坂本の町をぷらぷら歩いて雰囲気を味わいながら撮る<大津巡り19回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
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PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 坂本駅から日吉大社へと続く広い参道と、一歩中に入った細い路地は、昔の光景を残す味わい深い町並となっている。
 穴太積みと呼ばれる石垣が連なり、たくさんの寺社が点在している。これはぜひ歩いてみなければなるまいと思わせる。
 比叡山延暦寺や日吉大社の門前町として発展し、坂本城の城下町としての顔も併せ持っている。琵琶湖畔でもあり、早くから人が住み始めた土地で、渡来人の痕跡も残る。
 滋賀県にはいくつか古い町並みがあるけど、そういうところと似ているようで似ていない。ちょっと独特の風情のようなものを感じた。
 目についたものをやたら撮っていったら、写真の枚数が多くなった。せっかく撮ったから全部出してしまおうということで、3回に分けて紹介することにしたい。これが終われば、ようやく大津シリーズも終わりが近づく。

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 日吉大社の前あたりまで来ると、かなり登っていることが分かる。遠くの琵琶湖が下の方に見える。
 このときはまだ桜が残っていた。大津シリーズが断続的にひと月以上続いていることが分かる。

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 日吉大社参道の両側には、いくつもの里坊が並んでいる。
 里坊というのは、比叡山で修行を積んだ坊さんたちの隠居所のことで、全部で50以上あるそうだ。
 ここは、観光地でもあり、寺社関係の人たちの町でもあり、同時に市民が暮らす住宅地でもある。そういう渾然一体となった感じが特有の空気感を作り出しているのだろう。

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 参道から少し入ったところには比叡山中学と比叡山高校があり、夕方の下校時には多くの学生が歩いている。初めて見る風景なのに懐かしく感じるのはどうしてだろう。大林宣彦作品に出てくる尾道のイメージが重なっているのかもしれない。

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 赤白横断幕と桜。横断幕の意味は分からない。寺の前に道路を挟んで舞台のようなものがあり、物見台が組み立てられていた。舞台で何か出し物をやって、それを見物するためのものだろうか。

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 舞台裏から撮ってみる。光と影と桜。

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 お寺だけでなく、小さな神社もたくさんある。
 地図にも載っていないようなものが多くて、帰ってきてからも調べがつかなかった。

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 これは恵光院だったか。
 里坊は一般開放していないところが多い。このあたりは観光のための寺ではなく、生活のための寺だからだろう。

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 門の外から庭の中をのぞいてみる。

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 隣の律院か、実蔵坊か、そのあたり。
 住職らしき人が外に出てきて、竹ぼうきで掃除をしていた。

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 滋賀院門跡が閉まっている時間だというのは分かっていたのだけど、前だけでも行ってみようということで、参道を南側に入っていった。
 比叡山中学の校門からして普通とは違う。

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 石畳の町並は風情があっていい。
 というのは部外者の感想で、実際に暮らすとなると不便なところも多いのかもしれない。坂の多い町だし、道は狭いし、初心者ドライバーには厳しい町だ。歩行者としても気をつけてないと、けっこう車が走ってくる。

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 このあたりの風景も雰囲気がある。桜の季節もいいけど、秋はもっとよさそうだ。雨の日もしっとりしていいのだろう。

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 小さな神社も手入れが行き届いていて気持ちがいい。神職の人が管理しているというより、近所の住人たちがお世話をしてるんじゃないだろうか。

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 石畳の道は新しそうだけど、穴太積み(あのうづみ)の石垣は古い。苔むしていて、当時のものがそのまま残っているところが多そうだ。
 渡来人の穴太衆がこの坂本に住んでいて、彼らは石積みのプロ集団だった。 
 自然の石を加工しないで積み上げる手法で、戦国時代の城造りの際、大いに活躍した。
 この地方では彦根城や近江幡山城がそうだし、信長の安土城や秀吉の大坂城も彼らによって石垣が築かれたという。
 ただ、江戸時代以降は石垣の見た目も重視されるようになり、打込み接ぎ(うちこみはぎ)や切込み接ぎ(きりこみはぎ)が主流となって、穴太積みなどの野面積み(のづらづみ)は少なくなっていった。

 坂本の町並み第1回はこれくらいにしておこう。
 次回につづく。
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