華厳の滝のズーム連続写真と藤村操と夏目金之助先生 ~日光第三回 - 現身日和 【うつせみびより】

華厳の滝のズーム連続写真と藤村操と夏目金之助先生 ~日光第三回

華厳の滝-1

PENTAX K100D+TAMRON SP 17-35mm f2.8-4 / TAMRON 70-300mm f4-5.6 Di



 私は昔一度、華厳滝(けごんのたき)を見たことがあるような気がする。前世とかそういうことではなく、もう少し近い過去に。確か小学生か中学生のときだったとは思うのだけど、記憶が曖昧ではっきり思い出すことができない。もしかすると中学の修学旅行で東京と日光へ行ったんだっけ? 誰にともなく訊ねてみたくなる。
 それにしては東京にしろ日光にしろ、その他のことをまったく覚えてないから、やっぱり行ってないんだろうかという気にもなってくる。京都・奈良に修学旅行で行ったことは覚えている。あれが小学校とするならば、やはり中学は東京・日光だっただろうか。しかし、中学の修学旅行をそんなにも簡単に忘れてしまうものだろうか。自分の記憶力のなさが恐ろしい。
 だから今回、実際に華厳の滝を目の当たりにすれば、何か思い出すんじゃないかと期待していた。そして華厳の滝の前で私は再び考え込むこととなる。うーん、来たような来てないような。アンチ・デジャブとでも言うべき思い出せなさ。来たはずなのに来てると思えない。何かつらい思い出があって、記憶そのものが封印されているとでもいうのか。
 結局、何一つ思い出せずに終わった。周囲の景色にも見覚えがない。いつか中学の同級生に会ったら訊いてみよう。修学旅行ってどこ行ったっけ、と。まるで視界1メートルの霧の中にいるような感じだ。

華厳の滝-2

 華厳の滝を近くから見られるのは基本的に2ヶ所しかない。上の写真は無料の滝見台からの眺めで、もう一つは有料エレベーター(530円)に乗って下に降りていったところにある。今回私たちは無料のところから見るだけで終わってしまった。エレベーターは、待ち時間をあわせると30分ほどかかりそうだったので、時間の関係で断念した。そのあとのことを考えると正解だった。中善寺温泉始発のバスが1時間遅れで、その列に並んでぎりぎり乗ることができたくらいだから、1本バスを逃していたら致命的だった可能性がある。
 ただ、一ヶ所からしか撮れなかったから、華厳の滝の写真は収穫があまりない。ほとんど同じ写真ばかりで、面白くない。ズームの加減が違う写真を並べるだけになってしまう。それに、近くから撮る華厳の滝は、どうも迫力に欠ける。豪快さが写真からは伝わらない。

華厳の滝-3

 ここまで寄って撮れば、滝の水量やゴォーっと流れ落ちる感じが少しは伝わるだろうか。
 時期によって水量は変化して、毎秒1トンから3トンくらいだそうだ。1トンの衝撃でも頭蓋骨が骨折するというから、ここの滝で打たれて修行することはできない。むち打ちどこじゃ済まない。
 この日はけっこう多めだったんじゃないだろうか。一番豪快なのは台風や大雨のあとで、何十トンとかになることもあるそうだ。
 滝の高さは97メートル。あれだけ水量のある中禅寺湖の唯一の流出川である大谷川から流れ落ちる滝ということで、この豪快さを生み出している。和歌山県の那智ノ滝(なちのたき)、茨城県の袋田ノ滝(ふくろだのたき)と共に日本三大名瀑とされている。よく分からないけど、2007年には日本の地質百選にも選ばれたらしい。美しい地質の基準とは何だろう。愛知県からは鳳来寺山が選ばれた。
 日光にはこの他にも竜頭の滝や湯滝、霧降の滝など、たくさんの滝がある。滝マニアにはたまらないところだ。華厳の滝だけ見て満足してるようじゃ滝の素人だなと、彼らはきっと思ってる。滝の玄人になりたいとは思わないけど。 
 華厳の滝を発見したのは昨日も書いたように勝道上人で、華厳の滝と名づけたのも上人だったのかもしれない。大乗仏教の経典の一つ『大方広仏華厳経』から取られたようで、他にも涅槃の滝(ねはんのたき)や、般若の滝(はんにゃのたき)などがある。
 ちなみに、華厳経の本山は奈良の東大寺だ。

華厳の滝-4

 更に寄ってみた。脇にチョロチョロ流れている伏流水を十二滝と呼び、これも華厳の滝の魅力の一つとされている。確かに言われてみれば直下する中心の流れと、その周りで彩りを添えるような繊細な流れとがあいまって造形美を形成している。これはズームで撮らなければ気づかないところだった。
 冬場はこの十二滝が凍って、ブルーアイスになるんだそうだ。それはきっときれいだろう。
 6月には滝の周りをたくさんのイワツバメが飛び交うという。それも見たかった。
 険しい地形ゆえに華厳の滝を間近から見られるようになったのは、発見からずいぶんあとの明治33年(1900年)以降のことだ。星野五郎平という人が、滝壺近くに茶屋を開くために7年もかけてこのあたりを切り開いたのが始まりだった。
 エレベーターが完成したのは更にあとの昭和5年(1930年)だった。岩盤が堅く、くり抜くのに苦労したという。
 これだけの滝だから観光名所になるのは宿命だったに違いないけど、もし星野五郎平が華厳の滝を観光地にしようとしなければ、藤村操(ふじむらみさお)がここから飛び降りて自殺することはなかったかもしれない。華厳の滝の自殺者第一号が出たのは、明治36年5月のことだった。
 18歳だった旧制一高の藤村操は、この滝の近くにある樫の木を削って、「巖頭之感」と題する遺書を残して投身自殺をした。
「悠々たる哉天壊、遼々たる哉古今、五尺の小躯を以て此大をはからむとす。ホレーショの哲学、竟に何等のオーソリチィーに値するものぞ。萬有の真相は唯一言にして悉す。日く「不可解」。我この恨を懐いて煩悶終に死を決するに至る。既に巌頭に立つに及んで胸中何等の不安あるなし。始めて知る大なる悲観は大なる楽観に一致するを。」
 エリート学生の自殺は社会に衝撃を与え、以来、それを真似て自殺する者が相次ぎ、華厳の滝は自殺の名所となってしまう。
 このとき、藤村操の英語担当の教師が、夏目漱石として小説を書き始める前の夏目金之助だった。第一高校というトップ高校の英語教師は帝国大学の英文科教授が務めるのが決まりで、国費で英国留学を終えたばかりの夏目金之助がそれに当たることとなった。当時36歳の夏目金之助は、イギリスでさんざんバカにされて嫌な思いをして神経衰弱になっていた。このまま放っておくと危ないということで国に呼び戻されたばかりで、自身も二度と英国など行くものかと書いている。
 そんなこともあって、夏目金之助先生の授業は形式的で詰まらないともっぱらの評判だった。その前の英語教師が小泉八雲ことラフカディオ・ハーンで、そちらの評判がよかっただけに余計夏目先生は生徒たちの受けが悪かったようだ。
 自殺する一週間前、藤村操は夏目先生に叱られている。宿題をやっていなかったことをとがめられ、そして翌日もまたやっていかず、「勉強する気がないなら、教室へは来なくてもいい」と、二度目はきつく叱られた。
 自殺の知らせが入った翌日、夏目先生は生徒たちに訊ねている。「藤村はどうして死んだんだい」と。自分が叱ったせいかもしれないと思って、かなり動揺していたという。このことが夏目金之助の神経衰弱を更に悪化させる要因になったとも言われている。
 社会的にはエリート学生が人生に悩んで自殺してしまって気の毒にという捉えられ方だったようだけど、学識者の間では藤村の死を巡って大いに議論が交わされることとなる。学生の厭世観や死生観について、また、この自殺が是か非かということだったのだろう。
 一高の一学年上にのちの岩波文庫を創設する岩波茂雄がいた。岩波は藤村と知り合いだったということで大いにショックを受けて、信州野尻湖の弁天島に夏の間こもって泣き暮らし、その年は落第してしまったのだった。
 この話には落ちがある。これだけ世間を騒がせ、議論を呼んだ自殺の原因が、哲学的な厭世観ではなく、実は失恋によるものだったというのだ。片思いの相手は、菊池大麓の長女菊池多美子で、多美子はこの年、のちに憲法学者となる美濃部達吉と結婚したのだった(東京都知事を務めた美濃部亮吉の父)。
 本人も遺書の中で悲観と楽観は一致すると書いているけど、悲劇と喜劇は紙一重と思わずにはいられない。皮肉といえば皮肉な話だし、自殺せずに長生きすれば笑い話にもなったろうに。
 けど、100年経った今でもこの話が伝わり、名前が残ったことを思えば、生きた証としてこの世にひっかき傷のようなものを残したと言えるかもしれない。警察が写した「巌頭之感」の写真のコピーが現在もおみやげとして売られている。現代は大きな事件を起こしても、ひと月やそこらで忘れ去られてしまうことを思えば、一つの問いかけとしての価値はあるようにも思う。
 それにしても、飛び降りたというのはどの場所だったのだろう。滝の上は相当険しい地形だから、そう簡単に近づけるような感じはない。あそこまで辿り着ける根性があったら、何かもっと他にもできそうなのに。あそこまで行ってみろと言われても、たいていは途中で挫けてしまいそうだ。
 2年後、夏目金之助先生は夏目漱石というペンネームで小説を書くことになる。それが第一作の『吾輩は猫である』だ。神経衰弱の気を紛らわすために書き始めたとも言われている。奥さんによると、苦虫を噛み潰したような顔でイヤイヤ書いていたそうだ。
 最初は友達の高浜虚子にすすめられて書いた『猫伝(ねこでん)』という読み切りの短編小説だった。それが評判となり、続きを書けということで『吾輩は猫である』というタイトルで全11回連載して長編になった。
 小説の中で、相談に来た学生を冷たくあしらった主人がこんなことを思う文章が出てくる。「可哀想に。打ちゃって置くと巌頭の吟でも書いて華厳滝から飛び込むかも知れない。」
 皮肉や揶揄のようにも思えるけど、心に深い傷として残っていたことの表れともとれる。

華厳の滝-5

 横から見た華厳の滝。昔はこんな感じで、全体を見渡せる場所はあまりなかったんじゃないだろうか。特に夏の時期は葉が生い茂っていて、目隠しになってしまう。春先から晩春あたりがいいのかもしれない。

華厳の滝-6

 結局のところ、明智平から見る華厳の滝が、風景としては一番に思える。滝の雄大さがよく分かる。
 こうしてみると、中禅寺湖からはだいぶ離れているように見える。けど、これだけの水量だから、滝の落ち込み口は年々浸食されていて、滝ができてから2万年の間に800メートルほど中禅寺湖寄りに移動したと言われている。近年では1976年と1986年に、大規模な崩壊が起こっている。この先、500年から2000年の間に、ひょっとすると落ち口が中禅寺湖に達するかもしれないという。そうなると、もはや滝というより湖から水が溢れ出してしまう決壊だ。崖を大きく削って、ざばーんといってしまうんじゃないか。ナイアガラの滝みたいになって、それはそれでいいのか。
 街の風景だけでなく、自然の景色も長い歳月の間には移り変わっていく。もし私が中学のとき本当に華厳の滝を訪れているとしたなら、そのときに見た華厳の滝と、1986年の崩壊以降の滝とは姿が違っているはずだ。そんなことを考えると、また最初の状態に戻ってしまう。本当に日光は二度目なのか、初めてなのか、どっちなんだろう。東照宮も見てるのやら見てないのやら。うーん、覚えてないなぁ。この歳まで生きれば、若い頃の失恋の傷みなんてのも、すっかり忘れてしまった。
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コメント
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名瀑マニア☆

こんばんは☆
華厳の滝は雄大な滝ですね♪
流れ落ちる様子がもののけ姫の白きつねさんのように見えました☆
明智平から引いて見る風景が一番いいですね(^^

日光が初めてなのか二度目なのかは…きっと宇宙人だけが知っているのです(^^

2008-07-25 23:33 | from mimi | Edit

赤目

★mimiさん

 こんにちは。

 私が日光へ行ったことがあるかどうかは、中学の同級生の多くが知ってるはず(笑)。
 でも、そのためだけに電話して訊くのもね。(^^;
 中学の卒業アルバム、どこへいったかな。

 mimiさん、滝好きでしたか。
 私は去年から赤目四十八滝に行こうと思っていて、タイミングを見計らってるところです。
 本当は紅葉の時期が一番いいんだけど、その時期は激混みらしいからなぁ。
 案外近いうちに行くことになるかも。

2008-07-26 05:09 | from オオタ | Edit

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2012-01-06 13:56 | from -

 こんばんわ、藤村操を調べていて、こちらのHPにたどり着きました。エッセイを楽しく読ませていただきました。

 前から藤村の自殺の原因は、哲学的苦悩ではなく失恋という話は知っていました。でも詳細は知りませんでした。こちらのエッセイを読ませていただき、彼の自殺の原因は、失恋と確信しています。

 片思いの彼女は東大総長の娘であり、婚約者(というか)は歴史に名を残す憲法学者。とてもかないません。あてつけに飛び降り自殺をしたのではないでしょうか。

 全くの偶然ですが、今晩、「たけしの世界七不思議」という番組が放送されました。毎年正月に放送される番組で、毎年いくつかの建造物の候補から一つを選ぶというものです。

 今年はジャワのボロブドゥール遺跡とイスタンブールの聖ソフィア寺院が取りあがられ、ボロブドゥール遺跡が選ばれました。

 ボロブドゥールは華厳経の理論に基づき、作られたそうです。ゲストとの会話で北野たけしが「華厳経って華厳の滝の?」と聞いていました。その通りで、華厳の滝は華厳経から命名されているそうです。


 直接藤村の名は上げませんでしたが、たけしは言っています。「悟りを開く場所で、何で飛び降りるんだ」と。

 ある程度の年齢以上の人には、華厳の滝と言うと、自殺の名所というイメージがあるんですね。

 飛び降りて死んだばかりに歴史に名を残した藤村操。現身日和も、歴史に名を残しますように。

2012-01-07 00:00 | from Reindeer | Edit

華厳の滝の話

>Reindeerさん

 こんにちは。
 丁寧なコメントをいただきありがとうございます。
 藤村操とその周辺は、いろいろな人間が絡んでいて、なかなか興味深いですね。
 華厳の滝も、最近は飛び降りる人間は少なくなっているようで。
 華厳宗というと、あまり馴染みがない気がしますが、奈良の東大寺が華厳宗の本山なんですよね。
 大仏は盧舎那仏だし。
 たけしの番組、私も観てました。
 一年に1つって、気が長い話だなぁと思っていたのに、もう6つも終わってしまいました。
 最後の1つは何でしょうか。また来年って、それまた気が長い。

2012-01-07 22:47 | from オオタ | Edit

正しくは聖ソフィア寺院でした。

 私の先の投稿、一部間違えていました。、今年の「たけしの世界七不思議」で選ばれたのは、聖ソフィア寺院でした。間違えてすいません。訂正させていただきます。

 今年の番組見ていて、何となく、来年の最後の一つの候補は、ギザのピラミッドな気がしています。今年のゲストに吉村作治さんが出ているのが伏線の気がします。

2012-01-07 23:45 | from Reindeer | Edit

最後はやっぱり

>Reindeerさん

 こんにちは。
 そうでしたね、選ばれたのはアヤ・ソフィアでしたね。
 個人的にはボロブドゥールの方が興味深かったのですが。
 最後はやっぱり、ギザのピラミッドでしょうかね。
 そういえばまだ取り上げられてなかったんですね。
 となると、対抗馬って、何か残ってましたっけ。
 ストーンヘンジくらいでは弱いし。

2012-01-08 22:36 | from オオタ | Edit

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