世界遺産の日光は二荒山神社の神橋から始まる ~日光第五回

神社仏閣(Shrines and temples)
二荒山神社-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4



 奥日光の散策を終えた我々は、日光市内のいわゆる二社一寺地区へとやってきた。世界遺産に登録されているのはこの地域で、二荒山神社、東照宮、輪王寺を中心に、神橋、本宮神社、瀧尾神社までの103棟(国宝9棟、重要文化財94棟)の建造物群ならびに境内地が指定されている。なので、中禅寺湖地域の二荒山神社や中善寺は入っていないことなる。ただし、聖地日光山ということになると、中禅寺湖も華厳の滝も全部ひっくるめてということで、神域は伊勢神宮に次ぐ広さの3,400ヘクタールに及んでいる。いろは坂が参道で、中禅寺湖も華厳の滝も境内の中にあると想像すると分かりやすいと思う。
 日光が世界遺産に登録されたのは1999年、日本における文化遺産として8番目だった。一番最初が1993年の法隆寺で、姫路城、古都京都、白川郷合掌造り、原爆ドーム、厳島神社、
古都奈良、日光、琉球王国のグスク、紀伊山地の霊場、石見銀山遺跡の11が登録されている。
 日光は思ったよりも外国人の姿が少なかった。姫路城なんて平日でもうじゃうじゃいたのに。日光は電車の乗り継ぎが難しいというのもあるかもしれない。新幹線が通っているところはやはり強い。

二荒山神社-2

 世界遺産日光は、神橋(しんきょう)から始まる。勝道上人が日光を開いたのも、この場所が始まりだった。
 勝道上人と弟子一行は導かれるように日光へとやって来て、いざ男体山に挑もうとしたものの、大谷川(だいやがわ)の急流に阻まれてそれ以上進むことができなくなってしまう。どうしたものかと困っていると、首からどくろをさげた神が現れて、我は深沙大王(じんじゃだいおう)であると名乗ったかと思うと、2匹の大蛇を出して川にかけると、それはたちまち橋となり、勝道上人たちは無事川を渡ることができたという伝説が残っている。そのとき蛇の上に山菅(やますげ)を敷いて渡ったことから、別名山菅の蛇橋(やますげのじゃばし)とも呼ばれている。
 実際この橋が架けられたのは、二荒山神社を創建するためというから、かなり古そうだ。室町時代には記録に残っているというから、その前からからもしれない。参拝者は皆この橋を渡ってお参りをした。なので、神橋は二荒山神社に属している。
 766年に勝道上人がこの地を訪れて最初に建てたのが、紫雲立寺(しうんりゅうじ)というお寺で、それはこの橋の対岸だった。翌767年には寺の隣に男体山の神を祀るための神社を建て、これが二荒山神社の始まりとなった。その場所には現在、二荒山神社別宮の本宮神社がある。紫雲立寺はのちに四本龍寺(しほんりゅうじ)と改称され、今は観音堂と三重塔のみが残っている。
 もう一つの別宮として、滝尾神社がある。ここから北に30分ほど歩いたところで、白糸の滝の奥だ。それは空海がこの地を訪れた際に女峯山の神(田心姫神命)を祀るために建立したとされている。
 現在の二荒山神社の社殿は東照宮よりも北西の奥にある。もともとあったところに建てられた本宮神社には太郎山の神(味耜高彦根命)を祀っている。日光三所、日光三社権現は、二荒山神社、本宮神社、滝尾神社のことを指し、本来はひとまとまりのものだった。明治の神仏分離令によって今の二荒山神社を形式上本社としているだけなので、東照宮も輪王寺も同じ境内にあって、ほとんど境目はない。このあたりも日光の神社仏閣を分かりづらくしている要因となっている。

二荒山神社-3

 神橋近くには、深沙大王堂(じんじゃだいおうどう)が建っている。勝道上人を助けた神を祀ったものだ。
 深沙大王は毘沙門天の化身とも、仏教教典を求めて天竺(インド)を旅した玄奘三蔵を危機から救った神ともいわれている。
 鳥居もあるから神社なのだけど、こちらは輪王寺に属している。
 神橋には橋姫神という神様が祀られていて、対岸の深沙大王と共に男女一対となって橋の守護神となっている。橋を渡る人間の安全を守ると共に縁結びの神様ともされている。

二荒山神社-4

 現在の橋は江戸時代初期1636年に架けられたときのスタイルで、明治37年(1904年)に再建されたものだ。その前に架かっていたものは別の形をしていたそうで、1902年の洪水で流されてしまった。
 平成9年から8年をかけて平成の大修理が行われ、平成17年に美しい姿を取り戻した。
 長さ28メートル、幅7.4メートル、高さは10.6メートル。
 山間の峡谷に造られたはね橋というのは珍しく、古いものとしては日本で唯一のものだそうだ。そのため、日本三大奇橋の一つとされている(残りは山口県錦帯橋と山梨県猿橋)。
 300円を払えば渡らせてくれる。払わないと渡れない。渡ると記念の橋ならぬ箸がもらえるんだとか。おみやげに箸を300円で買うつもりで渡ればいいのか。しかし、日光の寺社というのはあの手この手で小銭を出させるところだ。商魂のたくましさは鎌倉を超えてるかもしれない。京都もえげつないけど、奈良などは良心的な方だ。
 日光の基本的なコースを見学する場合は、二社一寺共通券(1,000円)でいいと思う。これで主だったところは見て回れる。しかし、東照宮の眠り猫が見たいとか、二荒山神社の神苑が見たいとかとなると、そこでは追加料金が発生する。フルコースを回ろうとすると、3,270円もかかってしまう。ちょっとしたテーマパーク並みではないか。

二荒山神社-5

 これが二荒山神社本社入り口の大鳥居だ。左へ行けば、輪王寺の大猷院 (たいゆういん)、右へ行けば東照宮。東照宮へ行くには上新道と下新道があり、上新道には銅鳥居が建っている。
 この頃から雨が降り始めて、参拝も慌ただしいものとなっていった。雨さえ降らなければもう少しいろんなところをゆっくり見られたのだけど、日光の天気が変わりやすいというのは本当だった。

二荒山神社-6

 ここにはいろいろな杉の御神木がある。3本の杉は親子杉、2本の夫婦杉などと名前がつけられていて、上の写真は縁結びの御神木だ。
 杉に楢(なら)の木がくっついたように生えて伸びているのが分かるだろうか。説明書き曰く、杉楢一緒に、すぎならいっしょに、好きなら一緒に……。
 ダジャレの栃木訛りか!
 好ぎなら一緒になるべ、といったところか。

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 石段を登り切ったところに神門(しんもん)がある。なんだかやけに新しいと思ったら、昭和57年(1982年)に、男体山山頂に奥宮が祀られてから1200年を記念して建てられたものだそうだ。同じとき、東参道には楼門(ろうもん)も建てられた。

二荒山神社-9

 立派な拝殿が建っている。この奥にある本殿はよく見えない。
 拝殿も本殿も江戸時代初期の1619年に造営されたものだ。1645年に社殿などを建て増したときにどちらも場所を少し移されている。そのとき拝殿の方は再建されているようだ。
 間口は16メートル、奥行き12メートルで、渡り廊下で唐門を通って本殿へと続いている。
 単層入母屋(たんそういりもや)の反り屋根造りで、屋根は黒漆塗りの銅瓦ぶきになっている。派手さはないけど、しっかりお金はかかっている。東照宮や輪王寺がド派手なだけに、あっちを見てからこちらに来ていたらホッとしていただろう。
 本殿は2代将軍秀忠が寄進したもので、豪華で優美な八棟造り(やつむねづくり)になっている。間口11メートル、奥行き12メートルの単層入母屋の反り屋根造り。現在の屋根は黒漆塗りの銅瓦ぶきだけど、創建当時はこけらぶき(又はひはだぶき)だったようだ。

二荒山神社-8

 この神楽殿(かぐらでん)も、明治17年(1884年)に建てられた比較的新しいものだ。
 歴史的な建造物というわけではないから、もちろん重文指定ではない。

二荒山神社-10

 二社一寺共通券では入れない特別有料ゾーン「神苑」に行く手を阻まれた。大国殿、二荒霊泉、縁結びの笹などがあるだけで200円。時間がなかったのと雨が降り出したこともあって、ここは省略した。
 二荒山神社自体は、それほど見所が多いところでもない。神苑に入らなければ、今日紹介したところですべてくらいな感じだ。あと、化燈籠というのはどこにあったんだろう。発見できなかった。暗くなって火が灯るとおばけのように見えて、刀で斬りつけたあとがいくつもついているという燈籠があるらしい。
 眼病などに霊験あらたかな霊泉をいただきたい場合は、200円出しても入る価値がありそうだ。

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 日光は杉でも有名なところで、日光市(旧今市市)の日光街道沿いの日光杉並木街道はなかなかよさそうなところだ。今回は時間がなくてそっちまでは行けなかったけど、境内の下新道もけっこういい杉並木だったので、それで満足しておいた。

二荒山神社-12

 このあと左の一番奥にある輪王寺大猷院へ先に行くことにした。奥から行って、手前に戻ってこようという作戦だ。この場合は、バスを神橋ではなく、西参道で降りた方が効率的に回れる。
 日光シリーズも、そろそろ折り返しの後半に入ってきた。輪王寺と東照宮はそれぞれ写真の枚数が多いから1回ずつでは終わりそうにないにしても、食事・おみやげ編や番外編とあわせてあと5、6回だろうか。来週は早々にまた遠出の予定もあるので、もしかすると日光シリーズはここでいったん中断ということになるかもしれない。
 二荒山神社に関しては、昨日、今日でもう終わりだ。自分の中でもだいぶ整理できたし、書こうと思っていたことはほぼ書けたと思う。行ったことがないと理解するのは難しい部分もあるかもしれないけど、今後行くときの参考になればこれ幸い。
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    2008/11/29 17:12
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  • 神橋は、奈良時代末期に勝道上人が日光産を開くときに現れた深沙王によって架けられた伝説の刎橋である。江戸時代の東照宮大造営の際、鳥居の形をした石の橋脚で補強し、いまのような朱塗りになった。国の重要文化財、世界遺産。
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    2016/08/27 13:23
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