
今年最後はいつもの定点観測をお送りします。










写真を撮りながら名古屋と近郊を巡ります
今年最後はいつもの定点観測をお送りします。 ...
2018/12/31
今年最後のサンデー料理。 締めくくりにふさわしい何かと思わないでもなかったのだけど、結局普通のサンデー料理になった。それがサンデー料理だ。そもそも特別なものではない。 自分でも気づかないうちに少しスタイルが変わってきているのかもしれない。昔よく使っていた食材を使わなくなったりということもありそうだ。 今年は休んだ記憶がないのだけど、用事か何かで一回か二回は休んだだろうか。それでも最後までこうして...
2018/12/30
かなり久々、鉄道風景をお送りします。...
2018/12/29
在庫写真より。 神社仏閣こぼれ写真をお送りします。 ...
2018/12/28
在庫写真より。 置き忘れてきた季節の風景をお送りします。 ...
2018/12/27
昭和区妙見町にある妙見宮(地図)。 本体は浄昇寺というお寺なのだけど、妙見宮が合体しているというか、妙見宮が入り込んでいる。神仏習合といえばそうかもしれない。 町名の妙見はこの妙見宮から来ている。 かつて名古屋で妙見信仰がどの程度広まっていたのかはよく分からないのだけど、名残はほとんどないといっていいくらい消えてしまっている。神社としての妙見信仰が残っているのは昭和区のこの妙見宮くらいかもしれな...
2018/12/26
いつもの定点観測をお送りします。 ...
2018/12/25
12月も後半になってきたけど、年末の緊迫感といったものもなく、普段通りに日々は過ぎている。年賀状もまだまだ書く気はない。 クリスマスイブではなくクリスマス当日に少しイベントがある以外は、やることといえば大掃除くらい。それも訳あって先月ほとんどやってしまったのでやることは少ない。 今年は本当に年末らしくない12月だ。いいんだか悪いんだか。 サンデー料理はいつもの通り。今年最後でもないし、普段と同じよう...
2018/12/23
昭和区広路町の半僧坊新福寺にある稲荷(地図)。 寺の中に稲荷を鎮守にしているところはけっこうある。この場合の稲荷はウカノミタマではなくインド由来のダーキニーを祀る稲荷だ。仏教に取り込まれて荼枳尼天となった。 半僧坊や新福寺については神社サイトの稲荷(半僧坊新福寺)のページに書いた。 宮本武蔵にまつわる石碑がある寺としても知られている。ただし、この寺と宮本武蔵は直接関係はない。【アクセス】 ・地下...
2018/12/22
三重県三重郡の朝日町を訪ねたのは神社を回ることが主な目的だったのだけど、旧東海道の風景がどんなふうに残っているのかも見てみたかった。 旧東海道は近鉄の伊勢朝日駅(地図)を出てすぐ前の道がそうだ。東海道というと大通りをイメージしがちなのだけど、そういうところは宿場町など一部で、他は大部分が頼りないような細い道だったりする。ここ朝日町を通っていた旧東海道もそうだった。 建物としてはほとんど何も残って...
2018/12/21
三重県三重郡朝日町の神社シリーズ第3弾、苗代神社(なわしろじんじゃ / 地図)を紹介します。 三重郡朝日町の井後神社を訪ねる 三重郡朝日町の移田神社 朝日町はかつての朝日村で、近くから弥生時代の遺跡が見つかっていることから古くより人が暮らす土地だったことが分かっている。 縄文時代は気温が高く、海面が上がって(縄文海進)海岸線は今よりもずっと内陸寄りだった。現在は小山が連続する丘陵地の縁あたりがかつて...
2018/12/20
いつもの定点観測とは別のもうひとつの定点観測をお送りします。 ...
2018/12/19
在庫写真より。 忘れ物写真をお送りします。 ...
2018/12/18
在庫写真より。寺社仏閣こぼれ写真をお送りします。 ...
2018/12/17
12月も半ばを過ぎて少しずつ年末感が出てきた。といってもまったく忙しいわけではなくて、日々は普段と変わらない。 変わらないといえばサンデー料理も変わらない。冬感も12月感もなく、いつもと同じだ。ほとんど定点観測といっていい。 私の料理のレパートリーって何種類くらいあるんだろう? 今まで考えたことも数えたこともなかったけど、暇なときに過去のサンデー料理を見返して数えてみてもいいかもしれない。あまり変わ...
2018/12/16
道ばたの風景をお送りします。 ...
2018/12/15
三重県三重郡朝日町の神社めぐり。井後神社(地図)の次に訪れたのは埋縄(うずなわ)にある移田神社(地図)だった。 朝日駅からは1.5キロほどあって、途中で道に迷ったこともあって30分以上かかった。集落の間を抜けて、樹林の斜面を上がったところにある。車の場合は北の66号線から南の細い道を入っていくしかなさそうだ。標高は23メートルほどなのでわりと高台だ。 現在は「いだ-じんじゃ」と読ませており、古くは「ウツシ...
2018/12/14
三重県三重郡朝日町を訪れる機会があり、少し時間があったので朝日町の神社を訪ねることにした。 最初に訪れたのは、JR関西本線の朝日駅からほど近い井後神社(地図)だった。 朝日町は旧東海道の桑名宿と四日市宿の間に位置している。朝日駅の少し南の細い通りが旧東海道で、かつては旅人のための茶屋などもあったそうだ。今も往事の面影をわずかながらとどめている。 井後神社は『延喜式』神名帳の伊勢国朝明郡井後神社に比...
2018/12/13
最近撮った季節の風景から秋に向けて季節を少しさかのぼってみる。 ...
2018/12/12
川名本町5にある小社(地図)。 道を一本隔てて西には川原神社があるのだけど、これは川原神社とは関係がないのではないかと思う。川原神社の境内がこちら側まであったとしてもそれは江戸時代とかそれ以前のことだろう。 木の前に社を置いて、木には注連縄がかけられているから、これを神木として祀っているのだろう。まずこの木が何の木かが分からない。見覚えがないのだけど、珍しい木なのかそうじゃないのか。 社もそれほ...
2018/12/11
去年2017年の12月以来、約一年ぶりの椿大神社参拝となった。今回が三度目になる。 椿大神社で泣かされ背中を押してもらう<前編> 椿大神社の6月の風景<後編> 冬の椿大神社に再訪する 去年は年末近かったので完全な冬風景だったけど、今年は12月前半で暖かい日が続いていたから紅葉が少し残っていた。違う季節に訪れたようだった。 椿大神社の歴史などについては初回のときに書いた。 今回は初冬の椿大神社の風景をお届...
2018/12/10
今年の12月は忙しくない。普段より暇なくらいだ。気ぜわしくさえなくて、平常運転が続いている。なんとなくこのまま年末までいってしまいそうだ。 別に12月だからといって忙しくしなければいけないわけでもない。12月31日と1月1日の境目だって特別視しなければ普通と同じように日付が変わるだけだ。 サンデー料理に関していうと、今年は年末年始に日曜日が来ないので休むタイミングがない。クリスマスも外れているし、30日も普...
2018/12/09
ここ最近の道行き風景をお送りします。 ...
2018/12/08
去年熱田神宮へ行ったときに撮った写真がまだ残っていた。 熱田神宮の主な摂社や末社の続きということになる。 というわけで熱田神宮の風景と題してお送りします。 御田神社。 土用殿。 かつて本殿の隣にあって、草薙剣を納めていた。 開かずの門といわれる清雪門。 二十五丁橋。 南神池。【アクセス】 ・地下鉄名城線「神宮西駅」から徒歩約5分 ・名鉄名古屋本線「神宮前駅」から徒歩約5分 ・駐車場 あり(無料) ...
2018/12/07
昨日紹介した宇治神社(地図)の160メートルほど北に大水神社(地図)がある。 内宮入り口に架かる宇治橋から見ると130メートルほど西だ。 近くには饗土橋姫神社(あえどはしひめじんじゃ)や津長神社、旧林崎文庫などもあって非常に雰囲気のあるエリアなのだけど、こちらを訪れる人は少ない。 大水神社の裏にある大楠の木は樹齢300年を超える巨木で、なかなかの迫力だ。この木を見るためだけでも訪れる価値がある。 内宮の...
2018/12/06
伊勢の内宮近くに宇治神社(地図)がある。 宇治橋前に建っている鳥居の正面にある駐車場を少し奥に行った先にあるのだけど、人の流れを見ていてもこちら方面に歩いていく人はほぼいない。 足神さんとして一部では知られているものの、伊勢の神宮を何度も訪れたことがあるという人でもこの神社の存在を知らない人が多いんじゃないだろうか。 地元宇治地区の人たちにとっての氏神様というと、この宇治神社がそれに当たる。 神...
2018/12/05
熱田区千年1丁目の八幡神社(地図)。 すぐ近くにある千年2丁目にある八幡社と関係があるのかないのか。 千年2八幡社は1837年に開発された熱田築地前新開(のちに作良新田)の神社で、千年1八幡神社は1675年に御船奉行の横井作左衛門が開発した船方新田にある神社なのだけど、土地としては千年1の方がずっと古い。ただ、横井作左衛門が勧請したという話は伝わっておらず、いつ誰が祀ったのかがまったく分からない。情報がほと...
2018/12/04
いつもの定点観測をお送りします。 ...
2018/12/03
昭和区西畑町にある樫ノ木龍神(地図)。 神社でもなく祠ですらなく石碑のみで、事情を知らないとなんでこんなところに樫ノ木龍神の石碑があるんだろうと思うだろう。 昭和31年にここのアパートの大家さんの奥さんが川原通で苦しんでいる龍神の夢を見て見にいってみたらこの石碑が落ちていたので持ち帰って敷地で祀ったのだという。 もともと樫ノ木龍神がどこでどう祀られていたのかは分からない。石碑の横には昭和十四年とあ...
2018/12/03