archive: 2018年08月  1/2

小さいけど福田前新田の村社だった神明社

 港区福前の神明社(地図)。 江戸時代の福田前新田に建てられた神明社で、福前の町名は福田前新田から来ている。 小さな規模の神社ではありながら、福田前新田の村社だった。 ここが名古屋最西端神社だと思ったら、少し北の六軒家に秋葉社があるらしく、そちらの方がやや西になる。 これで港区の神社は全部回ったと喜んでいたのだけど、まだ8社くらい回っていないところがあることを教えていただいて、ありがたくもがっかり...

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長い参道を持つ田んぼに囲まれた畑中神明社

 港区畑中にある神明社(地図)。 ここも西福田1熱田社と同じように田んぼに囲まれた長い参道を持つ神社だ。 この風景をカッコイイと感じる感覚はどこから来るのだろう。懐かしいからなのか、懐かしさとは別のものなのか。 参道が街道のようになっているのもこの神社の特徴で、こういう神社は他にはなかなかない。 歴史などについては神社サイトの神明社(畑中)のページで。【アクセス】 ・近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から...

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福屋の熱田社も西福田新田にあった熱田大明神のひとつなのだけど

 港区福屋にある熱田社(地図)。 ここも西福田新田にあった熱田社のひとつだ。ただ、西福田新田の神社はどこもよく分からない。このエリアの神社だけ記録がぽっかり抜け落ちてしまっているような感覚さえある。 もしかするとひとつのピースがはまればあとは連動するようにすべて分かったりするのだろうか。 歴史などについては神社サイトの熱田社(福屋)のページで。 境内社の秋葉社と塩竈社。 港区は海を干拓して作った土...

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港区西福田1熱田社は失われてしまった農村神社風景

 港区西福田1にある熱田社(地図)。 田んぼ風景の中にあるとてもカッコイイ神社だ。鳥居をくぐった先の参道は長く、周りを田んぼが囲んでいる。 かつて農村風景の中にあった神社はどこもこんなふうだったのだろうと思わせる。今の名古屋ではもうほぼ失われてしまった風景がここに残っていた。 こうなるともう社殿や歴史などどうでもよくなってしまって、この神社風景にしばし見とれることになった。 港区の中で最も印象に残...

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見た目が熱田社っぽい西福田5神明社

 港区西福田5にある神明社(地図)。 西福田新田の中心神社だったのではないかと思うのだけど、創建のいきさつがはっきり伝わっていない。 干拓したのは鬼頭景義でも、実際に新田開発をしたのは志水甲斐守で、集落ができたのもその後ということであれば、神社創建は早くても1665年以降だろうか。そう決めつけることはできないのだけど。 指定村社だったとは言われないと気づけないくらいだ。かつてはもっと大きくて立派な神社...

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後ろは振り返らないサンデー料理

 どまつりが行われた週末だったけど、去年に続いて今年も行かなかった。気持ちが向かわなかったので無理に行くこともないと思って。どまつりは好きだし、どまつりを撮るのも楽しいのだけど、今年は行けなかった。また自然と気持ちが向かうときを待ちたい。 今週もサンデー料理はいつもの通り。 お馴染みの皿に定番の料理が並ぶ。 作る料理のメニューが固まったのは始めて何年後くらいからだったのだろう。気づけば自分のスタイ...

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福屋御鍬神社は名古屋市唯一の御鍬神社かも

 港区福屋にある御鍬神社(地図)。 境内社の御鍬社として何ヶ所かで見かけたことはあったけど、独立した御鍬神社としては初めて見た。名古屋市内ではここだけかもしれない。 御鍬信仰は伊勢の外宮の御田植神事から発したという説があるのだけど、はっきりしない。 御鍬様を村から村へと引き継いだとか、60年に一度、御鍬祭があったなどという話もある。 鍬(くわ)に宿った農耕の神様といったところだろうか。農家にとって鍬...

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道行き夏風景 2018

 夏は去ったと思わせてまだ去っていなかった。いつまでも暑い。 いいかげん体は慣れたけど、そろそろ暑いのにも飽きた。個人的には寒いより暑い方がずっといいのだけど。 気温が高いからといってそのまま写真に写るわけではない。夏らしさを写すのは意外と難しい。 今日は7月、8月に撮った道行き夏風景をお送りします。 ...

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西福田3丁目の方の熱田社は祭りの後

 港区西福田3丁目の熱田社(地図)。 西福田新田にあった熱田社のうちの一社で、西福田1丁目にも熱田社があるので、区別するために何丁目かまで付けないといけない。神明社も同じ町内に何社かあるから、そちらとも区別しなくてはいけなくて全部を覚えていられない。 この日はたまたま夏祭りが行われた日で、行ったときにすでに終わっていたのだけど、後片づけの途中で、まだ祭りの空気感が残っていた。西福田3丁目の熱田社は、...

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西福田4神明社は明治創建ではないと思うのだけど

 港区西福田4の神明社(地図)。 西福田新田にいくつかあった神明社のうちのひとつ。 神社由緒書きに「明治11年(1879年)に五穀豊穣と村中安全を願って鎮座」とあるのだけど、『愛知縣神社名鑑』は明治6年に据置公許になったと書くから、『愛知縣神社名鑑』の記述が正しければ明治11年鎮座は創建を意味していないということになる。江戸時代創建の神社なのだろうと思う。 西寺前の鎮守といい、寺前はすぐ北にある浄恩寺の門前...

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茶屋家の忘れ形見の三十番神が茶屋後神明社に

 港区新茶屋にある神明社(地図)。 かつての茶屋後新田(ちゃやのちしんでん)にあることから茶屋後神明社と称している。 尾張茶屋家二代の茶屋長以が1677年に茶屋後新田を開発するとき、三十番神を祀ったのが始まりで、新田が完成した1679年を創建年としている。 明治の神仏分離令で三十番神を神社で祀ることが禁じられたため、伊勢の神宮から勧請して神明社として再出発することになった。 そのあたりの歴史などについては...

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農村風景の中にある新茶屋秋葉社

 港区新茶屋にある秋葉社(地図)。 港区の西南端に近い日光川河口そばにあって、このあたりは時代に取り越されたような農村風景が広がっている。名古屋にもまだこんな場所が残っていたんだと嬉しくなった。 この秋葉社は、かつて茶屋後新田と小川新田を分ける堤防の土手に鎮座している。この堤防下の南側まで茶屋後新田だったようだ。現在は新茶屋と天目町の両方の氏神になっているのだろう。 いつ誰が建てたなど、詳しいこと...

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在庫写真より ~神社こぼれ写真

 在庫写真より。 神社仏閣こぼれ写真をお送りします。 ...

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小川新田の守り神だった熱田社

 港区小川にある熱田社(地図)。 ここは江戸時代中後期の1797年(寛政9年)に十四山村の佐藤五兵衛が開発した新田だったところだ。最初は福富新田や五兵新田などと呼ばれていたものを、後に小川伝兵衛たちが買い取り、1805年(文化2年)からは小川新田というようになった。現在の町名の小川はそこから来ている。 この熱田社は、最初の開発者の佐藤五兵衛が勧請したものなのか、後の時代に別の誰かが建てたものなのか、よく分か...

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東茶屋にある名前の分からない社

 港区東茶屋にある名前の分からない小さな社(地図)。 道を挟んで向かいには観音像や地蔵像、弘法像を安置したお堂があって、その隣は何かの建物を建てている最中で、社の後ろは空き地になっている。 地図を見ると社の向かいは南陽消防団器具庫とある。消防団に関係する社なら秋葉社とも考えられるけど、はっきりしたことは何も分からない。 なんにしても、集落の守り神としてわりと古くからあるんじゃないかと思う。 社はか...

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去りゆく夏を感じるサンデー料理

 あまりにも暑すぎてかえって夏らしさを感じないままここまで来てしまったのだけど、お盆を過ぎたら唐突に暑さが失速して、もう秋かと思うような空気になっている。そうして、夏が行く頃にになってようやく夏を感じている。 今年はやっぱりおかしな夏だった。 恒例になった宵の明治村(web)のステージ撮影も終えて、気分的にもひと段落ついた。秋に向けていろいろやらないといけないこともあるのだけど、まずは名古屋神社ガイ...

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かつての新東海道沿いにある小賀須の天照皇大神宮・天王社

 港区小賀須にある天照皇大神宮(地図)。 新川の右岸堤防道路沿いで、神社前の道が明治以降の新東海道だった。 三社並んだ社は、天照皇大神宮、津島神社、熱田神宮と書かれている。 もともとここに三社並んでいたのではなく別の場所から移されてまとめられた可能性が高そうだ。 参拝所の屋根に天王社の名札(手作り)が掛かっている。津島社が元は天王社だっただろうけど、わざわざ新しく天王社の名札を掲げるということは、...

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立派すぎるくらいの港区秋葉の秋葉社

 港区秋葉にある秋葉社(地図)。 秋葉は秋葉社があることから名づけられた町名で、それ以前は添地と呼ばれていたようだ。 江戸時代は茶屋新田だった。 歴史については神社サイトの秋葉社(秋葉)のページに書いた。 非常に立派な秋葉社で、こんなに立派な秋葉社は名古屋にはあまりない。指定村社にまでなった秋葉社は市内ではここだけではないかと思う。 良くも悪くも秋葉社っぽさはない。秋葉社にしては立派すぎるといった...

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知多の大府からの移住者達が建てた知多山神社

 港区知多にある山神社(地図)。 知多半島の大府から東福田新田に移住してきた人たちが暮らす集落だったことから知多郡屋敷と呼ばれ、彼らが故郷の氏神である山神社を祀ったのは始まりと伝わる。愛媛県今治市にある大三島の大山祇神社を勧請したものだという。 港区は全域が干拓や埋め立てで人工的に作った土地なので、当然山はない。大部分が海抜0メートル地帯だ。だから、普通であれば山神社はない。知多からの移住者が故郷...

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國常立命を祀る干拓新田の守り神、七反野神明社

 港区七反野にある神明社(地図)。 東福田新田の堤防を締め切ったときに、そのすぐ北に鬼頭景義が國常立命を祀ったのが始まりという。 東福田新田に國常立命を祀る神明社が3社もあるのは、ここが元になっているのかもしれない。けど、何故、國常立命だったのかは分からない。鬼頭景義個人の思いからなのか、当時の人たちにとって思い入れのある神だったのか。 そのあたりのことは神社サイトの神明社(七反野)のページに書い...

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港区の西の代表、旧・郷社の春田野神明社

 港区春田野にある神明社(地図)。 港区内で旧・郷社は築地神社と、この春田野の神明社の二社のみなので、港区の西を代表する神社といっていい。 東福田新田を開発した鬼頭景義が國常立命を祀ったのが始まりと伝わっている。 何故、鬼頭景義は新田村の守り神として國常立命を祀ったのか? その意図や思いがよく分からないのだけど、國常立命に対する特別な思い入れでもあったのかもしれない。 その他、歴史などについては神...

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南陽村忠魂社から南陽神社に

 港区春田野にある南陽神社(地図)。 1640年に八田村の豪農だった鬼頭景義が開発した福田東新田で、後に南陽村になったところに神社はある。南陽村時代の村役場がここにあった。 大正12年(1923年)に、南陽村に関係する戦没者を祀るために忠魂社を建てたのが始まりで、戦後の昭和31年(1956年)に南陽神社としてあらためて建てられた。 歴史などについては神社サイトの南陽神社のページで。 鬼頭景義とその子孫は代々このあ...

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蟹がいてもいなくても東蟹田神明社

 港区東蟹田の神明社(地図)。 江戸時代前期に開発された福田新田の内で、まだ農地が残っていて用水路も縦横に巡っている。蟹田の地名の通り、今でも蟹はいるだろうか。もういないかもしれない。30年くらい前までは沢ガニなどは普通にいたものだけど。 蟹田の地名は蟹が多かったからという説と、干田から来ているという説がある。後者の方がもっともらしいけど、蟹説が間違いとも言い切れない。 その他、歴史などについては神...

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夜の熱田神宮はオススメ

 夜の熱田神宮(地図)を訪れてみたいと前から思っていて、ひょんなことからそれが実現した。 実際に訪れてみて知ったのは、想像していた以上にずっと明るいということと、思いのほか参拝に訪れている人の数が多いことだった。 拝殿前はもちろん、参道も灯がともっていて、郊外の住宅地より明るいくらいだ。ほとんど暗闇の中を手探りでいくようなイメージを持っていたので逆に拍子抜けした。 訪れる人が多いことには驚いた。こ...

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保食神を祀る港区八百島の稲荷社

 港区八百島にある稲荷社(地図)。 明治になって村社に列格した稲荷社は多くはないけどまずまずある。 しかし、保食神(うけもちのかみ)を主祭神とする稲荷社は少ない。名古屋市内でいうと東区の義市稲荷くらいしかない。熱田八番の寶田社もあるけど稲荷社ではない。 ウケモチを祀るとしたのは江戸時代の創建時からなのか、明治以降のことなのか。 この神社は見た目からして稲荷社らしくないし、『尾張志』や『尾張徇行記』...

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雷雨停電のちサンデー料理

 今日の名古屋は夕方急に激しい雷雨に見舞われ、うちに雷が落ちて停電になるというオマケつきで、料理前にバタバタした。停電が続いたら料理もできないところだったのだけど、すぐに復旧したので特に問題はなかった。 異常に暑い毎日が続いていて、この調子ではお盆が過ぎても涼しくなりそうにない。もう立秋も過ぎたというのに真夏の勢いは衰えない。まあ、そういう年もあるさとあきらめて受け入れるしかない。 縄文海進の頃は...

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中島新田村に譲ってもらった? 港区船頭場の白山社

 港区船頭場にある白山社(地図)。 神社の由緒書きによると、729年に荒子村の観音寺を泰澄が建てたときに鎮守として白山権現を祀ったのが始まりで、荒子村の出郷だった中島新田村にあったものを1804年に東福田新田の船頭場集落が譲ってもらったのだという。 そのまま信じていいのかどうかはちょっと分からないのだけど、中島新田村にあったものを譲り受けたというのは本当ではないかと思う。 ただし、『尾張志』(1844年)に...

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小賀須の氏神は最初から秋葉社だったのか

 港区小賀須にある秋葉社(地図)。 東福田新田の小賀須(こがす)集落の氏神には違いないのだけど、もともと秋葉社だったかというと違うような気もする。『尾張志』(1844年)の福田新田村の項にあるのは「神明ノ社三社 山神ノ社 熱田大明神ノ社二所」の6社で、この中に秋葉社はない。 東福田新田が開発されたのは1640年から1643年にかけてで、それぞれの集落ができたのはその後ということになるだろうけど、集落の氏神とし...

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歴史の湿り気がある東茶屋神明社

 港区東茶屋にある神明社(地図)。 道一本隔てて八幡社(男山八幡宮)と隣接している。これだけ近い距離に神社が並んでいる例は珍しい。 江戸時代半ばから明治にかけて二社は合併していたというのだけど、その経緯に関して少し分からない部分がある。そのあたりは神社サイトの神明社(東茶屋)のページに書いた。 並んでいるからといって比較する必要はないのだけど、全然空気が違っている。神明社の方が古びていて重たい。湿...

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東茶屋の八幡社は男山八幡宮が正式名なのか

 港区東茶屋にある八幡社(地図)。 地図も社号標も男山八幡宮になっているけど、神社本庁の登録は八幡社なので、正式名としては八幡社のはずだ。もしくは途中で男山八幡宮に改称しただろうか。 1815年に茶屋新田に水が入ったときに社殿が流出してしまったため、同じ茶屋新田にあった神明社と合併して、明治17年(1884年)に再び独立したというのだけど、そのあたりの経緯がはっきり分からない。現在、神明社と八幡社は細い道を...

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