高針高牟神社で7プラスアルファの名東区神社巡り完結 - 現身日和 【うつせみびより】

高針高牟神社で7プラスアルファの名東区神社巡り完結

高牟神社入り口前




 名東区の神社巡りシリーズ最後は、高牟神社(たかむじんじゃ)となった。
 他にも平和ヶ丘神社や、この近くの高帝龍王神もあるのだけど、主だったところということでは高牟神社を最終回としていいと思う。他の神社は番外編として紹介することにしたい。
 さて、高牟神社なのだけど、名古屋には3つの高牟神社がある。一番有名なのは千種区にあるもので、かつて一度行ったことがある。もう一つは守山区の瀬古にあって、それは以前にこのブログで書いた。
 千種区にあるものは物部氏(もののべうじ)との関連が指摘されている。近くには物部神社もある。
 高牟の「牟」は古代の武器である鉾(ほこ)のことで、高は修飾語といたような意味とか。
 物部氏は、古代天皇家と同じくらい古い一族で、武器の製造、管理を担当する有力軍事氏族だったといわれている。尾張にいた物部一族の武器庫だったところに建てた神社が高牟神社という説がある。
 ついでだから、物部氏について少し書いておこう。
 日本史の教科書でお馴染みなのは、物部守屋(もののべのもりや)だ。主に戦関連担当の有力氏族だった物部氏と、それに次ぐ地位で主に政治を担当した大臣(おおおみ)の蘇我氏(そがのうじ)と対立して、物部守屋と蘇我馬子が争ったというのを習ったのを覚えている人もいると思う。
 同じく大連だった大伴氏が力をなくしたあと、政治は二極体制となる。
 伝来した仏教を認めたくない物部氏と、仏教を広めたい蘇我氏とで争いとなり、最終的には蘇我氏が勝利をおさめて、物部氏は没落していくことになる(仏教はただの名目で、単なる勢力争いだったという話もある)。蘇我氏一派には若き日の聖徳太子(厩戸皇子)もいた。この戦いに勝ったら建立すると約束して建てたのが難波の四天王寺だ。
 この後、政治は蘇我氏の独占状態となり、馬子、蝦夷、入鹿三代に渡ってやりたい放題となり、それに我慢できなくなった中大兄皇子や中臣鎌足たちが起こしたクーデターが大化の改新だった。というのが表向きの話で、裏側はもっと複雑だったに違いない。
 話を物部氏に戻すと、天皇家よりも前に天降ったとされる饒速日命(ニギハヤヒノミコト)を始祖とする氏族で、天皇家ともごく近いところにいたとされている。初期においては、天皇家に取って代わってもおかしくないほど勢力を持っていたらしい。そのあたりは、『日本書紀』などでも曖昧にされている部分で、よく分かっていない。
 6世紀前半には大連としての地位を確立していたようだ。
 蘇我氏との争いに敗れて、いったんは散りぢりになったものの、672年の壬申の乱のとき、物部雄君(もののべのおきみ)が天武天皇側で活躍したことで復活を遂げることになる。
 朝臣の姓をもらい、やがて名を改めて石上朝臣となった。
 こののち物部氏を名乗る一族がたくさん現れるようになり、全国に足跡を残すことになった。尾張の物部氏もその一族ということになるのだろうか。この地方には有力豪族の尾張氏もいたわけで、そのあたりでも対立はあったと考えられる。



高牟神社境内

 鳥居から一歩足を踏み入れたときの感じとしては、気が張り詰めているというほどでもなく、でもそれなりに静けさもあって、落ち着きがあるといったものだった。何か過剰な雰囲気は感じられない。もう少し深閑とした空気感を想像していたら、それほどでもなかった。



高牟神社鳥居と拝殿

 二の鳥居から見た拝殿。
 参道は斜めになって途中で折れているものの、社殿は普通に南向きだ。



高牟神社授与所

 右側は普段閉まっている授与所。
 境内は広くもなく、狭くもない。江戸時代には250メートル×150メートルほどあったという。
 社殿は平成8年(1996年)に再建されたものだそうだ。



高牟神社西日を浴びる拝殿

 創建年はよく分かっていないようだ。
 他の二つは式内社ということで平安時代にはすでにあったもので、ここはもともと八幡神宮だったということなので、二つとは別系統の神社かもしれない。物部氏とは関係ない可能性もある。
 祭神は八幡神宮だから誉田別尊(ホムタワケノミコト・応神天皇)だ。これがもし物部氏が建てた神社というなら、始であるウマシマジか、ニギハヤヒあたりを祀るのが筋じゃないだろうか。
 拝祀として高皇産霊神(タカミムスビ)を祀っている。これは天孫降臨のニニギノミコトから見て外祖父に当たる神だ。他の二社ではこのタカミムスビを主祭神としている。
 どうして八幡神社が高牟神社となったのか、そのあたりの経緯は調べがつかなかった。改名したのは昭和25年とのことだ。境内の案内書きには延喜式にも載っていると書かれているけど、実際のところはどうなのか。
 守山区の高牟神社はもともと天神様と呼ばれていたようだし、あちらも物部氏との関連もよく分からない。
 もう一度千種区の高牟神社へ行って、三社の関係を調べ直す必要がありそうだ。



高牟神社本殿

 ちらりと見える本殿の屋根。



高牟神社高針護国社

 隣には高針護国社が建っている。
 明治以降の戦没者などを祀っている。



高牟神社境内社

 境内社としては、白山社と神明社と、もう一つは何だっただろう。山神社とかだったか。
 かつてこのあたりに加藤勘三郎の居城だった高針城があったというのだけど、遺構は何も残っていないため、正確な位置は分からない。



高牟神社一の鳥居

 とりあえずこれで名東区の神社巡りは完結ということになった。最後に少しもたついたものの、なかなかいいペースで回れた。
 このあとは守山区と東区を中心に巡っていこうと考えている。少なさでいくと千種区の10というのが早いかもしれない。そのうちの3つくらいはもう行っている。
 守山区が17で、東区が16というのが主だったところのようだ。守山区は半分くらいはもう回っているから、こちらから終わらせてしまおうか。
 名古屋市周辺では、春日井が途中になっているし、長久手なんかは少なそうだ。
 しかし、このペースでいくと、名古屋市内だけで10年くらいかかりそうな気がする。まだ先は長い。

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「星ヶ丘駅」からバスに乗って高針口停留所下車。徒歩約7分。
 ・駐車場 不明
 ・参拝時間 終日

 高針高牟神社に再訪
 
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