名東区に二つの神明社あり - 現身日和 【うつせみびより】

名東区に二つの神明社あり

猪子石神明社入り口




 今日は名東区の神社巡りシリーズ第3回、二つの神明社編をお送りします。
 同じ区内に同じ名前の神社が二つあると紛らわしい。守山区には二つの八剱神社があるように、名東区には二つの神明社がある。片方を猪子石神明社、もう一方を藤森神明社と呼んで区別している。
 これは、神明社が伊勢神宮の神社であることと無関係ではない。伊勢神宮の正式名称はただの「神宮」だ。もともと神宮は伊勢のものがあっただけで、のちにあちこちに神宮が建てられるようになったので、区別するために伊勢神宮と呼んでいるに過ぎない。
 神明社(しんめいしゃ)も同じで、多くはその土地の名前が頭につけられている。神明神社(しんめいじんじゃ)、皇大神社(こうたいじんじゃ)、天祖神社(てんそじんじゃ)も同じグループの神社だ。
 伊勢神宮を総本社とする神明社系の神社は、全国に5千とも1万5千以上あるとも言われている。
 神明社の神明は、基本的に天照大神(アマテラスオオミカミ)を指す。場合によっては神そのものを指すこともある。
 神明神社は、太陽の神であり、農耕の神でもあるアマテラスを祀るため、江戸時代に入って全国で大増殖した。本来は天皇家の祖神であるアマテラスを一般庶民が祀ることは許されなかった。
 猪子石神明社や藤森神明社も例外ではなく、江戸時代以降に建てられたものだ。全国の神明社も、江戸時代以前に創建されたものは少ない。
 そんな予備知識を仕入れつつ、まずは猪子石神明社から見ていくことにしよう。



猪子石神明社鳥居と拝殿

 鳥居は大きく分けると、神明鳥居(しんめいとりい)と明神鳥居(みょうじんとりい)とに分けられる。その中で細かい分類があるわけだけど、名前の通り神明鳥居は神明社にあるタイプをいう。
 地面に対して垂直の足と、平行の笠木と貫を持つのが特徴だ。笠木というのは上の平行棒で、貫は下のものをいう。
 直線的で飾り気のない神明鳥居に対して、明神鳥居はカーブを描いた笠木や、ややハの字になった柱など、装飾的な特徴を持っている。笠木の下に島木がある二重構造になっているというのもある。
 猪子石神明社の鳥居を見ると、両方の特徴が混じった鳥居になっている。ちゃんと知った上であえてこの形にしたのか、それとも自分の好みにアレンジしてしまったのか。
 この神社自体は古いものの、建物全般は新しいから、昔の様式を守っていない可能性はある。
 拝殿や本殿も、正式の神明造(しんめいづくり)になっていないように思うけどどうだろう。神明造の正確な定義を私がよく分かっていないだけかもしれない。



拝殿横から

 874年に香流川沿いに創建されたのが猪子石神明社の始まりだという説があるようだけど、それはどうだろう。平安時代、こんなへんぴなところにアマテラスと豊受大神(伊勢神宮外宮の神様)を祭神とする神社を建てただろうか。アマテラスが一般開放されたのは、朝廷の力が弱くなった中世以降のことだ。お許しが出ないと勝手に建ててはいけなかったはずだ。
 江戸時代初期の1620年前後に、洪水を避けるために今の場所に移したというから、それが実質的な創建なんじゃないだろうか。もしそれ以前に香流川沿いに神社があったとしたら、それは神明社ではなく土地神を祀ったものだっただろう。
 1773年に村人が集まって、今の場所に移したという話もあって、それが一番確実性が高そうではある。そのとき神明社にした可能性は考えられる。
 いずれにしても、江戸時代から猪子石の氏神様であったことは間違いなさそうだ。
 現在の社殿は、昭和39年に改築されたものだ。



境内社

 本殿脇に、龍耳社(りゅうじしゃ)というのがある。耳がある龍を祀っているらしく、全国的にも珍しいそうだ。言われてみると一般的に描かれている龍には耳がない。
 説明板によると、明治の初めに碧南の畑市左衛門が弁天池で耳のある蛇を生け捕りにして、それを神として祀ったのが始まりだという。
 ヘビか。龍じゃないんだ。
 なんでも耳に御利益があるそうで、耳問題で困っている人は一度お参りしてみるといいかもしれない。
 他には、八剱社、須原社、津島社、山神社、御鍬社などの末社がある。



神明社資料館

 向かって右手には神明社資料館というものが建っている。この地方に古くから伝わる馬具や棒の手の武具などを所蔵していて、毎月第一日曜日の午後3時から午後4時まで、正月三が日、秋祭りの日などに一般公開されているそうだ。
 すぐ西には月心寺があって、猪子石神明社とあわせて、室町時代にここに猪子石城があったと伝わっている。
 天白の植田城城主だった横地秀綱の子孫、横地秀次が築城したとされる城で、小牧長久手の戦いに池田勢として参戦して戦に負けて、城を捨てて美濃の方に逃げていってしまったらしい。城は徳川勢に焼かれて廃城になったという。
 遺構は何も残っておらず、当時の面影を偲ばせるものもない。



石碑

 寄進者の八百政は、友人のうちで、少し前までスーパーマーケットをしていた。昭和39年の改築のときに、神明社の石柱を寄進したらしい。年代からすると彼の祖父だろう。

【アクセス】
 ・名鉄バス「引山バス停」から徒歩約5分。
 ・名鉄瀬戸線「喜多山駅」から徒歩約45分。地下鉄「上社駅」から徒歩約50分。
 ・無料駐車場 あり(神社裏手)
 ・拝観時間 終日



藤森神明社入り口

 所変わって、こちらは藤森の神明社。
 町名でいうと、藤森より東の本郷1丁目となる。本郷公園のすぐ北側だ。
 一の鳥居からずいぶん奥へ進んだ高台にある。以前はここより西の低いところにあったそうで、そのときに藤森神明社と呼ばれているのだろう。
 鳥居は素朴な神明鳥居の様式だ。
 ここも創建年ははっきりしていない。境内には「和尓良以神旧墟」という石碑があるから、前に紹介した和示良神社と関係があるようだ。



境内を進む

 民家の脇の抜け道を通るようにして社殿のある方に進む。映画館で映画が始まったと思ったら、まだ予告編だったときみたいな感じがした。まだここは神明社が始まっているようで始まっていない。
 このあたりの区画整理もよく分からない。道は東西南北に伸びていなくて、曲がったりくねったりしていて、きちんと整理されていない。こんなところまで入って来たことがなかったから、方向感覚がよく分からなかった。



拝殿前

 ようやく拝殿前に到着した。二の鳥居をくぐったところから本番で、すぐにクライマックスとなる。それ以上はない。社殿のある境内は広くない。
 拝殿は一応神明造といえばそうか。ここの社殿は昭和45年に新造されたものということで、新しい。
 藤森の神明社については、猪子石以上に情報が少なくて、ほとんど調べがつかなかった。本格的に知りたければ、名東図書館へ行って調べる必要がある。それでもどれだけ資料があるかどうか。
 本郷、藤ヶ丘、豊ヶ丘あたりの氏神様ということだ。創建は江戸時代だろう。



英霊社

 神明社に英霊社はつきものなのだろうか。猪子石神明社にもあった。
 第二次大戦の英霊を祀るのは、天皇家のアマテラスだから、ということか。



高台からの眺め

 高台にあるから、東山方面を見渡すことができる。
 このあたりは曲がりくねった道に加えて、坂が多いところだ。



藤森城跡

 南の本郷公園から神明社にかけての場所に、藤森城があったらしい。正確な場所は定かではなく、城主とされる小関三五郎は、少し西の石ヶ根に居を構えたというから、城はそっちにあったのかもしれない。
 小関三五郎も池田方についた武将で、猪子石城の横地秀次とは逆に、戦に敗れてこの地に落ちのびてきて土着した。
 ここで再起を果たそうとしたものの、戦の傷もあり、家臣も去り、やがて命を落とし、藤森城も廃城となったとされる。

【アクセス】
 ・地下鉄「本郷駅」から徒歩約10分。
 ・駐車場 たぶん無し
 ・拝観時間 終日

 名東区の神社巡りシリーズも、次回からは後半に入る。日吉神社二つの貴船社高牟神社などを残すのみとなった。
 貴船社などは、織田信長の家臣だった柴田勝家ゆかりの場所ということで、そちらと絡めて紹介しようと思っている。
 
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