
Canon EOS 20D+Canon EF135mm f2.8 SF
養老シリーズ最終回は、ソフトフォーカス編での締めくくりとなる。
行く前のイメージとしては、ひなびた昭和の観光地を想像していたから、養老昭和幻想みたいな感じで撮ろうと狙っていたのだけど、行ってみると頭の中のイメージとはずいぶん違っていて、思惑通りにはいかなかった。タイトルももう考えてあったのに。
135mmという画角も、スナップ的に撮るにはちょっと苦しかった。50mmか、せめて90mmなら、もう少しイメージに近い写真になっていたと思う。ソフトフォーカスレンズの試行錯誤は続く。
滝写真も、ソフトレンズではほとんど撮れなかった。中望遠域の手ぶれ補正なしは明るい条件じゃないと厳しい。このときは夕方が近づいて、山の中にある滝には光が差していなかった。

今回ソフトレンズで撮った中ではこれが一番気に入った。なんとなく雰囲気が好きだ。ちょっとあの世の光景みたいに見えないでもない。
それにしても、養老の滝を見る人がこんなにもぞろぞろと歩いているのは驚きだった。平日の夕方に団体さんが訪れるほど人気のスポットだったのか。どこかへ行ったツアーの帰りだろうか。まさか遠方から養老の滝だけを見に来ていたわけでもあるまい。

高いところにあるリフト乗り場。万国旗という感性が昭和だ。今でも学校の運動会に万国旗は飾られているんだろうか。
私は帰りにリフトに乗ろうと思っていたのだけど、考えてみるとここは滝へ向かう乗り場だ。帰りにここに寄っても、ここはゴール地点だから何の意味もない。完全に勘違いしていた。乗るなら滝の上から乗って、ここで降りないといけないのだった。
濃尾平野を一望する風景はどんなだったんだろう。リフトの怖さ加減も気になるところではある。

このあたりが養老のいいところだ。この絵は誰に頼んで描いてもらったんだ。同じ看板があちこちに立っている。絵はまったく同じなのか、微妙に違っていたんだろうか。
この感覚はレトロだ。昭和のど真ん中と言っていい。

養老名物の一つに流しそうめんがある。養老の滝の水だか、菊水泉だかを使って、そうめんを流して食べる。これがけっこう美味しいらしい。水道水で流すよりも美味しいであろうことは想像がつく。
秋に入ったということで、店はもう営業していなかった。やはり夏の風物詩ということで、暑い時期だけなのだろう。それで商売が成り立つとも思えないから、他のことと兼用でやっているのだろうか。

お店の名残のような、民家のような、どっちとも言えない家屋の二階。光が当たって、ちょっと雰囲気があった。
手前にはもみじがあるから、紅葉の時期はもっと絵になることだろう。

田舎造りの家の一階。全体はもっといい感じだったのに、これだけしかレンズに収まらなかった。撮りたいものを離れて撮れない状況もある。
手前の花も入れてはみたものの、明暗差がきつすぎて飛んでしまった。絞りの問題もあるし、ソフトレンズの場合は、欲張っても全部は写しきれないことを知る。マクロレンズ以上にポイントを一つに絞る必要がありそうだ。

消火栓という張り紙があって、錆びた缶ががかぶせられ、使用禁止とある。禁止以前に使用できる状況にはなさそうだ。

養老みやげの定番といえば、ひょうたんと相場が決まっている。しかし、これほどもらって困るおみやげはない。使い道はないし、飾っておくには部屋とのマッチングの問題がある。特に大きいものはしまっておく場所にも困る。いまどき、腰にひょうたんをぶらさげて水筒代わりに使っている人など、見たことがない。
それでもたくさんぶら下げて売っていたから、それなりには売れるのだろうか。年配の人にとってみれば、養老といえばひょうたんというのは切っても切れない関係性にあるに違いないから、記念に一つ買っていこうかとなる。
私も昔行ったときに小さいやつを買ってもらった記憶がある。あれはもうなくしてしまったけど、どこへやったんだろう。

今回の再訪で唯一思い出した気がするおみやげ屋さん。この座敷で何か食べたのは記憶違いではないと思うのだけど、それにしてもその他のことを何も思い出せないのも釈然としなかった。子供の頃の記憶というのは、そんなにきれいに忘れてしまうものだろうか。現地へ行ってまでこれほど思い出せないとは思わなかった。養老自体はそれほど大きく様変わりしてるとも思えないのだけど。

一番下の方にあったおみやげ屋さん。ここは観光地のみやげ物屋というよりも、昭和の駄菓子屋さんの風情だった。このまま昭和50年代に移しても違和感はない。
21世紀になっても変わらない光景が残っているというのは嬉しいことだ。

俳句ポストが設置されていた。誰でも俳句を書いて、ここに投函することができる。
養老は和歌などにも力を入れているようで、あちこちに歌碑や句碑が建てられていた。詳しくは見なかったけど、万葉歌碑の他、北原白秋歌碑や芭蕉句碑などもあったようだ。

養老公園に戻ってきた。これが養老の滝のなれの果てだと思うと寂しい感じもするけど、公園内の水の造形と思えば、なかなかセンスがいい。

のぞき見えた濃尾平野の一部。どこからも木が邪魔して、一望というわけにはいかなかった。リフトからだと、もっと高いところからこの風景がパノラマで見えたはずだ。
昭和レトロな観光地をソフトフォーカスレンズで幻想的に切り取るという試みは成功しなかった。私がソフトレンズを使いこなせていないということがあるにしても、養老の滝自体が思うほどさびれていなかったという方が大きい。言葉は悪いかもしれないけど、笑えなかった。意外と普通だったし、思った以上に流行っていて驚きもした。
ただ、行っておいてよかったのは間違いない。子供の頃以来の久々の再訪は、いろいろと思うところも多かった。
養老を誰にどうオススメすればいいのかは、難しいところだ。あまり写真向きのところではない。遊びに行くといってもそんなに面白いものがあるわけでもなく、肝心の滝自体の魅力がもう一歩というのもある。養老公園全体として、のんびりしに行くにはいいところだ。私のように表面をなぞるだけではなく、家族で行って養老ランドへ入ったり、養老天命反転地を体験したり、おみやげ屋で何か食べたり、リフトにも乗れば一日楽しめそうだ。
これから行くとしたら、紅葉の時期に雨が続いて晴れた日なんかがよさそうだ。紅葉の散策路を歩いて、最後に迫力を増した滝が出迎えてくれれば、けっこう感動できるんじゃないかと思う。
私としては、また30年後とか40年後とかに、自力で歩けなくなる前にもう一回行こう。そのときは今回のことをどれくらい思い出せるだろう。