月別:2018年03月

記事一覧
  • 在庫写真より ~季節の忘れ物

     在庫写真より。 今回は季節の忘れ物と題してお送りします。 ...

    2018/03/31

    日常写真(Everyday life)

  • お部屋神社的な上橋町金毘羅大権現

     西区上橋町にある金毘羅大権現(地図)。 表から見て神社とは思えない。鳥居はなく、石柱が左右に建っていて、低い位置に狛犬がいる。その狛犬が神社を示す手がかりだ。 入って奥へ進んでも神社は現れない。しかし、実はもう見えている。正面のプレハブ小屋みたいなのが神社だ。この中に社が収まっている。 情報もなく、この外観で神社と言い当てるのは難しい。目立たないながら「茶房 あけび」という看板がかかっているから...

    2018/03/30

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 道行き風景写真

     今日は道行き風景写真をお送りします。 ...

    2018/03/29

    日常写真(Everyday life)

  • 千種区上野の永弘院を訪ねる

     千種区上野にある永弘院(地図)を訪ねたのは去年2017年の6月のことだった。 その少し前、寺の西にあった八坂社を訪れたらきれいさっぱりなくなっていて、工事中のフェンスで囲まれて駐車場になっていた。その駐車場はどうやら永弘院のものらしいということで、中に入って確かめるのが目的だった。 それにしても八坂社が突然消えていたのには驚いた。上野天満宮が神社の土地を売って八坂社を上野天満宮別宮に合祀したことを後...

    2018/03/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 西区上小田井の星神社が大胆にリニューアルしていた

     西区上小田井にある星神社を訪ねた(地図)。 ここを初めて訪れたのは2008年のことだった。 謎の多い小田井の星神社について その後、何度か中小田井に行くことはあったのだけど、星神社は参拝しなかったので、10年ぶりくらいの再訪ということになった。 やはり10年という歳月は短くなかったようで、劇的ともいえる大胆なリニューアルがなされていてのけぞった。なんだこりゃ、まったく別の神社になってしまったみたいだと驚...

    2018/03/27

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 信長の弟の信行が父の信秀を弔った桃厳寺

     2月3日の節分の日、千代保稲荷名古屋支社の豆まきを見たあと、近くを通りかかったので桃厳寺(地図)に立ち寄っていった。 去年2017年の暮れに、前住職が土地売却代金の中から1億5千万円を着服して同居女性が宝石など買い込んで訴えられたというニュースが流れたので、それを見たという人もいるかもしれない。 個人的には過去に何度か訪れていて、前回は2014年の8月だった。蚊にやられまくった記憶がある。 名古屋大仏と桃厳...

    2018/03/26

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 春感はお休みサンデー料理

     花粉にやられまくりの3月終盤。花粉症はいつからこんな国民病みたいになってしまったんだろう。これさえなければ春はいい季節なのに。 今週のサンデー料理は春感をお休みして通常メニューとなった。一応、新ジャガや新タマネギを使っているのだけど、料理してしまえば区別はつかない。タケノコがそろそろ登場してくるのではないかと思う。 来週は少し桜を撮る予定でいる。今年はものすごく早いかと思ったけどそうでもなく、3月...

    2018/03/25

    料理(Cooking)

  • 平中町の恵比子神社はあけっぴろげな感じ

     西区平中町にある恵比子神社(地図)。 この晒され感はなかなかのものだ。鳥居や玉垣がなく、そもそも囲おうという意志が感じられない。これでは神域の結界は張れない。本社の周りだけでも瑞垣で囲っているのは救いだ。 なんか、土地が荒れている感じも気になった。 気になったといえば神社名の恵比子もどういうことなんだろう。一般的には恵比須と表記するけど、あえて子にしたのは何か特別な理由があったのだろうか。もしか...

    2018/03/25

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 在庫写真より ~こぼれ写真

     在庫写真より。 今回はこぼれ写真をお送りします。 ...

    2018/03/24

    日常写真(Everyday life)

  • 平中町の八幡社と泉増院との関係は?

     西区平中町の八幡社(地図)。 すぐ西に隣接する泉増院とは戦国時代の近い時期にともに再建された記録が残っており、八幡社は泉増院の鎮守社だったのではないかと思うのだけど、そういった記録や情報はない。 社殿は南向きで、入り口の鳥居は東側にある。南は道路との間が駐車場になっているから、もともと南側に鳥居と参道があったのかもしれない。もしくは少し東を岩倉街道が通っていたから、そちらに鳥居と参道があったのか...

    2018/03/24

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 旧岩倉街道の守り神か山木秋葉神社

     西区山木にある秋葉神社(地図)。 旧岩倉街道から少し西に入ったところにあるから、江戸時代に街道沿いの守り神として建てられた秋葉権現だっただろうか。 もしくはこのあたりの集落で建てた秋葉権現だったかもしれない。 明治以降の創建ということはないと思うのだけどどうだろう。 詳しい情報は得られなかった。 その他のことについては神社サイトの山木秋葉神社のページで。【アクセス】 ・名鉄犬山線「中小田井駅」か...

    2018/03/23

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 密厳寺の鎮守社か平出町秋葉社

     西区平出町にある秋葉社(地図)。 隣は平塚辯才天で、秋葉社の奥にたくさんの石仏を安置したお堂があり、更にその奥に密厳寺があるので、これらすべては密厳寺のものなのかもしれない。お堂の中に平塚講とあったから、ここは平塚という集落のようだ。 この秋葉社に関する情報はほぼない。灯籠に文政二年と刻まれており、文政二年は1819年だから江戸時代にはすでにあったということだろう。 その他のことは神社サイトの平出町...

    2018/03/23

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 要因は不明ながら重たく感じられた西区平出町の白山社

     西区平出町にある白山社(地図)。 やけに空気が重たく感じられる神社だった。空気の重たさなどというものは主観的な感覚にすぎず、証明することも数値化することもできないけど、そう感じたということは何らかの要因があるわけで、それが分かるとこの神社の歴史の一端を知ることができるかもしれない。 分かっている範囲の歴史については神社サイトの平出町白山社のページに書いた。【アクセス】 ・名鉄犬山線「中小田井駅」...

    2018/03/22

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 犬山寂光院の冬から初春にかけて

     去年から今年にかけて、2ヶ月に一度くらいのペースで犬山の寂光院(地図)を訪ねている。そのときのことはブログでその都度紹介してきた。 しかし、本編から漏れてしまった写真があり、つい先日もまた行ってきたので、そのあたりの写真をまとめて出してしまうことにした。 季節は巡って春。桜にはまだ遠かったけれど、降り注ぐ光は春のものだった。 この先もまたちょくちょく出向くことになりそうだ。【アクセス】 ・名鉄犬...

    2018/03/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 歴史はよく分からないけどいい神社ではある西区城町の十所社

     西区城町にある十所社(地図)。 北区とその周辺に固まっている六所社のようなものかと思いきや、ここは単純に10柱の神を祀るということで十所社と称しているようだ。ただ、その実態はもうひとつよく分からない。 祭神の顔ぶれを見ると、熱田系の神を中心に寄せ集めている感じで、脈略がないというかなんというか。 北名古屋市にも同名神社が二社あり、戦国時代の城や武将とも関係がありそうだ。西区城町の十所社近くには平田...

    2018/03/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 千代ヶ丘椿神社は千代が丘団地の神社なのか

     千種区千代が丘にある千代ヶ丘椿神社(地図)。 ショッピングセンターコスモの2階テラスというロケーションに驚く。ただ、ここは千代が丘団地という大きな団地で、その団地の神社という位置づけであれば、もともとここは団地のテラスということなのかもしれない。ショッピングセンターができたのはそれほど昔ではないだろうし、おそらく神社の方が先だったのだろう。だとすれば、この団地と神社が無関係とは思えない。 それに...

    2018/03/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 道真さんというより堀田の天神さん

     北区如意(にょい)にある堀田天神(地図)。 個人宅のお庭神社のようだけど、もともとは堀田の集落で祀っていたものらしい。そこから堀田天神と呼ばれているようだけど、正式名は分からない。 古くは落合鳥見塚というところに祠があって、大水で社が流されて台座だけ残っていたものを、明治初年に現在地に移して祀り直したという。 菅原道真を祀ったのが昭和12年ということなので、それまではただの天神さんを祀っていたのだ...

    2018/03/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 季節の花など ---2018早春

     今年は早春の花を撮りにいかなかったのだけど、季節は確実に進んで、もはや桜の季節になっていた。名古屋でも今日3月19日に開花宣言が出された。今年の桜は4月まで持ちそうにない。 桜は少し撮りにいくとして、今回は季節の花などと題して1月から3月にかけて折に触れて撮った花写真をお送りします。 ...

    2018/03/19

    花/植物(Flower/plant)

  • かつての六が池はなくとも小さな猿田彦社は残った

     北区六が池町にある小さな社。猿田彦を祀る猿田彦社(地図)のようだ。 六が池町の町名は、六が池という溜め池があったことから来ている。猿田彦社の隣にあるのがそれで、現在は大幅に縮小して調整池になっている。すでに六が池という名前でもないかもしれない。 かつてこのあたりは水を引けないような荒れた野山で、水路を敷いて苦労して開墾して新田を作った。その新田の守り神として呼んて来てもらったのが猿田彦だった。 ...

    2018/03/19

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 菜の花入りサンデー料理

     ここのところ暖かすぎたり少しひんやりしたりと気温が落ち着かないけど、春には違いない。梅も咲いて、早いところでは桜が開花したという便りも届いた。この前、ツクシも見た。 サンデー料理に季節はあまり関係がないのだけど、春は少し季節の食材が登場する。タケノコは好きなので使うことが多い。 今回は、菜の花をもらったので使ってみた。そういえば、少し前にフキノトウも使ったのだった。今年のサンデー料理はいつもの年...

    2018/03/18

    料理(Cooking)

  • 新幹線が境内を行く御替地神明社

     南区豊田にある神明社(地図)。 御替地神明社(おかえち-しんめいしゃ)と呼ばれている理由や歴史などについては神社サイトの神明社(御替地)のページで。 ここは世にも珍しい新幹線が境内を走っている神社として記憶される。衝撃的な光景にしばし固まった。嘘でしょというくらい、思い切り新幹線の高架が境内を横切っている。 東海道新幹線の開通は昭和38年(1963年)で、当時は国鉄だったから国が境内の一部を買い取った...

    2018/03/18

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 玉照姫座像は秘仏で8年に一度、泉増院

     笠寺観音こと笠覆寺の道一本隔てた南にある泉増院(地図)。 玉照姫に関係がありそうだということでちょっと寄っていくことにした。 笠覆寺は奈良時代前期の733年(736年とも)に創建されたとしている。 それは現在地の650メートルほど南で、善光(禅光)が呼続(よびつぎ)の浜辺に打ち上げられた流木から十一面観音像を彫って堂を建て、天林山小松寺と名づけたのが始まりという。 時は流れて平安時代中期、堂は朽ち果て、...

    2018/03/17

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 歴史と実感のギャップがある南区豊の若宮八幡社

     南区豊にある若宮八幡社(地図)。 幕末の1856年に、この地を開発した氷室長冬が建てたというのだけど、なんとなくしっくりこない。何か違うんじゃないかと思う。実感としてもっと古い神社に感じた。 氷室家は後醍醐天皇の皇子、良新親王が津島神社の神官となって尾張国中島郡氷室村を領したことから氷室を名乗るようになったのが始まりとされ、長冬は若宮八幡社の神官だったという。どうしてそんな人物がこの場所に新田を開発...

    2018/03/17

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 犬山市の大縣神社のしだれ梅を撮る

     愛知県犬山市にある大縣神社(地図)のしだれ梅を撮りにいってきた。 出向いたのは3月12日なので、情報としてはちょっと古い。今日あたりは満開を通り越していたかもしれない。雨が降って少し花を散らせてしまったんじゃないだろうか。 名古屋でしだれ梅というと天白区平針の名古屋市農業センターがよく知られていて、私も毎年のように撮りにいっている。今年は行けなかったのだけど、開花情報によると、今日16日現在で散り始...

    2018/03/16

    花/植物(Flower/plant)

  • 豊郷神社創建は何故大正14年だったのか

     南区内田橋にある豊郷神社(地図)。 創建は大正14年(1925年)というのだけど、どうしてこの時期だったのかがよく分からない。 明治43年に精進川を掘り広げて新堀川として、明治45年に内田橋が架かったことで、ここは南知多方面から名古屋に入る玄関口となり、街道沿いを中心に賑わうようになったというのがひとつあったのだろう。 豊郷神社の社名はかつての町名の豊郷町(ほうごうちょう)から来ている。 境内にある青木稲...

    2018/03/16

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • もうひとつの定点観測

     いつもの定点観測ポイントとは別に、もうひとつの定点観測ポイントがある。 もうひとつの定点ポイントと題してお送りします。 ...

    2018/03/15

    日常写真(Everyday life)

  • 昭和創建にしては歴史を感じる豊門神社

     南区内田橋にある豊門神社(地図)。 かつての町名である豊門町(ほうもんちょう)から神社は名づけられている。 創建は戦時中の昭和11年。南区は昭和に入ってから建てられた神社が多い。出征する兵士を送り、無事の帰還を願うということで建てられたようだ。 それにしてはけっこう古びているというか歴史を感じさせる。新しいわりには貫禄が出ている。 歴史などについては神社サイトの豊門神社のページで。【アクセス】 ・...

    2018/03/15

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 在庫写真より ~道行き風景

     在庫シリーズより。 今回は道行き風景をお送りします。 ...

    2018/03/14

    日常写真(Everyday life)

  • 街並み風景に溶け込む柵下町秋葉神社

     南区柵下町にある秋葉神社(地図)。 笠寺地区にたくさんある秋葉神社の中で昭和の戦中に建てられた秋葉神社のひとつのようだ。 七所神社の境外社という話があるのだけど本当だろうか。 歴史などについては分かる範囲で神社サイトの柵下町秋葉神社のページに書いた。 街並みに溶け込んだ感じがいい。【アクセス】 ・名鉄名古屋本線「本笠寺駅」から徒歩約11分 ・駐車場 なし ...

    2018/03/14

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • お供え物がたくさん松池町3秋葉神社

     南区松池町3丁目の秋葉神社(地図)。 笠松エリアの中で戦時中に建てられた秋葉神社のグループの中のひとつ。 出征兵士を見送るためと、無事の帰還を願って建てられたという。 詳しいことは調べがつかなかった。 その他のことについては神社サイトの松池町3秋葉神社のページで。 お供え物がたくさんされていた。大事にされていることが伝わってくる。 スーパーで売られている袋のままというの実用本位ということで。 道の...

    2018/03/13

    神社仏閣(Shrines and temples)

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在庫写真より ~季節の忘れ物

日常写真(Everyday life)
青葉の季節

 在庫写真より。
 今回は季節の忘れ物と題してお送りします。



太郎椿




ムクゲ?




溝のタンポポ




キンモクセイの落花




椿




イトトンボ




ホソバリンドウ




蛾の羽




蜻蛉




紅葉途中のモミジ




枯れ葉と逆光

 

お部屋神社的な上橋町金毘羅大権現

神社仏閣(Shrines and temples)
金毘羅大権現

 西区上橋町にある金毘羅大権現(地図)。
 表から見て神社とは思えない。鳥居はなく、石柱が左右に建っていて、低い位置に狛犬がいる。その狛犬が神社を示す手がかりだ。
 入って奥へ進んでも神社は現れない。しかし、実はもう見えている。正面のプレハブ小屋みたいなのが神社だ。この中に社が収まっている。
 情報もなく、この外観で神社と言い当てるのは難しい。目立たないながら「茶房 あけび」という看板がかかっているから、それにつられて入っていって、たまたま神社を見つけるということはあるかもしれない。ただ、「あけび」は閉まっていてやっていなかった。
 歴史などについてはほとんど何も分からない。境内にある手水の鉢や石碑に江戸時代の年数が刻まれているくらいだ。
 神社サイトの金毘羅大権現(上橋町)のページで。



金毘羅大権現額

 この額がなければ建物の扉を開けることはなかった。
 普通の拝殿にかかっているような古い額だから、もともとは別の場所にあって、普通の神社だったのかもしれない。



金毘羅大権現社

 室内は三畳ほどで、社が収まっている。祭壇というか仏壇というか、ほとんどプライベート空間にあるお部屋神社のようなものだ。
 神仏習合している。



金毘羅大権現文化九年

 文化九年は1812年だから、江戸時代の中後期だ。
 これが創建年なのか、寄進した年なのかは分からない。



金毘羅大権現嘉永六年

 こちらには嘉永六年と刻まれている。嘉永六年は1853年だ。



金毘羅大権現入り口

 賽銭箱も置いてあったし、一般参拝者お断りではないと思う。

【アクセス】
 ・名鉄犬山線/地下鉄鶴舞線「上小田井駅」から徒歩約23分
 ・駐車場 なし
 
 

道行き風景写真

日常写真(Everyday life)
道ばたの羊

 今日は道行き風景写真をお送りします。



バック注意




教会の十字架




干したタオル




ひび割れた窓




ここで吐かないで




ぐっさん家のジープ




SEIYU




甘党の店




喫茶店前




屋敷

 

千種区上野の永弘院を訪ねる

神社仏閣(Shrines and temples)
永弘院

 千種区上野にある永弘院(地図)を訪ねたのは去年2017年の6月のことだった。
 その少し前、寺の西にあった八坂社を訪れたらきれいさっぱりなくなっていて、工事中のフェンスで囲まれて駐車場になっていた。その駐車場はどうやら永弘院のものらしいということで、中に入って確かめるのが目的だった。
 それにしても八坂社が突然消えていたのには驚いた。上野天満宮が神社の土地を売って八坂社を上野天満宮別宮に合祀したことを後になって知ることになる。
 八坂社については神社サイトの八坂社のページに書いた。



永弘院

 上野山永弘院(ようこういん/通称えいこういん)は、上野城主だった下方貞清が1538年に創建したとされる臨済宗妙心寺派の寺院だ。
 上野城の鬼門(北東)にあった藥師堂の薬師如来を本尊として堂を建てたのが始まりという。
 しかし、下方貞清は1527年生まれとされるので、1538年はまだ11歳かそこらだ。いくら戦国時代の武将が若くして老成していたとはいえ、この年で寺を建てるとも思えない。
 父親の貞経はこのときはまだ健在で(1541年に病死)、代替わりもしていない。1538年に下方貞清が建てたというのは信じがたい。この1538年(天文七戌年)というのは『尾張徇行記』に書かれていることで、間違っている可能性がある。
 年数の混乱でいうと、上野城築城も怪しい。上野城築城は1532年頃というのが定説となっているのだけど、このとき下方貞清はまだ5歳だ。城は建てないだろうと思う。
 そもそも、下方貞清は1527年に上野城で生まれたとされている。父親の貞経が建てたと考えるのが自然だ。あるいはもっと前かもしれない。
 下方貞清は織田家に仕え、小豆坂合戦で活躍して小豆坂七本槍と称され、その後も織田家の重要な戦いに参加して武勲をあげた。一番槍を六度も獲得しているというから、かなりの強者だ。
 本能寺の変も生き延びて、尾張徳川家に仕え、1606年まで生きた。
 永弘院は下方家の菩提寺になっている。

 

永弘院上野城石碑

 境内の片隅に上野城跡の石碑が建っている。
 上野城は現在の上野小学校(地図)あたりにあったとされる。
 城は崖の上にあって、南北約200メートル、東西約120メートルほどの規模だったという。二重の濠もめぐらせていたというから、わりと本格的なものだ。

 永弘院は本能寺の変の後荒廃し、江戸時代に入ってから再建復活していった。
 何度か天災などにあい、第二次大戦の空襲では大きな被害を受けた。上野のあたりは軍需工場があって、攻撃目標とされた分、被害が大きかった。



永弘院駐車場

 かつて八坂社があった場所。
 言われなければそうとは気づかないほど痕跡は残っていない。
 永弘院側からの申し出だったのか、上野天満宮からの打診だったのか。上野天満宮はそのお金で晴明殿という結婚式ができる建物を新築した。



永弘院庭

 庭の池の中島にあるのは弁才天の祠だろうか。



永弘院瓦屋根

 瓦屋根が好きで、いい瓦屋根を見ると撮りたくなる。

【アクセス】
 ・地下鉄名城線「茶屋ヶ坂駅」から徒歩約20分
 ・駐車場 あり

 公式サイト
 

西区上小田井の星神社が大胆にリニューアルしていた

神社仏閣(Shrines and temples)
上小田井星神社

 西区上小田井にある星神社を訪ねた(地図)。
 ここを初めて訪れたのは2008年のことだった。
 謎の多い小田井の星神社について
 その後、何度か中小田井に行くことはあったのだけど、星神社は参拝しなかったので、10年ぶりくらいの再訪ということになった。
 やはり10年という歳月は短くなかったようで、劇的ともいえる大胆なリニューアルがなされていてのけぞった。なんだこりゃ、まったく別の神社になってしまったみたいだと驚く。
 舞殿型の拝殿がなくなっていたのも大きな変化ではあるのだけど、一番変わったのは社殿裏手にあった森をばっさり刈り取ってしまったことだ。それによってすごく明るいイメージになったのだけど、神社があまり明るいというのも考えもので、鎮守の森を失ってしまって大丈夫だろうかと心配になった。
 森があった場所に社務所兼授与所をあらたに建てて、元の社務所があったところに駐車場を作った。おかげで参拝しやすくはなったものの、いやいや、これはどうなんだと思わずにはいられなかった。
 個人的には暗くてじめっとした昔の星神社の方がよかった。
 このリニューアルに伴ってなのか、境外摂社だった諏訪社が道を隔てた西側に遷座していた。というよりも順序が逆で、諏訪社があった土地を売って、そのお金でリニューアルしたということなのだろう。近年、こんなふうに再建費用捻出のために所有する神社の土地を売るケースが増えている。神社経営も楽ではないようだ。
 そんなわけで、いろいろな部分であっけにとられながらの参拝となった。
 歴史その他についは神社サイトの上小田井星神社のページに書いた。



上小田井星神社入り口前




上小田井星神社鳥居下




上小田井星神社拝殿前




上小田井星神社社殿横から




上小田井星神社拝殿と社務所




上小田井星神社境内の風景




上小田井星神社名残




上小田井星神社諏訪社

 諏訪社が神社横に移されてきていた。そんなことは知らなかったものだから、旧地の周囲を探し回ってしまった。
 本社の社はそのまま流用して、下社の社だけ新調している。

【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「庄内緑地公園駅」から徒歩約10分。
 ・名鉄犬山線「中小田井駅」から徒歩約12分。
 ・駐車場 あり(無料)
 

信長の弟の信行が父の信秀を弔った桃厳寺

神社仏閣(Shrines and temples)
桃厳寺

 2月3日の節分の日、千代保稲荷名古屋支社の豆まきを見たあと、近くを通りかかったので桃厳寺(地図)に立ち寄っていった。
 去年2017年の暮れに、前住職が土地売却代金の中から1億5千万円を着服して同居女性が宝石など買い込んで訴えられたというニュースが流れたので、それを見たという人もいるかもしれない。
 個人的には過去に何度か訪れていて、前回は2014年の8月だった。蚊にやられまくった記憶がある。
 名古屋大仏と桃厳寺

 山号を泉龍山といい、正式名を桃巖禪寺(とうがんぜんじ)という曹洞宗のお寺だ。
 天文年間(1532-1555年)に信長の同母弟の信行(信勝)が父である信秀の菩提を弔うために建てたとされる。
 当時の信行は末盛城主(千種区城山)で、寺は末森村の二本松(穂波町)に建てられたようだ。
 その後、松竹町に替地となり、1712年(正徳2年または1714年)に現在地に移されたとされる。

 信行は信長の弟でありながら品行方正で、織田家家臣団の中でも信望が篤く、母親の土田御前もうつけと呼ばれた信長よりも弟の信行に家督を継がせたかったようだ。
 本人もその気で、織田家重臣の林秀貞や柴田勝家らを味方に付けて信長を討とうとして失敗(稲生の戦い)。
 母のとりなしでなんとか許してもらったものの、再び岩倉城の織田信安らと組んで謀反を企てていたところ、柴田勝家に告げ口をされて、信長が病気になったと嘘の知らせを聞かされ、見舞いに行ったところを惨殺されてしまった。



桃厳寺鐘楼門




桃厳寺菊の花




桃厳寺門




桃厳寺板塀の光と影




桃厳寺三日月と太陽




桃厳寺お堂前




桃厳寺象の像




桃厳寺お堂の中の仏壇




桃厳寺菩薩像




桃厳寺ペット供養




桃厳寺名古屋大仏

 名古屋大仏。
 きれいになっていたので塗り直されたかも。



名古屋大仏台座

【アクセス】
 ・地下鉄東山線「本山駅」から徒歩約4分
 ・駐車場 あり(無料)
 

春感はお休みサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 花粉にやられまくりの3月終盤。花粉症はいつからこんな国民病みたいになってしまったんだろう。これさえなければ春はいい季節なのに。
 今週のサンデー料理は春感をお休みして通常メニューとなった。一応、新ジャガや新タマネギを使っているのだけど、料理してしまえば区別はつかない。タケノコがそろそろ登場してくるのではないかと思う。
 来週は少し桜を撮る予定でいる。今年はものすごく早いかと思ったけどそうでもなく、3月終わりくらいまでは持ちそうだ。満開の桜よりも桜吹雪を撮りたい。



エビとブロッコリー

「エビとブロッコリーの中華味炒め」
 ごま油でエビと長ネギを炒めて、火が通ったら茹でたブロッコリーを加える。
 酒、みりん、しょう油、中華の素、塩、コショウで味付けをする。
 エビは卵の白身でくるんで炒めると水分が抜けずにぷりっとした食感になる。



ジャガイモとニンジン、タマネギ

「ジャガイモその他のオーロラソース炒め」
 ジャガイモとニンジンを下茹でする。
 オリーブオイルでタマネギとキャベツを炒める。
 ジャガイモとニンジンを加え、酒、みりん、コンソメの素、ケチャップ、マヨネーズ、からし、塩、コショウで味付けをする。
 最後にとろけるチーズを入れて、混ぜ合わせる。



卵豆腐

「卵豆腐のあんかけ」
 卵と絹ごし豆腐をボウルに入れて適当に砕きながら混ぜる。
 シーチキン缶、和風だし、カタクリ粉、塩、コショウを加え、オリーブオイルで蒸し焼きにする。
 あんかけは、酒、みりん、しょう油、昆布だし、和風だしをひと煮立ちさせ、水溶きカタクリを加えてとろみをつける。
 仕上げにかつお節を振りかける。
 

平中町の恵比子神社はあけっぴろげな感じ

神社仏閣(Shrines and temples)
恵比子神社

 西区平中町にある恵比子神社(地図)。
 この晒され感はなかなかのものだ。鳥居や玉垣がなく、そもそも囲おうという意志が感じられない。これでは神域の結界は張れない。本社の周りだけでも瑞垣で囲っているのは救いだ。
 なんか、土地が荒れている感じも気になった。
 気になったといえば神社名の恵比子もどういうことなんだろう。一般的には恵比須と表記するけど、あえて子にしたのは何か特別な理由があったのだろうか。もしかして、「えびす」神社ではなく「えびこ」神社なのか? えびす信仰ですらないのか?
 神社サイトの平中町の恵比子神社のページで少し考察してみたのだけど、すべて間違っている可能性もある。



恵比子神社南正面から




恵比子神社本社前




恵比子神社本社と石碑




恵比子神社横から

【アクセス】
 ・名鉄犬山線/地下鉄鶴舞線「上小田井駅」から徒歩約21分
 ・駐車場 なし
 

在庫写真より ~こぼれ写真

日常写真(Everyday life)
光の道路

 在庫写真より。
 今回はこぼれ写真をお送りします。



雨粒のダンス




バケツの中の氷




モミジバフウの実




水たまりの風景




光と木




足取り




ガラスのハート




窓に映る風景




紅葉を映す水面




夜とアクセサリー

 

平中町の八幡社と泉増院との関係は?

神社仏閣(Shrines and temples)
平中町八幡社

 西区平中町の八幡社(地図)。
 すぐ西に隣接する泉増院とは戦国時代の近い時期にともに再建された記録が残っており、八幡社は泉増院の鎮守社だったのではないかと思うのだけど、そういった記録や情報はない。
 社殿は南向きで、入り口の鳥居は東側にある。南は道路との間が駐車場になっているから、もともと南側に鳥居と参道があったのかもしれない。もしくは少し東を岩倉街道が通っていたから、そちらに鳥居と参道があったのか。
 どちらにしても最初からこんなに狭い境内だったとは思えない。泉増院もかつては広大な境内を有していたようだ。
 その他の歴史などについては神社サイトの平中町八幡社のページで。



平中町八幡社拝殿前




平中町八幡社賽銭箱




平中町八幡社本社前




平中町八幡社本社をのぞく




平中町八幡社灯籠




平中町八幡社境内の風景

【アクセス】
 ・名鉄犬山線「中小田井駅」から徒歩約17分
 ・駐車場 なし
 

旧岩倉街道の守り神か山木秋葉神社

神社仏閣(Shrines and temples)
山木秋葉神社

 西区山木にある秋葉神社(地図)。
 旧岩倉街道から少し西に入ったところにあるから、江戸時代に街道沿いの守り神として建てられた秋葉権現だっただろうか。
 もしくはこのあたりの集落で建てた秋葉権現だったかもしれない。
 明治以降の創建ということはないと思うのだけどどうだろう。
 詳しい情報は得られなかった。
 その他のことについては神社サイトの山木秋葉神社のページで。



山木秋葉神社境内と木と社と猫




山木秋葉神社本社




山木秋葉神社境内の風景

【アクセス】
 ・名鉄犬山線「中小田井駅」から徒歩約12分
 ・駐車場 なし
 

密厳寺の鎮守社か平出町秋葉社

神社仏閣(Shrines and temples)
平出町秋葉社

 西区平出町にある秋葉社(地図)。
 隣は平塚辯才天で、秋葉社の奥にたくさんの石仏を安置したお堂があり、更にその奥に密厳寺があるので、これらすべては密厳寺のものなのかもしれない。お堂の中に平塚講とあったから、ここは平塚という集落のようだ。
 この秋葉社に関する情報はほぼない。灯籠に文政二年と刻まれており、文政二年は1819年だから江戸時代にはすでにあったということだろう。
 その他のことは神社サイトの平出町秋葉社のページで。



平出町秋葉社少し近づいて




平出町秋葉社平塚辯才天の幟




平出町秋葉社辯才天の社




平出町秋葉社離れて

【アクセス】
 ・名鉄犬山線「中小田井駅」から徒歩約23分
 ・駐車場 なし
 

要因は不明ながら重たく感じられた西区平出町の白山社

神社仏閣(Shrines and temples)
平出町白山社

 西区平出町にある白山社(地図)。
 やけに空気が重たく感じられる神社だった。空気の重たさなどというものは主観的な感覚にすぎず、証明することも数値化することもできないけど、そう感じたということは何らかの要因があるわけで、それが分かるとこの神社の歴史の一端を知ることができるかもしれない。
 分かっている範囲の歴史については神社サイトの平出町白山社のページに書いた。



平出町白山社拝殿前




平出町白山社拝殿額




平出町白山社舞殿型拝殿内




平出町白山社本社前




平出町白山社本社




平出町白山社本社横から




平出町白山社御嶽社前




平出町白山社御嶽社

【アクセス】
 ・名鉄犬山線「中小田井駅」から徒歩約24分
 ・駐車場 なし
 

犬山寂光院の冬から初春にかけて

神社仏閣(Shrines and temples)
犬山寂光院

 去年から今年にかけて、2ヶ月に一度くらいのペースで犬山の寂光院(地図)を訪ねている。そのときのことはブログでその都度紹介してきた。
 しかし、本編から漏れてしまった写真があり、つい先日もまた行ってきたので、そのあたりの写真をまとめて出してしまうことにした。
 季節は巡って春。桜にはまだ遠かったけれど、降り注ぐ光は春のものだった。
 この先もまたちょくちょく出向くことになりそうだ。



犬山寂光院つららと雪だるま




犬山寂光院線香




犬山寂光院釣り灯籠




犬山寂光院弘法堂




犬山寂光院石柱と抜け殻




犬山寂光院枯れ草




犬山寂光院梅




犬山寂光院参道の階段と幟




犬山寂光院保存樹




犬山寂光院境内の石仏




犬山寂光院白山宮

【アクセス】
 ・名鉄犬山線「犬山遊園駅」から徒歩約35分
 ・駐車場 あり(無料)
 

歴史はよく分からないけどいい神社ではある西区城町の十所社

神社仏閣(Shrines and temples)
十所社

 西区城町にある十所社(地図)。
 北区とその周辺に固まっている六所社のようなものかと思いきや、ここは単純に10柱の神を祀るということで十所社と称しているようだ。ただ、その実態はもうひとつよく分からない。
 祭神の顔ぶれを見ると、熱田系の神を中心に寄せ集めている感じで、脈略がないというかなんというか。
 北名古屋市にも同名神社が二社あり、戦国時代の城や武将とも関係がありそうだ。西区城町の十所社近くには平田城があった。
 そのあたりを追求していこうとするとなかなかにややこしい。ある程度のことは神社サイトの城町十所社のページに書いた。
 歴史のことは置いておくとして、なかなかいい神社で個人的に気に入った。



十所社東鳥居

 東入口にある赤の両部鳥居には、ちょっと変わった形の注連縄がかかっている。
 昔から地域住民が手作りしているものだそうだ。



十所社隣の寿宝院




十所社蕃塀とおみくじ




十所社拝殿




十所社舞殿型拝殿




十所社御神木




十所社祭文殿




十所社本社をのぞき見る




十所社社殿横から




十所社幟と社殿のシルエット

【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線/名鉄犬山線「中小田井駅」から徒歩約25分
 ・駐車場 なし
 

千代ヶ丘椿神社は千代が丘団地の神社なのか

神社仏閣(Shrines and temples)
千代が丘椿神社

 千種区千代が丘にある千代ヶ丘椿神社(地図)。
 ショッピングセンターコスモの2階テラスというロケーションに驚く。ただ、ここは千代が丘団地という大きな団地で、その団地の神社という位置づけであれば、もともとここは団地のテラスということなのかもしれない。ショッピングセンターができたのはそれほど昔ではないだろうし、おそらく神社の方が先だったのだろう。だとすれば、この団地と神社が無関係とは思えない。
 それにしても、三重県鈴鹿市にある椿大神社の分社が名古屋にあったとは知らなかった。よく許可が出たものだと思う。よほど強いコネでもあったのだろうか。
 神社の由緒書きには昭和55年に創建のようなことが書かれているのだけど、無条件に信じることはできない。いつ誰がこの場所にこの神社を建てたのかは調べがつかなかった。
 その他のことについては神社サイトの千代ヶ丘椿神社のページで。



千代ヶ丘椿神社と団地




千代ヶ丘椿神社鳥居前




千代ヶ丘椿神社本社




千代ヶ丘椿神社社屋根




千代ヶ丘椿神社全景

【アクセス】
 ・地下鉄名城線「自由が丘駅」から徒歩約33分
 ・駐車場 なし(スーパーの駐車場あり)
 

道真さんというより堀田の天神さん

神社仏閣(Shrines and temples)
堀田天神

 北区如意(にょい)にある堀田天神(地図)。
 個人宅のお庭神社のようだけど、もともとは堀田の集落で祀っていたものらしい。そこから堀田天神と呼ばれているようだけど、正式名は分からない。
 古くは落合鳥見塚というところに祠があって、大水で社が流されて台座だけ残っていたものを、明治初年に現在地に移して祀り直したという。
 菅原道真を祀ったのが昭和12年ということなので、それまではただの天神さんを祀っていたのだろう。
 分かることについては神社サイトの堀田天神のページに書いた。



堀田天神鳥居前




堀田天神本社




堀田天神横から

【アクセス】
 ・名鉄小牧線「味美駅」から徒歩約28分
 ・駐車場 なし
 

季節の花など ---2018早春

花/植物(Flower/plant)
紅梅

 今年は早春の花を撮りにいかなかったのだけど、季節は確実に進んで、もはや桜の季節になっていた。名古屋でも今日3月19日に開花宣言が出された。今年の桜は4月まで持ちそうにない。
 桜は少し撮りにいくとして、今回は季節の花などと題して1月から3月にかけて折に触れて撮った花写真をお送りします。



空き家の梅




雪が積もった日




冬の花と実




蝋梅




枯れた蓮




白梅




道に咲くミドリハコベ




畑の梅と西日




ソメイヨシノ




落ちた椿の花

 

かつての六が池はなくとも小さな猿田彦社は残った

神社仏閣(Shrines and temples)
猿田彦社

 北区六が池町にある小さな社。猿田彦を祀る猿田彦社(地図)のようだ。
 六が池町の町名は、六が池という溜め池があったことから来ている。猿田彦社の隣にあるのがそれで、現在は大幅に縮小して調整池になっている。すでに六が池という名前でもないかもしれない。
 かつてこのあたりは水を引けないような荒れた野山で、水路を敷いて苦労して開墾して新田を作った。その新田の守り神として呼んて来てもらったのが猿田彦だった。
 今ではほとんどの人が気づかないような小さな社でしかないけれど、古くは大井神社とこことの間で虫送りが行われていたという。
 そのあたりのことについては神社サイトの六が池猿田彦社のページに書いた。



猿田彦社社の前

 調整池のほとりに金網に囲まれてある。
 入り口があるので、社の前で参拝することができる。



猿田彦社正面

【アクセス】
 ・名鉄小牧線「味美駅」から徒歩約24分
 ・駐車場 なし
 

菜の花入りサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 ここのところ暖かすぎたり少しひんやりしたりと気温が落ち着かないけど、春には違いない。梅も咲いて、早いところでは桜が開花したという便りも届いた。この前、ツクシも見た。
 サンデー料理に季節はあまり関係がないのだけど、春は少し季節の食材が登場する。タケノコは好きなので使うことが多い。
 今回は、菜の花をもらったので使ってみた。そういえば、少し前にフキノトウも使ったのだった。今年のサンデー料理はいつもの年よりも春めいているかもしれない。久しぶりにゼンマイとかも食べてみたい気がするけど、近所からゼンマイをもらうことなんてのもなくなった。



鯛の湯通し

「鯛のダシ汁通し」
 水に和風だしと塩を入れて温め、切り分けた鯛を軽く茹でる。
 タレは、酒、みりん、しょう油、ショウガをひと煮立ちさせる。



鶏肉と野菜の卵チーズ

「鶏肉と野菜の卵チーズとじ」
 ブロッコリーを茹でる。
 オリーブオイルで鶏肉を炒める。
 トマトを加えて、酒、みりん、しょう油、中華だし、マヨネーズ、塩、コショウで味付けをする。
 終盤でブロッコリーを追加する。
 溶き卵と、とろけるチーズを入れて、加熱しながらかき混ぜる。



菜の花入りホワイトソース和え

「菜の花入りのジャガイモとニンジンのホワイトソース和え」
 ジャガイモ、ニンジン、タマネギを下茹でする。
 菜の花も軽く茹でる。
 マーガリン(バターの代用)、牛乳、小麦粉、コンソメの素、塩、コショウをよく混ぜながら加熱してホワイトソースを作る。
 ジャガイモ、ニンジン、タマネギ、菜の花を入れて混ぜ合わせ、しばらく煮込む。
 

新幹線が境内を行く御替地神明社

神社仏閣(Shrines and temples)
御替地神明社

 南区豊田にある神明社(地図)。
 御替地神明社(おかえち-しんめいしゃ)と呼ばれている理由や歴史などについては神社サイトの神明社(御替地)のページで。
 ここは世にも珍しい新幹線が境内を走っている神社として記憶される。衝撃的な光景にしばし固まった。嘘でしょというくらい、思い切り新幹線の高架が境内を横切っている。
 東海道新幹線の開通は昭和38年(1963年)で、当時は国鉄だったから国が境内の一部を買い取ったようなのだけど、立ち退きして遷座という話にはならなかったのが不思議だ。拒んだとしたら神社側なのだろうけど、それから50年以上経過してそのままということは問題なく共存しているということなのだろう。
 江戸時代に開発された新田だった時代から時が流れてこんなことになるとは、江戸時代の人も思わなかったはずだ。もしかすると今から300年くらい後には神社の上だろうとどこだろうと透明のチューブが走っているか、車が空を飛んでいるだろうか。



御替地神明社新幹線高架の脚




御替地神明社参道と拝殿




御替地神明社拝殿内




御替地神明社本殿前の楠の御神木




御替地神明社格子の隙間から本社




御替地神明社稲荷社参道と鳥居




御替地神明社稲荷社の八代




御替地神明社公園と全景




御替地神明社石仏




御替地神明社隣のお堂

【アクセス】
 ・名鉄常滑線「道徳駅」から徒歩約10分
 ・駐車場 なし
 

玉照姫座像は秘仏で8年に一度、泉増院

神社仏閣(Shrines and temples)
泉増院

 笠寺観音こと笠覆寺の道一本隔てた南にある泉増院(地図)。
 玉照姫に関係がありそうだということでちょっと寄っていくことにした。



泉増院門から見える不動堂

 笠覆寺は奈良時代前期の733年(736年とも)に創建されたとしている。
 それは現在地の650メートルほど南で、善光(禅光)が呼続(よびつぎ)の浜辺に打ち上げられた流木から十一面観音像を彫って堂を建て、天林山小松寺と名づけたのが始まりという。
 時は流れて平安時代中期、堂は朽ち果て、雨ざらしになってた観音像に自分の笠をかぶせてあげた村の娘を、旅の途中で通りかかった藤原兼平(関白・藤原基経の子)が見初めて都に連れていき、玉照姫と名づけて妻とした。藤原兼平はその出会いに感謝して立派な伽藍を建て、笠覆寺と名づけたのが今の笠寺観音だ。930年頃という。
 笠覆寺にはかつて12の宿坊があったという。ここ泉増院もそのひとつで、元は泉増坊という宿坊だった。宿坊というのは、僧が修業したり参拝者が宿泊したりする施設なのだけど、寺院と同じような機能と力を持っていて、実際には宿坊が笠覆寺を支える格好だったようだ。
 江戸時代には6つになり、現在は西福院、西方院、泉増院、東光院が寺として残っている。
 泉増院の創建は736年(天平八年)としている。



泉増院不動堂

 右に少し写っているのが本堂で、正面が不動堂となっている。
 本尊は大日如来で、不動堂には玉照姫座像が安置されている。
 玉照姫座像は江戸時代前期に、泉増院第七世住職の實道が夢のお告げを受けて彫ったもので、笠覆寺の境内に堂を建てて祀っていた。
 同じ時期に白山堂を實道が創建(または再建)したというから、1680年前後のことだ。
 その後、堂が老朽化したため、明治15年(1882年)に泉増院に移され、今に至っている。
 実は、笠覆寺と泉増院はこの玉照姫座像をめぐってモメているようで、笠覆寺側は泉増院に奪われたと思っているのか、あんなものは認めないみたいなことを主張している。
 玉照姫座像は秘仏になっていて普段は見ることができない。8年に一度ご開帳があるそうだ。



泉増院枯れモミジ




泉増院おみくじ




泉増院絵馬




泉増院水子地蔵

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本笠寺駅」から徒歩約6分
 ・駐車場 なし(?)
 

歴史と実感のギャップがある南区豊の若宮八幡社

神社仏閣(Shrines and temples)
豊若宮八幡社

 南区豊にある若宮八幡社(地図)。
 幕末の1856年に、この地を開発した氷室長冬が建てたというのだけど、なんとなくしっくりこない。何か違うんじゃないかと思う。実感としてもっと古い神社に感じた。
 氷室家は後醍醐天皇の皇子、良新親王が津島神社の神官となって尾張国中島郡氷室村を領したことから氷室を名乗るようになったのが始まりとされ、長冬は若宮八幡社の神官だったという。どうしてそんな人物がこの場所に新田を開発しなければならなかったのか。
 幕末といえばそんな大昔でもなく、記録も残っているのだろうけど、それにしても本当だろうかという疑問が消えなかった。
 その他のことは神社サイトの豊若宮八幡社のページで。



豊若宮八幡社拝殿前




豊若宮八幡社本社前




豊若宮八幡社氷室稲荷大明神入り口




豊若宮八幡社氷室稲荷大明神




豊若宮八幡社氷室長冬石碑




豊若宮八幡社石碑など




豊若宮八幡社石碑いろいろ




豊若宮八幡社境内の風景




豊若宮八幡社イチョウの木




豊若宮八幡社全景

【アクセス】
 ・名鉄常滑線「道徳駅」から徒歩約6分
 ・駐車場 なし
 

犬山市の大縣神社のしだれ梅を撮る

花/植物(Flower/plant)
大縣神社しだれ梅

 愛知県犬山市にある大縣神社(地図)のしだれ梅を撮りにいってきた。
 出向いたのは3月12日なので、情報としてはちょっと古い。今日あたりは満開を通り越していたかもしれない。雨が降って少し花を散らせてしまったんじゃないだろうか。
 名古屋でしだれ梅というと天白区平針の名古屋市農業センターがよく知られていて、私も毎年のように撮りにいっている。今年は行けなかったのだけど、開花情報によると、今日16日現在で散り始めのようだ。
 大縣神社は尾張国二宮で、とてもいい神社だ。歴史についてはいずれ名古屋神社ガイドの市外編で書きたいと思っている。
 今回はしだれ梅の写真をお送りします。



大縣神社しだれ梅一面




大縣神社しだれ梅社殿と




大縣神社しだれ梅紅白




大縣神社しだれ梅高台から見る風景




大縣神社しだれ梅見上げる




大縣神社しだれ梅白梅数輪




大縣神社しだれ梅咲き誇る




大縣神社しだれ梅黒バック




大縣神社しだれ梅白梅の姿




大縣神社しだれ梅咲く




大縣神社しだれ梅赤い布

【アクセス】
 ・名鉄小牧線「楽田駅」から徒歩約27分
 ・駐車場 あり(無料)

 公式サイト
 梅まつりサイト
 

豊郷神社創建は何故大正14年だったのか

神社仏閣(Shrines and temples)
豊郷神社

 南区内田橋にある豊郷神社(地図)。
 創建は大正14年(1925年)というのだけど、どうしてこの時期だったのかがよく分からない。
 明治43年に精進川を掘り広げて新堀川として、明治45年に内田橋が架かったことで、ここは南知多方面から名古屋に入る玄関口となり、街道沿いを中心に賑わうようになったというのがひとつあったのだろう。
 豊郷神社の社名はかつての町名の豊郷町(ほうごうちょう)から来ている。
 境内にある青木稲荷の存在も気になった。
 そのあたりのことも含めて歴史については神社サイトの豊郷神社のページに書いた。



豊郷神社鳥居前




豊郷神社拝殿前




豊郷神社本社前




豊郷神社本社と狛犬




豊郷神社青木稲荷鳥居前




豊郷神社稲荷鳥居




豊郷神社青木稲荷

【アクセス】
 ・名鉄常滑線「豊田本町駅」から徒歩約7分
 ・駐車場 なし
 

もうひとつの定点観測

日常写真(Everyday life)
定点観測1

 いつもの定点観測ポイントとは別に、もうひとつの定点観測ポイントがある。
 もうひとつの定点ポイントと題してお送りします。



定点観測




定点観測




定点観測




定点観測




定点観測




定点観測




定点観測




定点観測




定点観測

 

昭和創建にしては歴史を感じる豊門神社

神社仏閣(Shrines and temples)
豊門神社

 南区内田橋にある豊門神社(地図)。
 かつての町名である豊門町(ほうもんちょう)から神社は名づけられている。
 創建は戦時中の昭和11年。南区は昭和に入ってから建てられた神社が多い。出征する兵士を送り、無事の帰還を願うということで建てられたようだ。
 それにしてはけっこう古びているというか歴史を感じさせる。新しいわりには貫禄が出ている。
 歴史などについては神社サイトの豊門神社のページで。



豊門神社鳥居




豊門神境内の風景




豊門神本社前




豊門神本社と末社横から




豊門神稲荷社鳥居




豊門神稲荷鳥居




豊門神御神木

【アクセス】
 ・名鉄常滑線「豊田本町駅」から徒歩約7分
 ・駐車場 なし
 

在庫写真より ~道行き風景

日常写真(Everyday life)
下之一色街並み

 在庫シリーズより。
 今回は道行き風景をお送りします。



団地修繕中




金山路地




街のカラス




名古屋城南




白壁あたり小学生




名古屋市役所県庁あたり




老人車と人形の伊藤




犬山から見る各務原の家並み




団地と西日




株式会社オオタ

 

街並み風景に溶け込む柵下町秋葉神社

神社仏閣(Shrines and temples)
柵下町秋葉神社

 南区柵下町にある秋葉神社(地図)。
 笠寺地区にたくさんある秋葉神社の中で昭和の戦中に建てられた秋葉神社のひとつのようだ。
 七所神社の境外社という話があるのだけど本当だろうか。
 歴史などについては分かる範囲で神社サイトの柵下町秋葉神社のページに書いた。



柵下町秋葉神社社前




柵下町秋葉神社昭和二十六年の銘




柵下町秋葉神社全景

 街並みに溶け込んだ感じがいい。

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本笠寺駅」から徒歩約11分
 ・駐車場 なし
 

お供え物がたくさん松池町3秋葉神社

神社仏閣(Shrines and temples)
松池町3秋葉神社

 南区松池町3丁目の秋葉神社(地図)。
 笠松エリアの中で戦時中に建てられた秋葉神社のグループの中のひとつ。
 出征兵士を見送るためと、無事の帰還を願って建てられたという。
 詳しいことは調べがつかなかった。
 その他のことについては神社サイトの松池町3秋葉神社のページで。



松池町3秋葉神社社の前のお供え物

 お供え物がたくさんされていた。大事にされていることが伝わってくる。
 スーパーで売られている袋のままというの実用本位ということで。



松池町3秋葉神社少し離れて

 道の反対側から見るとこんな様子。

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本笠寺駅」から徒歩約7分
 ・駐車場 なし
 
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