月別:2018年08月

記事一覧
  • 夏の犬山寂光院を訪ねる

     今年はよく行っている犬山の寂光院(地図)。 前回は5月で、今回は7月の終わり。夏の風景だった。 青モミジの頃の犬山寂光院 暑いこともあって訪れている人は少なかった。 そんな寂光院の夏風景をお送りします。【アクセス】 ・名鉄犬山線「犬山遊園駅」から徒歩約35分 ・駐車場 あり(無料) ...

    2018/08/08

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 新品の神社っていいもんだ七島神明社

     港区七島にある神明社(地図)。 住宅地の外れの田んぼに面した場所に唐突に現れる新築の神社。全体的に白い。 それまでは新川の堤防道路沿いにあった小さな神社だったのが、広い境内と立派な社殿を持つ神社に生まれ変わった。それが平成26年というのだけど、4年という歳月を感じさせないほどいまだ新築感を保っている。新品同様といっていい。 社殿を建て替えることはたまにあっても神社を丸ごと新築することはめったにない...

    2018/08/08

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • ここにも力神がいた藤高の神明社

     港区藤高にある神明社(地図)。 江戸時代に開発された藤高新田の氏神として勧請されたものだ。 藤高新田は1797年(寛政9年)に東福田の西川弥市が開発されたとされる。しかし、西川弥市は寛政5年に死去したという話もあり、はっきりしない。 この神社を建てたのは西川弥市なのか違うのか。 新川右岸の堤防下にあり、西側はスカスカに抜けている。こんなふうに片側だけ抜けてしまっている神社がたまにある。神社は全面的に囲...

    2018/08/07

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 藤高前新田の集落にあった社だと思うのだけど

     港区藤前の道ばたにある小さな社(地図)。 社が二社と地蔵像らしき石仏が並んでいる。 石仏の台座には安政三年とあるから江戸時代末の1856年のもののようだ。 社に関しては手がかりがなく、まったく分からない。 ここは藤高前新田の集落があった場所なので、社も石仏も集落にあったものという可能性が高い。ただ、江戸時代からこの場所でこんなふうに並んでいたとは考えにくい。明治以降か戦後かに移してまとめたのではない...

    2018/08/07

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 石上神宮と物部氏

     奈良県天理市布留町にある石上神宮(いそのかみじんぐう/地図)を訪ねたのは2017年の11月末のことだった。 このとき以来、物部氏とは何なのかという疑問を抱くようになり、自分の中である程度まとまったらブログに書こうと思っていたら時が流れていた。いまだまったくまとまってはいないのだけど、ずいぶん時間が経ってしまったので、とりあえずでも書けるだけのことを書いておこうという気持ちになったのだった。 物部氏とは...

    2018/08/06

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 39.9度でも変わらないサンデー料理

     暑い日が続いている。名古屋は今日も40度近くまで気温が上がった。だんだん感覚が麻痺してきて、あまり驚かなくなっている。35度なら涼しいくらいに思えるのは、やはりどうかしている。一昔前なら35度を超えたら大ごとだったし、そもそも猛暑日なんて言葉はなかった。 暑いから夕飯は抜きにしておこう! となるわけでもなく、食欲も特に落ちてはいないので、今日もいつものようにサンデー料理を作って食べた。美味しく食べられ...

    2018/08/05

    料理(Cooking)

  • 藤前神明社に守り手達の気概を見た

     港区藤前にある神明社(地図)。 江戸時代に干拓で作られた藤高前新田の氏神で、創建は藤高前新田ができた1822年(文政5年)以降ということになる。 開発者の伊藤喜左衛門が関わっているのかどうか分からない。 神社のすぐ南は藤前干潟だ。渡り鳥の中継点として毎年秋になると多くの渡り鳥たちがやってくる。 そんな突端近くにある神社ということで、ここまで訪れる人はあまり多くないと思われる。 にもかかわらずといって...

    2018/08/05

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • かつて稲永遊廓だったところにある錦町天王明神

     港区錦町にある天王明神(地図)。 天王社はけっこうあるけど、天王明神はめったにない。初めて見た。ただ、鳥居の額にそう書かれているだけで、これが正式名かどうかは分からない。 少し他とは違う空気感を持った神社で、惹かれるものがあった。 鳥居や石柱は近年奉納されたものではあるのだけど、錦町と中川区八幡町の人で、ここ錦町は稲永遊廓があったところで、八幡町は戦後赤線地帯だった八幡園のあった町なので、その関...

    2018/08/04

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 定点観測

     いつもの定点観測をお送りします。 ...

    2018/08/03

    日常写真(Everyday life)

  • 熱田新田三十一番割の氏神だった明正神明社

     港区明正にある神明社(地図)。 港区は神明社が多いところなのだけど、特に集中しているエリアがあって、なかなか全部を区別して覚えておくことができない。港区の土地勘のない私なので、町名ではピンと来ないから、江戸時代の新田の名前とセットで覚えるようにしている。 ここ明正の神明社は熱田新田三十一番割の氏神だったところだ。熱田新田三十三番割の中では一番西の氏神だった。 神社の北の細い道がかつての百曲街道で...

    2018/08/03

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 熱田新田と鬼頭親子が残した小碓神明社

     港区小碓にある神明社(地図)。 1669年に鬼頭景義の四男の吉形十郎右衛門が施主となって熱田新田の二十八番割の氏神として勧請したという。 鬼頭親子の歴史などについては神社サイトの神明社(小碓)のページに書いた。 新田を開発したなら神社はつきもので、そうやって建てられた氏神が港区にはたくさんある。港区は全域が干拓と埋め立てで海を陸地化したところだから、一部の例外を除いて神社は江戸時代以降に建てられたも...

    2018/08/02

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 港区正徳5丁目の小さな神明社

     正徳町5丁目にある神明社(地図)。 正徳町1丁目と2丁目にある神明社は熱田新田時代の番割神社だけど、この5丁目神明社はそういった神社ではない。規模としては小さく、歴史的にみてもそれほど古いものではなさそうだ。 境内は決して広くはないのだけど、この敷地があれば一軒の家が建つことを思えば、神社としては必要充分な広さといえるかもしれない。 遷宮記念と刻まれた石碑には昭和50年と平成6年の日付がある。二度遷座...

    2018/08/01

    神社仏閣(Shrines and temples)

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夏の犬山寂光院を訪ねる

神社仏閣(Shrines and temples)
犬山寂光院サルスベリの花

 今年はよく行っている犬山の寂光院(地図)。
 前回は5月で、今回は7月の終わり。夏の風景だった。
 青モミジの頃の犬山寂光院
 暑いこともあって訪れている人は少なかった。
 そんな寂光院の夏風景をお送りします。



犬山寂光院白い蓮の花




犬山寂光院綿花?




犬山寂光院頭にカマキリ




犬山寂光院色とりどりの落ち葉




犬山寂光院キキョウ




犬山寂光院本堂と青モミジ




犬山寂光院長い階段




犬山寂光院色づきモミジの葉

【アクセス】
 ・名鉄犬山線「犬山遊園駅」から徒歩約35分
 ・駐車場 あり(無料)
 

新品の神社っていいもんだ七島神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
七島神明社

 港区七島にある神明社(地図)。
 住宅地の外れの田んぼに面した場所に唐突に現れる新築の神社。全体的に白い。
 それまでは新川の堤防道路沿いにあった小さな神社だったのが、広い境内と立派な社殿を持つ神社に生まれ変わった。それが平成26年というのだけど、4年という歳月を感じさせないほどいまだ新築感を保っている。新品同様といっていい。
 社殿を建て替えることはたまにあっても神社を丸ごと新築することはめったにない。ここは境内地そのものが新しいということもあって、完全新築となっている。
 今の時代にこの規模の神社で丸ごと新造ということはめったにない。ここ数年以内に見ておく価値がある。
 新品の神社ってこんなにいいもんなんだと認識を改めた。いいものを見せてもらった。
 歴史などについては神社サイトの神明社(七島)のページで。



七島神明社正面入り口




七島神明社入り口鳥居前




七島神明社拝殿前




七島神明社社殿横から




七島神明社津島社




七島神明社秋葉社




七島神明社境内と田んぼの風景




七島神明社白砂

【アクセス】
 ・あおなみ線「荒子川公園駅」から徒歩約53分
 ・駐車場 なし(スペースあり)
 

ここにも力神がいた藤高の神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
藤高神明社

 港区藤高にある神明社(地図)。
 江戸時代に開発された藤高新田の氏神として勧請されたものだ。
 藤高新田は1797年(寛政9年)に東福田の西川弥市が開発されたとされる。しかし、西川弥市は寛政5年に死去したという話もあり、はっきりしない。
 この神社を建てたのは西川弥市なのか違うのか。
 新川右岸の堤防下にあり、西側はスカスカに抜けている。こんなふうに片側だけ抜けてしまっている神社がたまにある。神社は全面的に囲って欲しいというのが個人的な希望だ。
 歴史などについては神社サイトの神明社(藤高)のページで。



藤高神明社拝殿前



藤高神明社拝殿の彫り物

 ここの拝殿にも力神(リキジン)がいた。
 力神は中川区大当郎の神明社で初めて見て、珍しいものがあるものだと思ったのだけど、港区でちょくちょく見かけるから、名古屋の南西エリアではそれほど珍しいものではないらしい。
 ただ、名古屋の中心部や東北部ではまったく見られない。


藤高神明社本社




藤高神明社神武天皇像




藤高神明社全景

【アクセス】
 ・名鉄バスセンター・三重交通<サンビーチ日光川行>「南陽藤前バス停」から徒歩約15分
 ・駐車場 なし
 

藤高前新田の集落にあった社だと思うのだけど

神社仏閣(Shrines and temples)
藤前不明社

 港区藤前の道ばたにある小さな社(地図)。
 社が二社と地蔵像らしき石仏が並んでいる。
 石仏の台座には安政三年とあるから江戸時代末の1856年のもののようだ。
 社に関しては手がかりがなく、まったく分からない。
 ここは藤高前新田の集落があった場所なので、社も石仏も集落にあったものという可能性が高い。ただ、江戸時代からこの場所でこんなふうに並んでいたとは考えにくい。明治以降か戦後かに移してまとめたのではないかと思う。
 その他、分かったことについては神社サイトの不明社(藤前)のページに書いた。



藤前不明社横から




藤前不明社石仏台座

【アクセス】
 ・名鉄バスセンター・三重交通<サンビーチ日光川行>「南陽藤前バス停」から徒歩約3分
 ・駐車場 なし
 

石上神宮と物部氏

神社仏閣(Shrines and temples)
石上神宮入り口

 奈良県天理市布留町にある石上神宮(いそのかみじんぐう/地図)を訪ねたのは2017年の11月末のことだった。
 このとき以来、物部氏とは何なのかという疑問を抱くようになり、自分の中である程度まとまったらブログに書こうと思っていたら時が流れていた。いまだまったくまとまってはいないのだけど、ずいぶん時間が経ってしまったので、とりあえずでも書けるだけのことを書いておこうという気持ちになったのだった。
 物部氏とは何なのかという問いに対する答えはそう簡単に出るものではないことはよく分かった。



石上神宮

 石上神宮があるのは、布留山の西北麓で、周辺は古墳密集地域となっている。
 どうして奈良でも桜井でも飛鳥でもなくこの地を選んだのか、その理由がよく分からない。何らかの必然があったには違いなく、この場所でなければならなかった理由がひとつ鍵を握っている。
 非常に古い神社で、『古事記』、『日本書紀』ですでに石上神宮、石上振神宮として登場しており、最古の神宮とされている。
 他にも石上坐布都御魂神社、石上布都御魂神社、石上布都大神社、布留社、布留大明神など、多くの異名を持つのも石上神宮の特徴のひとつだ。

 当初は本殿を持たず、神宝を埋めた場所を斎場としていた。その場所は布留高庭や御本地と呼ばれ、現在も禁足地となっている。
 明治7年(1874年)に発掘を行った際に刀などが出土し、このときの刀は主祭神の布都御魂剣とされている。
 大正2年(1913年)に再発掘したときには別の刀が出土して、これを天羽々斬剣とした。
 それらを納めるために初めて本殿が建てられることになった。



石上神宮鳥居




石上神宮鶏

 石上神宮の神使は鶏で、境内で放し飼いにされている。休憩所は占拠され、やりたい放題になっている。



石上神宮参道




石上神宮石段




石上神宮楼門から拝殿

 主祭神の布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ)は、神剣の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊とされる。
 天孫降臨に先立って大国主(オオクニヌシ)に国譲りを迫るため、武甕槌(タケミカヅチ)と経津主(フツヌシ)が地上に遣わされ、そのときに使われた剣が布都御魂剣とされる。
 神倭伊波礼毘古(カムヤマトイワレヒコ/後の初代天皇・神武天皇)が東征の際に熊野で危機に陥ったときに高倉下(タカクラジ)の夢を通じてカムヤマトイワレヒコの手に渡りヤマト入りの助けとなる。
 後に物部氏の祖である宇摩志麻治(ウマシマジ)が宮中に祀ったとされる。その布都御魂剣をウマシマジの六世孫である伊香色雄(イカガシコオ)が現在地に遷して祀ったのが石上神宮の始まりと社伝はいう。
 配神の布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ)は天降った邇邇芸(ニニギ)に与えられた十種神宝(とくさのかんだから)に宿る神霊とされる。
 布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ)は、天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊で、これは素戔嗚(スサノオ)がヤマタノオロチを退治するときに使った剣という。この剣は吉備の石上布都魂神社(岡山県赤磐市)にあったものを石上神宮に移したという話がある。
 垂仁天皇の時代には五十瓊敷(イニシキ)によって剣千本が奉納されたといい、朝廷の武器庫の役割も果たしていたという説もある。
 有名なものでは、百済から贈られたとされる国宝の七支刀(しちしとう)を所蔵している。左右にそれぞれ3本ずつ互い違いに枝刃がついた変わった形の剣で、4世紀頃に伝わったとされる。
 その他、宇摩志麻治命(ウマシマジ)、五十瓊敷命、白河天皇、市川臣命(イチカワオミ/石上神宮社家の祖)も祀られている。



石上神宮楼門裏から

 楼門は鎌倉時代末の1318年に建立されたもので、国の重要文化財に指定されている。



石上神宮拝殿

 拝殿は国宝に指定されており、白河天皇時代の宮中の神嘉殿を移したものという話がある。ただ、実際は鎌倉時代初期の建造のようだ。



石上神宮拝殿

 摂社の出雲建雄神社の拝殿も国宝指定となっている。
 祭神の出雲建雄神は草薙剣(くさなぎのつるぎ)の荒魂とされる。
 本殿で祀られている天羽々斬剣はスサノオがヤマタノオロチを退治するときに使った剣で、ヤマタノオロチの尾から出てきたのが草薙剣(天叢雲剣)だから、出雲と尾張との関わりも無視できない。物部氏の正体を知るためにはそのあたりも考え合わせる必要がある。
 天神社では高皇産霊神と神皇産霊神を祀る。
 七座社の祭神は生産霊神、足産霊神、魂留産霊神、大宮能売神、御膳都神、辞代主神、大直日神となっている。
 猿田彦神社では猿田彦大神、住吉大神、高靇神を祀る。これらは伊勢の神、住吉の神、貴船や吉野の丹生川上神社の神たちだ。



石上神宮境内奥へ




石上神宮拝殿禁足地入り口

『日本書紀』によると、カムヤマトイワレヒコ(神武天皇)が東征して大和に入ろうとしたところ、地元豪族の長髄彦(ナガスネヒコ)の抵抗に遭い、大和に入ることができなかったとある。
 大和にはすでに天孫族の饒速日(ニギハヤヒ)がいて、ナガスネヒコの妹の三炊屋媛(ミカシキヤヒメ)と結婚してウマシマジ(宇摩志麻遅/可美真手)が生まれていたという。ニギハヤヒはアマテラス(天照)がら十種の神宝を授かって天磐船に乗り、河内国(大阪府交野市)の河上の地に降り、その後大和に移ったとする。
 ニギハヤヒは、義理の兄であるナガスネヒコを殺し、カムヤマトイワレヒコ(神武)の大和入りを助けている。その理由については書かれていない。
 ニギハヤヒの素性についてもよく分からない。物部氏側の歴史書である『先代旧事本紀』(せんだいくじほんぎ)によれば、ニギハヤヒは天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたま にぎはやひのみこと)とされ、尾張氏の祖の天火明(アメノホアカリ)とは同一ということになっている。
 物部の祖は一般的にウマシマジとされ、物部系の神社ではウマシマジを祀っているところが多い。しかし、ウマシマジの父がニギハヤヒであれば、ニギハヤヒが物部の祖神ということになる。
 石見国一宮の物部神社(島根県大田市)の由緒によると、神武が大和入りした後、ウマシマジは天香具山命(アマノカグヤマ)とともに物部の兵をひきいて尾張、美濃、越国を平定して、アマノカグヤマを越後に置いて、播磨、丹波を経て石見国に入り、この地を平定した後、物部神社の祭神となったとしている。アマノカグヤマは越後国一宮の彌彦神社の祭神となっている。
『先代旧事本紀』では、アマノカグヤマをウマシマジの異母兄弟としている。
 神武の大和入りの功労者の息子がどうして大和にとどまらず、石見国へ行くことになったのかは謎だ。石見国は出雲の西隣に当たるので、そのあたりが関係しているかもしれない。

 尾張国における物部氏の痕跡は、北区味鋺や春日井市味美に色濃く残っている。ここは6世紀前後の古墳密集地帯で、かつては物部神社もあった。
 それとは別に、東区の一帯はかつて物部郷と呼ばれ、物部神社や高牟神社などは物部と関係があるといわれている。
 車道の物部神社は神武がこの地を平定したときに要石としたものを祀っているという伝承があり、それはウマシマジの尾張平定と関係があるとも考えられる。

 石上神宮についての感想としては、よく分からないというのが正直なところだった。間違いなく何かを秘めていて、普通の神社でないことは確かなのだけど、その何かの正体がよく分からない。8ヶ月経った今も、分からないという感覚は変わらない。
 物部氏に関してはまだまだいろいろな要素を寄せ集めて取り込んで考察しないといけない。物部氏はどこから来てどこへ行ってしまったのか。その問いに対する答えはずっと先にあるかもしれないしないかもしれない。

【アクセス】
 ・JR桜井線/近鉄天理線「天理駅」から徒歩約50分
 ・奈良交通バス<苣原行き> 「石上神宮前」下車
 ・駐車場 あり(無料)
 

39.9度でも変わらないサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 暑い日が続いている。名古屋は今日も40度近くまで気温が上がった。だんだん感覚が麻痺してきて、あまり驚かなくなっている。35度なら涼しいくらいに思えるのは、やはりどうかしている。一昔前なら35度を超えたら大ごとだったし、そもそも猛暑日なんて言葉はなかった。
 暑いから夕飯は抜きにしておこう! となるわけでもなく、食欲も特に落ちてはいないので、今日もいつものようにサンデー料理を作って食べた。美味しく食べられることはありがたいことだ。



マグロの卵とじ

「マグロの卵とじ」
 酒、みりん、しょう油、昆布つゆ、塩、唐辛子、水に、スライスしたタマネギを入れて入れて加熱する。
 切り分けたマグをを入れて、色が変わったら溶き卵を混ぜ入れる。
 卵が固まり始めたら火を止めて、全体に混ぜ合わせる。



鶏肉ジャガイモ炒め

「鶏肉とジャガイモその他の炒め物」
 ジャガイモは切り分けて下茹でする。
 アスパラも皮をむいて下茹でする。
 オリーブオイルで鶏肉を炒める。
 キャベツ、シーチキン缶、ジャガイモを加え、更に炒める。
 酒、みりん、しょう油、コンソメの素、塩、コショウで味付けをする。
 アスパラを入れて、全体に混ぜ合わせてながらもう少し炒める。


シイタケとトマトフライ

「シイタケとトマトのフライ」
 ちょっと変わり種のフライに挑戦してみたかった。
 天ぷらはよくやるけどフライはあまりやらない。天ぷらの方が好きだし、難しいし、面白いから。
 シイタケのフライは脇役としてはあるけどメインに昇格することは少ない。これは普通に美味しい。
 トマトのフライもけっこう美味しい。ただ、トマトは素揚げが一番美味しいと思う。
 

藤前神明社に守り手達の気概を見た

神社仏閣(Shrines and temples)
藤前神明社

 港区藤前にある神明社(地図)。
 江戸時代に干拓で作られた藤高前新田の氏神で、創建は藤高前新田ができた1822年(文政5年)以降ということになる。
 開発者の伊藤喜左衛門が関わっているのかどうか分からない。
 神社のすぐ南は藤前干潟だ。渡り鳥の中継点として毎年秋になると多くの渡り鳥たちがやってくる。
 そんな突端近くにある神社ということで、ここまで訪れる人はあまり多くないと思われる。
 にもかかわらずといっていいのかどうか、とても立派な神明社で、守り手達の気概が感じられる神社だ。手抜きせずにきっちり建てているという印象を受ける。昭和34年の伊勢湾台風では大きな被害を出しただろうから、その後に整備し直したのだろう。
 歴史などについては神社サイトの神明社(藤前)のページで。



藤前神明社入り口鳥居前




藤前神明社蕃塀




藤前神明社参道から拝殿




藤前神明社拝殿額




藤前神明社拝殿内




藤前神明社本殿横から




藤前神明社由緒碑




藤前神明社古い社号標




藤前神明社社殿表から

【アクセス】
 ・名鉄バスセンター・三重交通<サンビーチ日光川行>「南陽藤前バス停」から徒歩約15分
 ・駐車場 なし
 

かつて稲永遊廓だったところにある錦町天王明神

神社仏閣(Shrines and temples)
錦町天王明神

 港区錦町にある天王明神(地図)。
 天王社はけっこうあるけど、天王明神はめったにない。初めて見た。ただ、鳥居の額にそう書かれているだけで、これが正式名かどうかは分からない。
 少し他とは違う空気感を持った神社で、惹かれるものがあった。
 鳥居や石柱は近年奉納されたものではあるのだけど、錦町と中川区八幡町の人で、ここ錦町は稲永遊廓があったところで、八幡町は戦後赤線地帯だった八幡園のあった町なので、その関係者が関わっているのではないかと推測した。外れているかもしれない。
 歴史的なことについては何も分からなかったのだけど、分かることについては神社サイトの天王明神(錦町)のページに書いた。



錦町天王明神鳥居額




錦町天王明神社とお堂




錦町天王明神の社




錦町天王明神の堂




錦町天王明神もうひとつの社




錦町天王明神石柱裏




錦町天王明神鳥居裏




錦町天王明神奉納者名

【アクセス】
 ・あおなみ線「稲永駅」から徒歩約13分
 ・駐車場 なし
 

定点観測

日常写真(Everyday life)
定点観測1

 いつもの定点観測をお送りします。



定点観測2




定点観測3




定点観測4




定点観測5




定点観測6




定点観測7




定点観測8




定点観測9




定点観測10




定点観測11

 

熱田新田三十一番割の氏神だった明正神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
明正神明社

 港区明正にある神明社(地図)。
 港区は神明社が多いところなのだけど、特に集中しているエリアがあって、なかなか全部を区別して覚えておくことができない。港区の土地勘のない私なので、町名ではピンと来ないから、江戸時代の新田の名前とセットで覚えるようにしている。
 ここ明正の神明社は熱田新田三十一番割の氏神だったところだ。熱田新田三十三番割の中では一番西の氏神だった。
 神社の北の細い道がかつての百曲街道で、その北が江戸時代以前の海岸線だったところだ。旧街道の面影が少し残っている。
 その他、歴史などについては神社サイトの神明社(明正)のページで。



明正神明社鳥居前




明正神明社拝殿前




明正神明社拝殿内




明正神明社本社横から




明正神明社クロガネモチ




明正神明社境内社




明正神明社たぶん秋葉社

【アクセス】
 ・あおなみ線「名古屋競馬場前駅」から徒歩約43分
 ・駐車場 なし
 

熱田新田と鬼頭親子が残した小碓神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
小碓神明社

 港区小碓にある神明社(地図)。
 1669年に鬼頭景義の四男の吉形十郎右衛門が施主となって熱田新田の二十八番割の氏神として勧請したという。
 鬼頭親子の歴史などについては神社サイトの神明社(小碓)のページに書いた。
 新田を開発したなら神社はつきもので、そうやって建てられた氏神が港区にはたくさんある。港区は全域が干拓と埋め立てで海を陸地化したところだから、一部の例外を除いて神社は江戸時代以降に建てられたものだ。北のエリアは古く、南のエリアは新しいという言い方もできる。
 港区の神社を巡るときはそんな歴史に思いをはせるとまた違った感慨を抱くかもしれない。



小碓神明社鳥居前




小碓神明社拝殿前




小碓神明社拝殿屋根




小碓神明社本社




小碓神明社境内社鳥居




小碓神明社御嶽大神




小碓神明社秋葉社白龍社




小碓神明社由緒碑




小碓神明社神楽保存展示場

【アクセス】
 ・あおなみ線「名古屋競馬場前駅」から徒歩約22分
 ・駐車場 なし
 

港区正徳5丁目の小さな神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
正徳町5神明社

 正徳町5丁目にある神明社(地図)。
 正徳町1丁目と2丁目にある神明社は熱田新田時代の番割神社だけど、この5丁目神明社はそういった神社ではない。規模としては小さく、歴史的にみてもそれほど古いものではなさそうだ。
 境内は決して広くはないのだけど、この敷地があれば一軒の家が建つことを思えば、神社としては必要充分な広さといえるかもしれない。
 遷宮記念と刻まれた石碑には昭和50年と平成6年の日付がある。二度遷座したと考えていいだろうか。平成6年に現状のようになったのではないかと思う。
 歴史などについては調べても情報が得られなかった。機会があれば関係者や近所の方に話をうかがってみよう。
 その他のことは神社サイトの神明社(正徳町5丁目)のページに書いた。



正徳町5丁目神明社正面




正徳町5丁目神明社遷宮記念石柱




正徳町5丁目神明社社号標裏




正徳町5丁目神明社明徳温泉石柱

【アクセス】
 ・あおなみ線「中島駅」から徒歩約13分
 ・駐車場 なし
 
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