猪子石の地名の元となった二つの石を訪ねる 名東区神社第2回 - 現身日和 【うつせみびより】

猪子石の地名の元となった二つの石を訪ねる 名東区神社第2回

猪子石の神社-1

Canon EOS 30D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 来年は亥年だから、猪子石も少しは脚光を浴びるかもしれない、そんなことをぼんやり考えていたのは、2006年の暮れだった。それがいつの間にか2007年が過ぎ、2008年も終わって、今はもう2009年となっている。今年の干支って何だっけ? すでに忘れてしまった。ああ、そうか、丑年だ。今年は天満宮の年だ。2006年は戌年で伊奴神社(いぬじんじゃ)へ行ったんだった。2008年の子年は、ネズミ関係のところへは行っていない。
 猪子石には地名の元となった猪の石があるという話は前から聞いて知っていた。ただ、それがどこにあってどんなものなのかはほとんど知らずにいた。
 今回、二つセットで回ってきたから、名東区の神社巡りシリーズ第2弾ということで紹介しよう。
 まず最初に行ったのは、牡石(おいし)のある猪子石神社だった。
 しかし、これがなかなか見つけられずに苦労した。神社というから、いくら小さいものでも近くに行けば分かるだろうと軽く考えていたら、地図に載っているはずの場所に行っても見つからない。奥まった住宅地の狭い一方通行に手こずりながら何周も回ってしまった。もう一周同じところを回ったら不審車両として通報されていたかもしれない。
 上の写真のように、神社と名前はついてはいるけど、鳥居もなく、一般的な神社をイメージしていくと見つけられない。民家と民家の間にちょっとした高台があって、その上に石が祀られている。こんなふうになっているとは思ってなかった。
 場所は地元の人にも説明するのは難しい。猪子石西原の交差点を南へ進んで、三本目の一方通行を左折してしばらく進んだ左側にある。駐車場はないから、前の路上に少しとめさせてもらうしかない。

猪子石の神社-2

 いつからこの石がここにあったのかは、よく分かっていない。地名の元になったくらいだから、それほど最近のことではない。少なくとも江戸時代よりは前だろうし、もしかするともっとずっと昔なのかもしれない。室町時代には猪子石城というのもあったというから、その頃には地名として定着していたのだろう。
 江戸時代に書かれた『尾張名所図会』にも猪子石は載っているから、地元ではちょっと知られた存在だったようだ。
 名東区に花崗岩はないということで、どこか他から運ばれてきたものではないかと言われている。ただ置かれているだけではなく半分以上が土に埋まっている。元々そうだったのか、いつの間にかそうなってしまったのかも分からない。一説によると、古墳の石として運び込まれたものではないという。
 猪に似た石があると評判になり、農村の亥の子信仰と結びついて地名となったという。村人たちがそれを大事にして、そのうち神社となっていったというのが経緯のようだ。いつ猪子石神社となったのかは、調べがつかなかった。昭和に入ってからだろか。

猪子石の神社-3

 猪に似ているかどうかは各自の判断となる。むしろ、水に浮いているコビトカバの背中のようだ。
 出ている部分で1.5メートルくらいだろうか。実際の大きさはこの倍なのか、3倍なのか、なんとも予測はつかない。
 触るだけでタタリがあるという話もあるから、掘り返すなどもってのほかだ。
 ときどき、うなり声を発するというので、別名うなり石ともいう。
 日本人は古来から、善玉も悪玉も神様として祀ってしまって、力を抑えたり借りたりしてきた。怨霊となった霊をしずめるために神田明神や天満宮を建てられた。天皇や日本神話の登場人物たちもそうだ。
 この石も、もしかしたら恐れられて祀られたのかもしれない。猪というのは悪いイメージの生き物ではないけど。

猪子石の神社-4

 次に大石神社へとやって来た。ここもまた見つけづらいところだった。
 一回目で紹介した和示良神社と、猪子石神社と、大石神社は、南北ほぼ直線上に並んでいる。偶然なのか故意なのか、エネルギーの流れとしてはよさそうだ。
 このあたりも一方通行ばかりで行きたい方向に進めず、なかなか辿り着けなかった。猪子石公園の西なのだけど、公園の中にあると思い違いをしていて見つけられなかったというのもあった。
 ちょうど新聞配達をしている人がいたので訊ねたところ、最初は分からないと言われて戸惑った。そんなに知られていない存在なのかと。けど、猪子石の石があるところと言ったらすぐに分かった。ああ、あそこですよと指を指した先が写真の場所だった。大石神社という名前では知られていないようだ。
 ただ、先客が一人いて、ちょっと驚いた。それは私のような観光気分ではなく、ちゃんとお参りに来ている人だったから、それなりに神社として認知されてはいるようだ。

猪子石の神社-5

 隣の猪子石公園。大石神社も神社らしいたたずまいのところではなく、車も公園の周囲にとめることとなる。駐禁パトロールの自転車の人たちがいたので、ぐるぐる回ってやりすごす。
 ここも場所の説明が難しい。京命の交差点を左方向に進んで、山の手1交差点を左折して、すぐの一方通行を左に入ると、道路の右側に車をとめることになってしまう。京命の一本手前の道(北)を左に入って、二本目を右折した方がいい。それだと公園の西側にとめておける。そちらから行くと、大石神社は右手ということになる。

猪子石の神社-6

 ここも高台になっている。けど、昔は更に10メートルも高いところにあったというから、このあたりの小山をごっそり削ってしまったということのようだ。周囲はすっかり住宅地になっている。
 大石神社も、猪子石神社と同じような経緯を辿って成立したらしい。当時から二つ対として考えられていたのだろう。

猪子石の神社-7

 石の感じは全然違う。こちらは礫岩(れきがん)だ。
 これも唐突にここに転がっているというのも不自然だから、誰かが運んできたものなのではないか。
 こちらの方がゴツゴツして男っぽいけど、牝石(めいし)ということになっている。表面にたくさんついている小石を子供に見立てて、お母さん岩としたようだ。
 ある日、出産間近の女性がやって来て、この石にお願いしたところ無事に出産ができたというのが評判となり、猪は多産ということもあって、やがて安産祈願の石として祀られるようになったのだという。昔は石の前に鳥居もあったようだ。
 猪子石神社の牡石は触れてはいけなくて、こちらの牝石は安産祈願で触れてもいいということになっている。

猪子石の神社-8

 脇にはいろいろな石碑が建っている。このへんの経緯やいわれも、よく分からずじまいだった。
 ところで、猪子石の読みなのだけど、これは名古屋の難読地名のひとつとされているもので、読めそうで読めない。どう読むかは、名古屋人の間でも分かれる。
 公的には「いのこいし」となっているものの、このあたりの人はたいてい「いのこし」と言う。固有名詞も、いのこしだったり、いのこいしだったりする。隣町の猪子石西原は、はっきり「いのこしにしはら」だ。別に大した問題ではないけど、気になるといえば気になるところだ。「いのこし」で変換しても猪子石は出てこない。
 江戸時代の猪子石村はどっちで呼んでいたのだろう。
 明治になると、藤森村と猪子石原村と合併して猪子石村となり、高社村と合併して猪高村となった。猪高も、「いたか」なのか「いだか」なのかはっきりしない地名だ。
 戦後、猪高村は千種区に編入され、昭和50年に千種区から独立したのは、猪高村地区だった。

 名東区の神社や地名の元となった石を見てきて、だいぶ名東区の成り立ちが分かってきた。あれから調べてみると、名東区には主だった神社が7つほどしかないことが判明した。もう少しあると思ったから意外だ。案外すぐに終わってしまいそうだ。
 次回は、二つの神明社編を予定している。
関連記事ページ
コメント
非公開コメント

トラックバック

https://utusemibiyori.com/tb.php/1328-a220c25c