知立神社訪問と家康の息子の話など - 現身日和 【うつせみびより】

知立神社訪問と家康の息子の話など

知立神社鳥居額

 愛知県知立市にある知立神社(地図)は三河国の二宮で、江戸時代は東海道三大社のひとつに数えられた歴史のある神社だ。
 三河国一宮は砥鹿神社(とがじんじゃ)で三宮は猿投神社だ。
 東海道三大社のあとの二社は三嶋大社と熱田神社だったから、それらに並ぶ大社だったということになる。



知立神社入り口鳥居

 鳥居をくぐる前に、知立神社と知立の歴史についても少しだけ予習しておきたい。
 知立(ちりゅう)の語源は、茅(ち/かや)が育つ湿地帯というところから来ているという説がある。奈良時代には知利布(ちりふ)と呼ばれていたようで、平安時代になると知立や智立と表記され、江戸時代は池鯉鮒という字が当てられた。東海道の宿場町の名前も池鯉鮒宿だった。
 知立神社の創建についてははっきりしたことは分からない。
 景行天皇(けいこうてんのう)の時代というのが本当であれば4世紀あたりだろうか。景行天皇はヤマトタケルの父で第12代天皇ということになる。
 日本武尊(ヤマトタケル)が東国平定に向かう途中、この地において皇祖神に祈願を行い、無事平定を果たした帰り道にその神々を祀ったのが知立神社の始まりとされている。
 社殿の造営は14代仲哀天皇の元年という。仲哀天皇はヤマトタケルの子だ。
 創建当時は、現在地から東に1キロほどのところにあって、二度焼けて、現在の場所に移されたとされる。



知立神社鳥居

 室町時代、この近くに知立城があって、当時知立神社の神主でもあり豪族でもあった氷見氏がこの地を治めていた。
 十三代貞春は、北面武士(上皇に仕えて身辺警護をしていた武士)として保元・平治の乱に参加して武功を挙げ、氷見氏は鎌倉から南北朝時代にかけても勢力を広げていった。
 戦国時代になり、二十九代貞英のとき、桶狭間の戦いで織田軍の追撃によって落城。
 その後、氷見氏は水野氏との関係を強めるため、貞英が水野忠政の娘を妻とした。その二人の間に生まれた娘がお万の方で、のちに徳川家康の側室となって、結城秀康を産むことになる。

 寄り道ついでに結城秀康についても少し触れておこう。
 岡崎城のとき、家康が嫡男である松平信康を切腹させたという話を書いた。その異母兄弟で次男が結城秀康だ。この秀康、何故か家康に嫌われた。理由はいろいろ言われていて、一説には自分の子供ではないのではないかと疑っていたからだという。そのせいで側室にしたお万の方も嫌っていたとも言われる。
 家康が最も愛したとされる側室が西郷局で、三男でのちの徳川二代将軍となる秀忠を産んだのがこの西郷局だった。西郷局を喜ばせるために秀忠を強引に将軍にしたという説もある。それで、長男の信康をいろいろと理由をつけて切腹させたのではないかと。
 それなら当然、次の将軍候補は次男である秀康になるはずだけど、そうはならなかった。嫌っていたというのがどこまで本当かは分からない。小牧長久手の戦いのあと、秀吉との和睦条件として次男で嫡男であるはずの秀康をあっさり人質として渡してしまったのもそんな噂が立った原因のひとつかもしれない。小牧長久手の戦いは、実際のところ家康が負けたとはいえない。
 その後、秀康は豊臣の養子として成長し、九州征伐から朝鮮出兵まで、数々の武功を挙げていった。
 けれど、秀康の翻弄人生はこれで終わらない。秀吉に鶴松という嫡男が生まれるとやっかいものとなり、結城家の養子に出されてしまうことになる。1590年、17歳のことだ。
 それに続いたのが豊臣家滅亡という事態だった。休まる暇がない。結局、また徳川家につくことになり、関ヶ原の合戦の前哨戦である上杉景勝征伐に参加したまではよかったけど、石田三成挙兵ということで西に向かった家康本隊についていくことを許されず、留守番を命じられたまま関ヶ原の合戦に参戦することもできなかった。
 関ヶ原の後、加増はされたものの、徳川家に戻ることはないまま、梅毒で死んでしまった。34歳だった。
 家康の息子は優秀な人間が多かった。長男の信康や次男の秀康は特に有能な武将だったとされているし、四男の忠吉や、尾張藩初代で九男の義直も優れた人物だった。そんな中で最も凡庸と思われる三男の秀忠が二代将軍になったというのは、結果としてはよかったのだろう。徳川家の基盤を固めるという意味で、秀忠が最も二代目将軍に適していると家康は見抜いていたとも言われている。信康は信長タイプとされるから、平和な世の中を築くのには合わなかったかもしれない。
 秀忠は、関ヶ原に遅刻して家康にこっぴどく叱られたというエピソードに象徴されてしまっているけど、実務面でやることはしっかりやっている。三代家光が良く言われることが多いけど、その基礎を作ったのは秀忠だ。

 話を戻すと、知立城のその後は、天平年間に水野忠重が城跡に建てて住んでいた御殿は地震で倒壊して、そのままになってしまった。今は石碑しか残っていない。



知立神社多宝塔

 知立神社の自慢がこの多宝塔だ。国の重要文化財に指定されている。
 普通、多宝塔は寺にあるものなので、神社にあるのは珍しい。
 850年に知立神社の別当寺となる神宮寺が建てられたとき、天台宗の僧円仁によって一緒に建てられたのがこの多宝塔だ。知立神社は早くから神仏習合の神社だった。
 現在の多宝塔は、1509年に重原城主・山岡忠左衛門によって再建されたものだ。
 本来であれば、明治の神仏分離令で取り壊されるか移築されているはずが、屋根の相輪を取っ払って、入母屋造りに改築して、これは知立文庫という書庫だと言い張って、取り壊しを免れた。
 大正時代になってすぐ、元の姿に戻して、現在に至っている。



知立神社多宝塔近くから

 とても美しい姿をしている。風格と品がある。
 三間二層で、屋根は柿葺。高さは約10メートル。 
 室町時代の建築物らしい特徴がよく出ている。



知立神社太鼓橋

 花崗岩で作られた太鼓橋。
 全長6.6メートル、幅2.4メートル。作られたのは江戸時代だろうか。
「東海道名所図会」にも描かれている。



知立神社境内と参道

 拝殿前。
 境内全体はさほど広くない。昔はもっと広かったはずだ。



知立神社拝殿




知立神社拝殿内




知立神社拝殿横から

 拝殿を横から見る。本殿はよく見えない。
 本殿は1830年に建てられたもので、流造(ながれづくり)の朱塗りになっている。
 拝殿は檜皮葺の尾張造と呼ばれる様式だ。この地方特有のもので、津島神社なども同じように建てられている。熱田神宮もかつては尾張造だったのを明治になって神明造に変えてしまった。

 祭神は、彦火火出見尊(ヒコホホデミ)、武鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)、玉依比賣命(タマヨリヒメ)、神日本磐余彦尊(神武天皇)となっている。
 天孫・瓊瓊杵尊(ニニギ)と木花開耶姫(コノハナサクヤヒメ)が結婚して生まれたのが山幸彦として知られる彦火火出見尊で、海神の娘である豊玉姫(トヨタマヒメ)と結婚して武鵜葺草葺不合尊(ウガヤフキアエズ)を生む。
 ウガヤフキアエズは母の妹の妹玉依姫(タマヨリヒメ)と結婚して生まれた子供の末っ子が神日本磐余彦天皇(カンヤマトイワレヒコ)で、後に初代神武天皇として即位することになる。
 つまり祭神は神武天皇ファミリーということになるのだけど、そもそもでいうとヤマトタケルが創建のきっかけになったという話があるのにそれとは合わない。
 もともとは地主神を祀ったのが始まりなのだろうけど、そのあたりはよく分からなくなっている。
 どういうところからきているのか、聖徳太子も合祀してる。



知立神社境内社

 親母神社、土御前社、小山天神社などの境内社が並ぶ。



知立神社太鼓橋と多宝塔




知立神社ニワトリ

 神使としてニワトリを飼っているようだ。

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「知立駅」から徒歩約16分
 ・駐車場 あり(境内)

 公式サイト
 
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コメント
非公開コメント

地元の人間ですがまったくといっていいほど神社のことを知りませんでした。秋葉祭のときにいろいろ見てみようと思います

2010-08-29 16:59 | from -



 長々と書いたのを読んでいただいたようでありがとうございます。
 少しでもお役に立てたのなら何よりです。
 あの多宝塔はとても良いですね。
 また機会があれば見に行きたいと思ってます。

2010-08-30 02:40 | from オオタ | Edit

無題

私は数年前から知立神社への参拝と絵馬奉納です。毎年6月は知立神社での花しょうぷが見頃です。知立神社での花しょうぷを見に行きましたが大変美しい花です。ところてんヲ頂きました。知立名物大あんまきの本屋は小松屋大学です。手作りはおいしいです。

2018-07-30 21:50 | from ひであき | Edit

知立はご無沙汰です

>ひであきさん

 こんにちは。
 知立神社と知立の情報ありがとうございます。

 ハナショウブは以前見にいったことがあります。
 大あんまきも名古屋人として何度も食べてます。
 最近はどちらもすっかりご無沙汰なのですが。

 知立神社の記事を全面的に書き直しました。
 肝心の創建のいきさつについての内容が薄いので、いずれ加筆したいと思ってます。

2018-07-31 20:27 | from オオタマサユキ

無題

初めまして?。今回の神社ですね?。地元では東海の名社と言われています。今回の神社の鳥居はとても大きいですね?。今回の神社の左右に花しょうぶですね?。毎年5月から6月までに花しょうぶの見頃になりますね?。花しょうぶは美しい花です、

2018-11-21 08:14 | from おかもっち | Edit

知立神社

>おかもっちさん

 こんにちは。

 知立神社は三河国二宮でもありますし、東海道の三社と呼ばれたほどなので、格式のあるいい神社ですよね。
 ただ、創建のいきさつや、もともとの祭神の池鯉鮒大明神とはどんな神なのかとか、理解するのがなかなか難しい神社と感じます。

 花菖蒲でも有名ですよね。
 ずいぶん前になりますが、一度見に行ったことがあります。

2018-11-21 23:04 | from オオタマサユキ

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