尾張旭の神社巡り第6弾で9つ制覇するもまだ完結に至らず

神社仏閣(Shrines and temples)
尾張旭神社6-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 尾張旭の神社巡りは、2007年4月の渋川神社から始まった。あれから一年半以上の月日が流れて、ようやく11月に9つ全部回ることができた。そしては今はもう12月。なんだかんだで残り2つについて書くのが先送りになって、現在に至る。回れば終わりじゃない。復習として調べ物をして、書いたところで完結となる。
 ただ、今日紹介する山ノ神神社と白山神社について書くことはあまりない。ネットで調べてもほとんど情報がなくて、祭神さえ分からなかった。縁起や由緒も調べがついていない。尾張旭の図書館に行けば、郷土史の資料などはあるだろうから、そのうち機会があれば調べてこようと思っている。今日のところは写真を載せて、こんな雰囲気の神社ですよという紹介にとどまる。
 そういえば神社仏閣ネタはちょっと久しぶりじゃないか。小牧山の番外編のとき以来だ。

尾張旭神社6-2

 これが山ノ神神社のほぼ全景だ。あまり広くないものの、奥行きはある。
 場所は、三郷小学校の裏手で、かなり入り込んだところなので、用事がない人が偶然この神社にたどり着く可能性は低い。偶然見つけたとしたら、それは山ノ神が呼んだのだろう。私は一度見つけられず、出直した二度目でようやく発見できた。

尾張旭神社6-3

 こぢんまりとした本殿ながら、わりと小綺麗でさっぱりしている。社殿は新しそうだ。
 山ノ神神社という名前の神社は全国にいくつかあるようだ。名前からして、地元の山の神様を祀っているのだろうけど、どうして尾張旭の三郷あたりで山の神様を祀っているのかよく分からない。このあたりには山などない。一番近い山というと守山区の東谷山だろうか。あの山は昔から神聖な山ではあるけど、直線距離にして6キロ以上離れている。あえてここに山の神を祀る理由は見あたらない。
 どこかよそから移ってきた可能性はある。

尾張旭神社6-4

 脇に御嶽神社もあった。ということは、本殿も御嶽山信仰と関係があるのだろうか。

尾張旭神社6-5

 表に近いところには、縣ノ神(あがたのかみ)の石碑がある。
 これは横に説明書きがあったので、経緯が少し分かった。
 昔このあたりは瀬戸川と呼ばれる地区で、今の三郷小学校の南西に「あがた木の森」という小さな森があったという。「あがたぬし」という人がこの森にやってきて村の先祖となり、村人はみんな森の木を大事にしたのだそうだ。いつからかその木を神様のようにあがめるようになり、その木の神様を「縣ノ神」として石碑にしてここに移してきたのだそうだ。
 今はもう森などは残っていない。尾張旭も戦後、名古屋のベッドタウンとして急速に宅地開発が進んだ街だ。

尾張旭神社6-6

 三郷小学校の南西に、瀬戸川城跡の石碑が建っている。
 この近くの井田城の城主だった浅井玄藩允の弟・浅井源四郎が1470年代に築城したとされる城だ。
 織田信長が生まれる60年以上前のことだから、詳しいことは分かっていない。
 発掘調査で、約55メートル四方の土塁で囲まれた城だったことが分かったそうだ。深さ1.8メートルの堀もあったというから、戦闘を想定した本格的な城だったようだ。

尾張旭神社6-7

 次に白山神社へとやってきた。山ノ神神社からまっすぐ東に500メートルほど行ったあたりにある。
 ここについてもよく分からなかった。本地ヶ原神社の前身が白山神社といったそうだけど、あちらと関係があるのかないのか。
 白山神社というからには、他の白山神社と同じく白山信仰の神社なのだろう。中部地方を中心に全国2,700社ほどがあるという。
 これまたかなり奥まったところで、周囲を木に囲まれているから、地図を見てここを目指して行かないと辿り着かない。地名でいうと、狩宿町(かりじゅくちょう)にある。
 この地名の由来は、尾張の殿様がよくここで狩りのために宿泊をしたところから来ているらしい。

尾張旭神社6-8

 ここの社殿も比較的新しい。鳥居や狛犬などは年代を感じさせるから、社殿だけ昭和になって再建したものだろうか。
 場所柄ひっそり静かではあるけど、神的な気に満ちているというほどでもない。
 このときはもう日没時間だったから、よけいに寂しく感じたということはありそうだ。夏の昼間に訪れたらもっと違う印象だったんじゃないか。

尾張旭神社6-9

 狛犬は歳月を感じさせる摩耗があって、土台は新しい。
 社殿の造りはなんでこんなスタイルになってしまったのだろう。扉というよりドアだ。

尾張旭神社6-10

 このあたりも明治以降はいろいろな神社が合祀されたのだろう。これはどこの神社か分からなかった。

尾張旭神社6-11

 神社の向かいにちょっとした歴史的建造物らしき建物が建っている。
 狩宿郷倉という村の共同倉庫のようなものらしい。
 江戸末期から明治初期にかけて建てられたもののようで、尾張旭でそういう古いものが残っているのは珍しい。

 そんなわけで、ようやく尾張旭にある9つの神社すべてを回ることができた。思いがけず長くかかってしまったものだ。
 しかしながらこれで完結というわけにはいかない。最初に行った渋川神社の再訪が残っている。あそこは去年行ったときは本殿の再建工事中で、神様も仮住まいだった。それが今年の10月に本殿が完成して、実は一度行ってきたのだけど、うっかり撮ってきた写真を全部消すという間抜けなことをしてしまって、もう一度行かなくてはいけなくなってしまった。非常に立派な社殿になっていたから、その姿を紹介して、尾張旭の神社巡りを完結としたい。
 今年中にはなんとか終わらせようと考えている。総まとめはそのときにしよう。
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