ナゴヤでもナゴノでもどっちでもいいけど那古野と名古屋に歴史あり

神社仏閣(Shrines and temples)
那古野神社-1

PENTAX K100D+PENTAX DA 16-45mm f4 ED



 今日はまず初めに、名古屋の地名の話から始めたいと思う。
 名古屋はもともと、那古野と表記していた。これでナゴヤと読んでいた。
 現在、西区の一部に那古野という地名が残っている。以前紹介した四間道(しけみち)があるあたりで、ここは「ナゴノ」となっている。
 いつから那古野という地名になったのかは、はっきりしていない。平安末期の文献にはすでに登場してるというから、かなり古くからそう呼ばれていたことは間違いなさそうだ。名護屋や浪越などの当て字が使われていたこともあるらしく、語源についても定説はないようだ。「ナゴ」が何かを表しているのではないかという説が多い。
 室町から戦国にかけて、この地は駿河の今川氏がおさめる土地だった。今川氏は尾張の守護を兼ねていて、今川の流れを汲む那古野氏が現地支配という形を取っていた。その後守護代として斯波氏がおさめるようになってからも那古野氏はそのままだったらしい。
 まだこの時期那古野城はなく、今川義元の父・氏親が尾張や美濃攻略のために柳之丸という小さな城を築いたのが始まりだった(1521年)。その当時、このあたりは葦の生い茂る荒れた湿原だったという。場所は現在の名古屋城の二の丸だったと伝えられている。
 1532年、尾張で勢力を伸ばしつつあった信長の父・信秀に城をだまし取られてしまう。このときに信秀が名前を那古野城とあらためた。
 2年後の1534年に嫡男の信長誕生。
 信長3歳のときに父の信秀は古渡城(今の東別院)に移り、信長は3歳にして城主となる。以降、信長は少年時代から新婚時代までを那古野城で過ごすことになる。
 尾張の本拠が清洲に移るのは1555年で、信長が22歳のときだった。
 その後、信秀の弟・信光が那古野城に城主となるも、1年で急死してしまう。那古野城は廃城となり、半世紀の時が流れる。
 荒れ果てていた那古野城跡に目をつけたのが江戸幕府を開いた家康だった。尾張の拠点をここに移すことに決め、九男の義直を城主とする名古屋城を築城させたのが1610年のことだ。そのあたりの経緯についてはこれまでに何度か書いた。
 城ができて以降もしばらくは那古野と名古屋が共存していたらしい。それでは紛らわしいということで、名古屋という表記に統一するように決めたのも家康だった。那古野といえば織田家、名古屋といえば徳川家という言い方もできるかもしれない。
 現在どうして那古野という地名とナゴノという読み方が残ったのかもよく分からない。江戸時代にいったん統一されたものが、どういうわけか明治になって復活してきたらしい。明治はじめ頃はナゴヤと呼んでいたものが、明治後期になるとナゴノに変化していったのだという。地元の住人がナゴノ、ナゴノと呼び習わしていたものがそのまま地名として定着したのかもしれない。
 今日紹介する那古野神社も、ナゴヤジンジャでも、ナゴノジンジャでも、どちらでもいいそうだ。どっちか決めてくれないとややこしいと思うけど、神社側がどちらも正しいというのだから仕方がない。
 また前置きが長くなった。そろそろ本編を始めよう。

那古野神社-2

 名古屋城南の高速道路が走るすぐ下にありながら、境内に一歩足を踏み入れると不思議なほど静かな空間となっている。
 創建は平安時代の中期、911年というから、今から千年以上も前にさかのぼる。津島牛頭天王社(つしまごずてんのうしゃ)を総本社とする天王社のひとつで、最初は亀尾天王社という名前だった。
 場所は現在の名古屋城の三の丸にあって、若宮八幡社と隣接していた。
 1532年に合戦で社殿を一度焼失している。その後信秀が1540年に再建した。
 名古屋城を築城する際に、家康は両方を城の外に出そうとしたところ、若宮八幡は了承を得られたものの、亀尾天王社には許可されずそのまま残ることとなった。
 それによって三の丸の取り込まれる格好となり、三之丸天王社とも呼ばれるようになる。
 このあと、あらたに三之丸東照宮が建てられることとなり(今の名古屋東照宮)、二つの神社が並ぶ格好になった。
 明治維新のときに須佐之男神社と改称し、明治9年(1876年)に名古屋鎮台が城内に置かれることになって、東照宮と一緒に現在地に引っ越した。ここは旧藩校の明倫堂があった場所だ。
 明治32年(1899年)に那古野神社と名前を変えて現在に至る。

那古野神社-3

 こういうのを熊手というのだろうか。浅草の酉の市で売られているようなものと似ている。
 神社にはよく行ってる私だけど、こういうグッズ系には弱い。祭り関係のことも知らないことだらけだ。
 祭りといえば、かつて名古屋には3つの大きな祭りがあった。亀尾天王社の天王祭と隣接する若宮八幡の若宮祭は同じ日に行われ、もうひとつは東照宮祭で名古屋三大祭りと呼ばれてた。これらが現在のなごや祭りのルーツになっている。
 天王祭と若宮祭を総称して祇園祭とも呼ばれていたそうだ。京都の八坂神社も天王信仰やスサノオを祀っているところだから、流れとしては同じものだ。
 車楽(だんじり)や見舞車10数輌が曳き出されて大変な賑わいだったという。
 それらは空襲でことごとく焼けてしまい、残ったのはわずかに車楽1輌となっている。
 現在も7月15、16日に祭りが行われている。
 桜の名所としても有名で、桜シーズンになると境内に屋台が並び、大勢の人が訪れる。

那古野神社-4

 祭神は、須佐之男神(スサノオノカミ)と奥さんの奇稲田姫神(クシナダヒメノカミ)、そして八人の王子の八柱神というところまでは、津島信仰の神様としておなじみさんだ。兵主神(ヒョウズノカミ)というのはよく知らない。滋賀県の兵主大社の他、全国に50ほど兵主神を祀っているところがあるというから、それなりに知られた神様なのだろうけど。
 スサノオなどに関しても以前津島神社などで書いたと思うから、ここでは繰り返さない。

那古野神社-5

 過剰なところはないけど、由緒正しいというか、育ちがいいといったような神社だ。威張ってはいないけど、それなりに威厳はあって、雰囲気がいい。好感が持てるという表現がぴったりくる。

那古野神社-6

 これも神社関係の建物だろうか。どういう建物なのかはよく分からなかった。

那古野神社-7

 御神木の大イチョウは立派だった。だいぶ葉は落としていたものの、太い幹や枝振りなど、風格がある。
 厄除けのイチョウということで、私も軽く触れてみた。

那古野神社-8

 お稲荷さんもある。
 たぶん、これはまだ那古野神社の境内なのだろうと思うけど、この左隣に東照宮があって、その境界線は曖昧だった。

那古野神社-9

 この金山神社は、岐阜県垂井の南宮大社から分霊してもらって、ここに建てたものだそうだ。
 金属や金物なんかの神様として、その関係の業界の人たちが参拝に訪れるらしい。

那古野神社-10

 イチョウの落ち葉に彩られていい感じ。モミジは落ち葉になるとすぐに枯れてきたなくなってしまうけど、イチョウはしばらくきれいなのが続く。

那古野神社-11

 祭りに使う山車か何かをしまってあるところだろうか。ただの物置かもしれない。

那古野神社-12

 右手には境内社が並ぶ。
 奥は社務所だろう。
 ここは結婚式も執り行っている神社だから、その関係もありそうだ。
 那古野神社の結婚式といえば、花嫁行列が名物で、ここで式を挙げたあと、近くの料亭河文まで親族揃って歩いて移動するというのが定番となっている。

那古野神社-13

 明倫堂跡の碑が建っている。
 尾張九代藩主宗睦が藩士の子弟教育のために建てた学問所で、尾張の教育に大きな影響を与えたといわれている。
 明治4年の廃藩置県で廃校になった。

 那古野神社は、名古屋城からはちょっと離れているから、名古屋城のついでに寄っていこうという人はあまり多くなさそうだ。名古屋人にとってもやや盲点となっている。私も前から一度行かなくてはと思いながらなかなか行けずにいた。
 思った以上にいい神社だったので、おすすめしたい。次は桜祭りの賑わいも見てみたい。
 明日はこの続きともいえる隣の名古屋東照宮を紹介する予定でいる。名古屋にも東照宮はあったのだ。
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コメント
  • 2009/07/30 04:02
    とても面白い内容で勉強になりました。

    陰ながら応援してます。
  • 勉強しながら
    2009/07/31 03:59
    ★いいさん

     こんにちは。
     楽しんでいただけたようでよかったです。
     私も勉強しながら楽しんで書いてます。
     またいつでも遊びに来てください。
  • No title
    2018/05/31 15:31
    教えてください
    亀尾天王社(名古屋神社)に江戸時代の絵天井および36歌仙の
    板絵があつたと竹鼻ハ剣神社に記載されていますが今現在も
    あるものかお尋ねします   (宮脇有景作)
  • 那古野神社
    2018/06/01 00:01
    >nawada muneoさん

     こんにちは。

     宮脇有景は亀尾天王社(那古野神社)の拝殿に歌仙の額を描いたようですが、那古野神社は空襲で社殿が焼けてしまったため、残っていないと思います。
     写真や資料としては残っているかもしれませんが、はっきり確認することはできませんでした。
     機会があればもう少し詳しく調べてみたいと思います。
     何か分かれば、名古屋神社ガイドの那古野神社のページに追記します。
     よろしくお願いします。
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