月別:2018年08月

記事一覧
  • 小さいけど福田前新田の村社だった神明社

     港区福前の神明社(地図)。 江戸時代の福田前新田に建てられた神明社で、福前の町名は福田前新田から来ている。 小さな規模の神社ではありながら、福田前新田の村社だった。 ここが名古屋最西端神社だと思ったら、少し北の六軒家に秋葉社があるらしく、そちらの方がやや西になる。 これで港区の神社は全部回ったと喜んでいたのだけど、まだ8社くらい回っていないところがあることを教えていただいて、ありがたくもがっかり...

    2018/08/31

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 長い参道を持つ田んぼに囲まれた畑中神明社

     港区畑中にある神明社(地図)。 ここも西福田1熱田社と同じように田んぼに囲まれた長い参道を持つ神社だ。 この風景をカッコイイと感じる感覚はどこから来るのだろう。懐かしいからなのか、懐かしさとは別のものなのか。 参道が街道のようになっているのもこの神社の特徴で、こういう神社は他にはなかなかない。 歴史などについては神社サイトの神明社(畑中)のページで。【アクセス】 ・近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から...

    2018/08/30

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 福屋の熱田社も西福田新田にあった熱田大明神のひとつなのだけど

     港区福屋にある熱田社(地図)。 ここも西福田新田にあった熱田社のひとつだ。ただ、西福田新田の神社はどこもよく分からない。このエリアの神社だけ記録がぽっかり抜け落ちてしまっているような感覚さえある。 もしかするとひとつのピースがはまればあとは連動するようにすべて分かったりするのだろうか。 歴史などについては神社サイトの熱田社(福屋)のページで。 境内社の秋葉社と塩竈社。 港区は海を干拓して作った土...

    2018/08/29

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 港区西福田1熱田社は失われてしまった農村神社風景

     港区西福田1にある熱田社(地図)。 田んぼ風景の中にあるとてもカッコイイ神社だ。鳥居をくぐった先の参道は長く、周りを田んぼが囲んでいる。 かつて農村風景の中にあった神社はどこもこんなふうだったのだろうと思わせる。今の名古屋ではもうほぼ失われてしまった風景がここに残っていた。 こうなるともう社殿や歴史などどうでもよくなってしまって、この神社風景にしばし見とれることになった。 港区の中で最も印象に残...

    2018/08/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 見た目が熱田社っぽい西福田5神明社

     港区西福田5にある神明社(地図)。 西福田新田の中心神社だったのではないかと思うのだけど、創建のいきさつがはっきり伝わっていない。 干拓したのは鬼頭景義でも、実際に新田開発をしたのは志水甲斐守で、集落ができたのもその後ということであれば、神社創建は早くても1665年以降だろうか。そう決めつけることはできないのだけど。 指定村社だったとは言われないと気づけないくらいだ。かつてはもっと大きくて立派な神社...

    2018/08/27

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 後ろは振り返らないサンデー料理

     どまつりが行われた週末だったけど、去年に続いて今年も行かなかった。気持ちが向かわなかったので無理に行くこともないと思って。どまつりは好きだし、どまつりを撮るのも楽しいのだけど、今年は行けなかった。また自然と気持ちが向かうときを待ちたい。 今週もサンデー料理はいつもの通り。 お馴染みの皿に定番の料理が並ぶ。 作る料理のメニューが固まったのは始めて何年後くらいからだったのだろう。気づけば自分のスタイ...

    2018/08/26

    料理(Cooking)

  • 福屋御鍬神社は名古屋市唯一の御鍬神社かも

     港区福屋にある御鍬神社(地図)。 境内社の御鍬社として何ヶ所かで見かけたことはあったけど、独立した御鍬神社としては初めて見た。名古屋市内ではここだけかもしれない。 御鍬信仰は伊勢の外宮の御田植神事から発したという説があるのだけど、はっきりしない。 御鍬様を村から村へと引き継いだとか、60年に一度、御鍬祭があったなどという話もある。 鍬(くわ)に宿った農耕の神様といったところだろうか。農家にとって鍬...

    2018/08/26

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 道行き夏風景 2018

     夏は去ったと思わせてまだ去っていなかった。いつまでも暑い。 いいかげん体は慣れたけど、そろそろ暑いのにも飽きた。個人的には寒いより暑い方がずっといいのだけど。 気温が高いからといってそのまま写真に写るわけではない。夏らしさを写すのは意外と難しい。 今日は7月、8月に撮った道行き夏風景をお送りします。 ...

    2018/08/25

    日常写真(Everyday life)

  • 西福田3丁目の方の熱田社は祭りの後

     港区西福田3丁目の熱田社(地図)。 西福田新田にあった熱田社のうちの一社で、西福田1丁目にも熱田社があるので、区別するために何丁目かまで付けないといけない。神明社も同じ町内に何社かあるから、そちらとも区別しなくてはいけなくて全部を覚えていられない。 この日はたまたま夏祭りが行われた日で、行ったときにすでに終わっていたのだけど、後片づけの途中で、まだ祭りの空気感が残っていた。西福田3丁目の熱田社は、...

    2018/08/25

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 西福田4神明社は明治創建ではないと思うのだけど

     港区西福田4の神明社(地図)。 西福田新田にいくつかあった神明社のうちのひとつ。 神社由緒書きに「明治11年(1879年)に五穀豊穣と村中安全を願って鎮座」とあるのだけど、『愛知縣神社名鑑』は明治6年に据置公許になったと書くから、『愛知縣神社名鑑』の記述が正しければ明治11年鎮座は創建を意味していないということになる。江戸時代創建の神社なのだろうと思う。 西寺前の鎮守といい、寺前はすぐ北にある浄恩寺の門前...

    2018/08/24

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 茶屋家の忘れ形見の三十番神が茶屋後神明社に

     港区新茶屋にある神明社(地図)。 かつての茶屋後新田(ちゃやのちしんでん)にあることから茶屋後神明社と称している。 尾張茶屋家二代の茶屋長以が1677年に茶屋後新田を開発するとき、三十番神を祀ったのが始まりで、新田が完成した1679年を創建年としている。 明治の神仏分離令で三十番神を神社で祀ることが禁じられたため、伊勢の神宮から勧請して神明社として再出発することになった。 そのあたりの歴史などについては...

    2018/08/23

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 農村風景の中にある新茶屋秋葉社

     港区新茶屋にある秋葉社(地図)。 港区の西南端に近い日光川河口そばにあって、このあたりは時代に取り越されたような農村風景が広がっている。名古屋にもまだこんな場所が残っていたんだと嬉しくなった。 この秋葉社は、かつて茶屋後新田と小川新田を分ける堤防の土手に鎮座している。この堤防下の南側まで茶屋後新田だったようだ。現在は新茶屋と天目町の両方の氏神になっているのだろう。 いつ誰が建てたなど、詳しいこと...

    2018/08/22

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 在庫写真より ~神社こぼれ写真

     在庫写真より。 神社仏閣こぼれ写真をお送りします。 ...

    2018/08/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 小川新田の守り神だった熱田社

     港区小川にある熱田社(地図)。 ここは江戸時代中後期の1797年(寛政9年)に十四山村の佐藤五兵衛が開発した新田だったところだ。最初は福富新田や五兵新田などと呼ばれていたものを、後に小川伝兵衛たちが買い取り、1805年(文化2年)からは小川新田というようになった。現在の町名の小川はそこから来ている。 この熱田社は、最初の開発者の佐藤五兵衛が勧請したものなのか、後の時代に別の誰かが建てたものなのか、よく分か...

    2018/08/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 東茶屋にある名前の分からない社

     港区東茶屋にある名前の分からない小さな社(地図)。 道を挟んで向かいには観音像や地蔵像、弘法像を安置したお堂があって、その隣は何かの建物を建てている最中で、社の後ろは空き地になっている。 地図を見ると社の向かいは南陽消防団器具庫とある。消防団に関係する社なら秋葉社とも考えられるけど、はっきりしたことは何も分からない。 なんにしても、集落の守り神としてわりと古くからあるんじゃないかと思う。 社はか...

    2018/08/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 去りゆく夏を感じるサンデー料理

     あまりにも暑すぎてかえって夏らしさを感じないままここまで来てしまったのだけど、お盆を過ぎたら唐突に暑さが失速して、もう秋かと思うような空気になっている。そうして、夏が行く頃にになってようやく夏を感じている。 今年はやっぱりおかしな夏だった。 恒例になった宵の明治村(web)のステージ撮影も終えて、気分的にもひと段落ついた。秋に向けていろいろやらないといけないこともあるのだけど、まずは名古屋神社ガイ...

    2018/08/19

    料理(Cooking)

  • かつての新東海道沿いにある小賀須の天照皇大神宮・天王社

     港区小賀須にある天照皇大神宮(地図)。 新川の右岸堤防道路沿いで、神社前の道が明治以降の新東海道だった。 三社並んだ社は、天照皇大神宮、津島神社、熱田神宮と書かれている。 もともとここに三社並んでいたのではなく別の場所から移されてまとめられた可能性が高そうだ。 参拝所の屋根に天王社の名札(手作り)が掛かっている。津島社が元は天王社だっただろうけど、わざわざ新しく天王社の名札を掲げるということは、...

    2018/08/19

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 立派すぎるくらいの港区秋葉の秋葉社

     港区秋葉にある秋葉社(地図)。 秋葉は秋葉社があることから名づけられた町名で、それ以前は添地と呼ばれていたようだ。 江戸時代は茶屋新田だった。 歴史については神社サイトの秋葉社(秋葉)のページに書いた。 非常に立派な秋葉社で、こんなに立派な秋葉社は名古屋にはあまりない。指定村社にまでなった秋葉社は市内ではここだけではないかと思う。 良くも悪くも秋葉社っぽさはない。秋葉社にしては立派すぎるといった...

    2018/08/18

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 知多の大府からの移住者達が建てた知多山神社

     港区知多にある山神社(地図)。 知多半島の大府から東福田新田に移住してきた人たちが暮らす集落だったことから知多郡屋敷と呼ばれ、彼らが故郷の氏神である山神社を祀ったのは始まりと伝わる。愛媛県今治市にある大三島の大山祇神社を勧請したものだという。 港区は全域が干拓や埋め立てで人工的に作った土地なので、当然山はない。大部分が海抜0メートル地帯だ。だから、普通であれば山神社はない。知多からの移住者が故郷...

    2018/08/18

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 國常立命を祀る干拓新田の守り神、七反野神明社

     港区七反野にある神明社(地図)。 東福田新田の堤防を締め切ったときに、そのすぐ北に鬼頭景義が國常立命を祀ったのが始まりという。 東福田新田に國常立命を祀る神明社が3社もあるのは、ここが元になっているのかもしれない。けど、何故、國常立命だったのかは分からない。鬼頭景義個人の思いからなのか、当時の人たちにとって思い入れのある神だったのか。 そのあたりのことは神社サイトの神明社(七反野)のページに書い...

    2018/08/17

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 港区の西の代表、旧・郷社の春田野神明社

     港区春田野にある神明社(地図)。 港区内で旧・郷社は築地神社と、この春田野の神明社の二社のみなので、港区の西を代表する神社といっていい。 東福田新田を開発した鬼頭景義が國常立命を祀ったのが始まりと伝わっている。 何故、鬼頭景義は新田村の守り神として國常立命を祀ったのか? その意図や思いがよく分からないのだけど、國常立命に対する特別な思い入れでもあったのかもしれない。 その他、歴史などについては神...

    2018/08/16

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 南陽村忠魂社から南陽神社に

     港区春田野にある南陽神社(地図)。 1640年に八田村の豪農だった鬼頭景義が開発した福田東新田で、後に南陽村になったところに神社はある。南陽村時代の村役場がここにあった。 大正12年(1923年)に、南陽村に関係する戦没者を祀るために忠魂社を建てたのが始まりで、戦後の昭和31年(1956年)に南陽神社としてあらためて建てられた。 歴史などについては神社サイトの南陽神社のページで。 鬼頭景義とその子孫は代々このあ...

    2018/08/15

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 蟹がいてもいなくても東蟹田神明社

     港区東蟹田の神明社(地図)。 江戸時代前期に開発された福田新田の内で、まだ農地が残っていて用水路も縦横に巡っている。蟹田の地名の通り、今でも蟹はいるだろうか。もういないかもしれない。30年くらい前までは沢ガニなどは普通にいたものだけど。 蟹田の地名は蟹が多かったからという説と、干田から来ているという説がある。後者の方がもっともらしいけど、蟹説が間違いとも言い切れない。 その他、歴史などについては神...

    2018/08/14

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 夜の熱田神宮はオススメ

     夜の熱田神宮(地図)を一度訪ねてみたいと以前から思っていて、それがひょんなことから実現した。 実際に訪れてみて知ったのは、想像していた以上にずっと明るいということと、思いのほか参拝に訪れている人の数が多いことだった。 拝殿前はもちろん、参道も灯がともっていて、郊外の住宅街より明るいくらいだ。ほとんど暗闇の中を手探りでいくようなイメージを持っていたので逆に拍子抜けした。 このときは夜の22時から23時...

    2018/08/13

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 保食神を祀る港区八百島の稲荷社

     港区八百島にある稲荷社(地図)。 明治になって村社に列格した稲荷社は多くはないけどまずまずある。 しかし、保食神(うけもちのかみ)を主祭神とする稲荷社は少ない。名古屋市内でいうと東区の義市稲荷くらいしかない。熱田八番の寶田社もあるけど稲荷社ではない。 ウケモチを祀るとしたのは江戸時代の創建時からなのか、明治以降のことなのか。 この神社は見た目からして稲荷社らしくないし、『尾張志』や『尾張徇行記』...

    2018/08/13

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 雷雨停電のちサンデー料理

     今日の名古屋は夕方急に激しい雷雨に見舞われ、うちに雷が落ちて停電になるというオマケつきで、料理前にバタバタした。停電が続いたら料理もできないところだったのだけど、すぐに復旧したので特に問題はなかった。 異常に暑い毎日が続いていて、この調子ではお盆が過ぎても涼しくなりそうにない。もう立秋も過ぎたというのに真夏の勢いは衰えない。まあ、そういう年もあるさとあきらめて受け入れるしかない。 縄文海進の頃は...

    2018/08/12

    料理(Cooking)

  • 中島新田村に譲ってもらった? 港区船頭場の白山社

     港区船頭場にある白山社(地図)。 神社の由緒書きによると、729年に荒子村の観音寺を泰澄が建てたときに鎮守として白山権現を祀ったのが始まりで、荒子村の出郷だった中島新田村にあったものを1804年に東福田新田の船頭場集落が譲ってもらったのだという。 そのまま信じていいのかどうかはちょっと分からないのだけど、中島新田村にあったものを譲り受けたというのは本当ではないかと思う。 ただし、『尾張志』(1844年)に...

    2018/08/12

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 小賀須の氏神は最初から秋葉社だったのか

     港区小賀須にある秋葉社(地図)。 東福田新田の小賀須(こがす)集落の氏神には違いないのだけど、もともと秋葉社だったかというと違うような気もする。『尾張志』(1844年)の福田新田村の項にあるのは「神明ノ社三社 山神ノ社 熱田大明神ノ社二所」の6社で、この中に秋葉社はない。 東福田新田が開発されたのは1640年から1643年にかけてで、それぞれの集落ができたのはその後ということになるだろうけど、集落の氏神とし...

    2018/08/11

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 歴史の湿り気がある東茶屋神明社

     港区東茶屋にある神明社(地図)。 道一本隔てて八幡社(男山八幡宮)と隣接している。これだけ近い距離に神社が並んでいる例は珍しい。 江戸時代半ばから明治にかけて二社は合併していたというのだけど、その経緯に関して少し分からない部分がある。そのあたりは神社サイトの神明社(東茶屋)のページに書いた。 並んでいるからといって比較する必要はないのだけど、全然空気が違っている。神明社の方が古びていて重たい。湿...

    2018/08/10

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 東茶屋の八幡社は男山八幡宮が正式名なのか

     港区東茶屋にある八幡社(地図)。 地図も社号標も男山八幡宮になっているけど、神社本庁の登録は八幡社なので、正式名としては八幡社のはずだ。もしくは途中で男山八幡宮に改称しただろうか。 1815年に茶屋新田に水が入ったときに社殿が流出してしまったため、同じ茶屋新田にあった神明社と合併して、明治17年(1884年)に再び独立したというのだけど、そのあたりの経緯がはっきり分からない。現在、神明社と八幡社は細い道を...

    2018/08/09

    神社仏閣(Shrines and temples)

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小さいけど福田前新田の村社だった神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
福前神明社

 港区福前の神明社(地図)。
 江戸時代の福田前新田に建てられた神明社で、福前の町名は福田前新田から来ている。
 小さな規模の神社ではありながら、福田前新田の村社だった。
 ここが名古屋最西端神社だと思ったら、少し北の六軒家に秋葉社があるらしく、そちらの方がやや西になる。
 これで港区の神社は全部回ったと喜んでいたのだけど、まだ8社くらい回っていないところがあることを教えていただいて、ありがたくもがっかりしてしまったのだった。来月、もう一度港区を回らないといけない。
 歴史などについては神社サイトの神明社(福前)のページで。



福前神明社参道から正面




福前神明社の社




福前神明社境内の風景




福前神明社昭和八年




福前神明社全景

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から徒歩約40分
 ・「河合小橋バス停留所」から徒歩約8分
 ・駐車場 なし
 

長い参道を持つ田んぼに囲まれた畑中神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
畑中神明社

 港区畑中にある神明社(地図)。
 ここも西福田1熱田社と同じように田んぼに囲まれた長い参道を持つ神社だ。
 この風景をカッコイイと感じる感覚はどこから来るのだろう。懐かしいからなのか、懐かしさとは別のものなのか。
 参道が街道のようになっているのもこの神社の特徴で、こういう神社は他にはなかなかない。
 歴史などについては神社サイトの神明社(畑中)のページで。



畑中神明社参道鳥居前




畑中神明社参道




畑中神明社拝殿前




畑中神明社拝殿




畑中神明社拝殿額




畑中神明社社殿横から




畑中神明社社殿と田んぼ




畑中神明社鳥居に蝉

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から徒歩約28分
 ・「二ツ矢橋バス停留所」から徒歩約6分
 ・駐車場 なし
 

福屋の熱田社も西福田新田にあった熱田大明神のひとつなのだけど

神社仏閣(Shrines and temples)
福屋熱田社

 港区福屋にある熱田社(地図)。
 ここも西福田新田にあった熱田社のひとつだ。ただ、西福田新田の神社はどこもよく分からない。このエリアの神社だけ記録がぽっかり抜け落ちてしまっているような感覚さえある。
 もしかするとひとつのピースがはまればあとは連動するようにすべて分かったりするのだろうか。
 歴史などについては神社サイトの熱田社(福屋)のページで。



福屋熱田社入り口鳥居前




福屋熱田社蕃塀




福屋熱田社参道から拝殿へ




福屋熱田社拝殿前




福屋熱田社拝殿内




福屋熱田社本社




福屋熱田社境内社

 境内社の秋葉社と塩竈社。
 港区は海を干拓して作った土地にもかかわらず、塩竈社は少ない。ここの他に印象がないくらいだ。



福屋熱田社石碑




福屋熱田社境内の風景




福屋熱田社鳥居と夏空

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から徒歩約33分
 ・「新西福橋バス停留所」から徒歩約11分
 ・駐車場 なし
 

港区西福田1熱田社は失われてしまった農村神社風景

神社仏閣(Shrines and temples)
西福田1熱田社

 港区西福田1にある熱田社(地図)。
 田んぼ風景の中にあるとてもカッコイイ神社だ。鳥居をくぐった先の参道は長く、周りを田んぼが囲んでいる。
 かつて農村風景の中にあった神社はどこもこんなふうだったのだろうと思わせる。今の名古屋ではもうほぼ失われてしまった風景がここに残っていた。
 こうなるともう社殿や歴史などどうでもよくなってしまって、この神社風景にしばし見とれることになった。
 港区の中で最も印象に残る神社となった。
 歴史などについては分かる範囲で神社サイトの熱田社(西福田1)のページに書いた。



西福田1熱田社鳥居前




西福田1熱田社参道進む




西福田1熱田社二の鳥居前




西福田1熱田社手水舎と田んぼ




西福田1熱田社拝殿前




西福田1熱田社拝殿




西福田1熱田社本社




西福田1熱田社境内の風景




西福田1熱田社秋葉社




西福田1熱田社秋葉社本社




西福田1熱田社古い狛犬

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約32分
 ・「海東バス停留所」から徒歩約6分
 ・駐車場 なし
 

見た目が熱田社っぽい西福田5神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
西福田5神明社

 港区西福田5にある神明社(地図)。
 西福田新田の中心神社だったのではないかと思うのだけど、創建のいきさつがはっきり伝わっていない。
 干拓したのは鬼頭景義でも、実際に新田開発をしたのは志水甲斐守で、集落ができたのもその後ということであれば、神社創建は早くても1665年以降だろうか。そう決めつけることはできないのだけど。
 指定村社だったとは言われないと気づけないくらいだ。かつてはもっと大きくて立派な神社だったかもしれない。
 見た目がどこか熱田社っぽい。このあたり一帯の神社建築を受け持った業者が同じだからではないだろうか。
 歴史などについては神社サイトの神明社(西福田5)のページで。



西福田5神明社参道




西福田5神明社蕃塀




西福田5神明社拝殿前




西福田5神明社拝殿




西福田5神明社境内の風景




西福田5神明社社殿横から




西福田5神明社東入口




西福田5神明社古い社号標




西福田5神明社秋葉社前




西福田5神明社神楽屋形

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約38分
 ・「海東バス停留所」から徒歩約3分
 ・駐車場 なし
 

後ろは振り返らないサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 どまつりが行われた週末だったけど、去年に続いて今年も行かなかった。気持ちが向かわなかったので無理に行くこともないと思って。どまつりは好きだし、どまつりを撮るのも楽しいのだけど、今年は行けなかった。また自然と気持ちが向かうときを待ちたい。

 今週もサンデー料理はいつもの通り。
 お馴染みの皿に定番の料理が並ぶ。
 作る料理のメニューが固まったのは始めて何年後くらいからだったのだろう。気づけば自分のスタイルが確立していて、そこから動かすことができなくなっていた。
 そういえば最近やっていないものとしてギョーザがある。前はちょくちょく作っていた。ギョーザも簡単そうで意外と難しい料理で、お店レベルのものは作れない。近々またギョーザもやろう。
 他にも忘れているものがありそうだから、過去のサンデー料理を見返すのもいい。これまでほとんど見返したことがない。後ろは振り返られない人間といえば聞こえはいいけど、実際は記憶力がないだけだ。作ったそばから何を作ったか忘れている。先週のサンデー料理など、一品も思い出せない。



マグロとトマト

「マグロとトマト煮」
 マグロとトマトの組み合わせが合うかどうか確かめたくて作ってみた。これがけっこう合う。
 オリーブオイルでトマトを炒める。
 マグロに塩、コショウ、酒を振って少し置く。
 炒めたトマトに、酒、みりん、しょう油、コンソメの素を入れて味付けをして、マグロを加えて火が通るまで加熱する。
 タマネギや他のものを入れてもよさそうだ。



ジャガイモその他野菜炒め

「野菜炒め」
 野菜炒めなのだろうけど、一般的な野菜炒めとは少し違う気もする。
 ジャガイモ、ニンジン、アスパラを下茹でする。
 オリーブオイルで鶏肉とタマネギを炒める。
 ジャガイモ、ニンジンを加え、酒、みりん、しょう油、コンソメの素、塩、コショウで味付けをする。
 終盤でアスパラを入れる。
 とろけるチーズを加えて混ぜ合わせる。



豆腐のピリ辛

「ピリ辛豆腐」
 ごま油で刻んだ長ネギ、シーチキン缶、ショウガ、豆板醤を炒める。
 豆腐は切り分けて茹でる。
 酒、みりん、しょう油、中華ダシの素、酒、みりん、塩、コショウで味付けする。
 豆腐としめじを加えてしばらく煮る。
 水溶きカタクリ粉を加えてとろみをつける。
 

福屋御鍬神社は名古屋市唯一の御鍬神社かも

神社仏閣(Shrines and temples)
御鍬神社

 港区福屋にある御鍬神社(地図)。
 境内社の御鍬社として何ヶ所かで見かけたことはあったけど、独立した御鍬神社としては初めて見た。名古屋市内ではここだけかもしれない。
 御鍬信仰は伊勢の外宮の御田植神事から発したという説があるのだけど、はっきりしない。
 御鍬様を村から村へと引き継いだとか、60年に一度、御鍬祭があったなどという話もある。
 鍬(くわ)に宿った農耕の神様といったところだろうか。農家にとって鍬は欠かせない農具だった。
 その他、歴史などについては神社サイトの御鍬神社(福屋)のページで。



御鍬神社の社と供養塔




御鍬神社の社正面




御鍬神社寄付者名




御鍬神社供養塔




御鍬神社供養塔の言葉

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から徒歩約49分
 ・「新西福橋バス停留所」から徒歩約1分
 ・駐車場 なし(コミュニティーセンターのものがある)
 

道行き夏風景 2018

日常写真(Everyday life)
愛知県庁前夏

 夏は去ったと思わせてまだ去っていなかった。いつまでも暑い。
 いいかげん体は慣れたけど、そろそろ暑いのにも飽きた。個人的には寒いより暑い方がずっといいのだけど。
 気温が高いからといってそのまま写真に写るわけではない。夏らしさを写すのは意外と難しい。
 今日は7月、8月に撮った道行き夏風景をお送りします。



名古屋城前歩道




明治村帝国ホテル




名古屋城石垣夏




名古屋駅西商店街夏




港区田園風景




スイフヨウと廃屋




煙突のある風景




川風景夏




夏の路地




一宮駅西口夕暮れ

 

西福田3丁目の方の熱田社は祭りの後

神社仏閣(Shrines and temples)
西福田3熱田社

 港区西福田3丁目の熱田社(地図)。
 西福田新田にあった熱田社のうちの一社で、西福田1丁目にも熱田社があるので、区別するために何丁目かまで付けないといけない。神明社も同じ町内に何社かあるから、そちらとも区別しなくてはいけなくて全部を覚えていられない。
 この日はたまたま夏祭りが行われた日で、行ったときにすでに終わっていたのだけど、後片づけの途中で、まだ祭りの空気感が残っていた。西福田3丁目の熱田社は、あの雰囲気と共に記憶されることになった。
 歴史などについては神社サイトの熱田社(西福田3)のページで。



西福田3熱田社拝殿




西福田3熱田社社殿横から




西福田3熱田社境内の風景




西福田3熱田社観音堂




西福田3熱田社祭りの後

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約45分
 ・「バス停留所」から徒歩約8分
 ・駐車場 なし
 

西福田4神明社は明治創建ではないと思うのだけど

神社仏閣(Shrines and temples)
西福田4神明社

 港区西福田4の神明社(地図)。
 西福田新田にいくつかあった神明社のうちのひとつ。
 神社由緒書きに「明治11年(1879年)に五穀豊穣と村中安全を願って鎮座」とあるのだけど、『愛知縣神社名鑑』は明治6年に据置公許になったと書くから、『愛知縣神社名鑑』の記述が正しければ明治11年鎮座は創建を意味していないということになる。江戸時代創建の神社なのだろうと思う。
 西寺前の鎮守といい、寺前はすぐ北にある浄恩寺の門前だったことから来ている。
 浄恩寺は1643年(1716年とも)に稲葉地(中村区)の広讃寺から分寺して創建されたとされ、港区最古の寺とされている。
 その他、歴史などについては神社サイトの神明社(西福田4)のページで。



西福田4神明社鳥居前




西福田4神明社拝殿




西福田4神明社拝殿内




西福田4神明社社殿横から




西福田4神明社本殿横から




西福田4神明社境内の風景




浄恩寺

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から徒歩約51分
 ・「新西福橋バス停留所」から徒歩約3分
 ・駐車場 なし
 

茶屋家の忘れ形見の三十番神が茶屋後神明社に

神社仏閣(Shrines and temples)
茶屋後神明社

 港区新茶屋にある神明社(地図)。
 かつての茶屋後新田(ちゃやのちしんでん)にあることから茶屋後神明社と称している。
 尾張茶屋家二代の茶屋長以が1677年に茶屋後新田を開発するとき、三十番神を祀ったのが始まりで、新田が完成した1679年を創建年としている。
 明治の神仏分離令で三十番神を神社で祀ることが禁じられたため、伊勢の神宮から勧請して神明社として再出発することになった。
 そのあたりの歴史などについては神社サイトの神明社(茶屋後)のページに書いた。

 なかなかいい神社で、港区を代表する神社のひとつといっていいと思う。
 ただ、お世話が行き届いておらず、少し荒れ気味なのが気になった。
 茶屋家は借金から新田を手放すことになり、後を引き継いだ関戸家も戦後に土地を小作人に譲ってしまった。
 少しお金と手を掛ければ立派な神社に戻るはずだ。



茶屋後神明社参道




茶屋後神明社蕃塀




茶屋後神明社拝殿内




茶屋後神明社本社




茶屋後神明社境内社




茶屋後神明社龍神社




茶屋後神明社三十番神




茶屋後神明社三十番神の社




茶屋後神明社御即位祈念碑




茶屋後神明社秋葉神社

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「近鉄蟹江駅」から徒歩約51分
 ・「新西福橋バス停留所」から徒歩約10分
 ・駐車場 あり
 

農村風景の中にある新茶屋秋葉社

神社仏閣(Shrines and temples)
新茶屋秋葉社遠望

 港区新茶屋にある秋葉社(地図)。
 港区の西南端に近い日光川河口そばにあって、このあたりは時代に取り越されたような農村風景が広がっている。名古屋にもまだこんな場所が残っていたんだと嬉しくなった。
 この秋葉社は、かつて茶屋後新田と小川新田を分ける堤防の土手に鎮座している。この堤防下の南側まで茶屋後新田だったようだ。現在は新茶屋と天目町の両方の氏神になっているのだろう。
 いつ誰が建てたなど、詳しいことは調べがつかなかった。
 歴史などについては神社サイトの秋葉社(新茶屋)のページで。



新茶屋秋葉社拝殿前




新茶屋秋葉社拝殿内




新茶屋秋葉社社の下




新茶屋秋葉社の社大小




新茶屋秋葉社境内の風景




新茶屋秋葉社拝殿から田んぼ




新茶屋秋葉社鳥居と田んぼ




新茶屋秋葉社社号標裏




新茶屋秋葉社鬼頭家石碑




新茶屋秋葉社水路と田園風景

【アクセス】
 ・「新茶屋南バス停留所」から徒歩約21分
 ・駐車場 なし
 

在庫写真より ~神社こぼれ写真

神社仏閣(Shrines and temples)
たんぽぽと神社

 在庫写真より。
 神社仏閣こぼれ写真をお送りします。



大縣神社拝殿内




新築の社




愛知縣護国神社遠くから




道ばたの石仏




石仏




寺前のお堂




手水鉢




折れた鳥居の土台




道ばたの地蔵堂




境内の楠




てるてる坊主

 

小川新田の守り神だった熱田社

神社仏閣(Shrines and temples)
小川熱田社

 港区小川にある熱田社(地図)。
 ここは江戸時代中後期の1797年(寛政9年)に十四山村の佐藤五兵衛が開発した新田だったところだ。最初は福富新田や五兵新田などと呼ばれていたものを、後に小川伝兵衛たちが買い取り、1805年(文化2年)からは小川新田というようになった。現在の町名の小川はそこから来ている。
 この熱田社は、最初の開発者の佐藤五兵衛が勧請したものなのか、後の時代に別の誰かが建てたものなのか、よく分からない。そのあたりははっきり伝わっていないようだ。
 祭神がヤマトタケルになっているのも当初からそうだったのか、明治以降にそうしたのか、なんとも言えない。おそらく後者だとは思うけど。
 広くはないけどなかなか整ったいい神社だ。
 その他の歴史などについては神社サイトの熱田社(小川)のページで。



小川熱田社正面拝殿前




小川熱田社拝殿




小川熱田社社殿横から




小川熱田社境内の風景




小川熱田社祈念碑とソテツ

【アクセス】
 ・「両茶橋バス停留所」から徒歩約11分
 ・駐車場 なし(隣にスペースあり)
 

東茶屋にある名前の分からない社

神社仏閣(Shrines and temples)
東茶屋不明社

 港区東茶屋にある名前の分からない小さな社(地図)。
 道を挟んで向かいには観音像や地蔵像、弘法像を安置したお堂があって、その隣は何かの建物を建てている最中で、社の後ろは空き地になっている。
 地図を見ると社の向かいは南陽消防団器具庫とある。消防団に関係する社なら秋葉社とも考えられるけど、はっきりしたことは何も分からない。
 なんにしても、集落の守り神としてわりと古くからあるんじゃないかと思う。
 社はかなり傷んでいるけど、植木の手入れはされている。捨て置かれているわけではなさそうだ。
 その他のことについては神社サイトの不明社(東茶屋)のページで。



東茶屋不明社の社




東茶屋不明社の社接近




東茶屋不明社石灯籠




東茶屋不明社全景




東茶屋不明社お堂の中

【アクセス】
 ・あおなみ線「名古屋競馬場前駅」から徒歩約65分
 ・「日ノ出橋バス停留所」から徒歩約13分
 ・駐車場 なし
 

去りゆく夏を感じるサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 あまりにも暑すぎてかえって夏らしさを感じないままここまで来てしまったのだけど、お盆を過ぎたら唐突に暑さが失速して、もう秋かと思うような空気になっている。そうして、夏が行く頃にになってようやく夏を感じている。
 今年はやっぱりおかしな夏だった。

 恒例になった宵の明治村(web)のステージ撮影も終えて、気分的にもひと段落ついた。秋に向けていろいろやらないといけないこともあるのだけど、まずは名古屋神社ガイドの完走を目指す。今のところ、10月の半ばくらいには一通り神社登録が済む予定でいる。サイトの完成は来年になるかもしれない。

 そんな8月後半。
 サンデー料理は変わらず淡々と続いていく。



エビのピリ辛

「エビのピリ辛」
 エビは下処理をして、卵白に絡める。
 むいた皮と頭をオリーブオイル、酒、みりんで炒める。
 殻を取り出す。
 そのまま長ネギとトマトを炒める。
 エビを加えて、酒、みりん、ショウガ、豆板醤、唐辛子、コンソメの素、塩、コショウで味付けをしながらエビに火が通るまで加熱する。



しいたけオクラニンジン

「しいたけ、オクラ、タマネギ、ニンジンの炒め物」
 ニンジンとオクラを下茹でする。
 オリーブオイルでタマネギを炒める。
 しいたけ、オクラ、ニンジンを加え、酒、みりん、しょう油、からし、塩、コショウで味付けする。
 卵黄とマヨネーズを入れて、混ぜ合わせながら軽く加熱する。



鶏肉とジャガイモ

「鶏肉とジャガイモの素揚げチーズ和え」
 鶏肉とジャガイモを素揚げする。
 オリーブオイル、マーガリンで鶏肉とジャガイモを炒める。
 酒、みりん、しょう油、塩、コショウで味付けして、とろけるチーズを加える。
 

かつての新東海道沿いにある小賀須の天照皇大神宮・天王社

神社仏閣(Shrines and temples)
天照皇大神宮・天王社

 港区小賀須にある天照皇大神宮(地図)。
 新川の右岸堤防道路沿いで、神社前の道が明治以降の新東海道だった。
 三社並んだ社は、天照皇大神宮、津島神社、熱田神宮と書かれている。
 もともとここに三社並んでいたのではなく別の場所から移されてまとめられた可能性が高そうだ。
 参拝所の屋根に天王社の名札(手作り)が掛かっている。津島社が元は天王社だっただろうけど、わざわざ新しく天王社の名札を掲げるということは、ここ自体、天王社を称しているのかもしれない。
 分かったことに関しては神社サイトの天照皇大神宮・津島社(小賀須)のページに書いた。



天照皇大神宮・天王社社号標




天照皇大神宮・天王社の名札




天照皇大神宮・天王社三社並び




天照皇大神宮・天王社玉垣の裏

【アクセス】
 ・あおなみ線「名古屋競馬場前駅」から徒歩約56分
 ・「日ノ出橋バス停留所」から徒歩約8分
 ・駐車場 なし
 

立派すぎるくらいの港区秋葉の秋葉社

神社仏閣(Shrines and temples)
秋葉秋葉社

 港区秋葉にある秋葉社(地図)。
 秋葉は秋葉社があることから名づけられた町名で、それ以前は添地と呼ばれていたようだ。
 江戸時代は茶屋新田だった。
 歴史については神社サイトの秋葉社(秋葉)のページに書いた。
 非常に立派な秋葉社で、こんなに立派な秋葉社は名古屋にはあまりない。指定村社にまでなった秋葉社は市内ではここだけではないかと思う。
 良くも悪くも秋葉社っぽさはない。秋葉社にしては立派すぎるといったら迦具土神に怒られるだろうか。



秋葉秋葉社社号標と鳥居




秋葉秋葉社参道




秋葉秋葉社拝殿




秋葉秋葉社拝殿彫り物




秋葉秋葉社本社




秋葉秋葉社境内社

【アクセス】
 ・あおなみ線「荒子川公園駅」から徒歩約79分
 ・「両茶橋北バス停留所」から徒歩約6分
 ・駐車場 あり
 

知多の大府からの移住者達が建てた知多山神社

神社仏閣(Shrines and temples)
知多山神社

 港区知多にある山神社(地図)。
 知多半島の大府から東福田新田に移住してきた人たちが暮らす集落だったことから知多郡屋敷と呼ばれ、彼らが故郷の氏神である山神社を祀ったのは始まりと伝わる。愛媛県今治市にある大三島の大山祇神社を勧請したものだという。
 港区は全域が干拓や埋め立てで人工的に作った土地なので、当然山はない。大部分が海抜0メートル地帯だ。だから、普通であれば山神社はない。知多からの移住者が故郷の神を祀ったという話は納得がいく。
 山神社は「やま-じんじゃ」なのか「やまがみ-しゃ」なのか、いつも迷うのだけど、ここは「やまのかみ-しゃ」と読ませるようだ。
 歴史などについては神社サイトの山神社(知多)のページで。



知多山神社拝殿




知多山神社社殿横から




知多山神社境内社




知多山神社境内の風景

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約60分
 ・「七反野バス停留所」から徒歩約5分
 ・駐車場 なし
 

國常立命を祀る干拓新田の守り神、七反野神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
七反野神明社

 港区七反野にある神明社(地図)。
 東福田新田の堤防を締め切ったときに、そのすぐ北に鬼頭景義が國常立命を祀ったのが始まりという。
 東福田新田に國常立命を祀る神明社が3社もあるのは、ここが元になっているのかもしれない。けど、何故、國常立命だったのかは分からない。鬼頭景義個人の思いからなのか、当時の人たちにとって思い入れのある神だったのか。
 そのあたりのことは神社サイトの神明社(七反野)のページに書いた。



七反野神明社参道

 道路で分断されて囲い方が甘いので、空気が抜けている。



七反野神明社分断道路




七反野神明社二の鳥居と拝殿




七反野神明社鳥居裏




七反野神明社狛犬




七反野神明社拝殿




七反野神明社太神宮




七反野神明社社殿横から




七反野神明社境内社




七反野地蔵堂

 神社の少し南に七反野の地蔵堂がある。
 ここが東福田新田の堤防締め切り地だった。
 工事で犠牲になった人たちの霊を慰めるために建てられたものだ。



七反野地蔵堂の社




七反野地蔵堂と観音堂

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約60分
 ・「七反野バス停留所」から徒歩約9分
 ・駐車場 なし
 

港区の西の代表、旧・郷社の春田野神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
春田野神明社

 港区春田野にある神明社(地図)。
 港区内で旧・郷社は築地神社と、この春田野の神明社の二社のみなので、港区の西を代表する神社といっていい。
 東福田新田を開発した鬼頭景義が國常立命を祀ったのが始まりと伝わっている。
 何故、鬼頭景義は新田村の守り神として國常立命を祀ったのか? その意図や思いがよく分からないのだけど、國常立命に対する特別な思い入れでもあったのかもしれない。
 その他、歴史などについては神社サイトの神明社(春田野)のページで。



春田野神明社参道




春田野神明社蕃塀




春田野神明社拝殿前




春田野神明社社殿横から




春田野神明社祭器庫




春田野神明社境内の風景

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約53分
 ・駐車場 なし
 

南陽村忠魂社から南陽神社に

神社仏閣(Shrines and temples)
南陽神社

 港区春田野にある南陽神社(地図)。
 1640年に八田村の豪農だった鬼頭景義が開発した福田東新田で、後に南陽村になったところに神社はある。南陽村時代の村役場がここにあった。
 大正12年(1923年)に、南陽村に関係する戦没者を祀るために忠魂社を建てたのが始まりで、戦後の昭和31年(1956年)に南陽神社としてあらためて建てられた。
 歴史などについては神社サイトの南陽神社のページで。



南陽神社二の鳥居前




南陽神社参道




南陽神社拝殿内




南陽神社神紋




南陽神社本殿横から




南陽神社境内の風景




南陽神社忠魂碑




南陽神社役場跡石碑




南陽神社明治天皇休憩所石碑




南陽神社鬼頭景義館跡

 鬼頭景義とその子孫は代々このあたりに住んでいた。
 屋敷は第二次大戦の空襲で焼けてしまい、焼け残った長屋門を神社裏手に移築した。



南陽神社長屋門

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約60分
 ・駐車場 なし
 

蟹がいてもいなくても東蟹田神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
東蟹田神明社

 港区東蟹田の神明社(地図)。
 江戸時代前期に開発された福田新田の内で、まだ農地が残っていて用水路も縦横に巡っている。蟹田の地名の通り、今でも蟹はいるだろうか。もういないかもしれない。30年くらい前までは沢ガニなどは普通にいたものだけど。
 蟹田の地名は蟹が多かったからという説と、干田から来ているという説がある。後者の方がもっともらしいけど、蟹説が間違いとも言い切れない。
 その他、歴史などについては神社サイトの神明社(東蟹田)のページで。



東蟹田神明社参道鳥居前




東蟹田神明社拝殿




東蟹田神明社拝殿前




東蟹田神明社社殿横から




東蟹田神明社祭器庫




東蟹田神明社境内の風景

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約44分
 ・駐車場 なし
 

夜の熱田神宮はオススメ

神社仏閣(Shrines and temples)
夜の熱田神宮拝殿前

 夜の熱田神宮(地図)を一度訪ねてみたいと以前から思っていて、それがひょんなことから実現した。
 実際に訪れてみて知ったのは、想像していた以上にずっと明るいということと、思いのほか参拝に訪れている人の数が多いことだった。
 拝殿前はもちろん、参道も灯がともっていて、郊外の住宅街より明るいくらいだ。ほとんど暗闇の中を手探りでいくようなイメージを持っていたので逆に拍子抜けした。
 このときは夜の22時から23時くらいだったのだけど、ぽつり、ぽつりと途切れることなく参拝者がやってくる。そして、祈りが長い。昼間に観光気分で訪れている人とは祈りの重さが違うようだ。
 境内の雰囲気は明るい時間帯とは違って深閑としている。夏ということで蝉の声がしていたけど、冬場はもっと静かに違いない。秋の虫の音を聞きながらの夜の参拝もよさそうだ。
 境内全域が明るくて詰め所にも人がいるし、参拝者もけっこう訪れるということで、安心感はある。深夜にひとりで訪れても大丈夫なくらいだ。
 駐車場は西駐車場のみ開いている(無料)。
 夜の熱田神宮参拝はなかなかいいのでオススメします。

 熱田神宮の歴史については名古屋神社ガイド熱田神宮のページに書いたのでよかったらお読みください(とても長いです)。



夜の熱田神宮参道

 三脚撮影を使って撮影していても特に注意されなかったので、他の人に迷惑にならない範囲なら使っても大丈夫だと思う。



夜の熱田神宮鳥居

 星空バックの鳥居を撮ってみたかったのだけど、この日は曇り空で星が見えていなかった。
 晴れていても境内が明るすぎるのでちょっと難しそうだ。



夜の熱田神宮拝殿

 拝殿前。



夜の熱田神宮絵馬

 白鳥はヤマトタケルの象徴だ(死んだあと白鳥になって飛び去っていったと日本神話は語る)。
 白鳥をハクチョウと思っている人がいると思うけど、本当は白い千鳥(チドリ)だ。『古事記』は八尋千鳥としている。
 熱田神宮も分かっているので、絵馬は「しろ鳥」となっている。



夜の熱田神宮の杜

 優しい森には神話が生きてる。



夜の熱田神宮八剣宮

 八剣宮。



夜の熱田神宮上知我麻神社

 上知我麻神社。



夜の熱田神宮御神木と注連縄

 御神木の大楠。



夜の熱田神宮池

【アクセス】
 ・地下鉄名城線「神宮西駅」から徒歩約5分
 ・名鉄名古屋本線「神宮前駅」から徒歩約5分
 ・駐車場 あり(無料)

 ・熱田神宮公式サイト
 
 

保食神を祀る港区八百島の稲荷社

神社仏閣(Shrines and temples)
八百島稲荷社

 港区八百島にある稲荷社(地図)。
 明治になって村社に列格した稲荷社は多くはないけどまずまずある。
 しかし、保食神(うけもちのかみ)を主祭神とする稲荷社は少ない。名古屋市内でいうと東区の義市稲荷くらいしかない。熱田八番の寶田社もあるけど稲荷社ではない。
 ウケモチを祀るとしたのは江戸時代の創建時からなのか、明治以降のことなのか。
 この神社は見た目からして稲荷社らしくないし、『尾張志』や『尾張徇行記』の福田新田村の項に稲荷社はない。神明社や山神社以外では大明神しか載っていないのだけど、それが今の八百島の稲荷社ということはあり得るのか。
 歴史やその他については神社サイトの稲荷社(八百島)のページに書いた。



八百島稲荷社拝殿前




八百島稲荷社拝殿内




八百島稲荷社末社




八百島稲荷社鳥居裏




八百島稲荷社外観

【アクセス】
 ・近鉄名古屋線「戸田駅」から徒歩約49分
 ・駐車場 なし
 

雷雨停電のちサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 今日の名古屋は夕方急に激しい雷雨に見舞われ、うちに雷が落ちて停電になるというオマケつきで、料理前にバタバタした。停電が続いたら料理もできないところだったのだけど、すぐに復旧したので特に問題はなかった。
 異常に暑い毎日が続いていて、この調子ではお盆が過ぎても涼しくなりそうにない。もう立秋も過ぎたというのに真夏の勢いは衰えない。まあ、そういう年もあるさとあきらめて受け入れるしかない。
 縄文海進の頃は今より暑かったくらいだっただろうし、平安時代も気温は高かった。室町以降、昭和前期までは小氷河期で気温が低かっただけで、現在の気温が必ずしも異常に高いというわけではない。都会のヒートアイランド現象とかはあるけれど。

 今日のサンデー料理は意識せずに和食方面に向かったというか流れた。作り始めるまでは和食の意識はなかったのに、できあがってみたら和食寄りだった。なので皿も和皿にした。
 写真で見ると健康志向に思えなくもないけど、それも意識していない。その日食べたいものを食べたい味付けで調理しているだけで、何か無理をしているとか我慢をしているといった自覚はない。量もこれくらいで充分だ。食費もそんなにかかっていない。



鯛煮

「鯛煮」
 酒、みりん、しょう油、めんつゆ、塩に長ネギを浸けて弱火で煮込む。
 鯛を加えて、弱火のまま加熱する。



豆腐としめじと鶏肉

「豆腐としめじと鶏肉炒め」
 オリーブオイルで鶏肉を炒める。
 しめじと豆腐を追加して更に炒める。
 酒、みりん、しょう油、昆布つゆ、塩、コショウ、唐辛子で味付けをする。



天ぷら

「タマネギとブロッコリーの天ぷらとトマトの素揚げ」
 天ぷらにすると何でもない食材がおかずになる。
 天ぷらを食べたいというのもあるのだけど、天ぷらをしたいという気持ちの方が強くて、最近天ぷら率が高くなっている。今回はまあまあ上手くいった。天ぷら粉を入れすぎない方がいいことがやっと分かった。
 トマトは天ぷらよりも素揚げの方が美味しい。
 

中島新田村に譲ってもらった? 港区船頭場の白山社

神社仏閣(Shrines and temples)
船頭場白山社

 港区船頭場にある白山社(地図)。
 神社の由緒書きによると、729年に荒子村の観音寺を泰澄が建てたときに鎮守として白山権現を祀ったのが始まりで、荒子村の出郷だった中島新田村にあったものを1804年に東福田新田の船頭場集落が譲ってもらったのだという。
 そのまま信じていいのかどうかはちょっと分からないのだけど、中島新田村にあったものを譲り受けたというのは本当ではないかと思う。
 ただし、『尾張志』(1844年)にも『尾張徇行記』にも福田新田の神社として白山社が出てこないのは気になる。
 そのあたりのもう少し詳しいことは神社サイトの白山社(船頭場)のページに書いた。



船頭場白山社参道と松の木




船頭場白山社拝殿力神




船頭場白山社拝殿内




船頭場白山社社殿横から




船頭場白山社社殿順光




船頭場白山社由緒碑

【アクセス】
 ・あおなみ線「中島駅」から徒歩約65分
 ・「日ノ出橋バス停留所」から徒歩約14分
 ・駐車場 なし(鳥居前に1台分スペース)
 

小賀須の氏神は最初から秋葉社だったのか

神社仏閣(Shrines and temples)
小賀須秋葉社

 港区小賀須にある秋葉社(地図)。
 東福田新田の小賀須(こがす)集落の氏神には違いないのだけど、もともと秋葉社だったかというと違うような気もする。
『尾張志』(1844年)の福田新田村の項にあるのは「神明ノ社三社 山神ノ社 熱田大明神ノ社二所」の6社で、この中に秋葉社はない。
 東福田新田が開発されたのは1640年から1643年にかけてで、それぞれの集落ができたのはその後ということになるだろうけど、集落の氏神として秋葉社がふさわしいかどうかは何とも言えない。
 明治9年に村社に列格していて、そのときは秋葉社だっただろうと思う。遅くとも明治初めには秋葉社になっていたはずだ。
 その他、歴史などについては神社サイトの秋葉社(小賀須)のページに書いた。



小賀須秋葉社参道から二の鳥居へ




小賀須秋葉社拝殿前




小賀須秋葉社拝殿額




小賀須秋葉社境内の風景




小賀須秋葉社本社

【アクセス】
 ・あおなみ線「名古屋競馬場前駅」から徒歩約60分
 ・「日ノ出橋バス停留所」から徒歩約5分
 ・駐車場 なし
 

歴史の湿り気がある東茶屋神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
東茶屋神明社

 港区東茶屋にある神明社(地図)。
 道一本隔てて八幡社(男山八幡宮)と隣接している。これだけ近い距離に神社が並んでいる例は珍しい。
 江戸時代半ばから明治にかけて二社は合併していたというのだけど、その経緯に関して少し分からない部分がある。そのあたりは神社サイトの神明社(東茶屋)のページに書いた。
 並んでいるからといって比較する必要はないのだけど、全然空気が違っている。神明社の方が古びていて重たい。湿っている感じだ。そして、何かがいる気配がある。それは茶屋新田を開発した茶屋家の誰かかもしれないし、別の何者かかもしれない。全然嫌な感じではなくても、むしろ心地いい。なかなか気に入った。



東茶屋神明社二の鳥居




東茶屋神明社蕃塀




東茶屋神明社拝殿前




東茶屋神明社拝殿力神と彫り物




東茶屋神明社拝殿内




東茶屋神明社社殿横から




東茶屋神明社境内社




東茶屋神明社境内社2




東茶屋神明社御嶽社




東茶屋神明社霊神碑




東茶屋神明社境内社3

【アクセス】
 ・あおなみ線「名古屋競馬場前駅」から徒歩約60分
 ・「日ノ出橋バス停留所」から徒歩約15分
 ・駐車場 なし
 

東茶屋の八幡社は男山八幡宮が正式名なのか

神社仏閣(Shrines and temples)
東茶屋八幡社

 港区東茶屋にある八幡社(地図)。
 地図も社号標も男山八幡宮になっているけど、神社本庁の登録は八幡社なので、正式名としては八幡社のはずだ。もしくは途中で男山八幡宮に改称しただろうか。
 1815年に茶屋新田に水が入ったときに社殿が流出してしまったため、同じ茶屋新田にあった神明社と合併して、明治17年(1884年)に再び独立したというのだけど、そのあたりの経緯がはっきり分からない。現在、神明社と八幡社は細い道を挟んで隣接しているような状態なのだけど、もともとこの位置関係にあったとしたら、八幡社だけ流されて神明社が流されなかったとは考えにくい。八幡社は別の場所だったのかとも思うのだけど、神社の由緒によると旧地に再建したとあるから、もともとこの場所だったのか。
 その他、歴史などについては神社サイトの八幡社(東茶屋新田)のページで。



東茶屋八幡社正面鳥居前




東茶屋八幡社石灯籠と参道




東茶屋八幡社拝殿彫り物




東茶屋八幡社拝殿内




東茶屋八幡社本社




東茶屋八幡社由緒碑




東茶屋八幡社境内の風景

【アクセス】
 ・あおなみ線「名古屋競馬場前駅」から徒歩約60分
 ・「日ノ出橋バス停留所」から徒歩約15分
 ・駐車場 なし
 
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