超復活した渋川神社再訪で尾張旭神社シリーズは完結<第7弾>

神社仏閣(Shrines and temples)
渋川神社外観

Canon EOS D60+TAMRON 17-50mm f2.8



 渋川神社から始まった尾張旭の神社巡りは、復活した渋川神社で終わる。
「急な思いつきで始まった尾張旭神社仏閣巡りの旅第一弾は渋川神社」
 ただの復活ではない、超復活を果たした。まさにこれぞ新築の神社だ。本格的な再建ということでは、1663年以来ということになるのだろうか。
 火事で焼けたのが平成14年(2002年)。社殿再建までに6年を要した。まだ完全復活ではなく、あと2年ほど工事は続くらしい。
 2007年の4月に訪れたときはまだ仮本殿で、社殿は覆いをかぶせて建てている最中だった。1年8ヶ月ぶりの再訪でここまできれいになったというのもちょっと感慨深いものがあった。流れた月日のことも思う。
 創建は景行天皇(ヤマトタケルの父)の時代というけど、それはどうだろう。即位元年でも紀元71年ということになる。
 それでも、かなり古くからある神社であることは間違いなく、「延喜式」にも載っている式内社で、尾張旭では最も格式のある神社だ。677年の天武天皇即位にあわせてこの地に移ってきたというから、それ以前にすでにあったことになる。
 渋川神社については以前にだいたい書いたので、今日は繰り返さない。再建がなった社殿の様子を写真で紹介するにとどめたい。




渋川神社鳥居

 焼ける前に撮られた写真を見ると、右手の石造りの鳥居から入った正面に拝殿や本殿があったようだ。新しい社殿は、そこから左にずれたところに建っている。鳥居も白木で新造されている。
 焼ける前の様子を知らないから、以前はどうなっていたのか、ちょっと分からない。それが残念なところだ。江戸時代前期の社殿も一度は見ておきたかった。




手水舎

 境内はけっこう広い。写真に写っている範囲で半分くらいだろうか。




新築の拝殿

 すごいピカピカだ。できたてのホヤホヤ。
 火事で焼けたのにコンクリート造りにしなかったのはよかった。
 これぞ神社本来の姿なのだということをあらためて思った。古びていれば古びているほどありがたいと思いがちだけど、どの神社もできたときはこんなふうな新築だったのだ。
 基本的に建物は新しければ新しいほどいいわけで、当時の人たちにしてみれば古い神社よりも新しくできた神社の方にありがたみを感じていたのかもしれない。




本殿

 拝殿を右手に回って本殿を写したところ。
 建築様式は当時のままなのだろうか。




斎田跡

 昔ここらは広大な田んぼが広がっていて、その中に神社がポツンとあるような状態だったという。
 天武天皇と直接関わりがあったのかどうかは分からないけど、天武天皇のための田んぼを特別に作って、そこで穫れた米を天皇に献上していたらしい。その斎田跡が少し離れたところにあって、区画整理で取り壊されることになったので、石碑だけをここに移してきたのだそうだ。
 写真の場所が、元の社殿が建っていた場所のようにも思う。




渋川稲荷社

 稲荷社や鳥居は焼けていないんじゃないだろうか。こちらは古い雰囲気がそのまま残っている。
 鳥居の前には門松が置かれていた。




狐

 狐さんの像も歴史を感じさせる。向かって左手の狐は耳が欠けていた。




渋川神社再び-9

 境内の摂社や末社。
 八幡社や八剣社、忌名社などがある。これらも全部新調されていた。
 本殿の祭神は、大年大神のようだ。スサノオの子供で、穀物の神様ということらしい。
 渋川神社の名前の由来はよく分からなかった。ネットで検索すると、尾張旭と大阪八尾市にあるものと、二つしか出てこない。そのふたつはたぶん、直接的な関係はないと思われる。




社務所

 社務所のような、事務所のような、集会場のような、この建物は何だろう。神社の社殿なのか、違うものなのか。

 一年8ヶ月かけて、ようやく尾張旭の神社巡りを終えることができた。たった8つだったのに。ん? 8つ? と、ここで疑問がわいた。最初は全部で9つと言っていたはずだ。でも、数えてみると8つにしかならない。
 もう一度調べてみると、何やら小さな社のようなものが桜ヶ丘町西にあるらしい。地図には載っていない。ネットでもあやふやな情報しかない。本当にあるんだろうか。あるとすれば、まだ完結ではないということになる。せっかくすっきりした気持ちで年を越せると思ったのに、モヤモヤが残った。来年に持ち越しとなってしまいそうだ。
 ただ、主だったところは8つすべて回ったから、一応これでよしとしたい。神社は他の街にもまだまだたくさんある。立ち止まってはいられない。まずは地元の守山区を回っていって、その後、名東区、長久手町などに足を伸ばしていきたい。春日井も途中まで進んでいる。
 
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コメント
  • 2010/08/25 01:51
    郷里の神社です。お祭りで巫女に選ばれて、本殿で舞を舞ったことも。
    焼失する前の本殿は、正面向かって右、石づくりの鳥居をくぐると
    ちょうどお参りできる位置にありました。
    正面から見ると社務所が敷地の左端にあり、真ん中は広く空いていて
    私たち子どもはよくそこで遊んだものです。
    社務所の裏手にも小さい公園があって、そこで遊んでいたときに、
    公園脇のアパートの、お風呂場の窓が開いていて、
    見事な刺青の背中を見たなあ…とか、ふしぎな思い出。
    (たしか、そのアパートも、後に出火して焼け落ちていたような。)
    神社の隣にあった、消防の半鐘はまだ現役かな。
    懐かしくて、つい書き込ませていただきました。
  • 変わりゆく尾張旭
    2010/08/25 20:53
    ★みやびさん

     こんにちは。
     こちらの出身の方ですか。
     私は名古屋ですが、尾張旭が好きで、このあたりもしょっちゅう行ってます。
     焼ける前の渋川神社を見たことがなかったのが残念でした。古い本殿も残っていたんですよね。
     昭和の頃は、そんな牧歌的な風景も残っていたんですか。
     今は周囲も新しい住宅地になって、以前とは変わってしまったかもしれないですね。
  • 2011/09/18 19:13
    こんにちは。
    渋川神社の小学生巫女をやらせてもらっているくりーです
    事務所のような建物は、私たち小学生巫女が普段練習したり、本番の日に着替えたり・・・そういう建物です。
    来月お祭りで私たちが舞をやりますから、良かったら来てくださいね^^
  • 渋川さん
    2011/09/19 00:52
    >くりーさん

     はじめまして。
     コメントありがとうございます。
     渋川神社で巫女さんやってるんですか。
     それはご苦労さまです。
     あの建物のこと、教えていただいてありがとうございます。(^^)
     渋川さんの神事は、棒の手がある10月9日(日)でしょうか。
     その日なら、行きたいと思ってます。
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