日吉大社の成り立ちを把握するのに時間がかかった <大津巡り15回>

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
日吉大社1-1

PENTAX K10D+DA 16-45mm f4



 大津シリーズはまだしばらく続く予定だけど、最後の大物である日吉大社(ひよしたいしゃ)を終わらせれば、先は見えてきそうだ。行く前から、三井寺、石山寺、日吉大社がメインポイントだと思っていた。
 今回も全3回になると思う。たくさんある社殿を片っ端から撮っていったら写真が多くなった。
 だいたい、歩いた順番通りに紹介していくことになりそうだ。順路としても、西から東に回るのが自然な流れだと思う。

 終点の坂本駅からは西へ向かって10分ほど歩くことになる。更に西へ行くと比叡山延暦寺があり、延暦寺と日吉大社の関係は深い。地理的には、八王子山(牛尾山)の麓ということになる。
 日吉神社の歴史や社殿についてはいろいろややこしいことが多くて、全部説明しようとするとかえって理解しづらくなる。私も把握するのに時間がかかった。なるべく簡潔に分かりやすく書こうと思っているけど、上手くいくかどうか。
 日吉大社の歴史は、素朴な山岳信仰から始まったとされている。
 牛尾山(八王子山)の上に磐座(いわくら)があり、これが信仰の対象となっていた。つまり聖なる山として、牛尾山を信仰していたというわけだ。
 一つややこしいこととして、この山が牛尾山や八王子山、小比叡山、山王山など、いくつもの名前を持っているという点がある。牛尾宮があるから牛尾山という方が分かりやすいのだけど、現在は八王子山となっているから、とりあえずそう呼んだ方がいいか。
 比叡山は西にあるもっと大きな山で、八王子山とは別だ。のちに深く関わることになるのだけど、このときはまだ関係していない。
『古事記』には、日枝山には大山咋神(おおやまくいのかみ)がいると書かれている。日枝山というのは比叡山の昔の呼び名で、つまりは大山咋神は日枝山や牛尾山の地主神ということになる。もしくは、八王子山も広い意味では比叡の山ということになるのかもしれない。
 山頂の磐座を挟んで牛尾神社と三宮神社の奥宮があり、それぞれ大山咋神の荒魂(あらみたま)と、鴨玉依姫神(かもたまよりひめ)の荒魂を祀っている。これが日吉神社の始まりだ。
 時代的には古墳時代の終わり頃ではないかと言われている。このあたり一帯では横穴式の古墳がたくさん見つかっていて、渡来系民族との関連も指摘されている。
 このあと日吉大社がどのような変遷を辿っていったのかは、社殿の写真と一緒に少しずつ説明していくことにしよう。そのためには東本宮から見ていく方が分かりやすいのだけど、まあしょうがない。西本宮を説明しつつ、東本宮へ移っていくことにする。

日吉大社1-2

 日吉大社は、のちに比叡山延暦寺とがっちり結びついて、神仏習合の見本のような寺社へと発展していくことになる。だから、今でもところどころに寺の名残を残している。

日吉大社1-3

 このあたりの建物はよく分からないまま素通りしてしまった。
 まだ有料ゾーンに入っていない。このすぐ先に受付があって、そこで拝観料を払う。東にも受付がある。

日吉大社1-4

 日吉大社には日吉三橋と呼ばれる三つの橋があり、西受付すぐの場所には大宮橋が架かっている。
 もともとは秀吉が寄進した木橋が架かっていたそうだけど、1669年に石橋に造り替えられた。
 この時代を代表する石造桁橋ということで重文指定になっている。
 信長の比叡山焼き討ちは日吉大社にも及び、ここの社殿もことごとく燃やされてしまった。その再興に尽力したのが秀吉だった。
 幼名を日吉丸といい、猿と呼ばれた秀吉が日吉神社に特別な思い入れを持っていたからだというのだけど、ちょっと怪しい。幼名の日吉丸は後付けのエピソードで自分がそう言ってただけという説もあり、実際のところは分からない。ただ、現実に秀吉が再建に力を貸したことは確かなようだ。

日吉大社1-5

 大宮川に新緑のモミジがかかっていた。ここは紅葉の名所らしいから、秋にはきっといい雰囲気になるのだろう。

日吉大社1-6

 参道の様子。境内はかなり広い。一通り歩くだけでも30分はたっぷりかかる。
 程よい神聖さに満たされていて居心地がいい。落ち着きと品格がある。老舗の余裕というか、高尚だけど威張ってない。いい年の取り方をした大物といった感じだ。

日吉大社1-7

 日吉大社といえば、この山王鳥居が有名だ。破風鳥居などとも呼ばれ、鳥居の上に三角形の屋根のようなものを乗せているのが特徴となっている。
 他の日枝神社などでもこの形の鳥居が建っているところもある。

日吉大社1-8

 入口でもらった略地図には主だった社殿しか書かれていないから、小さいものについては分からないものが多い。全盛期は境内108社、境外108社もあったとか。

日吉大社1-9

 ここにも神の使いの馬がいて、隣には馬の守りとして猿がいる。
 神馬(しんめ)は像だけど、猿は本物で驚いた。神社で猿を飼ってるのは初めて見た。

日吉大社1-10

 神猿と書いて「まさる」と読む。魔が去るとか、勝るに通じるということで縁起がいいとされている。
 こういう神の使いの生き物はいろいろあって、有名なところでは春日大社の鹿や、伊勢神宮の鶏などがいる。天満宮の牛や、稲荷神社の狐もそうだし、八咫烏(やたがらす)などもそうだ。それらを、神使(しんし)という。
 そんな使命などどこ吹く風と、マサルさんたちはノミ取りに夢中なのであった。

日吉大社1-11

 参道を進むと、右手に白山宮と宇佐宮の入口がある。こちらからは入らず、まずは西本宮に挨拶を済ませるの先だろうということで、このまま進むことにする。宇佐宮などは、西本宮の横手からも行けるようになっている。

日吉大社1-12

 西本宮楼門の手前に、祇園石というものがある。少し前の写真を見ると、赤い柵で囲われているのに、このときは特にそんなものもなく、地面から半分頭を晒しているだけだった。取って付けたように小さな賽銭箱が置かれ、そこに祇園石の張り紙がある。
 山王霊石とも呼ばれるこの岩は、祇園の神である牛頭天王(ごずてんのう)が宿る磐境(いわさか)とされて、昔から神聖視されてきたらしい。
 牛頭天王はスサノオノミコトと同一視される神で、京都祇園の八坂神社や、一宮の津島神社などで祀られている。
 牛尾山(八王子山)の神・大山咋神はスサノオの孫とされているから、そのあたりの関係もありそうだ。
 ついで言うと、大山咋神のオヤジさんは大年神(おおとしのかみ)で、正月にやってくるという歳神(年神)さんは、その大年神だ。
 この石に溜まった水で目を洗うと目の病気が治るという言い伝えがあるらしい。

日吉大社1-13

 西本宮の楼門前に到着した。
 だいぶ色あせてはいるものの、立派で風格のある門だ。
 日吉大社の建物は、比叡山焼き討ちあとに再建されたもので、多くは安土桃山時代に建てられている。この楼門も、1586年くらいのものと言われている。重文指定。
 門の左右は、片方が空で、もう一方には酒樽が置かれている。神仏習合の時代は、仁王像か何かが入っていたと思うけどどうだろう。

日吉大社1-14

 門をくぐると、吹き抜けの舞殿のような拝殿があり、その奥に本殿が全身を晒して建っている。こんな造りは珍しい。本殿が守られておらず、ひどく無防備だ。普通、参拝者が近づけるのは拝殿の前までで、本殿までは近づくことはおろか、全体を見ることさえできないことが多い。こんな形式の社殿は他にあまりないんじゃないか。
 本殿の建築様式も日吉造(ひよしづくり)と呼ばれる独特のもので、屋根の庇(ひさし)が前面と両側の三面しかない。
 元になった本殿は、平安時代の初めに延暦寺の相応和尚によって造営されたもので、再建の際も同じ形式で建てられたとされている。
 これも秀吉が1586年に再建したもので、拝殿は重文、本殿は国宝に指定されている。

日吉大社1-15

 元々山の上にあった奥宮が、いつ誰によってこの地に神社として創建されたか、はっきりしたことは分かっていない。
 一説によると、天智天皇が686年に近江大津宮で即位したとき、大津宮の守護のために大和の大神神社(おおみわじんじゃ)から大己貴神(おおなむちのかみ)を勧請して、西本宮に祀ったという話がある。大己貴神は大物主神(おおものぬしのかみ)の別名ともいう。
 それとは別に、八王子山の奥宮に対する里宮として、大山咋神の和魂(にぎみたま)を祀るための東本宮と、鴨玉依姫神の和魂を祀る樹下宮(じゅげぐう)を建て、それが実質的な日吉大社の最初ともいう。
 荒魂、和魂というのは、その神様の激しい面と穏やかな面をそれぞれ別に祀るという考え方で、伊勢神宮などでもこういうふうに分かれている。
 東本宮、西本宮それぞれの成立過程についはよく分からない。別の説によると、788年に最澄が日枝山寺(のちの延暦寺)を開くときに、日吉の神を守護神として日枝山の麓に祀ったのが始まりという話もある。
 あるいは、中臣鎌足の孫で藤原不比等の長男である藤原武智麻呂(むちまろ)が社殿を造営したという説もあるようだ。
 いずれにしても、早い段階で神仏習合となっていたようで、859年に西本宮に聖真子権現(しょうしんじごんげん)を祀る宇佐宮と、菊理姫神(くくりひめのかみ)を祀る白山姫神社が建てられたことで、山王七社と呼ばれる日吉大社の基本形が完成した。
 北斗七星を重視する天台宗の教義において、七という数字は大切なもので、山王上七社の他に中七社、下七社とあわせて二十一社とし、更に煩悩の数の108社を境内、境外それぞれに抱えていた。

日吉大社1-16

 小さな社は二十一社のうちの一つだろうか。このときもメモ撮りを怠った。

日吉大社1-17

 お守り類の売店というのか何というのか。巫女さんが受付をしていた。
 基本的に巫女という職業はない。女性の神職の人が巫女の姿をしてたら、それは職業巫女と呼べるだろうけど、巫女という資格はない。だから、巫女の恰好をすれば誰でも巫女さんになれると言ってもいいかもしれない。巫女募集という求人広告もたまにあるらしい。正月のバイトはよくある。

 日吉神宮の成り立ちに関する説明はまだ途中でモヤモヤした気持ちは残るのだけど、写真も多くなって、長くもなってきたので、今日のところはここまでとしたい。
 この続きは、2回目、3回目で書くことにしよう。
 つづく。
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