立感が強い。
いちいち由緒などは分からない。これは若宮恵美須神社というものだ。
えびすというから、神仏習合の名残だろう。

連理稲荷大明神。
連理というのは、連理木のように途中で別れたものがもう一度つながるというような意味があって、そう思うとこれは縁結びのお稲荷さんということになるのだろうか。

こちらにもお稲荷さんがある。鳥居の別の入口かと思ったら、こちらはこちらで社がある。
連理稲荷社奥之院のようだ。

ここにも鳥居があって、5つの神社が集まってひとつになっている。
熊野社、日吉社、香良洲社、天神社、秋葉社。
香良洲社というのは馴染みがない。三重県の津市に香良洲というところがあるけど、そことの関係はあるのかないのか。
カラスということで、カラスを神の使いとした神様なのだろうか。

御衣神社。
衣の神様で、針供養まつりをすることで関係者にはちょっと知られた存在なんだとか。
もともとは海部郡立田村にあった神社のようだ。

御衣神社の社。
小さな狛犬二体がかわいらしい。

産宮住吉神社。
住吉町にあった産宮参の山車のからくり人形を収めているとのこと。

北側の鳥居。
こちらは裏通りということで雰囲気としては静かなのだけど、やけに人通りが多かった。少し東へ行くとパルコなどがある百貨店街だから、抜け道になっていたりするのだろうか。

若宮龍神社。

境内にはびっちり車がとまっている。月極駐車場でもやってるのかと思ったら、そうではないらしい。
隣が結婚式の披露宴会場になってるからその客と、一般の駐車客のようだ。
一日1,000円ということで、栄や大須で遊ぶ人がここにとめて歩いて移動するというのが知る人ぞ知る裏技なんだとか。このあたりの民間駐車場は30分250円くらいだから、長く駐車する人にしたら一日1,000円は安い。

片側4車線の若宮大通。いわゆる100m道路というやつで、日本に三本ある。一本がこの若宮大通で、名古屋にあるもう一本は久屋大通。広島にも平和大通りというのがあるそうだ。小型飛行機なら緊急着陸できるくらいの広さがある。
若宮大通が若宮八幡社から名付けられていることを知っていると、ちょっと名古屋通といえるかもしれない。
【アクセス】
・名古屋市営地下鉄鶴舞線「大須観音駅」から徒歩7分
・名古屋市営地下鉄名城線「矢場町駅」から徒歩5分
・名古屋市バス「名古屋市美術館東」から徒歩5分
・名鉄バス「矢場町」から徒歩5分
・駐車場 有料
・拝観時間 終日
若宮八幡社webサイト
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