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空コレ 2018上半期
今日は6月30日。今年も半分終わった。 ということで、空コレ2018上半期をお送りします。 ...
2018/06/30
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中川運河の下の方担当、金比羅大権言社
港区中川本町の金比羅大権言社(地図)。 中川運河を守る運河神社の下の宮がここで、上の宮が中川区月島の金刀比羅神社(西宮神社)だ。 権現ではなくあえての権言なんだろうけど、間違いではないのか。権言などという日本語があるのかどうか。 歴史などについては神社サイトの金比羅大権言社のページで。 神社の創建は昭和9年なのだけど、東鳥居には明治四十五年と刻まれている。どこかから持ってきたらしい。 鳥居前の灯...
2018/06/30
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港区築三は「つきさん」築三神社
港区築三町にある築三神社(地図)。 町名神社は正体が分からなくて困る。こういうところはほとんど祭神名も表記していない。基本的に町内神社というのはあるのだろうけど、せめて祭神名くらいは書いておいてほしいといつも思う。 工場地帯の一角にある小さな神社だ。 築三(つきさん)は名古屋港造成1期の名古屋港築港三号地に由来する。築港三号だから築三。そのままといえばそのままだけど、事情を知らない人は「ちくぞう...
2018/06/29
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歴史はともかく今は港楽の町の港楽神社
港区港楽にある港楽神社(地図)。 港楽神社の港楽は町名から来ている。 港楽は楽しい名古屋港ということから名づけられた町だ。 祭神などについてはまったく分からない。創建のいきさつについても不明だ。 ここは江戸時代後期に開発された熱田築地前新開(作良新田)があった場所だ。だから神社も江戸時代後期に建てられた可能性がなくはない。それとも昭和の新しい神社だろうか。 いずれにしても今は町内神社といった様子...
2018/06/29
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浄心の樫ノ木龍神、閉鎖(移転)のお知らせ
西区浄心南の樫ノ木龍神(地図)が6月いっぱいで閉鎖になることを教えていただき、その前にもう一度参拝しておこうと行ってみたら、すでに撤去作業の真っ最中だった。訪れたのは27日で、23日で閉鎖になってしまったようだった。 少し前に初めて訪れて、いい神社だと気に入っていたので残念だ。この空間だけが異世界のように生命力に満ちていて、花木もよく育っていて、狭いながらも龍神さんにとって居心地がいいだろうと思って...
2018/06/28
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神社が先で町は後、港区築地口神社
港区名港の築地口神社(地図)。 商店街の一角、ビルとビルの間にこそっとはまり込むように建っている。もともとこのあたりは何もないようなところだったのが後から町ができて、境内地も狭くなり現状のようになった。 創建は明治41年頃で、築地エリアの中ではこの神社が一番古い。 その他のことについては神社サイトの築地口神社のページで。【アクセス】 ・地下鉄名港線「築地口駅」から徒歩すぐ ・無料駐車場 なし ...
2018/06/28
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埋め立て地をあちらへこちらへ東築地神社
港区東築地にある東築地神社(地図)。 熱田から続く遠浅の海を干拓して新田作りをしたのが江戸時代。明治40年に名古屋港が開港して、それに伴い周辺部も埋め立てられることになった。東築地もその一部だ。 明治43年に東築地が造成されて、翌明治44年に東築地神社が建てられた。 当初は東築地20番地にあったものを大正元年の台風で被害にあって竜町一番地に遷座、更に東築地4番地に移り、大同製鉄の工場拡張のときに現在地に...
2018/06/27
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季節の花木
季節の花木風景をお届けします。 ...
2018/06/26
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港区船見町の神徳神社
港区船見町にある神徳神社(地図)。 船見町は昭和3年(1928年)に造成された8号地と呼ばれる埋め立て地なので、神社が建ったのはその後のことだ。 港区の北側は300年ちょっと前に干拓で陸地化されたところで、南側は100年くらい前まで海だった。人工的に作った地面の上に道路を通し、家を建て、鉄道を敷き、高速道路の高架まで建設しているのだから、考えてみると不思議に思える。それでも草木は生え、花は咲き、木も大きくな...
2018/06/26
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戦後の新しい街とともに歴史を刻む平和ヶ丘神社
名東区平和が丘にある平和ヶ丘神社(地図)。 昭和35年(1960年)に創建された新しい神社だ。これは平和が丘の街自体がその頃にできたためで、近くの平和公園墓地が作られたこととも関係している。 神社の様子としては戦後に再建されたコンクリート造といった風情なのだけど、再建ではなく創建がその時期だったということになる。 現状かなり新しい印象を受けるのは、平成12年(2000年)に大がかりな修造が行われたためだ。 ...
2018/06/25
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少ない食材でもなんとかするサンデー料理
そろそろ暑くなってきてサンデー料理のメニューも夏仕様かというと特にそういうこともなく、年中無休で変わらない姿勢を見せることがサンデー料理と思っているので、たぶんこの夏も変わらない。ただ、やっぱり夏は煮込み系の料理は少なくなるから、自分ではあまり意識しないまま夏モードになっている部分はあるのだろう。夏だから食べたくなる料理というのはこれといって思い浮かばないのだけど。 今週もノンテーマで、テーマと...
2018/06/24
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在庫写真より ~道行き風景
在庫写真シリーズ。 今回は道行き風景をお送りします。 ...
2018/06/23
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三十番信仰の名残である茶屋ヶ坂三十番神社
千種区茶屋が坂にある三十番神社(地図)。 三十番神社として独立した形で残っているのは、名古屋市内では守山区志段味と千種区茶屋が坂くらいしかないのではないかと思う。 全国の有名神社から30の祭神を集めて一日交替で守ってもらおうというのが三十番神信仰だ。 法華経の守護者ともされ、江戸時代まではけっこう流行ったようなのだけど、明治政府によって祭祀を禁じられたため現存するものは少ない。寺では神像とともに残...
2018/06/23
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芳野社宮司神社は本当に竹腰家が建てたものなのか
東区芳野にある社宮司神社(地図)。 1684年に竹腰屋敷の守護のため鬼門に伊斯許理度賣命(イシコリドメ)を祀ったのが始まりというネット情報があるのだけど、史料などによる裏付けが取れないため、その情報が正しいのかどうか判断がつかない。 尾張藩附家老の竹越正信がこの場所に屋敷を構えたのは確かなようだけど、1684年というのと伊斯許理度賣命を祀ったというのに違和感を覚える。 そのあたりについては神社サイトの社...
2018/06/22
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東区の赤塚神明社の見方が変わった
東区赤塚にある神明社(地図)。 住所としては徳川2丁目なのだけど、赤塚神明社で通っている。 神社の前の通りは数え切れないくらい通っているから存在はよく知っていたのだけどあまり縁がなかった。調べてみると意外にも深い歴史を秘めていそうな神社だ。 創建はかなり古いようで、元の祭神は分からない。茅輪くぐりや湯立て神事などを行っていることからするとスサノオ系の神社の可能性もある。 見方が変わってちょっと気...
2018/06/21
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薄暗さがいい東区芳野の義市稲荷社
東区芳野にある稲荷社(地図)。 社号標にもあるように義市稲荷社として名が通っているようだ。ただ、義市(よしいち)の由来については調べがつかなかった。 尾張藩附家老の竹腰屋敷で祀っていたというのだけど、創建のいきさつについてはやや不明な点もある。 明治維新で屋敷を引き払ったときに神社は置いていったということだろうか。本当に屋敷で祀っていたとしたら引っ越しても持っていきそうなものだけど。 その他のこ...
2018/06/20
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稲生町の神明社は本当に江戸期からあった神明社なのか
西区稲生町にある神明社(地図)。 屋根神様を降ろしたくらいの社なのだけど、江戸時代からあったようだ。たぶん場所は移されていて元からここにあったわけではないと思う。 敷地の中には稲生学区集会場が建っており、石碑や墓石のようなものもある。どちらかがどちらかに間借りしているような感じだ。 その他のことについては神社サイトの神明社(稲生町)のページで。 土台と社のサイズ感がちょっと合ってない。 ミニサイ...
2018/06/20
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西区名塚の白山社はいい神社だけどそこまで古いか
西区名塚にある白山社(地図)。 かつての名塚村にあった神社で、名塚村は名古屋城築城の際に庄内川の堤が築かれるまでは庄内川の北にあった。1614年に庄内川の南に村ごと移された。 この神社は天武天皇時代の672-686年に創建されたと社伝は伝える。 名塚村の東の稲生村は古い地名だけど、名塚もそこまで古いかどうか。 そのまま信じるのは危ういけどそういう話が伝わっているということは何らかの根拠があったのかもしれな...
2018/06/19
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稲生の水神堂は完全に閉ざされている
西区稲生にある水神堂(地図)。 堂とはいっても公民館か集会所のような建物で、扉がすべて完全に閉まっているので中をうかがい知ることはできない。 庄内川堤防の下で、かつての稲生街道沿いに位置している。 八大龍王を祀っているようなのだけど、堤防の守り神か、水難除けか、雨乞いか、止雨祈願か、それらすべてかもしれない。『尾張志』の稲生村の項に水神ノ社がある。それがこの水神堂のことか別のものかは分からない。...
2018/06/19
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庄内川堤防上にある枇杷島神明社白山社合殿
西区枇杷島にある神明社白山社合殿(地図)。 社号標は神明社となっているけど、『愛知縣神社名鑑』では神明社白山社合殿となっている。もともと枇杷島村にあった神明社と白山社を合殿にしたようだ。その時期については調べがつかなかった。 昔はこんなふうに堤防上によく神社があったのだけど、近年は交通事情もあって堤防上神社は少なくなった。この神社がいつからここにあったのかは分からない。 その他のことについては神...
2018/06/18
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千種区新西の天王社・秋葉社
千種区新西にある天王社・秋葉社(地図)。 守山区にたくさん現存している天王社祠が名東区、千種区にもある。天王社と秋葉社と並んでいるのはもともとだったのか明治以降のことなのか。 江戸時代までは村々に必ずといっていいほどこういう小さな祠があっただろうし、寺の中を含めれば数多くあったに違いない。 新西のものは新屋敷公民館の敷地なので、後からここに移された可能性が高い。 石碑には文化十年といった年号も見...
2018/06/18
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ホームドラマの食卓には出てこないサンデー料理
先週、先々週とサタデー料理が続いたのだけど今週は通常通りのサンデー料理となった。 いつものようにテーマのない無国籍料理だった。ただ、なんとなく華やかでポップな見た目になった。狙ってそうなったわけではない。 自分で作っておきながら写真に撮ってあらためて客観的に見てみると、一般家庭の夕食として出てくる料理とは少し違う気がする。少なくともホームドラマの食卓風景でこんな料理は出てこない。自分でもなんでこ...
2018/06/17
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アジサイ寺の性海寺は寺そのものが名所
稲沢市の性海寺(地図)。 アジサイ寺としてこの地方ではよく知られているけど、性海寺そのものの歴史はあまり知られていないかもしれない。 平安時代の弘仁年間(810-924年)に空海が愛染明王を本尊として創建したと伝わる古刹だ。 江戸時代前期の本堂、鎌倉時代後期の宝塔、室町時代の多宝塔、鎌倉時代中期の五輪塔がそれぞれ国の重要文化財に指定されている。 地名の大塚は境内にある大塚古墳から来ている。直径40メート...
2018/06/17
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稲沢市の性海寺でアジサイを撮る
稲沢市の性海寺(地図)にアジサイを撮りにいってきた。 主な目的は別にあったのだけど、アジサイも少し撮った。今年は藤を少しだけ撮ったくらいでバラも撮れないまま季節が過ぎてしまった。多少なりとも花を撮ったのは久しぶりだった。 この日は小雨が降ったり止んだりだった。アジサイは雨が似合うし、日が差していない方が色がよく出る。風がなければ雨の日は撮影向きの天候といえる。 性海寺はこれまで三度ほど訪れている...
2018/06/16
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引山の天王社・秋葉社は近隣からの寄せ集めと見た
名東区引山にある天王社・秋葉社(地図)。 守山区にたくさん現存する社を赤く塗った天王社が名東区、千種区にもいくつかある。江戸時代、天王信仰は名古屋城下中にあったはずだけど、社が多く残ったのは守山区だった。その理由はよく分からない。 その他の地区は、熱田区、南区には秋葉社が多くあり、西区には熱田・津島・秋葉3社を祀る屋根神様が多い。 引山のものは、向かって左の社が秋葉社で、中央と右はどちらも天王社...
2018/06/16
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定点観測
また定点観測をお送りします。 ...
2018/06/15
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庄内通の秋葉神社は地蔵と役行者とともに
西区庄内通4丁目にある秋葉神社(地図)。 秋葉神社がメインなのか、お堂がメインなのかはちょっと分かりづらい。地蔵菩薩と役行者が一緒に祀られている。 秋葉宮堂という古い社号標があるから、仏色の強い祠だっただろうか。 ここはかつての稲生街道と庄内用水が交差する場所で、用水には地蔵橋という名前の橋が架かっていた。そういう場所ということからしてもともとこの場所に祠やお堂があったとしても不思議ではない。庄...
2018/06/15
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覚明霊神ゆかりの枇杷島にある御嶽社
西区枇杷島にある御嶽社(地図)。 民家の庭にミニ御嶽ワールドが展開されている。こういう御嶽神社を他にもいくつか見たことがある。いずれも詳細は分からない。 枇杷島は御嶽山を一般に開いた覚明霊神ゆかりの地ということで、昔から御嶽教の講社がたくさんあったそうだ。覚明行者は枇杷島の清音寺で得度を受けて修業したと伝わっている。 ここも一般家屋のようだけど、実際は御嶽教の講社を兼ねているのかもしれない。 そ...
2018/06/14
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枇杷島3丁目の隙間秋葉神社
枇杷島3丁目にある秋葉神社(地図)。 民家の裏口に回るための脇の通路の頭の上にある社。これを神社と呼んでいいかどうかは微妙なところだけど、入り口にしっかり秋葉神社と書いてあるし、地図にも秋葉神社として載っているから神社ということになる。 屋根神様の一種といえばそうなのだろうけど。 いろいろ神社を見てきたけどここも印象に残った。 分かることについては神社サイトの秋葉神社(枇杷島3)のページに書いた。...
2018/06/14
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立派だった往事の面影をとどめる枇杷島の八幡社
西区枇杷島にある八幡社(地図)。 鳥居の南は一般道となっていて両側に民家が並んでいるけど、かつてはここが参道だったに違いない。この道の南側を東西に通っているのが旧美濃路だ。 立派でいい八幡社だと思う。鷹八幡と呼ばれたのは、尾張藩主の義直がこのあたりで鷹狩りをしたからだという話だけど、鷹匠も関係しているかもしれない。 歴史などについては神社サイトの八幡社(枇杷島)のページに書いた。【アクセス】 ・...
2018/06/13
記事一覧

港区中川本町の金比羅大権言社(地図)。
中川運河を守る運河神社の下の宮がここで、上の宮が中川区月島の金刀比羅神社(西宮神社)だ。
権現ではなくあえての権言なんだろうけど、間違いではないのか。権言などという日本語があるのかどうか。
歴史などについては神社サイトの金比羅大権言社のページで。


神社の創建は昭和9年なのだけど、東鳥居には明治四十五年と刻まれている。どこかから持ってきたらしい。
鳥居前の灯籠は伊藤萬蔵が寄贈した石灯籠で、そちらは明治廿四年三月とある。
もしかすると運河神社の上の宮から移したものかもしれない。




【アクセス】
・地下鉄名港線「築地口駅」から徒歩約20分
・駐車場 なし

西区浄心南の樫ノ木龍神(地図)が6月いっぱいで閉鎖になることを教えていただき、その前にもう一度参拝しておこうと行ってみたら、すでに撤去作業の真っ最中だった。訪れたのは27日で、23日で閉鎖になってしまったようだった。
少し前に初めて訪れて、いい神社だと気に入っていたので残念だ。この空間だけが異世界のように生命力に満ちていて、花木もよく育っていて、狭いながらも龍神さんにとって居心地がいいだろうと思っていた。
歴史などについては神社サイトの樫ノ木龍神のページに書いた。
入り口に案内の用紙があって読んでみたところ、龍神を社に移して移転したとある。その移転先が小牧の株式会社天蔵になっている。ここは不要品の回収業者で、神社の関係とは思えない。しかも突然小牧へ引っ越しというのも解せない。
神社のすぐ南にカメラ屋さんがあったのでご主人に話を伺ったところ、所有者が神社と家を畳んで引っ越すことになり、社は近くの上宿山神社に移すらしいと教えていただいた。
上宿山神社(地図)なら400メートルほどしか離れてないし、名古屋城築城以前からある古い神社なので安心だ。
上宿山神社のページ。
山神社と龍神の相性がどうかというのもちょっと思ったのだけど、龍神さんのすみかが失われるようなことにならなくてよかった。完全な廃社となると、この地区全体にも何らかの影響を及ぼしかねない。老舗の「しら河」なども大丈夫かと心配になる。
それにしても、あの神社の空間が失われてしまうのは惜しい。長い年月をかけて作り上げた大事な空間も、壊れるときはあっけない。
今後もこんなふうに神社は失われていくものなのだとあらためて思った。
ところで、たまたま話を伺ったカメラのブラック堂さん(webサイト)が実に渋いお店だった。フィルムカメラが山ほどあり、中古販売、レンタル、修理など、現像など幅広くやられている。
国産だけでなくコンタックスやロシアカメラなども充実していて、クラシックカメラ好きにはたまらないと思う。
最近はデジカメにアダプタをつけてオールドレンズを楽しんでいる人も多い。レンズも相当取りそろえているので、興味のある方はぜひ一度訪れてみてほしい。


【アクセス】
・地下鉄鶴舞線「浄心駅」から徒歩約1分
・駐車場 なし

港区東築地にある東築地神社(地図)。
熱田から続く遠浅の海を干拓して新田作りをしたのが江戸時代。明治40年に名古屋港が開港して、それに伴い周辺部も埋め立てられることになった。東築地もその一部だ。
明治43年に東築地が造成されて、翌明治44年に東築地神社が建てられた。
当初は東築地20番地にあったものを大正元年の台風で被害にあって竜町一番地に遷座、更に東築地4番地に移り、大同製鉄の工場拡張のときに現在地に移された。
狭い範囲でこんなたわい回しされる神社は珍しい。
その他、歴史などについては神社サイトの東築地神社のページで。

社号標は昭和八年になっている。これは東築地町四番地に遷座したときのものだろうか。







【アクセス】
・地下鉄名港線「築地口駅」から徒歩約24分
・無料駐車場 なし

季節の花木風景をお届けします。











港区船見町にある神徳神社(地図)。
船見町は昭和3年(1928年)に造成された8号地と呼ばれる埋め立て地なので、神社が建ったのはその後のことだ。
港区の北側は300年ちょっと前に干拓で陸地化されたところで、南側は100年くらい前まで海だった。人工的に作った地面の上に道路を通し、家を建て、鉄道を敷き、高速道路の高架まで建設しているのだから、考えてみると不思議に思える。それでも草木は生え、花は咲き、木も大きくなっている。港区の住民で人工の土地の上に暮らしていると意識している人はもはやほとんどいないかもしれない。
神徳神社については情報がほとんどなく、詳しいことは分からなかった。分かる範囲については神社サイトの神徳神社のページに書いた。



社号標や石柱などの裏に刻まれた文字は薄くなって読み取れない部分が多い。

【アクセス】
・名鉄常滑線「柴田駅」から徒歩約28分
・無料駐車場 なし

名東区平和が丘にある平和ヶ丘神社(地図)。
昭和35年(1960年)に創建された新しい神社だ。これは平和が丘の街自体がその頃にできたためで、近くの平和公園墓地が作られたこととも関係している。
神社の様子としては戦後に再建されたコンクリート造といった風情なのだけど、再建ではなく創建がその時期だったということになる。
現状かなり新しい印象を受けるのは、平成12年(2000年)に大がかりな修造が行われたためだ。
歴史などについては神社サイトの平和ヶ丘神社のページで。





【アクセス】
・地下鉄東山線「一社駅」から徒歩約18分
・駐車場 なし

そろそろ暑くなってきてサンデー料理のメニューも夏仕様かというと特にそういうこともなく、年中無休で変わらない姿勢を見せることがサンデー料理と思っているので、たぶんこの夏も変わらない。ただ、やっぱり夏は煮込み系の料理は少なくなるから、自分ではあまり意識しないまま夏モードになっている部分はあるのだろう。夏だから食べたくなる料理というのはこれといって思い浮かばないのだけど。
今週もノンテーマで、テーマとはいえないけど少ない食材で乗り切るにはどうしたらいいかが今日の課題だった。
使った食材は、マグロの切り身、長ネギ、豆腐、しめじ、卵、タマネギ、トマト、ジャガイモ、キャベツだった。
サンデー料理としてはこれはやや少ない方だ。普段はもう2、3種は使っていると思う。
なんとか乗り切った。

「マグロの衣焼きからしマヨネーズしょう油ソース掛け」
マグロに塩、コショウ、酒を振りかけてしばらく置く。
ビニール袋に、小麦粉、パン粉、マグロを入れ、よく振って衣をつける。
オリーブオイルで焼く。
衣をつけることで火が通りづらくなり、半生を保てる。
パン粉をつけることでサクッとした食感になる。

「ジャガイモとトマト入りオムレツ」
ジャガイモを細切りにしてレンジで2分加熱する。
ジャガイモ、タマネギ、キャベツ、卵、とろけるチーズ、ケチャップ、コンソメの素、塩、コショウを混ぜ合わせる。
オリーブオイルで焼く。
小さいフライパンでフタをして両面を焼くと、厚みができて、中がふわっと仕上がる。
逆に大きいフライパンで薄く焼くとカリッとした食感になる。

「しめじたっぷり麻婆豆腐風」
刻んだ長ネギとしめじをごま油、豆板醤、ショウガで炒める。
適当に切った豆腐を加える。
酒、みりん、しょう油、和風だし、塩、コショウで味付けをする。
水溶きカタクリ粉を加え、とろみをつける。

在庫写真シリーズ。
今回は道行き風景をお送りします。











千種区茶屋が坂にある三十番神社(地図)。
三十番神社として独立した形で残っているのは、名古屋市内では守山区志段味と千種区茶屋が坂くらいしかないのではないかと思う。
全国の有名神社から30の祭神を集めて一日交替で守ってもらおうというのが三十番神信仰だ。
法華経の守護者ともされ、江戸時代まではけっこう流行ったようなのだけど、明治政府によって祭祀を禁じられたため現存するものは少ない。寺では神像とともに残っているところもあるようだ。
いつ頃からここにあったかは知らないけど、以前はもっと木が生い茂っていて、こんもりした鎮守の杜だった。だいぶ木を刈ってしまった。
その他のことは神社サイトの三十番神社(茶屋ヶ坂)のページで。


【アクセス】
・地下鉄名城線「茶屋ヶ坂駅」から徒歩約2分
・駐車場 なし

東区芳野にある社宮司神社(地図)。
1684年に竹腰屋敷の守護のため鬼門に伊斯許理度賣命(イシコリドメ)を祀ったのが始まりというネット情報があるのだけど、史料などによる裏付けが取れないため、その情報が正しいのかどうか判断がつかない。
尾張藩附家老の竹越正信がこの場所に屋敷を構えたのは確かなようだけど、1684年というのと伊斯許理度賣命を祀ったというのに違和感を覚える。
そのあたりについては神社サイトの社宮司神社(芳野)のページに書いた。
現在は民家の庭に祀られていて勝手に入っていっていいのかどうか迷う。立ち入り禁止とは書いてない。
明治になって竹腰家が名古屋を引き払って、残った家臣の家で引き継いだという話も本当なのかどうか分からない。
手っ取り早いのはこのお宅の方に話をうかがうことなのだけど。

入り口にこのお宅の車が停まっていると神社の存在そのものに気づかない可能性がある。車がないと社号標が見えるので分かるはずだ。鳥居はない。



【アクセス】
・名鉄瀬戸線「尼ヶ坂駅」から徒歩約9分
・駐車場 なし

東区赤塚にある神明社(地図)。
住所としては徳川2丁目なのだけど、赤塚神明社で通っている。
神社の前の通りは数え切れないくらい通っているから存在はよく知っていたのだけどあまり縁がなかった。調べてみると意外にも深い歴史を秘めていそうな神社だ。
創建はかなり古いようで、元の祭神は分からない。茅輪くぐりや湯立て神事などを行っていることからするとスサノオ系の神社の可能性もある。
見方が変わってちょっと気になる神社になった。
歴史などについては神社サイトの神明社(赤塚)のページで。







【アクセス】
・名鉄瀬戸線「森下駅」から徒歩約13分
・駐車場 あり(無料/西側入り口前に1台分)

東区芳野にある稲荷社(地図)。
社号標にもあるように義市稲荷社として名が通っているようだ。ただ、義市(よしいち)の由来については調べがつかなかった。
尾張藩附家老の竹腰屋敷で祀っていたというのだけど、創建のいきさつについてはやや不明な点もある。
明治維新で屋敷を引き払ったときに神社は置いていったということだろうか。本当に屋敷で祀っていたとしたら引っ越しても持っていきそうなものだけど。
その他のことについては神社サイトの稲荷社(義市稲荷)のページで。





【アクセス】
・名鉄瀬戸線「尼ヶ坂駅」から徒歩約8分
・駐車場 なし

西区稲生町にある神明社(地図)。
屋根神様を降ろしたくらいの社なのだけど、江戸時代からあったようだ。たぶん場所は移されていて元からここにあったわけではないと思う。
敷地の中には稲生学区集会場が建っており、石碑や墓石のようなものもある。どちらかがどちらかに間借りしているような感じだ。
その他のことについては神社サイトの神明社(稲生町)のページで。


土台と社のサイズ感がちょっと合ってない。

ミニサイズながら神明造で、内削ぎの千木と六本の鰹木を持っている。


【アクセス】
・地下鉄鶴舞線「庄内通駅」から徒歩約11分
・駐車場 なし

西区名塚にある白山社(地図)。
かつての名塚村にあった神社で、名塚村は名古屋城築城の際に庄内川の堤が築かれるまでは庄内川の北にあった。1614年に庄内川の南に村ごと移された。
この神社は天武天皇時代の672-686年に創建されたと社伝は伝える。
名塚村の東の稲生村は古い地名だけど、名塚もそこまで古いかどうか。
そのまま信じるのは危ういけどそういう話が伝わっているということは何らかの根拠があったのかもしれない。
現在地は信長が尾張国を統一するきっかけになった稲生の戦いのときに名塚砦が築かれた場所とされている。
その他のことについては神社サイトの白山社(名塚)のページで。

鳥居から反対方向を見ると長い直線の道が続いている。かつてはこの向こう側に第一の鳥居があったかもしれない。









【アクセス】
・地下鉄鶴舞線「庄内通駅」から徒歩約7分
・駐車場 なし

西区稲生にある水神堂(地図)。
堂とはいっても公民館か集会所のような建物で、扉がすべて完全に閉まっているので中をうかがい知ることはできない。
庄内川堤防の下で、かつての稲生街道沿いに位置している。
八大龍王を祀っているようなのだけど、堤防の守り神か、水難除けか、雨乞いか、止雨祈願か、それらすべてかもしれない。
『尾張志』の稲生村の項に水神ノ社がある。それがこの水神堂のことか別のものかは分からない。
その他のことについては神社サイトの水神堂(稲生)のページで。




【アクセス】
・地下鉄鶴舞線「庄内通駅」から徒歩約10分
・駐車場 なし

西区枇杷島にある神明社白山社合殿(地図)。
社号標は神明社となっているけど、『愛知縣神社名鑑』では神明社白山社合殿となっている。もともと枇杷島村にあった神明社と白山社を合殿にしたようだ。その時期については調べがつかなかった。
昔はこんなふうに堤防上によく神社があったのだけど、近年は交通事情もあって堤防上神社は少なくなった。この神社がいつからここにあったのかは分からない。
その他のことについては神社サイトの神明社白山社合殿のページで。

堤防下に小さな社がある。神明社の境内社か何かかと思ったら違うようで、屋根神様のたぐいをここに移したもののようだ。
秋葉社らしい。





【アクセス】
・名鉄名古屋本線「東枇杷島駅」から徒歩約13分
・駐車場 なし

千種区新西にある天王社・秋葉社(地図)。
守山区にたくさん現存している天王社祠が名東区、千種区にもある。天王社と秋葉社と並んでいるのはもともとだったのか明治以降のことなのか。
江戸時代までは村々に必ずといっていいほどこういう小さな祠があっただろうし、寺の中を含めれば数多くあったに違いない。
新西のものは新屋敷公民館の敷地なので、後からここに移された可能性が高い。
石碑には文化十年といった年号も見られる(1813年)。
その他のことは神社サイトの天王社・秋葉社(新西)のページで。








【アクセス】
・地下鉄名城線「茶屋ヶ坂駅」から徒歩約41分
・駐車場 なし

先週、先々週とサタデー料理が続いたのだけど今週は通常通りのサンデー料理となった。
いつものようにテーマのない無国籍料理だった。ただ、なんとなく華やかでポップな見た目になった。狙ってそうなったわけではない。
自分で作っておきながら写真に撮ってあらためて客観的に見てみると、一般家庭の夕食として出てくる料理とは少し違う気がする。少なくともホームドラマの食卓風景でこんな料理は出てこない。自分でもなんでこんなスタイルになってしまったか分からない。
料理名を決めてから作るのではなく、手持ちの食材を自分が食べたいように調理するとこうなってしまう。味覚が人と大きく違っているわけではないのだろうけど。

「マグロと長ネギ焼き」
マグロに塩、コショウを振りかけて、長ネギと一緒にオリーブオイルで焼く。
酒、みりん、しょう油、ショウガ、唐辛子をひと煮立ちさせて作ったソースをかける。

「カボチャとその他の溶き卵和え」
カボチャを下茹でする。
オクラとブロッコリーも下茹でする。
オリーブオイルでトマト、カボチャ、オクラ、ブロッコリーを炒める。
酒、みりん、コンソメの素、塩、コショウで味付けする。
とき卵ととろけるチーズを混ぜたものを別に炒める。
最後に卵を加えて全体に混ぜ合わせる。

「和風野菜スープ」
ジャガイモ、ニンジンをゆがく。
タマネギ、レタスを入れる。
酒、みりん、和風だし、昆布つゆ、塩、コショウで味付けをする。

稲沢市の性海寺(地図)。
アジサイ寺としてこの地方ではよく知られているけど、性海寺そのものの歴史はあまり知られていないかもしれない。
平安時代の弘仁年間(810-924年)に空海が愛染明王を本尊として創建したと伝わる古刹だ。
江戸時代前期の本堂、鎌倉時代後期の宝塔、室町時代の多宝塔、鎌倉時代中期の五輪塔がそれぞれ国の重要文化財に指定されている。
地名の大塚は境内にある大塚古墳から来ている。直径40メートルほどの円墳で、5世紀頃の築造と考えられている。
昨日の続きで、アジサイの写真をもう少しお届けします。












【アクセス】
・名鉄名古屋本線「奥田駅」から徒歩約36分
・駐車場 あり(無料)
稲沢市あじさいまつりのページ

稲沢市の性海寺(地図)にアジサイを撮りにいってきた。
主な目的は別にあったのだけど、アジサイも少し撮った。今年は藤を少しだけ撮ったくらいでバラも撮れないまま季節が過ぎてしまった。多少なりとも花を撮ったのは久しぶりだった。
この日は小雨が降ったり止んだりだった。アジサイは雨が似合うし、日が差していない方が色がよく出る。風がなければ雨の日は撮影向きの天候といえる。
性海寺はこれまで三度ほど訪れている。前回が2012年だったから、ちょっと久しぶりだった。
アジサイ咲く性海寺へ(2012年)
稲沢名所といえば一に国府宮神社で二番目はアジサイ寺の性海寺
この前は2005年だけどブログ記事はないからブログを始める前だったようだ。











【アクセス】
・名鉄名古屋本線「奥田駅」から徒歩約36分
・駐車場 あり(無料)
稲沢市あじさいまつりのページ

名東区引山にある天王社・秋葉社(地図)。
守山区にたくさん現存する社を赤く塗った天王社が名東区、千種区にもいくつかある。江戸時代、天王信仰は名古屋城下中にあったはずだけど、社が多く残ったのは守山区だった。その理由はよく分からない。
その他の地区は、熱田区、南区には秋葉社が多くあり、西区には熱田・津島・秋葉3社を祀る屋根神様が多い。
引山のものは、向かって左の社が秋葉社で、中央と右はどちらも天王社だと思う。おそらく別々の場所で祀られていたものをここに集めたのだろう。
その他のことは神社サイトの天王社・秋葉社(引山2)のページに書いた。








【アクセス】
・地下鉄東山線「上社駅」から徒歩約44分
・市バス/名鉄バス「引山バスターミナル」から徒歩約7分
・駐車場 なし

また定点観測をお送りします。











西区庄内通4丁目にある秋葉神社(地図)。
秋葉神社がメインなのか、お堂がメインなのかはちょっと分かりづらい。地蔵菩薩と役行者が一緒に祀られている。
秋葉宮堂という古い社号標があるから、仏色の強い祠だっただろうか。
ここはかつての稲生街道と庄内用水が交差する場所で、用水には地蔵橋という名前の橋が架かっていた。そういう場所ということからしてもともとこの場所に祠やお堂があったとしても不思議ではない。庄内通が拡張されるときに移された可能性はあるけれど。
その他のことについては神社サイトの秋葉神社(庄内通4)のページで。





【アクセス】
・地下鉄鶴舞線「庄内通駅」から徒歩約5分
・駐車場 なし

西区枇杷島にある御嶽社(地図)。
民家の庭にミニ御嶽ワールドが展開されている。こういう御嶽神社を他にもいくつか見たことがある。いずれも詳細は分からない。
枇杷島は御嶽山を一般に開いた覚明霊神ゆかりの地ということで、昔から御嶽教の講社がたくさんあったそうだ。覚明行者は枇杷島の清音寺で得度を受けて修業したと伝わっている。
ここも一般家屋のようだけど、実際は御嶽教の講社を兼ねているのかもしれない。
その他のことについては神社サイトの御嶽社(枇杷島)のページに書いた。



【アクセス】
・名鉄名古屋本線「東枇杷島駅」から徒歩約14分
・駐車場 なし

枇杷島3丁目にある秋葉神社(地図)。
民家の裏口に回るための脇の通路の頭の上にある社。これを神社と呼んでいいかどうかは微妙なところだけど、入り口にしっかり秋葉神社と書いてあるし、地図にも秋葉神社として載っているから神社ということになる。
屋根神様の一種といえばそうなのだろうけど。
いろいろ神社を見てきたけどここも印象に残った。
分かることについては神社サイトの秋葉神社(枇杷島3)のページに書いた。



【アクセス】
・名鉄名古屋本線「東枇杷島駅」から徒歩約10分
・駐車場 なし

西区枇杷島にある八幡社(地図)。
鳥居の南は一般道となっていて両側に民家が並んでいるけど、かつてはここが参道だったに違いない。この道の南側を東西に通っているのが旧美濃路だ。
立派でいい八幡社だと思う。鷹八幡と呼ばれたのは、尾張藩主の義直がこのあたりで鷹狩りをしたからだという話だけど、鷹匠も関係しているかもしれない。
歴史などについては神社サイトの八幡社(枇杷島)のページに書いた。











【アクセス】
・名鉄名古屋本線「東枇杷島駅」から徒歩約7分
・駐車場 なし
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