人の暮らしは水と共にあることを松平郷は思い出させてくれる

施設/公園(Park)
松平郷水風景-1

PENTAX K10D+TAMRON SP 90mm f2.8 他



 心地よい空間には水がある。マイナスイオンなどという言葉を知らなかった昔から、人はそれを感覚的に知っていた。日本人は特にその傾向が強い。
 海や川の近くに住み、里に水の流れを作り、水田で稲作をした。身近にはいつも水があった。水には人の心を穏やかにする作用がある。都会人の心が殺伐としてしまうのは、身近にきれいな水の流れがないからというのもありそうだ。
 松平郷は水の流れ沿いにある山里で、その他にも小さな水路があちこちに流れている。池や湿地もある。そういう部分に心惹かれ、何枚も写真を撮った。
 松平郷シリーズ第三回は、水風景編ということでお届けします。

松平郷水風景-2

 水路はある程度人の手が加わっているのだろうけど、それでも街中の川のように人工的ではない。だから風景としての優しさがある。
 街を流れる川は、人間の都合であまりにも加工されすぎていて痛々しい。昭和に護岸工事されたところは景観などまるで考えられていない。
 これからの時代は、もう少し心に余裕を持って美観と実用の両立というテーマで工事をして欲しい。お金の問題より気持ちの問題だから、やろうと思えばできるはずだ。

松平郷水風景-3

 現在の松平東照宮が建っている場所は、かつては松平家の館があったところで、当時の石垣や堀の一部が残っている。
 規模は小さいながらも昔の面影が偲ばれる。
 城を建てて、周りを堀で囲むという発想は、日本特有のものなんじゃないだろうか。外国は高い屏で囲む。
 考えてみると、とても合理的で賢い。攻める側からすると、屏なら乗り越えるか壊せば突入できるけど、堀は泳ぐしかなくて、石垣はよじ登るしかない。これはとても危険な行為だ。
 大坂城の堀を埋め戻すという家康の発想もまたすごい。

松平郷水風景-4

 堀の周囲に植えられていたのは桜の木だったか。桜の季節には水面に映り込んで風情があるだろう。落花が堀を埋め尽くす風景も見てみたい。

松平郷水風景-5

 水は身も心も清める作用を持つ。
 寺社で参拝する前に手と口をすすぐという習慣は今も残っている。これも外国にはあまりないことのように思う。日本人は水との関わりが深い民族と言えそうだ。

松平郷水風景-6

 これは高月院の手水舎。
 昔は、寺社の参拝の前には、川や海に入って身を清める禊(みそぎ)というのをいちいち行っていた。伊勢神宮では、横を流れる五十鈴川にそれを行う場所が残っていて、今でも大事な神事の前には行われている。
 手水舎で手と口をすすぐのは、禊を簡略化した行為ということになる。家を出る前にシャワーを浴びたり手を洗ったりしたからいいというようなことではない。

松平郷水風景-7

 水のあるところには草や苔がある。モスグリーン好きの私としては、こういうのを見ると嬉しくなって写真を撮らずにはいられない。
 欧米人の芝生好きと、日本人の苔好きは、どこかで相通じるものがあるのかもしれない。
 中国人なんかは苔好きなんだろうか。

松平郷水風景-8

 石段にも苔がよく似合う。
 雨に濡れるとますます風情が出る。

松平郷水風景-9

 室町塀の上の瓦に苔が生えていた。長い歳月の間に少しずつ砂が溜まり、厚みが増して、そこに苔が根付いたのだろう。
 アスファルトを突き破る雑草も力強いけど、静かな苔の忍耐力にも感心する。

松平郷水風景-10

 ハスの枯れた葉が水中に沈んでいるのを見ていたら、土に描かれた不思議な幾何学模様に気がついた。これは誰がつけたのだろう。
 何かが這ってできたのか、それとも何らかの作用でできたのか。
 ちょっと不気味だけど面白い。

松平郷水風景-11

 雨の残りなのか、水を入れたのか、田んぼが西日を浴びて黄金色に光っていた。
 こういう色の贈りものというのも、里に暮らしていればこそだ。住んでいると見慣れた風景は当たり前のもので、いつしかありがたみも感じなくなってしまうものかもしれないけれど。

松平郷水風景-12

 そろそろ田起こしの季節だろうか。ここらの田植えは早いのか遅いのか。
 田んぼに水が張られて稲が植えられると、風景はまた一変する。それが青空を映したり、夕焼け色に染まったりするとまたきれいなのだ。その風景を想像すると、また5月あたりに訪れたくなる。

 松平郷シリーズは、次回が最終回になります。
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