稲沢寺社巡りは長光寺から始まり、稲沢の魅力を知るきっかけともなった

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
長光寺-1

Canon EOS 20D+Canon EF-S 17-85mm f4-5.6 IS



 今回の稲沢神社仏閣巡りは、重要文化財巡りでもあった。回った順番と紹介する順序がバラバラになってしまっているけど、最初に行ったのがここ長光寺(ちょうこうじ)で、お目当ては六角円堂だった。
 東海道本線清洲駅の北、稲沢市の右下にあり、町名の六角町はこの六角円堂から来ている。場所がちょっと分かりづらい。北市場町を北へ進んで細い道に入っていくと、左手に突然現れる。楼門が奥に引っ込んでいて、手前に高いマンションがあるから、うっかりしてると見逃しそうになる。
 入り口の右側に駐車スペースがある。
 まずは入ってみないと始まらない。ちょっとお邪魔します。

長光寺-2

 なかなか立派な楼門(仁王門)だ。建てられたのは天明8年 (1788年)だそうだ。入母屋造の本瓦葺。彫刻も凝っている。
 このお寺自体は更に古く、1161年に平頼盛(清盛の弟)の寄進によって建てられた。1336年に足利尊氏が復興させて法相宗に宗旨替えをして寛林院と号したのち、1499年に臨済宗になり現在に至っている。
 織田家や徳川家も大事にしたお寺で、境内には信長が清洲城や岐阜城にも届けさせた水を汲んだとされる臥松水(がしょうすい)という井戸がある。信長の居城だった清洲城は、ここからさほど離れていない。私たちが南アルプスの天然水などを飲むように、昔の殿様は愛飲の井戸を持っていたのだろう。信長なら六甲のおいしい水を献上してもこれは六甲から汲んだ水ではあるまいと見破ったかもしれない。

長光寺-3

 門をくぐってすぐ、右斜め前に六角円堂(地蔵堂)が姿を現す。おお、なるほどこれだねと、まずは遠巻きにしばらく眺める。けっこうな存在感だ。
 じっくり見物する前に、本堂に挨拶だけしておかないといけない。真っ直ぐ進んだ突き当たりがそうだ。

長光寺-4

 興化山という山号の額が飾ってある。
 にしても、なんだ、このピカピカ加減は。歴史のある寺のはずなのに、やけに真新しい。けど、賽銭箱とか、床板とかは年季が入っていて、新旧のコントラストが妙な感じで戸惑う。
 帰ってきてから知ったのだけど、近年、本堂を建て替えたそうだ。どうりで新しいはずだ。それで、使える部分の木材などは再利用したということだろう。建て替える前の本堂は、どれくらい歴史があるものだったんだろう。

 ここは臨済宗妙心寺派の禅寺だ。宗教もなんであんなに派閥が好きなのか知らないけど、臨済宗もたくさんの宗派に分かれている。
 妙心寺派は臨済宗最大派閥で、京都の右京区にある妙心寺を大本山として、全国に末寺3,400を抱えている。
 他に主な宗派としては、日本最古の禅寺である京都建仁寺の建仁寺派、同じく京都の東福寺派、南禅寺派、大徳寺派、天龍寺派、鎌倉の建長寺派、円覚寺派などがある。
 臨済宗というのは、中国禅宗五家の中の一つで、唐の臨済義玄を宗祖とする。日本へは鎌倉時代に栄西らによって伝えられ、主に武家の間で支持されて、政治と結びついて発展していった。
 同じ禅宗でも一般大衆に受け入れられた曹洞宗とは性質が異なっている。
 臨済宗は、修行によって悟りを開き、師匠から弟子へ伝えることを重視しているのだとか。

長光寺-5

 あらためて六角円堂をしげしげと眺めてみる。うーむ、なるほどと納得する。何がどう納得かは自分でもよく分からないけど、存在としての説得力がある。フォルムが美しいというのもある。
 建てられたのは1510年のようで、古い時代の六角堂というのは全国でも残存しているものが少ないそうだから、文句なしの重要文化財だ。中でもここのものは特に古いものとされている。
 正面には鰐口(わにぐち)が吊されている。鰐口というのは、お寺の境内でお参りをするときにぶら下がっているヒモを引っ張ってじゃらじゃら鳴らす鐘の部分だ。
 これは天正11年(1583年)6月2日にかけられたことが分かっている。一年前のその日は本能寺の変があったときで、信長の一周忌にかけられたそうだ。
 地蔵堂というからには中に地蔵さんが安置されている。この地蔵は鉄で鋳造された珍しい地蔵ということで、これも重要文化財に指定されている。
 鉄は銅に比べて鋳造が難しいことから、あまり造られることがなく、細かい部分や仕上げも美しくならないといわれている。しかしながら、長光寺の地蔵菩薩立像(1.6メートル)は、鋳銅製と変わらないほどの美しさに感心する。写真を見るだけでもそれは伝わる。
 基本的には非公開となっているけど、お願いすれば見せてもらえるそうだ。いきなりというのはなんだから、事前に電話連絡をしておいた方がいいと思う。
 これは別名汗かき地蔵といって、何か悪いことが起きる前兆として全身に汗を吹きだして知らせるとされている。伊勢湾台風や太平洋戦争のときに汗をかいたんだとか。

長光寺-11

 裏側から順光で撮っておかないと、屋根の様子がよく分からない。こんな感じになっている。

長光寺-6

 楼門の中にいる仁王さん。朱塗りだけど、怒っている表情ではなく、穏やかな顔の仁王像だ。
 長光寺は尾張六地蔵の一番札所にもなっている。ランの館の隣にある二番札所清浄寺の巨大延命地蔵(高さ5メートル)は、そうとは知らずに見ている。ランの館へ行こうとして場所が分からず迷っていたらたまたまそこを突っ切ることになったのだった。あれがここにつながったのも、地蔵の導きだったのか。
 三番は南区呼続の地蔵院、四番は緑区鳴海の如意寺、五番は天白区島田の地蔵寺、六番は千種区今池の芳珠寺となっている。どこも市内で行きやすいところだから、近いうちに全部回ってしまおう。また新たな目標ができた。

長光寺-8

 門を出てすぐ前に、見た瞬間、うひょっと奇声を発してしまいそうな古い家がある。昔の面影を残しつつ相当熟してしまった感じだ。
 長光寺の門前には、かつて四ツ家追分(鎌倉街道、美濃路、岐阜街道の分岐点)に立っていた道標がある。ダンプカーが突っ込んで折ってしまったものを、この場所に移して保存しているんだそうだ。1819年に立てられた道標で、「右 ぎふ并浅井道」,「左 京都道并大垣道」と刻まれていた(今は字が薄くなっていてよく読めない)。
 近くには、浅野長勝宅跡の碑や(浅野長勝の甥が浅野長政で、養女のねねは秀吉の正室になっている)、清洲代官所跡などもある。
 今回は時間の都合で省略した南北朝時代の木造虚空蔵菩薩座像(重文)を所蔵する亀翁寺や、織田信雄が父信長の菩提を弔う為に建てた総見院もある。

長光寺-9

 稲沢のこのあたりは、清洲城の近くで、後に美濃路沿いの稲葉宿があったところなので、古い家が点在している。町並保存というふうではなさそうだけど、歩いて見て回ればけっこう見所が多そうだ。車で通りすぎてしまうのが惜しいくらいだった。もう一度別の機会に訪れたい。
 美濃路は、東海道の熱田から別れて、名古屋、清須、稲葉、萩原、起、墨俣、大垣を通って、垂井で中山道と合流する脇街道だった。かなり古くからあった道らしく、鎌倉時代には整備されて鎌倉街道の一つとして重要な街道となっていたようだ。戦国時代は、信長の桶狭間の戦い、秀吉の小田原征伐、家康の関ヶ原それぞれの凱旋路となった縁起のいい道でもある。
 江戸時代は、熱田から桑名までの海路を通るより少し遠回りになるものの、安全第一ということで美濃路まわりで旅をした人も多かったという。
 本陣・脇本陣もあって、大名の参勤交代でも使われたそうだ。
 稲葉宿があったのは、名鉄国府宮駅の西1キロあたりで、このあたりが色濃く当時の面影を保っている。道は細く入り組んでいて、かなり雑然としている。
 かつてこのあたりを稲葉村といい、のちに小沢村も加わって、合併するときに二つの文字を取って稲沢市と名づけられた。

長光寺-10

 稲沢は思った以上に見所の多い、いい町だった。秋葉宿のことは知らなかったから、思いがけない収穫でもあった。地味で見るべきものの少ないところというのは間違った思い込みとして、あらためねばなるまい。
 稲沢神社仏閣巡りシリーズは、5ヶ所のうち3ヶ所の紹介が終わって、残り2つになった。稲沢の宣伝のためにも、最後までしっかり書きたいと思う。
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