これで日吉大社に関して書き残したことはないはず<大津巡り17回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
日吉大社3-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 日吉大社第3回は、東本宮の楼門前から始まる。前回までで私が書けることについてはだいたい書いたと思う。最終回の今日は補足的な内容になる。
 まずは楼門から中に入っていくことにしよう。

日吉大社3-2

 西本宮の楼門が1586年に建てられたとほぼ分かっているのに対して、東本宮は1573年から1593年の間と、はっきりしていないらしい。
 東本宮は、西本宮に遅れること9年、1595年に建造されたという。西本宮は秀吉の再建とされているのに、こちらはそうではないようだ。あとから建てられたにも関わらず、東本宮の方が古い形式で建てているのも謎とされている。このあたりの事情はちょっとよく分からない。
 明治の神仏分離令で、どういうわけか、西本宮と東本宮の神様を入れ替えている。昭和の初期までは、東本宮は大神神社本殿と呼ばれていたそうだ。
 もともと東本宮は日枝の山の大山咋神を祀っていた方だ。現在はまた元に戻している。

日吉大社3-3

 東本宮社殿の配置も不思議な感じを受ける。
 楼門をくぐって正面に東本宮の拝殿と本殿があるのだけど、微妙にずれている。直線上に配置されていないのは何か理由があるのだろうか。
 そして、左右というか東西に樹下宮(じゅげぐう)の本殿と拝殿という位置関係になっている。これも楼門から見て左右対称の位置にない。
 このずれ具合に違和感を持ったのは私だけではないと思うけどどうだろう。A型の人などは特に気になったんじゃないか。

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 樹下宮の拝殿。宇佐宮や白山宮の拝殿と造りは似ている。
 四方に格子が入っているのはここだけの特徴だ。

日吉大社3-6

 樹下宮の本殿。 
 これも東本宮と同じ1595年に建造されたそうだ。
 他の社殿よりも装飾が派手できらびやかなのは、女の神様を祀っているからだろうか。
 前も書いたように、日吉大社の始まりは、牛尾山の神である大山咋神と、その妻である鴨玉依比売神(かもたまよりひめのかみ)の荒魂(あらみたま)だった。
 その山宮(奥宮)に対する里宮として、大山咋神の和魂(にぎたま)を祀ったのが東本宮であり、鴨玉依比売の和魂を祀ったのが樹下宮だった。
 現実問題として、参拝のたびに山登りをするのは大変だから麓の里に参拝所を設けようというのがあったというのもあるのだけど、神の怒りを静め、荒魂を和魂に変えるための祭祀を行うために里宮が必要だったというのもある。
 日本人は昔から神に二面性を見ていた。荒魂というのは神の荒っぽい部分、天変地異を起こしたり、人間に対する攻撃的な面をいう。
 それに対して和魂というのは、人に恵みを与えたり世の中を平和に保つ側面のことだ。
 神というのは畏れ敬うべき対象、つまりある種の恐怖を感じる存在という発想がある。
 更に、これは日本人特有のものだけど、悪霊や怨霊さえも神にしてしまう。恐ろしい敵でも祀って味方にしてしまえば自分たちの守り神となるという考えがある。平将門や菅原道真などがその典型だ。
 外国から入って来た神や仏もどんどん取り込んで、八百万の神というほどたくさんの神を持つようにもなった。
 昔に比べたら神への畏れというものはずいぶん弱くなっているものの、今でも完全に消えたわけではない。子供が生まれればお宮参りに行くし、超高層ビルを建てるときでも神主を呼んでお祓いをする。
 そのあたりの精神性は、外国人にとっては理解しづらいところではないだろうか。

日吉大社3-5

 東本宮の拝殿。
 拝殿、本殿ともに1595年建造。拝殿が重文で、本殿は西本宮同様、国宝指定となっている。
 実は、本殿の写真を撮り忘れたらしい。撮ったつもりだったのに、探しても見つからない。西本宮とよく似た日吉造だったのは確かなのだけど。

日吉大社3-7

 大物忌神社。
 大山咋神のお父さんの大年神を祀っている。
 東本宮の中にも小さな社がいくつかあって、全部は撮りきれなかった。

日吉大社3-8

 奥に見えているのが巌龍社で、右手前は霊石の夢妙幢。
 祇園石など、ここにはたくさんの霊石がある。石信仰といったものがもともとあったのだろうか。

日吉大社3-9

 やや気まぐれに社を撮ってみたりもした。
 これは氏神神社だったと思う。
 祭神は鴨建角身神(かもたけつぬみのかみ)。
 鴨玉依姫の父親ということで、ここの呼ばれてきたのだろう。
 主だった神の関係者が一堂に集められて祀られている。昔は、たくさんの仏も一緒にいたから、さぞかし賑やかだったことだろう。

日吉大社3-10

 これでだいたい見たと納得、満足して、東本宮をあとにした。
 右に写っているのは、猿の霊石と呼ばれるものだ。

日吉大社3-11

 東受付の外に出ると、二宮橋が架かっている。この橋は通行止めになっていて普段は渡ることができない。祭りのときなどは渡れるそうだ。
 日吉三橋はすべて秀吉の寄進で、重文指定になっている。

日吉大社3-12

 大宮川に降りて、下から走井橋を見てみる。横から見ると単純な造りで、少し頼りない。
 渡れるようになっている大宮橋は、もっと複雑でしっかりした造りになっている。日本最古の石造の橋とされている。

日吉大社3-13

 全3回で日吉大社編も終わって、長々と続いている大津シリーズもようやく終わりが見えてきた。といっても、まだ3回や4回はかかりそうだ。本編で使い切れていない写真もたくさんあるから、それらも番外編で載せておきたい。
 それでも、そろそろ終わりたいという気持ちにもなってきている。これが終わらないと、次の電車の旅へ行けない。
 そんなわけで、まだもうしばらく大津シリーズにおつき合いください。
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