仏像は派手にカッコ良く、伽藍はギンギラギンにさりげなく ~日光第六回 - 現身日和 【うつせみびより】

仏像は派手にカッコ良く、伽藍はギンギラギンにさりげなく ~日光第六回

大猷院-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 昨日は大猷院(たいゆういん)の手前までだったので、今日はその続きで、中へと入っていきたい。
 輪王寺大猷院は、三代将軍家光の墓所として建てられたもので、家光廟大猷院や日光廟大猷院などとも呼ばれている。
 大猷院というのは、家光の死後、後光明天皇(ごこうみょうてんのう)がつけた法号で、廟(びょう)というのは本来祖先の霊を祀る場所という意味だったものが転じて、死者の霊を祀るところという意味で使われることが多い。だから、お墓イコール廟というのはちょっと違うのだけど、家光のお墓のある場所というのは間違いではない。
 家光の家康好きは有名で、死んだ後も東照大権現様にお仕えするという遺言を残したことから、この地が墓所として選ばれた。ちなみに、家康と家光以外の歴代将軍の墓所は、芝の増上寺か上野の寛永寺にある。
 死の翌年、四代将軍家綱の命を受けた大棟梁の平内大隅守応勝(へいのうちおおすみのかみまさかつ)が、力の限りを尽くして建てた大猷院は、江戸時代初期を代表する建築物として後世に残ることとなった。
 遺言によって東照宮より派手にしてはいけないというのがあったため、規模や細工などはやや控えめになっているものの、華麗で豪華な仕上がりになっているのは間違いない。
 造営が始まってわずか1年2ヶ月後の1652年に大猷院は完成している。

大猷院-2

 家光の霊廟に至るまでには6つの門をくぐっていくことになる。それぞれ意匠の異なる門で、どれも見応えがある。
 一番最初、入り口にあるのが一枚目の写真の仁王門だ。中では仁王さんこと金剛力士像が左右からにらみを効かせている(密迹金剛と那羅延金剛)。この像も色鮮やかでとても立派なものだ。今の時代の私たちは、色が落ちて古びているものをありがたがるけど、元々仏像というのはどれも派手に着色された鮮やかなものが多かった。当時はそれが神々しくてありがたいと感じたのだろう。現代人の目で見るとそれはちょっと安っぽく感じたりもするのだけど、もともとは極彩色だということを広く一般に知らせた方がいいんじゃないかと思う。もっと積極的に色を塗り直していったらどうだろう。

大猷院-3

 門をくぐってすぐにあったこれは何だろう。また分からない。マップを見てもこんなものは載ってない。宝庫だろうか。
 分からないから先へ進もう。

大猷院-4

 御水舎(おみずや)からしてすでに豪華な造りとなっている。こんな豪華な手水舎は他ではなかなか見られない。やっぱりみんな記念写真を撮っていた。
 屋根を支える足は御影石で、四隅に3本ずつ、合計12本ある。
 屋根は銅瓦葺で、切妻造り軒唐破風。彫りも凝ってるし、天上には狩野永真安信による龍の墨絵が描かれている。
 この石畳は神奈川県根布川から採れたもので、雨に濡れると赤色や青色に見えるんだとか。このときは小雨が降ってきていたけど、そこまで気にしてはいなかった。

大猷院-5

 階段でへばり込むおじさんたち。確かに日光は歩き回るにはしんどいところだ。二社一寺だけでもかなり広い。
 階段の上にあるのが二天門(にてんもん)で、日光山の中で一番大きな門だ。絢爛さにおいても見事なもので、パッと見たとき、わっ、すごいと思う。
 門の表側に四天王のうちの持国天(じこくてん)と広目天(こうもくてん)を安置していることから二天門と呼ばれている。

大猷院-6

 大猷院の額の字は、後水尾天皇のものだそうだ。
 この門は色彩に特徴があって、下段が朱色、中断が黒、上段は様々な色に彩色されている。こういう特徴を持った門は日光の中でこれしかない。 
 ここに神社仏閣建造物の大いなる可能性を見る。やろうと思えばいくらでも美術建築にできるものなんだと知る。江戸東京の神社仏閣もいろいろ見てきたけど、日光の建造物こそが最も江戸らしい特徴を持ったものと言えそうだ。この装飾や美意識というのは、奈良にも平安にも鎌倉にも室町にもなかったものだ。もちろん、現在にもない。

大猷院-7

 表の左側にいるのが持国天像。右には天の邪鬼を踏みつけた広目天像がいる。
 これぞ本来の仏像の姿だという見本のような一体だ。仏像はカッコよくないといけないというのは、今の私たちがメカがカッコよくないといけないというのと同じだったはずなのだ。仏教そのものが外来の文化なわけで、我々が外国文化に対して憧れを持つのと同じような感覚だったのだろうと思う。木彫りで木目むき出しの仏像などは、組み立てただけのプラモデルのようなもので、それにいかにかっこよく着色をするかを考えるのは当然のことだ。ガンプラに色を塗るように、昔の人は仏像に色を塗った。渋さや枯れた風情など求めてなかったに違いない。奈良東大寺の大仏も、当時は全身金ピカで頭は鮮やかなブルーのパンチパーマだったのだ。いや、冗談じゃなく、ホントに。 
 門の裏側には青色をした風神と、赤色の雷神がいる。こちら側を雷門と呼ぶこともある。

大猷院-8

 まだ門は続く。二天門の次は、夜叉門(やしゃもん)だ。これまた大変豪華。
 豪華といえば、左右にある鐘楼と鼓楼もすごいことになっている。ここまで豪華に飾る必要があったのかとも思えてくるし、このド派手な装飾って何かに通じるものがあるなと考えていて、帰ってきてから思いついた。そうだ、デコトラ的なんだと。日光はデコトラ野郎の聖地として、トラックドライバーは拝みに行ってもいい。相通じるものがあると思う。

大猷院-10

 向かって右手にあるのが鐘楼で、左側には鼓楼がある。写真はどっちだ。鼓楼かな。
 鐘を吊すのが鐘楼で、太鼓を納めておくのが鼓楼だ。
 鼓楼というのはもともと、中国の城内や都市、寺などにあった時を告げる建物のことで、日本では寺にあることが多い。鐘楼とセットになっていたり、単独だったりする。太鼓楼とも言う。
 江戸時代は祭りの始めに太鼓を叩いて、終わりに鐘を打ったそうだ。
 周囲には唐銅製の燈籠がたくさん並んでいる。これは10万石以上の大名から寄進されたものだ。
 それ以外にも、オランダから献上された蓮燈籠や回転燈籠、釣燈籠、朝鮮から奉納された朝鮮鐘などがある。

大猷院-9

 夜叉門もギンギラギンな装飾が施されている。
 足の柱がが8本ある八御門で、切り妻造りの軒唐破風。
 欄間、扉、壁などの彫刻は牡丹唐草で統一されていることから牡丹門とも呼ばれている。
 天上の透かし彫りは、日光彫りの原型とされている。

大猷院-11

 門の中には4体の夜叉が立っていて、それぞれの体色は東西南北を表している。
 正面左が赤の毘陀羅(びだら)、右が青の阿跋摩羅(あばつまら)、背面は白のケン陀羅(けんだら)と群青の烏摩勒伽(うまろきゃ)となっている。

大猷院-12

 扉の装飾もこの通り。品がいいんだか悪いんだか、もはや判断不能。これでもかという豪華絢爛さに圧倒されて押し切られてしまう。
 江戸初期の幕府にお金のあった時代にしか造れなかったものだ。よくぞそれが今まで残った。できた当時はもっと全部が金ピカだっただろうから、江戸の庶民が度肝を抜かれたのも分かる。日光を訪れた人は口々に結構なところだったと言ったことだろう。
 伊勢神宮や京都奈良などとは根本的に方向性が違っている。日光の独自性は他に類を見ないものだということが、訪れてみて初めて分かった。

 だいぶ写真の枚数も増えて長くなってきたので、ここまでを前半としていったん中断したい。後半はまた明日ということにしよう。
 つづく。
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コメント
非公開コメント

こんなに派手だったのですね

日光というと、その昔は中学生の修学旅行先だったので、そんなイメージが染みついて興味もありませんでした。
でも、オオタさんのレポートを拝見して、こんなに派手で独特な場所なら是非きちんと行ってみたいなぁ・・と感じています。
この色使いは、五色園に通じませんか?(笑)ちょっと違うね。

2008-08-03 18:33 | from mouming | Edit

大人になってから

★moumingさん

 こんにちは。
 私が修学旅行で日光へ行ったかどうか、moumingさん知らないですよね?(笑)
 華厳の滝を見たような気がするんだけど、気のせいかなぁ。
 日光なら当然東照宮も行って見てるはずなのに、まるで思い出せなかった。
 学生の頃なんて、いくらありがたい古い建物でも、興味ないのが普通ですよね。逆に、その頃から神社仏閣に異常に食いついてるやつは変だ(笑)。
 こういうところは大人になってからの方が楽しめるから、機会があればぜひ。

 ここの仏像と五色園を一緒にしたら、徳川家の人たちが抗議してきそうです。(^^;
 でも、桃太郎神社とはちょっと通じるものがあるかも(ない、ない)。

2008-08-05 04:33 | from オオタ | Edit

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