
東区矢田にある白山社(地図)を再訪した。
前回訪れたのは2012年のことだった。
一風変わった矢田の白山神社
この頃はまだ名古屋神社ガイドを始めるずっと前のことで、それなりにあちこち訪れてはいたのだけど神社についての知識は乏しかった。
写真を撮り直したいと思いつつなかなか行く機会がなかった。少し前に、拝殿に棟札を撮ったらしい写真が貼られていると教えてもらって、それを確認しに行くことも今回の目的のひとつだった。
初めて訪れたときはなんだか暗くて変わった神社だなという印象だったけど、今回はそんなふうに感じなかった。700社以上も巡って私の感覚が変わってしまったというのもあるかもしれない。
あるいは神社の側で何かあって気が抜けてしまったということもあるだろうか。
数百年以上も経った神社は不変のように思いがちだけど、そんなことはない。神社もリアルタイムを生きていて目には見えなくても変わり続けている。8年も経てば何かが変わったり失われてしまったりしてもおかしくはない。
宮司の交代などあれば、その変化は顕著なものとなる。

手水舎の四隅に彫られていた紋。
総本社の白山比咩神社の神紋で、三子持亀甲瓜花(みつこもちきっこううりのはな)というそうだ。


拝殿の中央に龍、向かって右に兎などが彫られている。なかなか見事なものだ。

これが棟札を写したと思われる写真だ。
もともとの写真にシミがあったのか、ところどころ黒くて読めないし、写真自体が色あせてしまっている。現地ではガラスの反射と映り込みでほとんど読むことができない。写真をPCのモニターで見てなんとか半分くらい読めたけど、書かれている内容はよく分からなかった。
詳しくは名古屋神社ガイドの白山社(矢田)のページに書いた。

もともとここには神明社があって、そこへ白山社が移されてきて社名も白山社になってしまった。
本社はおそらく戦後に建て直された鉄筋コンクリート製だろうけど、一応神明造になっている。



境内社が三社並んでいる。
中央が秋葉社で、向かって右が社宮司社ということは社にかかる札に書いてあるので分かる。
ただ、向かって左の一番大きな社が分からなかった。札の文字はすっかり消えて読み取れない。

社宮司社は江戸時代まで矢田村に独立してあったもので、その後ここに移されたようだ。

少し離れたところにあるのは、稲荷社と御嶽社だと思う。

二ノ鳥居には昭和三十八年 矢田の一新屋とある。

一之鳥居は昭和九年と彫ってある。

支那事変の記念碑。

年中行事の一覧に白山神社と六所神社があるので、分からなかった社は六所社かもしれない。六所社の御札もあるようだから、たぶんそうだろう。
六所社(地図)は矢田村の中で一番古くからある中心神社だった。
あちらの六所社とこちらの境内社の六所社との関係は分からない。外に祀っていたものを境内に移したのか、もともと境内社として祀っていたのか。
【アクセス】
JR/名鉄/地下鉄「大曽根駅」から徒歩約17分
駐車場 あり