月別:2018年02月

記事一覧
  • 本土神社は多治見を代表する神社のひとつだと思う

     岐阜県多治見市にある本土神社を訪ねた(地図)。 本土神社(ほんどじんじゃ)とはまた変わった名前だ。沖縄の人は本州のことを本土と言ったりするけど、もちろんその本土ではないだろう(北海道の人は本州のことを内地という)。 本土神社の名前の由来は調べがつかなかった。 主祭神として猿田彦命(サルタヒコ)を祭っている。 創建は平安時代中後期の1030年と伝わる。 このあたりは伊勢の神宮領の池田御厨があった場所で...

    2018/02/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 南区星宮社に2018年新年の挨拶に出向く

     南区星﨑にある星宮社(地図)。 去年2017年の名古屋神社めぐりの中で最も印象に残る神社だった。ひとことでいうとすべてにおいて調和が取れている神社といういい方ができるだろうか。 訪れたのは新年明けて少し経った1月12日のことだった。まだ正月気分の名残みたいなものが残っていて、初めて訪れたときとはやや印象が違った。このときは空気が静まって非常に落ち着いている感じがした。最初に訪れたときは神社全体が歌って...

    2018/02/27

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 昭和になって落ち着いた要町八幡神社

     南区要町にある八幡神社(地図)。 1672年に鳴尾村の庄右衛門と大高村の弥兵衛が願い出て新田開発が行われた。それを鳴海伝馬新田と名づけた。鳴海宿の伝馬の助成のために作られた新田だったのでそう呼ばれた。 この八幡神社はもともと天白川堤防にあったという。 明治40年頃に牛毛神社に合祀され、戦後の昭和24年に伝馬新田丹後江に戻した。 その場所に名四国道が通ることになり、現在地に移されたのが昭和41年だった。それ...

    2018/02/26

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 南野稲荷社は福井八左ヱ門が建てた稲荷社なのか?

     南区南野にある稲荷社(地図)。 江戸時代中期の1705年頃、それまで塩屋をやっていた福井八左ヱ門がこの地で新田開発をして八左ヱ門新田と名づけた。 その福井八左ヱ門が新田の五穀豊穣を願って稲荷社を創建したという話と、喚續社から分霊して神社を建てたという話があってどちらが本当なのかがちょっと分からない。 最初から稲荷社だったかどうかもはっきりしない。 そのあたりのことは神社サイトの南野稲荷社のページに書...

    2018/02/26

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 平昌オリンピックにちなまないサンデー料理

     オリンピック期間だからといってオリンピックにちなんだ料理をするわけではない。以前は開催された国の料理を作ったりしたこともあった。トリノオリンピックのときはイタリア料理をしたのを覚えている。 あのときは確か、カーリングのことに触れたと思う。カマーランド小林と勝手に名づけていた小林さんの名解説を聞くことができなくなったのは寂しい。 平昌オリンピックは思いがけず日本勢が好調でいいオリンピックになった。...

    2018/02/25

    料理(Cooking)

  • 戦後創建の南区浜鶴ノ宮神社

     南区浜田町にある浜鶴ノ宮神社(地図)。 由緒ありげな名前だけど創建は昭和29年と新しい。 公園の一角にあり、隣は田鶴公民館だ。 創建当時からこんなふうだったのか、近年になって公園になったのかは分からない。昭和29年の公園はこんなふうではなかったと思うけど。 名前の由来や歴史などについては神社サイトの浜鶴ノ宮神社のページに書いた。【アクセス】 ・JR東海道本線「笠寺駅」から徒歩約20分 ・駐車場 なし ...

    2018/02/25

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 南区星﨑にある鹿島稲荷神社

     南区星﨑にある稲荷神社(地図)。 鹿島(かのしま)の稲荷社と呼ばれることが多いのは、かつてこのあたりが干潟の海だった頃、鹿島という島があり、この神社はその島に祀られていたからだという。 蟹江久太夫という人物が家で祀っていたものが村のものになり、子孫がやっぱり返して欲しいと言い出していったんは返ったものの、明治の世になってふたたび南野村のものになり、現在に至っている。 その他のことについては神社サ...

    2018/02/24

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 加佐登神社のこぼれ写真

     加佐登神社の本編から漏れた写真がけっこうあったので、番外編として残りの写真をお送りします。 本編はこちら↓。 三重県鈴鹿市の加佐登神社とヤマトタケルのこと ...

    2018/02/24

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 三重県鈴鹿市の加佐登神社とヤマトタケルのこと

     三重県鈴鹿市加佐登町にある加佐登神社(かさどじんじゃ/地図)を訪ねた(2017年6月)。 かつてこのあたりは能褒野(のぼの)と呼ばれた土地で、日本武尊(ヤマトタケル)終焉(しゅうえん)の地として知られている。加佐登神社は、そのヤマトタケルにまつわる神社だ。 ヤマトタケルは父である景行天皇の命を受けて東征を行い、尾張に戻ってミヤズヒメと結婚し、草薙剣を置いたまま伊吹山の神と戦いに行って敗れ、故郷の大和へ...

    2018/02/23

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • つばき接骨院さんとQi エステティックカメリアさんの紹介

     三重県桑名市筒尾にある「つばき接骨院」さんのwebサイトの写真を担当させていただいた。 サイト作りのお手伝いも少し。 つばき接骨院webサイト 社長をはじめ、スタッフのみなさんもいい方ばかりで楽しく撮影させていただきました。 技術も確かと評判のいい医院なので、機会があればぜひ訪れてみてください。飲食店などとは違って気軽に立ち寄るところではないですが。 三重県 桑名市筒尾9丁目7-16番地 0594-84-7399 こち...

    2018/02/22

    フォトコン・写真(Photo Contest)

  • 星﨑の琴飛羅社はいつか見たような風景

     南区星﨑にある琴飛羅社(地図)。 喚續社からは道一本隔てた向こうに見えている。喚續社からの分霊という話があるのだけど、その経緯がよく分からない。 琴飛羅を名乗りながらどうして祭神が金山彦なのかも分からない。 そのあたりについていは神社サイトの星﨑琴飛羅社のページに書いた。 道ばたにお社とお堂があって、石灯籠があって、イチョウの木がある。江戸時代の風景に近いのではないかと思う。 拝殿は屋根瓦の四阿...

    2018/02/22

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • かつての海辺に建つ南区喚續社

     南区星﨑にある喚續社(よびつぎしゃ/地図)。 境内に特別な空気を感じたのは神社の歴史の古さではなく土地の歴史の古さ故かもしれない。喚續社の創建は戦国時代中期の1523年というからそれほど古くはない。 境内からは土師器(はじき)のかけらや食用の貝であるハイガイがたくさん見つかっているというから、古墳時代にはこのあたりに人が暮らしていたということだ。古墳時代の星﨑は海辺の土地だった。神社があるのは笠寺台...

    2018/02/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 星﨑の市杵島社を建てたのは山田重忠ではないはず

     南区星﨑にある市杵島社(地図)。 国道1号線のすぐ南にあるのだけど、通りには面しておらず、裏から回り込む格好になるので奥まった場所にある印象を受ける。その分、静かだ。 良く言えば質素な神社だ。余計なものはない。鳥居も狛犬もないのはちょっと寂しい。本社はわりと立派だ。 江戸時代までは辯才天社だった。平安末期から鎌倉初期にかけての源氏の武将で幕府御家人の山田重忠が創建したという話は私は信じていない。...

    2018/02/20

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 丹八郎ワールドの中にある迦具土社

     南区の丹八山にある迦具土社(地図)。 もとは鳥居山と呼ばれていて、平安時代に平将門の乱を鎮めるため、熱田社の七神を神輿に乗せてここまで運び、この鳥居山で祈祷が行われたと伝わっている。 現在の丹八山は意味不明な石碑が乱立するちょっとおかしな公園になっている。郷土史家で易者の石川丹八郎が独自の世界観で作り上げたワンダーランドだ。 丹八郎さんは桜の木も植えたので、今ではちょっとした桜名所となっている。...

    2018/02/19

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 誰かの食卓も同じようなサンデー料理

     今日のサンデー料理は、ゴボウ発進だった。ゴボウがあるからゴボウを使おうと思って、それなら方向性としては和食だろうということで始めたら、気づけばいつものように和食とも洋食ともとれない無国籍料理になっていた。 一般家庭の料理とも少し違う気がするのだけど、そんなにたくさんの家庭料理を見たことがないので実際のところはよく分からない。私のサンデー料理を見て、自分が作る夕飯に似てるわ、という人が中にはいるだ...

    2018/02/18

    料理(Cooking)

  • 本星﨑の軻愚突知社がある空間は特別

     南区本星﨑にある軻愚突知社(地図)。 かつての星﨑城の一部であり、星宮社の元地という話もある。 神社がある小山は、みこし山と呼ばれている。平将門が反乱を起こしたとき、それを調伏するための祈願が星﨑で行われ、熱田社の七神を乗せた神輿(みこし)が一時ここにとどまったということでその名がつけられたとされる。 祈願が行われたのは少し北にある鳥居山(今の丹八山公園)で、そこに七所社が建てられた(その後遷座...

    2018/02/18

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • お寺とお堂のこぼれ写真

     神社めぐりをしている途中でお寺に立ち寄ることもあって、せっかく寄ったから一枚くらいは撮っておこうとかとなる。そういう写真の使い道が見つからないままたまっていたので、一度まとめて出してしまうことにした。 どこで撮ったどんな名前の寺だったのかはもう覚えていない。だいたいあの日のあのへんだったかなという記憶があるくらいだ。上の写真は熱田のどこかだったと思うけど違うかもしれない。白龍神を祀る社があった。...

    2018/02/17

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 川原神社は女性的で清潔な神社だと思う

     川原神社(地図)は昭和区を代表する神社だ。昭和区では唯一の式内社となっている。 県社でもあり、あらためて立派で清潔感のある神社だと思った。 ただ、ここが本当に延喜式神名帳の川原神社かどうかは、もうひとつはっきりしない。おそらくそうだろうとは思いつつ、やや釈然としない部分も残る。そのあたりについては神社サイトの川原神社のページに書いた。 式内社かどうかは別にして、ここは気持ちのいい神社だ。どこか女...

    2018/02/16

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 愛知縣護国神社に祈願

     中区三の丸にある愛知縣護国神社(地図)。 県庁街の一角あって境内はけっこう広い。 明治2年に尾張藩最後の藩主となった徳川慶勝が川菜村(川名)に旌忠社として戊辰戦争の戦死者25名を祀ったのが始まりで、その後戦争の犠牲者も祀り、昭和10年に現在地に移された。 そのあたりの歴史については神社サイトの愛知縣護国神社のページに書いた。 初めて訪れたのが2010年の7月だから、だいぶ間が空いた。この日は関係者の大事な...

    2018/02/15

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 北区味鋺神社はフォトジェニックな神社

     2017年の年末に北区神社再訪で最後に訪れたのは味鋺神社(あじまじんじゃ 地図)だった。 味鋺が名古屋市北区というのはいつになっても慣れないというか違和感がある。ずっと春日井市だと思い込んでいた。味鋺が名古屋なら味美も名古屋でいいんじゃないかと思ったりもする。 それはともかくとして、味鋺神社を前回訪れたのは2015年の1月だから、そんなに久しぶりという感じはしなかった。ちょうど季節も時間帯も同じくらいと...

    2018/02/14

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 北区の羊神社は全力羊押し

     去年2017年の暮れに北区の神社再訪をしたときの一社、羊神社(地図)。 羊ということで未年の年にものすごく賑わう神社だ。私も2015年の未年のときに訪れた。 羊神社に参拝する あのときは1月の後半だったにもかかわらず、けっこうな人が訪れていた。 この日は12月末ということもあって静かなものだった。次の未年まではまだしばらくある。今年2018年は戌年ということで、西区の伊奴神社(いぬじんじゃ)が大盛況だったよう...

    2018/02/13

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 年末に別小江神社を再訪する

     去年2017年の暮れに北区の別小江神社(地図)を訪ねた。 2015年に一度訪れていて、それ以来の再訪となった。 綿神社と別小江神社のはしご 別小江と書いて「わけおえ」と読む。普通読めない。 延喜式神名帳に載る式内社とされているのだけど、やや納得できない部分もあり、どういう神社か実際のところよく分からない。神社サイトに書くときも理解しながら書くのに苦心した。 別小江神社 訪れたときは正月前ということで、少...

    2018/02/12

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 主観的ノーマルサンデー料理

     節分が来て、立春も過ぎたけどまだ相変わらず寒い日が続く。ただ、花粉症は今年も忘れずにやってくるようで、少し症状が出始めた。梅も咲いたというし、少しずつ春に向かっていることは確かなようだ。 今週はノーマルなサンデー料理だった。何をノーマルとするかは主観的な問題でしかないのだけど。「マグロの刺身の和風だしあんかけ」 マグロの刺身に熱いあんかけをかければ表面だけ熱が加わると思ったらそうはいかなかった。...

    2018/02/11

    料理(Cooking)

  • 八幡社というよりも児子社

     北区志賀町にある八幡社(地図)。 八幡社とはなっているものの、ここの本質は児子社だと思う。 児子社は昭和までは子供の守り神として大勢の参拝者が訪れたというけど、今は訪れる人も少ないひっそりとした神社となっている。 津田正生はこの神社こそが延喜式神名帳の綿神社だと言っていて、私もその説には惹かれるものがある。個人的に好きな神社のひとつだ。 ここが綿神社かもしれないといったことについては神社サイトの...

    2018/02/11

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 針綱神社と三光稲荷神社と猿田彦神社はセットではないけれど

     犬山を訪れた日、犬山城の麓にある3つの神社、針綱神社、三光稲荷神社、猿田彦神社を訪ねた。 もともと別の場所にあったものをここに集めただけで、最初から3社一緒にあったわけではない。 針綱神社は延喜式神名帳の針綱神社ということになっているのだけど、ちょっとはっきりしない部分があって、確実といえるかどうかはなんともいえない。他に論社がなく、たぶんそうだろうということで、江戸時代に入ってからそういうことに...

    2018/02/10

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 犬山城下裏道散歩<5・最終回>

     犬山城下裏道散歩シリーズの第5回。 思いがけず長いシリーズになったけど、散歩編は今回が最終回となる。あと1回は神社編だ。 というわけで、引き続き犬山裏道散歩写真をお送りします。 おわり。 ...

    2018/02/09

    旅/散策(Stroll)

  • 犬山城下裏道散歩<4>

     犬山城下町裏道散歩シリーズの第4回をお送りします。 銭湯の壁だけ残っていたのはこの場所だったと思う。久々に再訪したら消えていた。残念だけど、あれは危なかった。 つづく。 ...

    2018/02/08

    旅/散策(Stroll)

  • 犬山城下裏道散歩<3>

     犬山城下裏道散歩シリーズは、思った以上に写真がたくさんあって長いシリーズになった。5回+神社編ということになりそうだ。 というわけで、引き続き第三回をお送りします。 つづく。 ...

    2018/02/07

    旅/散策(Stroll)

  • 「ナースときどき女子」で四日市工場夜景の記事が紹介されました

    【お知らせ】 ナースときどき女子というサイト(webサイト)で、四日市工場夜景の記事を紹介していただきました。『あなたはどの夜景がお好き?ナースも思わずうっとりする絶景スポットや夜景の楽しみ方を提案♪』 記事は四日市工場夜景の撮影スポットをまとめて紹介したものです。 三重県四日市市のコンビナート工場夜景の撮影スポット紹介 工場夜景だけでなく、日本各地の夜景情報の記事も紹介されています。 ナースの方も、...

    2018/02/06

    フォトコン・写真(Photo Contest)

  • 犬山城下裏道散歩<2>

     犬山城下裏道歩きの2回目。 犬山城から南下して、本町交差点を西に折れて、一本西の通り周辺を歩いた。 つづく。 ...

    2018/02/06

    旅/散策(Stroll)

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本土神社は多治見を代表する神社のひとつだと思う

神社仏閣(Shrines and temples)
本土神社

 岐阜県多治見市にある本土神社を訪ねた(地図)。
 本土神社(ほんどじんじゃ)とはまた変わった名前だ。沖縄の人は本州のことを本土と言ったりするけど、もちろんその本土ではないだろう(北海道の人は本州のことを内地という)。
 本土神社の名前の由来は調べがつかなかった。

 主祭神として猿田彦命(サルタヒコ)を祭っている。
 創建は平安時代中後期の1030年と伝わる。
 このあたりは伊勢の神宮領の池田御厨があった場所で、その関係もあって伊勢の神宮にゆかりのある猿田彦を祀って産土神としたという。
 伊勢の猿田彦神社から勧請したという話があるのだけど、それはどうかと思う。伊勢の神宮の近くにある猿田彦神社は明治に入ってから建てられたものだ。それ以前は宇治土公(うじのつちぎみ/うじとこ)氏が屋敷で祀っていた。
「倭姫命世記」によると、猿田彦の子孫の大田命(おおたのみこと)がアマテラスを祀る地として倭姫(ヤマトヒメ)に五十鈴川のほとりを献上し、大田命の子孫が宇治土公を称して代々神宮に玉串大内人として奉職したとする。
 平安時代に猿田彦を勧請したのであれば、猿田彦神社ではなく鈴鹿市の椿大神社かもしれない。
 椿大神社の宮司は代々山本家で、こちらも大田命の直系を主張しておりどちらも譲らない。
 更に延喜式神名帳の鈴鹿郡椿大神社は都波岐神社・奈加等神社のことという説もあり、話がややこしくなっている。

 配祀神として庭津日命(にわつひのみこと)を祀るとしており、こちらも気になるところだ。もしかしたらこちらの神の方が地主神として先だったのではないか。
 庭津日は庭高津日とともに大年神と天知迦流美豆比売(アメチカルミズヒメ)との間の子とされる。
『古事記』にのみ登場する神で、その正体はよく分からない。兄弟として竈(かまど)の神である奥津日子・奥津比売や山の神の大山咋(オオヤマツミ)、大土(土之御祖)などがいる。
 多治見は古くから焼き物が盛んな土地で、庭津日はその関係で祀られたのかもしれない。
 美濃焼の産地のひとつで、その歴史は古墳時代後期までさかのぼる。山の斜面を利用して作った半地下の窖窯(あながま)で土器や須恵器(すえき)を焼いていた。

 多治見(たじみ)の由来は諸説あってはっきりしない。
 937年の田只味(たしみ)という郷名が初出とされる。
 多治比(たじひ)という古代の豪族が由来という説や、多治部から来ているなどともされ、定かではないようだ。
 鎌倉時代になると土岐氏が美濃国守護となり、一族がこの地をおさめた。
 永保寺は、1313年に夢窓疎石と元翁本元が土岐頼貞の招きによりこの地を訪れ、長瀬山の麓に庵を結んだのが始まりとされる。
 多治見という表記になったのは南北朝時代のこととされる。 
 信長は瀬戸や多治見の地の押さえ、陶工たちも支配下に置いていた。
 江戸時代の多治見は天領になっていた。

 この本土神社は土岐氏にも大事にされ、土岐頼貞も守護神として信仰していたという。
 鎌倉時代末の1330年(元徳2年)に社殿を修復した棟札などを所蔵しているそうだ。
 境内にある宝篋印塔は、もとは御獄神社にあったもので、室町時代初期のものと考えられている。
 隣接する長福寺は江戸時代までは神宮寺だった。



本土神社社号標




本土神社説明板




本土神社参道と境内




本土神社拝殿前




本土神社拝殿正面




本土神社拝殿屋根




本土神社獅子




本土神社拝殿から見る境内




本土神社拝殿と光

 決して派手ではないのだけど、秘めた力を持つ神社と感じた。その力はかなり強そうだ。
 ここはなかなかだ。個人的にかなり気に入った。じんわりこみ上げてくるよさがある。また行こう。

【アクセス】
 ・JR中央本線「多治見駅」から徒歩約15分
 ・駐車場 あり(無料)
 

南区星宮社に2018年新年の挨拶に出向く

神社仏閣(Shrines and temples)
星宮社

 南区星﨑にある星宮社(地図)。
 去年2017年の名古屋神社めぐりの中で最も印象に残る神社だった。ひとことでいうとすべてにおいて調和が取れている神社といういい方ができるだろうか。
 訪れたのは新年明けて少し経った1月12日のことだった。まだ正月気分の名残みたいなものが残っていて、初めて訪れたときとはやや印象が違った。このときは空気が静まって非常に落ち着いている感じがした。最初に訪れたときは神社全体が歌っているようだった。
 四季折々に訪れるとそのたびに違った顔を見せてくれるのかもしれない。二度ならず何度も訪れたい神社だ。
 歴史などについては神社サイトの星宮社のページで。



星宮社鳥居前



星宮社社殿全景



星宮社拝殿注連縄



星宮社拝殿影



星宮社お供え物鏡餅



星宮社七星



星宮社岩



星宮社上知我麻神社社号標



星宮社鳥居と太陽



星宮社森の風景



星宮社御神木のクスノキ
【アクセス】
・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約7分
・JR東海道本線「笠寺駅」から徒歩約28分
・駐車場 なし
 

昭和になって落ち着いた要町八幡神社

神社仏閣(Shrines and temples)
要町八幡神社

 南区要町にある八幡神社(地図)。
 1672年に鳴尾村の庄右衛門と大高村の弥兵衛が願い出て新田開発が行われた。それを鳴海伝馬新田と名づけた。鳴海宿の伝馬の助成のために作られた新田だったのでそう呼ばれた。
 この八幡神社はもともと天白川堤防にあったという。
 明治40年頃に牛毛神社に合祀され、戦後の昭和24年に伝馬新田丹後江に戻した。
 その場所に名四国道が通ることになり、現在地に移されたのが昭和41年だった。それでようやく落ち着いたのだった。
 そのあたりのことも含めて神社最後の要町八幡神社のページに書いた。



要町八幡神社灯籠と狛犬と拝殿




要町八幡神社拝殿から本社




要町八幡神社本社




要町八幡神社本社近接




要町八幡神社境内社




要町八幡神社稲荷社




要町八幡神社鳥居と貝殻

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約35分
 ・駐車場 あり(?)
 

南野稲荷社は福井八左ヱ門が建てた稲荷社なのか?

神社仏閣(Shrines and temples)
南野稲荷社

 南区南野にある稲荷社(地図)。
 江戸時代中期の1705年頃、それまで塩屋をやっていた福井八左ヱ門がこの地で新田開発をして八左ヱ門新田と名づけた。
 その福井八左ヱ門が新田の五穀豊穣を願って稲荷社を創建したという話と、喚續社から分霊して神社を建てたという話があってどちらが本当なのかがちょっと分からない。
 最初から稲荷社だったかどうかもはっきりしない。
 そのあたりのことは神社サイトの南野稲荷社のページに書いた。



南野稲荷社社前




南野稲荷社三社




南野稲荷社福井八左ヱ門石碑

 福井八左ヱ門の功績を称えて石碑が建てられている。

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約23分
 ・駐車場 なし
 

平昌オリンピックにちなまないサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 オリンピック期間だからといってオリンピックにちなんだ料理をするわけではない。以前は開催された国の料理を作ったりしたこともあった。トリノオリンピックのときはイタリア料理をしたのを覚えている。
 あのときは確か、カーリングのことに触れたと思う。カマーランド小林と勝手に名づけていた小林さんの名解説を聞くことができなくなったのは寂しい。
 平昌オリンピックは思いがけず日本勢が好調でいいオリンピックになった。悪いことが少なくて、いいことが多かったという印象が残った。途中も満遍なく盛り上がったし、ハッピーエンディングでもあった。
 気づけば東京オリンピックまであと2年とちょっとになった。決まったときはずいぶん遠い話と思っていたのに。
 2年後の夏も変わらずにサンデー料理を作っているだろうか。



サーモンのマヨネーズソース

「サーモンの刺身からししょう油マヨネーズソース掛け」
 オリーブオイル、酒、みりん、しょう油、塩、マヨネーズ、からしにスライスしたタマネギを加えて加熱する。
 サーモンが美味しければタレはしょう油で充分なのだけど、料理としてはそれでは味気ない。刺身でもソースくらいは作りたい。



レンコンと豆腐その他

「レンコンと豆腐と鶏肉の炒め煮」
 レンコンは水に浸ける。
 豆腐を下茹でする。
 オリーブオイルで鶏肉を炒めて、いったん取り出す。
 長ネギ、レンコンを炒め、鶏肉と豆腐を加える。
 酒、みりん、しょう油、コンソメの素、塩、コショウで味付けをする。
 ここにトマトとケチャップを入れてケチャップ味にしようと思ったのだけど、くどくなりそうだったのでやめておいた。



フキノトウと里芋

「里芋とフキノトウの味噌炒め」
 フキノトウをもらったのでなんとか料理して食べたかった。
 フキノトウといえば天ぷらが定番だけど、それでは面白くない。
 ということで味噌炒めにしてみた。
 里芋を柔らかくなるまで煮る。
 フキノトウは3分ほど茹でてから水に浸ける。長く浸けるほど苦みが弱くなるらしいのだけど、それでもやっぱり苦いことは苦い。後を引く苦さだ。
 ごま油で炒め、酒、みりん、しょう油、味噌ダレ、唐辛子、白ごま、塩、コショウで味付けをする。
 

戦後創建の南区浜鶴ノ宮神社

神社仏閣(Shrines and temples)
濱鶴ノ宮神社

 南区浜田町にある浜鶴ノ宮神社(地図)。
 由緒ありげな名前だけど創建は昭和29年と新しい。
 公園の一角にあり、隣は田鶴公民館だ。
 創建当時からこんなふうだったのか、近年になって公園になったのかは分からない。昭和29年の公園はこんなふうではなかったと思うけど。
 名前の由来や歴史などについては神社サイトの浜鶴ノ宮神社のページに書いた。



濱鶴ノ宮神社入り口前




濱鶴ノ宮神社鳥居前




濱鶴ノ宮神社本社前




濱鶴ノ宮神社本社

【アクセス】
 ・JR東海道本線「笠寺駅」から徒歩約20分
 ・駐車場 なし
 

南区星﨑にある鹿島稲荷神社

神社仏閣(Shrines and temples)
鹿島稲荷神社

 南区星﨑にある稲荷神社(地図)。
 鹿島(かのしま)の稲荷社と呼ばれることが多いのは、かつてこのあたりが干潟の海だった頃、鹿島という島があり、この神社はその島に祀られていたからだという。
 蟹江久太夫という人物が家で祀っていたものが村のものになり、子孫がやっぱり返して欲しいと言い出していったんは返ったものの、明治の世になってふたたび南野村のものになり、現在に至っている。
 その他のことについては神社サイトの鹿島稲荷神社のページで。



鹿島稲荷神社鳥居




鹿島稲荷神社社殿を見る




鹿島稲荷神社本社前




鹿島稲荷神社社の屋根




鹿島稲荷神社境内社




鹿島稲荷神社文字神社

 文字神社は初めて見た。



鹿島稲荷神社キツネさんと社




鹿島稲荷神社キツネの陶器

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約12分
 ・駐車場 なし
 

加佐登神社のこぼれ写真

神社仏閣(Shrines and temples)
加佐登神社鳥居と石段

 加佐登神社の本編から漏れた写真がけっこうあったので、番外編として残りの写真をお送りします。
 本編はこちら↓。

 三重県鈴鹿市の加佐登神社とヤマトタケルのこと




加佐登神社石段と灯籠




加佐登神社境内と鳥居




加佐登神社拝殿のれん




加佐登神社境内社内




加佐登神社緑と太陽




加佐登神社白鳥塚古墳に続く道




加佐登神社白鳥塚古墳石碑




加佐登神社白鳥塚古墳正面

 

三重県鈴鹿市の加佐登神社とヤマトタケルのこと

神社仏閣(Shrines and temples)
加佐登神社

 三重県鈴鹿市加佐登町にある加佐登神社(かさどじんじゃ/地図)を訪ねた(2017年6月)。
 かつてこのあたりは能褒野(のぼの)と呼ばれた土地で、日本武尊(ヤマトタケル)終焉(しゅうえん)の地として知られている。加佐登神社は、そのヤマトタケルにまつわる神社だ。

 ヤマトタケルは父である景行天皇の命を受けて東征を行い、尾張に戻ってミヤズヒメと結婚し、草薙剣を置いたまま伊吹山の神と戦いに行って敗れ、故郷の大和へ戻る途中、鈴鹿の能褒野で力尽きて絶命したと『古事記』、『日本書紀』には書かれている。
 絶命したヤマトタケルは白鳥になって飛び立ち、故郷に帰っていったとする。そのため、ヤマトタケルの陵とされるものが各地にある。そのひとつがここ加佐登神社の奥にもある。

 加佐登神社の創建について詳しいことは伝わっていない。
 ヤマトタケルが最後まで所持していた笠と杖を御神体として祀ったのが神社の始まりと社伝では伝える。
 御笠殿社(みかさどのしゃ)と呼ばれていたのが、のちに加佐登という表記になったという。それが明治6年(1873年)のことだ。
 式内社の倭文神社(しとりじんじゃ)をはじめ、近隣にあった16の神社を合祀したのは明治41年(1908年)で、これは国の神社合祀政策によるものだった。この時期に三重県内の神社は9割が消滅している。

 ヤマトタケルの笠と杖を御神体にしたというなら創建はかなり古いということになるのだけど、ここは延喜式内神名帳には載っていない。平安時代まで神社としての体裁が整っていなかったのか、それ以降に建てられた神社なのか。
 ただ、ヤマトタケルの陵とされる白鳥塚古墳や、着物を納めたと伝わる綺宮碕奉装塚・奉冠塚など、ヤマトタケルにまつわる旧蹟が多いことは確かだ。
 加佐登の地名は昭和17年に加佐登神社から名づけられたものなのだけど、古くからここは高津瀬村高宮という地名だった。これはヤマトタケルの父の景行天皇が伊勢に来たときに滞在した綺宮(かんはたのみや)の跡があったことから来ているとされる。

 ヤマトタケルがどうこうということは置いておくとして、実際この神社はどんな神社かというと、よく分からないというのが正直な感想だ。
 それなりに古さはありそうでいい神社なのだろうけど、特別ぐっとくるというほどでもなく、何か正体がぼんやりしていてはっきりしない。16も神社を合祀してしまったことで色が混ざってしまって明瞭さがなくなったという感じだろうか。
 境内に向かって登っていく階段の雰囲気はよくて、あそこは印象に残った。



加佐登神社木製鳥居と参道




加佐登神社階段の参道とアジサイ




加佐登神社石鳥居と額




加佐登神社拝殿前

 拝殿は新しく、歴史は感じさせない。
 この境内域の空気がちょっと抜けている感じ。空気に神気と呼べるような濃密感がない。



加佐登神社拝殿内




加佐登神社本殿

 本殿はなかなかいい感じだ。風格がある。



加佐登神社ヤマトタケル像

 ヤマトタケルは30歳で死んだことになっているのに、これではおじいちゃんだ。顔つきもタケルっぽくない。



加佐登神社稲荷社鳥居




加佐登神社古墳への道

 神社社殿の左手に古墳につながる道がある。
 雑木林の散策路を10分ほど歩く。



加佐登神社白鳥塚古墳石碑




加佐登神社白鳥塚古墳正面

 昔からヤマトタケルの陵ではないかとされてきた白鳥塚古墳。
 かつては円墳と考えられてきたのが平成に入ってからの調査で帆立貝式古墳ということが判明した。
 墳丘長は78m、円丘部の直径67m、高さ9mで、築造されたのは5世紀前半と考えられている。
 年代的に見てもヤマトタケルの陵とは考えられない。ヤマトタケル(小碓)が実在したとすれば、4世紀前半くらいだろうか。
 葺石で覆い、埴輪で周りを囲んでいたようだ。
 おそらく鈴鹿地方の有力豪族の首長クラスものだろう。
 前方後円墳ではなく帆立貝式ということを考えると、中央に近い豪族のものではなかったかもしれない。
 周辺でもいくつかの古墳が見つかっている。
 神社との関係はよく分からない。

 ヤマトタケルの命日とされる4月8日に大祭が行われている。
 4月8日というと旧暦でいうと釈迦の誕生日とされる日で、新暦でいうと聖徳太子の命日とされる日だ。

 ヤマトタケルは大和の人ではあるのだけど、尾張ともゆかりの深い人物なので親近感を持っている。熱田神宮もヤマトタケルと草薙剣の神社だ。
 能褒野の地は一度訪れてみたいとずっと以前から思っていて、今回実現できたことは感慨深いものがあった。能褒野神社と能褒野王塚古墳も訪れることができた。
 能褒野神社 ---ヤマトタケル終焉の地を訪ねる
 またどこかでヤマトタケル関係の場所を訪れる機会があると思う。それを楽しみにしたい。

【アクセス】
 ・JR関西本線「加佐登駅」から徒歩約23分
 ・駐車場 あり(無料)
 

つばき接骨院さんとQi エステティックカメリアさんの紹介

フォトコン・写真(Photo Contest)
桑名つばき接骨院

 三重県桑名市筒尾にある「つばき接骨院」さんのwebサイトの写真を担当させていただいた。
 サイト作りのお手伝いも少し。

 つばき接骨院webサイト

 社長をはじめ、スタッフのみなさんもいい方ばかりで楽しく撮影させていただきました。
 技術も確かと評判のいい医院なので、機会があればぜひ訪れてみてください。飲食店などとは違って気軽に立ち寄るところではないですが。

 三重県 桑名市筒尾9丁目7-16番地
 0594-84-7399



エステティックカメリア

 こちらは三重県三重郡朝日町に新しくオープンした「Qi エステティックカメリア」さん。
 こちらもサイト用の写真を担当させていただきました。

 Qi エステティックカメリアwebサイト

 お店は静かな住宅地の中にある一軒家で、木をふんだんに使った建物が素晴らしく、自分も住みたいと思うほどいい店なので、こちらもぜひ。
 近鉄名古屋線の伊勢朝日駅から歩いて7分くらいで、駐車場もあります。
 予約制なのであらかじめ電話を入れてからお願いします。

 三重県三重郡朝日町大字小向585-10
 090-8076-0011

 よろしくお願いします。
 

星﨑の琴飛羅社はいつか見たような風景

神社仏閣(Shrines and temples)
琴飛羅社

 南区星﨑にある琴飛羅社(地図)。
 喚續社からは道一本隔てた向こうに見えている。喚續社からの分霊という話があるのだけど、その経緯がよく分からない。
 琴飛羅を名乗りながらどうして祭神が金山彦なのかも分からない。
 そのあたりについていは神社サイトの星﨑琴飛羅社のページに書いた。
 道ばたにお社とお堂があって、石灯籠があって、イチョウの木がある。江戸時代の風景に近いのではないかと思う。



琴飛羅社拝殿前

 拝殿は屋根瓦の四阿のようになっている。
 昔この前で修業をする行者さんがいたとかで近所では行者堂とも呼ばれているのだとか。



琴飛羅社拝殿から本社を見る




琴飛羅社本社




琴飛羅社延命地蔵堂

 延命地蔵堂。



琴飛羅社クロガネモチ

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約19分
 ・駐車場 なし
 

かつての海辺に建つ南区喚續社

神社仏閣(Shrines and temples)
喚續社

 南区星﨑にある喚續社(よびつぎしゃ/地図)。
 境内に特別な空気を感じたのは神社の歴史の古さではなく土地の歴史の古さ故かもしれない。喚續社の創建は戦国時代中期の1523年というからそれほど古くはない。
 境内からは土師器(はじき)のかけらや食用の貝であるハイガイがたくさん見つかっているというから、古墳時代にはこのあたりに人が暮らしていたということだ。古墳時代の星﨑は海辺の土地だった。神社があるのは笠寺台地の突端の海辺だ。戦国時代には陸地化していたのだろう。
 堤防を造るのに苦労して伊勢の神宮に祈ったら完成したということで、社殿は伊勢の方角である西南を向いている。西向きの神社というのは非常に珍しい。だから西側から神社に入って正面に社殿があるというのはちょっと違和感がある。理由を知ればそれも納得だ。
 その他のことについては神社サイトの喚續社のページで。



喚續社参道と二の鳥居




喚續社手水舎の龍




喚續社拝殿前




喚續社社殿屋根




喚續社境内社




喚續社新宮社の象の彫り物




喚續社イチョウの木




喚續社御神木の楠




喚續社白龍大神




喚續社参道を見る

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約18分
 ・駐車場 なし
 

星﨑の市杵島社を建てたのは山田重忠ではないはず

神社仏閣(Shrines and temples)
星﨑市杵島社

 南区星﨑にある市杵島社(地図)。
 国道1号線のすぐ南にあるのだけど、通りには面しておらず、裏から回り込む格好になるので奥まった場所にある印象を受ける。その分、静かだ。
 良く言えば質素な神社だ。余計なものはない。鳥居も狛犬もないのはちょっと寂しい。本社はわりと立派だ。
 江戸時代までは辯才天社だった。平安末期から鎌倉初期にかけての源氏の武将で幕府御家人の山田重忠が創建したという話は私は信じていない。
 歴史などについては神社サイトの星﨑市杵島社のページに書いた。



星﨑市杵島社拝殿前




星﨑市杵島社本社




星﨑市杵島社社殿を横から




星﨑市杵島社境内社




星﨑市杵島社境内社の竈神社

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約12分
 ・駐車場 なし
 

丹八郎ワールドの中にある迦具土社

神社仏閣(Shrines and temples)
丹八山迦具土社

 南区の丹八山にある迦具土社(地図)。
 もとは鳥居山と呼ばれていて、平安時代に平将門の乱を鎮めるため、熱田社の七神を神輿に乗せてここまで運び、この鳥居山で祈祷が行われたと伝わっている。
 現在の丹八山は意味不明な石碑が乱立するちょっとおかしな公園になっている。郷土史家で易者の石川丹八郎が独自の世界観で作り上げたワンダーランドだ。
 丹八郎さんは桜の木も植えたので、今ではちょっとした桜名所となっている。訪れる家族連れなどは石碑を見て見ぬ振りをしているのではないかと思う。あるいはすっかり見慣れてしまって受け入れているのかもしれない。
 鳥居山の歴史などについては神社サイトの丹八山迦具土社のページに書いた。
 どうしてここに迦具土社(秋葉権現)が祀られたのかは調べがつかなかった。七所神社の例祭のときは、七所神社の神が神輿に乗せられここまでやってくる。



丹八山迦具土社入り口階段




丹八山公園の風景




丹八山迦具土社前




丹八山迦具土社手前




丹八山迦具土社本社の中




丹八山迦具土社石碑




丹八山迦具土社将門の首塚他石碑




丹八山迦具土社石碑群




丹八山迦具土社見晴らし風景




丹八山迦具土社外観

【アクセス】
 ・JR東海道本線「笠寺駅」から徒歩約20分
 ・駐車場 なし
 

誰かの食卓も同じようなサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 今日のサンデー料理は、ゴボウ発進だった。ゴボウがあるからゴボウを使おうと思って、それなら方向性としては和食だろうということで始めたら、気づけばいつものように和食とも洋食ともとれない無国籍料理になっていた。
 一般家庭の料理とも少し違う気がするのだけど、そんなにたくさんの家庭料理を見たことがないので実際のところはよく分からない。私のサンデー料理を見て、自分が作る夕飯に似てるわ、という人が中にはいるだろう。意外と身近にいたから、私が考えている以上にたくさんいるのかもしれない。世の中には自分と同じようなことを考えている人間が3人はいるというし、まったくのオリジナル料理なんてものは存在しないのだろう。



マグロの卵とじ

「マグロの卵とじ」
 マグロに塩、コショウ、塩を振ってしばらく置く。
 ブロッコリーを下茹でする。
 オリーブオイルでタマネギを炒め、マグロ、ブロッコリーを加えて炒める。
 酒、みりん、しょう油、和風だし、塩、コショウで味付けをする。
 卵を入れて軽く煮る。



きんぴらごぼう風

「きんぴらゴボウ風甘酢」
 見た目はきんぴらゴボウだけど少し違うかもしれない。
 ゴボウをよく洗ってささがきして水に浸けてあく抜きをして、下茹でする。
 ニンジン、アスパラも下茹でする。
 ごま油で、ゴボウ、ニンジン、アスパラを炒める。
 酒、みりん、しょう油、中華の素、酢、塩、コショウ、白ごまで味付けをする。



カボチャのケチャップ

「カボチャのケチャップ炒め」
 カボチャを切り分けてレンジで4分加熱する。
 オリーブオイルでトマトとシーチキン缶を炒める。
 カボチャを入れて、酒、みりん、コンソメの素、ケチャップ、塩、コショウで味付けをする。
 仕上げでとろけるチーズを加えて混ぜ合わせる。
 

本星﨑の軻愚突知社がある空間は特別

神社仏閣(Shrines and temples)
本星﨑軻愚突知社

 南区本星﨑にある軻愚突知社(地図)。
 かつての星﨑城の一部であり、星宮社の元地という話もある。
 神社がある小山は、みこし山と呼ばれている。平将門が反乱を起こしたとき、それを調伏するための祈願が星﨑で行われ、熱田社の七神を乗せた神輿(みこし)が一時ここにとどまったということでその名がつけられたとされる。
 祈願が行われたのは少し北にある鳥居山(今の丹八山公園)で、そこに七所社が建てられた(その後遷座)。
 軻愚突知社のある空間は何か特別な空気を感じた。それが星宮の元地だからなのか、ここが特別な場所だからなのかは分からない。笠寺台地の縁近くで形状からして古墳の可能性もある。
 そのあたりのことは神社サイトの本星﨑軻愚突知社のページに書いた。



本星﨑軻愚突知社外から




本星﨑軻愚突知社階段を登る




本星﨑軻愚突知社境内と社殿




本星﨑軻愚突知社拝殿正面




本星﨑軻愚突知社拝殿近く




本星﨑軻愚突知社星﨑城址石碑




本星﨑軻愚突知社神木




本星﨑軻愚突知社境内全景




本星﨑軻愚突知社山車蔵

【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「本星﨑駅」から徒歩約14分
 ・駐車場 なし
 

お寺とお堂のこぼれ写真

神社仏閣(Shrines and temples)
寺院内白龍社

 神社めぐりをしている途中でお寺に立ち寄ることもあって、せっかく寄ったから一枚くらいは撮っておこうとかとなる。そういう写真の使い道が見つからないままたまっていたので、一度まとめて出してしまうことにした。
 どこで撮ったどんな名前の寺だったのかはもう覚えていない。だいたいあの日のあのへんだったかなという記憶があるくらいだ。上の写真は熱田のどこかだったと思うけど違うかもしれない。白龍神を祀る社があった。
 というわけで、今回はお寺こぼれ写真と題してお送りします。



寺院立派なお堂




観音堂




地蔵菩薩のお堂




寺院野町のお堂




吉野櫻本坊




辻のお堂




圓乗寺




川辺の観音堂




西区お堂

 お寺というより半分くらいは道ばたのお堂の写真だった。
 

川原神社は女性的で清潔な神社だと思う

神社仏閣(Shrines and temples)
川原神社

 川原神社(地図)は昭和区を代表する神社だ。昭和区では唯一の式内社となっている。
 県社でもあり、あらためて立派で清潔感のある神社だと思った。
 ただ、ここが本当に延喜式神名帳の川原神社かどうかは、もうひとつはっきりしない。おそらくそうだろうとは思いつつ、やや釈然としない部分も残る。そのあたりについては神社サイトの川原神社のページに書いた。
 式内社かどうかは別にして、ここは気持ちのいい神社だ。どこか女性的な感じがする。同じ昭和区にある御器所八幡宮がすごく男臭いのと対照的だ。



川原神社川名の弁天さん

 川名の弁天さんは遷座の準備で今は不在だった。
 遷座式が6月に行われるようだ。



川原神社池の社




川原神社手水舎の龍




川原神社手水舎屋根の鳩




川原神社絵馬




川原神社稲荷鳥居




川原神社稲荷社と龍神社




川原神社猿田彦社他




川原神社天神社




川原神社津島社




川原神社御神木の楠

【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「川名駅」下車徒歩7分
 ・無料駐車場 あり(無料/境内)
 

愛知縣護国神社に祈願

神社仏閣(Shrines and temples)
愛知縣護国神社

 中区三の丸にある愛知縣護国神社(地図)。
 県庁街の一角あって境内はけっこう広い。
 明治2年に尾張藩最後の藩主となった徳川慶勝が川菜村(川名)に旌忠社として戊辰戦争の戦死者25名を祀ったのが始まりで、その後戦争の犠牲者も祀り、昭和10年に現在地に移された。
 そのあたりの歴史については神社サイトの愛知縣護国神社のページに書いた。
 初めて訪れたのが2010年の7月だから、だいぶ間が空いた。この日は関係者の大事なお願い事があって訪れたのだった。



愛知縣護国神社太玉柱




愛知縣護国神社白石




愛知縣護国神社玉砂利




愛知縣護国神社愛知神社社号標

 戦時中、一時、愛知神社と改称していた。



愛知縣護国神社石碑と花




愛知縣護国神社太玉柱シルエット




愛知縣護国神社社殿

【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線/桜通線「丸の内駅」から徒歩約15分
 ・駐車場 あり
 

北区味鋺神社はフォトジェニックな神社

神社仏閣(Shrines and temples)
味鋺神社

 2017年の年末に北区神社再訪で最後に訪れたのは味鋺神社(あじまじんじゃ 地図)だった。
 味鋺が名古屋市北区というのはいつになっても慣れないというか違和感がある。ずっと春日井市だと思い込んでいた。味鋺が名古屋なら味美も名古屋でいいんじゃないかと思ったりもする。
 それはともかくとして、味鋺神社を前回訪れたのは2015年の1月だから、そんなに久しぶりという感じはしなかった。ちょうど季節も時間帯も同じくらいということで印象に違いはなかった。前回は正月過ぎということで鳥居の前に角松があったのだけど。
 味鋺神社は春日井ではなく名古屋市北区にある
 ここは格好いい神社というか、フォトジェニックな神社だ。光と影のコントラストが魅力的で、あちらもこちらも撮りたくなる。なので枚数が多くなってしまった。
 歴史などについは神社サイトの味鋺神社のページに書いた。
 味鋺の地名の由来や尾張物部氏のことなど、いろいろと分からない部分もあるのだけど、延喜式神名帳の味鋺神社というのは間違いなさそうだ。
 ただ、ここが春日井郡で、ここより北に山田郡の式内社があって、郡境問題は消えずに残る。



味鋺神社境内と蕃塀




味鋺神社賽銭箱




味鋺神社拝殿内




味鋺神社拝殿の彫り物




味鋺神社祭文殿外観




味鋺神社祭文殿内部




味鋺神社社殿横から




味鋺神社祭文殿から境内を見る




味鋺神社境内社と夕日




味鋺神社流鏑馬の像




味鋺神社石橋の跡




味鋺神社護国院

【アクセス】
 ・名鉄小牧線「味鋺駅」から徒歩約22分。
 ・駐車場 あり
 

北区の羊神社は全力羊押し

神社仏閣(Shrines and temples)
羊神社

 去年2017年の暮れに北区の神社再訪をしたときの一社、羊神社(地図)。
 羊ということで未年の年にものすごく賑わう神社だ。私も2015年の未年のときに訪れた。
 羊神社に参拝する
 あのときは1月の後半だったにもかかわらず、けっこうな人が訪れていた。
 この日は12月末ということもあって静かなものだった。次の未年まではまだしばらくある。今年2018年は戌年ということで、西区の伊奴神社(いぬじんじゃ)が大盛況だったようだ。
 羊神社は火辻村から来ているという説があるのだけど、実際のところよく分からない。
 延喜式神名帳に山田郡羊神社とあり、平安時代から羊の字が使われていたことが分かる。羊太夫にまつわるとかいろいろな説がある。
 そのあたりのことについては神社サイトの羊神社のページに書いた。



羊神社親子の羊象

 羊の神社であることを全面に押し出してきている。境内のあちこちに羊がいる。あれだけ徹底されると、もう説得されるしかない。



羊神社拝殿




羊神社拝殿内




羊神社陶器の羊




羊神社拝殿からの風景




羊神社祭文殿から本殿




羊神社獅子




羊神社狛犬




羊神社絵馬




羊神社手水舎の羊

【アクセス】
 ・地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約10分。
 ・駐車場 なし 
 

年末に別小江神社を再訪する

神社仏閣(Shrines and temples)
別小江神社

 去年2017年の暮れに北区の別小江神社(地図)を訪ねた。
 2015年に一度訪れていて、それ以来の再訪となった。
 綿神社と別小江神社のはしご
 別小江と書いて「わけおえ」と読む。普通読めない。
 延喜式神名帳に載る式内社とされているのだけど、やや納得できない部分もあり、どういう神社か実際のところよく分からない。神社サイトに書くときも理解しながら書くのに苦心した。
 別小江神社
 訪れたときは正月前ということで、少しずつ準備が始められてはいたものの、のんびりした空気だった。正月三が日はそれなりに賑わっただろうと思う。
 古さは感じられるものの、平安時代から続く古社かというとそこまでの重さや深みといったものは感じられない。いくつかの神社や信仰が折り重なっている感じで、大本の正体は分かりづらい。場所が移されていて、そのときの経緯がはっきりしないことでよけい難しくなっている。
 延喜式神名帳の別小江神社はずっと昔に廃社になっていて、これは別の神社のような気もする。



別小江神社手水舎




別小江神社拝殿




別小江神社桐紋の額




別小江神社拝殿と本殿を横から




別小江神社境内社と御嶽コーナー




別小江神社秋葉のマーク




別小江神社清正橋の石

 加藤清正が名古屋城築城のとき稲置街道に架けた清正橋の一部が保存されている。



別小江神社石碑

 式内社だとか違うとかを抜きにすれば、なかなかいい神社だと思う。

【アクセス】
 ・地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約25分。
 ・駐車場 あり
 
 公式サイト
 

主観的ノーマルサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 節分が来て、立春も過ぎたけどまだ相変わらず寒い日が続く。ただ、花粉症は今年も忘れずにやってくるようで、少し症状が出始めた。梅も咲いたというし、少しずつ春に向かっていることは確かなようだ。
 今週はノーマルなサンデー料理だった。何をノーマルとするかは主観的な問題でしかないのだけど。



マグロのあんかけ

「マグロの刺身の和風だしあんかけ」
 マグロの刺身に熱いあんかけをかければ表面だけ熱が加わると思ったらそうはいかなかった。あんかけはそんなに温度が高くならないらしい。
 でも、けっこう美味しかったから、これもマグロ料理の定番のひとつに加えよう。表面だけ炙ってもいい。



ナスとトマト

「ナスとトマトなどの炒め物」
 ナスは水に浸けて、軽く下茹でする。
 オリーブオイルで鶏肉を炒めて、いったん取り出す。
 タマネギを炒め、トマトを加える。
 ナス、鶏肉を入れ、酒、みりん、しょう油、塩、コショウで味付けをする。
 とろけるチーズを加えてかき混ぜる。



ジャガイモと卵

「ジャガイモその他入りオムレツ風」
 具材メインのオムレツ風。
 ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーを下茹でする。
 卵、牛乳、コンソメの素、塩、コショウを加えて混ぜ合わせる。
 オリーブオイルとマーガリンを熱したところに流し込んで蓋をして蒸し焼きにする。
 粉チーズとパセリ粉を振りかける。
 

八幡社というよりも児子社

神社仏閣(Shrines and temples)
八幡社児子社

 北区志賀町にある八幡社(地図)。
 八幡社とはなっているものの、ここの本質は児子社だと思う。
 児子社は昭和までは子供の守り神として大勢の参拝者が訪れたというけど、今は訪れる人も少ないひっそりとした神社となっている。
 津田正生はこの神社こそが延喜式神名帳の綿神社だと言っていて、私もその説には惹かれるものがある。個人的に好きな神社のひとつだ。
 ここが綿神社かもしれないといったことについては神社サイトの児子八幡社のページに書いた。
 今回は再訪で、前回訪れたときの写真はブログに載せた。

 児子社が綿神社という可能性はなくもない



八幡社児子社拝殿注連縄と紙垂




八幡社児子社拝殿内の光と影




八幡社児子社奥拝殿横から




八幡社児子社本殿横から




八幡社児子社天満宮の牛像




八幡社児子社社殿と太陽




八幡社児子社境内社




八幡社児子社陶製狛犬




八幡社児子社境内の木々




八幡社児子社境内の風景

【アクセス】
 ・地下鉄名城線「黒川駅」から徒歩約8分。
 ・駐車場 なし
 

針綱神社と三光稲荷神社と猿田彦神社はセットではないけれど

神社仏閣(Shrines and temples)
針綱神社

 犬山を訪れた日、犬山城の麓にある3つの神社、針綱神社、三光稲荷神社、猿田彦神社を訪ねた。
 もともと別の場所にあったものをここに集めただけで、最初から3社一緒にあったわけではない。
 針綱神社は延喜式神名帳の針綱神社ということになっているのだけど、ちょっとはっきりしない部分があって、確実といえるかどうかはなんともいえない。他に論社がなく、たぶんそうだろうということで、江戸時代に入ってからそういうことになった。
 当初は今の犬山城天守がある山の上にあったものを、戦国時代に織田信康が白山平(成田山名古屋別院大聖寺などがある山)に移し、江戸時代に入って当時犬山城城主だった小笠原吉次が犬山城城下の名栗町に移した。
 長らく白山妙理権現や白山針綱大神宮などと呼ばれていた。
 祭神の尾治針名根連命のことなどについては、名古屋神社ガイドの天白区針名神社のページにも少し書いたのだけど、名古屋神社ガイドの市外編のときあらためてちゃんと書くことにしたい。ちょっと難しいところがある神社なので、更によく調べて考察し直さないといけない。
 とりあえず今回は写真を中心にお届けします。



針綱神社一之鳥居

 入り口右手に大きなイチョウの木があったのだけど、ばっさり切られていて驚いた。何かの建物を建てていたから、邪魔になったということなのだろうけど、やってはいけないことをやってしまった感じだ。あれはいいイチョウだったのに。



針綱神社太鼓橋




針綱神社拝殿




針綱神社おみくじ結び




針綱神社さくらみくじ




三光稲荷神社と猿田彦神社




三光稲荷神社拝殿

 三光稲荷神社はとりたてて特徴のない稲荷社で、犬山城を訪れた人がついでに寄っていくくらいだったのに、ハート型の絵馬がインスタ映えすると評判になって以来、ものすごく参拝客が増えた。若い女性やカップルが多い。妙にこの境内だけが華やいでいる。



三光稲荷ハート絵馬

 これがピンクのハート絵馬。確かにかわいいし写真に撮りたくなる気持ちも分かる。
 中国人とかの間でも知られているようだ。



三光稲荷鳥居




猿田彦神社

 猿田彦神社は三光稲荷の境内社という扱いのようなのだけど、半ば独立した神社となっている。
 ここの経歴は調べても情報がなく、創建や歴史については何も分からない。



猿田彦神社社殿内




境内社

 【アクセス】
 ・名鉄犬山線「犬山遊園駅」から徒歩約18分
 ・駐車場 近くの有料パーキング(もしくは少し離れた犬山観光ホテルの駐車場)
 

犬山城下裏道散歩<5・最終回>

旅/散策(Stroll)
犬山城下空き家

 犬山城下裏道散歩シリーズの第5回。
 思いがけず長いシリーズになったけど、散歩編は今回が最終回となる。あと1回は神社編だ。
 というわけで、引き続き犬山裏道散歩写真をお送りします。



犬山城下空き家の入り口と神棚




犬山城下銭湯跡の裏




犬山城下銭湯跡の建物




犬山城下銭湯跡と新しい家の洗濯物




犬山城下プランターの新芽




犬山城下郵便受け




犬山城下家の前の岩




犬山城下ガレージ




犬山城下洋館




犬山城下人力車




犬山城下クランクの道

 おわり。
 

犬山城下裏道散歩<4>

旅/散策(Stroll)
犬山城下裏道

 犬山城下町裏道散歩シリーズの第4回をお送りします。



犬山城下UCCコーヒー




犬山城下雪としんちゃん




犬山城下屋根神様




犬山城下錆びた壁




犬山城下石田鉄工所




犬山城下消えた銭湯の壁

 銭湯の壁だけ残っていたのはこの場所だったと思う。久々に再訪したら消えていた。残念だけど、あれは危なかった。



犬山城下裏道風景




犬山城下裏通りの風景




犬山城下丸ポストとお寺




犬山城下銭湯の入り口跡




犬山城下銭湯だった建物

 つづく。
 

犬山城下裏道散歩<3>

旅/散策(Stroll)
犬山城下の街並み

 犬山城下裏道散歩シリーズは、思った以上に写真がたくさんあって長いシリーズになった。5回+神社編ということになりそうだ。
 というわけで、引き続き第三回をお送りします。



犬山城下昭和の住宅



犬山城下黒板の塀



犬山城下古い家屋と生活感



犬山城下琴三味線



犬山城下閉店した寿司屋



犬山城下継ぎ接ぎの壁



犬山城下トタン貼りとサッシ窓



犬山城下レストラン開運亭



犬山城下錆びたトタン



犬山城下再利用の店



犬山城下生活路地
 つづく。
 

「ナースときどき女子」で四日市工場夜景の記事が紹介されました

フォトコン・写真(Photo Contest)
【お知らせ】

 ナースときどき女子というサイト(webサイト)で、四日市工場夜景の記事を紹介していただきました。

ナースときどき女子



『あなたはどの夜景がお好き?ナースも思わずうっとりする絶景スポットや夜景の楽しみ方を提案♪』

 記事は四日市工場夜景の撮影スポットをまとめて紹介したものです。

 三重県四日市市のコンビナート工場夜景の撮影スポット紹介

 工場夜景だけでなく、日本各地の夜景情報の記事も紹介されています。
 ナースの方も、そうじゃない方も、夜景好きな方も、興味がない方も、よろしければご覧ください。
 

犬山城下裏道散歩<2>

旅/散策(Stroll)
犬山城下町屋

 犬山城下裏道歩きの2回目。
 犬山城から南下して、本町交差点を西に折れて、一本西の通り周辺を歩いた。



犬山城下古びた自転車




犬山城下ぬいぐるみ




犬山城下町屋二階




犬山城下古い井戸




犬山城下民家




犬山城下二階窓




犬山城下植木




犬山城下民家庭




犬山城下歯科医院跡




犬山城下丹羽歯科医院

 つづく。
 
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