養老の立役者源丞内にまつわる寺社参拝と墓参り <養老第3回>

神社仏閣(Shrines and temples)
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Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 養老シリーズ3回目は、滝編ではなく神社仏閣編にした。そっちを先にした方が、養老の名前の由来や歴史なんかを説明しやすいから。滝については特に書くこともないから、ほとんど写真だけになると思う。
 養老公園の中には、養老寺(ようろうじ)と、養老神社がある。養老説教場というのもあるらしいのだけど、たぶん遠いだろうと思って省略した。けど、帰ってきてから分かりやすい養老公園のイラストマップを見つけて、それを見ると思ったよりも近いことが分かった。失敗したか。妙見堂というのもあるし、大菩提寺というのもあった。やっぱり事前の下調べは大切だ。ただ、それらを回っていたら、津屋川の彼岸花は完全に間に合ってないから、今回はしょうがいないところだったとも言える。
 そんなわけで、今日は養老寺と養老神社について紹介したい。

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 ここらは水には事欠かないから、手水舎もきれいな水が流れていた。水道水ではなく、そこらから湧き水でも引っ張ってきてるのだろうと思う。こういうところで手を洗うのは気持ちいい。柄杓(ひしゃく)が金属製でちょっと情緒を欠いたけど。

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 境内は狭く、半分は幼稚園の運動場として占領されている。堂から離れて写真を撮ろうとすると、必然的に幼稚園の敷地に入り込むこととなる。柵などはないから入ってもいいのだろうとは思うけど、お遊戯中だったりすると、写真を撮りづらい。幼稚園児たちに囲まれてお寺の写真を撮っている男の図は明らかに変だ。
 堂が二つ並んでいて、左の不動明王という提灯が下がっている方が不動堂で、右手の方が本堂のようだ。その右にも建物があって、そちらは半分ブルーシートがかぶせられていて朽ち果てそうになっていた。このお寺自体、相当痛みが激しくてこのままでは長くは持たない感じだ。
 不動堂に安置されているのが、高さ97センチの滝守不動明王立像で、岐阜県の指定文化財になっている。
 やはり滝といえば不動明王がつきもので、養老山麓がかつては修行の場だったことを物語っている。昔は不動堂養老寺と称していたという。
 創建は奈良時代で、養老の滝伝説の主人公、源丞内が開いたとされている。
 もともとは法相宗で、創建時はここから南東1キロほどのことろにあったそうだ。当時は養老寺や養老の滝を中心とした養老山地が法相宗の修業地となり、広大な境内に多くの伽藍が建っていたそうだ。それらの伽藍は、織田信長の兵火でことごとく焼失してしまったらしい。
 安土桃山時代に、伊藤祐盛という人物がこの地に寺を移し、江戸時代に入った1607年に美濃国高須藩藩主徳永寿昌の援助で本堂が再建されて、浄土真宗に改宗された。

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 本堂の方もかなり年季が入っている。見ている分には古めかしくていい。
 本尊の十一面千手観世音菩薩は、国の重要文化財だから、本堂ではなく宝物庫にしまわれているのかもしれない。鎌倉時代の作とされるもので、兵火で寺が焼かれたとき養老の滝に隠して難を逃れたという話もある。
 この寺は不老長寿に御利益があるというので、昔から大勢の参拝客が訪れたという。

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 小さいながらも頑丈そうな宝物庫がある。徳川家康が寄贈したという鎌倉時代の太刀や、平安時代の太刀などの重要文化財を所蔵している。
 こんなところで信長や家康の名前が出てくるとは思わなかった。

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 お寺の横には、孝子源丞内の墓がある。養老一の有名人のお墓にしては、こぢんまりとして、少し荒れているような印象も受けた。

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 養老神社は、リフト乗り場近くの、少し奥まったところにある。散策路を普通に歩いていると見落としてしまうかもしれない。
 入り口からしてなかなかいい雰囲気だった。階段を登った上に本殿がある。

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 神社の境内にある菊水泉から、滔々と水が流れ落ちてきている。みんなここへ水を汲みに来るようだ。近所だったら、ミネラルウォーターを店で買う必要もなく、もらいたい放題だ。
 この水を飲んだ全員が若返って不老長寿になってしまったら、それはすごく困るけど。

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 この神社に関しては、はっきりしたことはよく分からなかった。創建の時期は不明ながら、ここも源丞内ゆかりの神社だそうだから、始まりは奈良時代ということになるだろうか。平安時代の美濃国神明帳には養老明神と出ているそうだ。
 どういういきさつがあったのか、1504年には菅原道真を合祀して養老天神に改称されている。
 その後、明治に入って、近くにあった元正天皇・聖武天皇祭場を移転して合祀し、そのとき養老神社となった。
 もともとは、菊理姫(菊理媛神)を祀った神社だったという話もある。黄泉の国でもめたイザナギとイザナミを仲直りさせて、のちに白山神社の神となった神様だから、養老の古い山岳信仰が始まりだったとも考えられる。
 菊水泉の名前も、菊理姫から来ているのだろうか。

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 手前が拝殿で、奥の高いところに本殿がある。本殿は最近建て直されたのか、新しかった。
 すごく簡略化された木造の小屋みたいだけど、最初からこんなふうだったのか。これじゃあ、山小屋みたいではないか。まだ建てている途中だったりするのだろうか。

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 神社の境内に菊水泉はある。養老の滝伝説というと、滝の水を汲んで帰った息子が、年老いた父親に飲ませたところ酒に変わって喜ばせたというというのが一般的な話として伝わっている。ただ、実際問題として、滝から水を汲むのはとても危険で、あえて滝の水を汲み必要があったのかという疑問がある。むしろ菊水泉から汲んでいった水を飲んだ父親の病気が治ったとかの方が現実的なような気がする。
 養老山地から湧き出た水は、カルシウムやマグネシウム、カリウムなんかを豊富に含んだ天然のミネラル水だ。これを飲めば体調がよくなるということは充分に考えられる。年老いた酒好きのお父さんに無尽蔵に酒を飲ませることが親孝行とも思えない。それじゃあ、水道の蛇口から無限にジュースが出てきたらいいなと言ってる子供とあまり変わらない。
 ただ、このエピソードはまんざら作り話というわけでもなく、「続日本記」や「古今著聞集」に書かれていることだから、何らかの元エピソードはあったのだろう。ここの水がいい水で、健康や若返りに効果があるといった話が広く伝わっていたのは確かなようだ。時の元正天皇(女帝)もこの話を聞いて感心して、老いを養う若返りの水は天の恵みに違いないということで、元号を養老に改めているくらいだ。そのとき、源丞内を美濃守に任命し、この地方の税を免除したとも言われている。
 元正天皇がこの地を訪れ、菊水泉で沐浴して、痛いところが治って若返ったという伝説もあるけど、まあおそらくそれはないだろう。この水を都まで運んで、みそぎなどに使ったということはあり得る話かもしれない。

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 養老神社のもう一つの入り口。
 菊水泉の案内も出ている。菊水泉は名水百選に選ばれている。

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 養老神社を出てすぐのところに金比羅さんがあった。どうしてこんなところに。
 金刀比羅神社といえば、総本社は香川県の金刀比羅神社で、瀬戸内海の航海の安全を守る神様だ。のちに龍神と結びついて雨乞いの神となったりしつつ、今は大物主神が祭神になっている。養老とはあまり関係がない気もするのだけど、いつ誰が建てたものなんだろう。詳しいことは調べがつかなかった。

 養老公園の神社仏閣は、とりあえずこの二つを巡っておけば充分だろう。お寺と神社とワンセットになっていてちょうどいい。両方とも養老伝説の源丞内にまつわるところだから、寄っておいて損はない。菊水泉の下の方で水を飲んでおくのもいい。神社仏閣好きの人は、私が行けなかったところまで全部回ってきて欲しいと思う。
 明日はやっと滝の写真が登場する。
 つづく。
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