月別:2017年03月

記事一覧
  • 神明社・八幡社合殿よりも杉ノ宮神社といった方が通じる

     名古屋市北区中杉にある神明社・八幡社合殿(地図)。 カッコして杉ノ宮とある。近隣の人は杉ノ宮神社と呼んだりもしているようだ。 名古屋城(地図)から見て東北約1.8キロ。西を通っている旧木曾街道から少し中に入ったところにある。もともとあった神明社は1630年に尾張藩士によって建てられたというけど、その頃はまだここらあたりは屋敷も少ない城下の外れだったんじゃないだろうか。 八幡社はここから300メートルほど西...

    2017/03/31

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 上飯田六所宮も素顔の見えない神社に思える

     名古屋市北部の六所社めぐり。今回訪れたのは上飯田にある六所宮(地図)だった。 街中にある中規模の神社で、なかなか清潔感のあるお宮という印象を受けた。 しかし、いかんせん、ここも六所社の仲間。どういう性格の神社なのか、その正体は不明としか言いようがないことに変わりはないのだった。 ネットやら文献やらに当たってみたけど、創建年や由緒などについてはほとんど分からなかった。お手上げと言っていい。 神社サ...

    2017/03/30

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 川のある風景 ~庄内川と矢田川

     神社写真の息継ぎに、川のある風景をお届けします。 今回も近所の矢田川、庄内川の風景が中心となる。 ...

    2017/03/29

    河川敷(River beach)

  • 江戸から引っ越してきたお稲荷さん

     名古屋市東区の大松町にある稲荷神社(地図)。 ずっと前から何度も横を通ったことはあってその存在は気になっていたのだけど、鳥居をくぐって訪ねるのは今回が初めてだった。『愛知縣神社名鑑』に江戸から18人の村人とともに移ってきた稲荷社とあって、物語を感じた。昔も今も、江戸に上る人もいれば、江戸から下る人もいる。 18人の人たちは名古屋城下の外れに新天地を求めてやってきた。どんな暮らしぶりだったかは想像がつ...

    2017/03/28

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 猪子石神社と大石神社を再訪する

     神社サイトが完成するまではブログの方も神社ネタの割合がかなり高くなる。もう2017年は神社の年とする。やりかけた以上、途中で投げるのは気持ちが悪いから、とにかく区切りがつくまではやることにしたい。 サイトに使う写真は一枚なのだけど、あまりにも前に撮ったものはもう一度撮り直している。そうやって久々に再訪する神社がこのところ増えている。名東区の猪子石神社(地図)と大石神社(地図)もそうだった。 前回訪れ...

    2017/03/27

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 桜が咲いても咲かなくてもサンデー料理

     今日は少しひんやりした雨の一日だった。例年であれば今日あたり名古屋も桜が咲き出してくるところなのだけど、今年は少し遅れている。気候的にまだ桜の季節という感じがしない。来週は多少暖かくなってくるようだから開花宣言は出されるだろう。それでも来週末でもまだ見頃にはならないんじゃないかと思う。今年はのんびり待つことにしよう。 季節は巡っても季節感のないサンデー料理は普段通り変わらない。 タケノコはもう少...

    2017/03/26

    料理(Cooking)

  • 道行き日々の風景

     神社ネタの間の一服、今日は道行き風景をお送りします。 ...

    2017/03/25

    日常写真(Everyday life)

  • 東区泉の松山神社は羽黒修験道由来の神社

     名古屋市東区泉3丁目にある松山神社(地図)。 高岳と白壁を結ぶ通りのオオカンザクラ並木から少し東に入った住宅地の中にその神社はある。 外観は普通の民家っぽいので入り口に鳥居がなければ入っていくがを少しためらうかもしれない。 南向きの神社が圧倒的に多くて、たまに東向きの神社もあるのだけど、西向きの神社は珍しい。太陽神を祀るから西向きなのだというのは後付けの説のような気がする。ここは羽黒山の修験者が...

    2017/03/24

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 八王子神社春日神社がくじ引きで決まった運命

     名古屋市北区清水の八王子神社春日神社(地図)。 八王子神社はもともと若宮八幡、天王社とともに名古屋城築城前の那古野庄今市場にあった。名古屋城ができて三の丸となったところだ。 名古屋城築城にともない、城外に移されることになり、くじ引きで名古屋城北東の清水への遷座が決まった。 若宮八幡は城下の南へ移り、天王社だけが城内に残されることになった。 春日神社は昭和46年(1971年)にこの場所に移されてきて、八...

    2017/03/23

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 旧街道沿いの風景

     今日は神社めぐりなどで出会った旧街道の風景をお送りします。 神社はかつての旧街道沿いに建っていることがけっこう多い。なんで大通りから入ったこんな奥まったところあるんだろうと思うと、そこが昔の通り沿いだったりする。旅人たちが往来したかつての風景を想像してみると感慨深くもある。 自転車であちこちをめぐるようになって多くの旧街道と出会うことになった。下調べしてから出向くだけでなく、どこかへの行き帰りに...

    2017/03/22

    名所/旧跡/歴史(Historic Sites)

  • 山神社が先でお福稲荷が後、白竜社は追加

     名古屋市北区安井の旧木曾街道沿いにあるお福稲荷、山神社、白竜社。こんもり茂った鎮守の杜の中に仲良く収まっている。 戦国時代、信長の家臣として仕えた浅野長勝などがこの地に安井城を築き、その鬼門の守護として勧請したのが山神社だった。1573年頃というから、信長が足利義昭を追放して室町幕府が滅亡した時期だ。 その室町幕府前期の南北朝時代、北朝の側にいた犬飼頼隆が所領していた土地で、浅野長勝や安井将監などは...

    2017/03/21

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 反応、共感、共有、幸福

     写真は反応だ。反射と言ってもいいかもしれない。 何に反応してカメラを向けるかは人それぞれ。同じ風景を目にしていても意識の中で見えているものは違う。 ときどき、自分と似た写真を撮る人に出会うことがある。それは反応するものが似ているということだ。笑いのツボが同じといった言い回しをすることがあるけどそれに近い。 人は共感を求める。共感することや、共感してもらうことを。 写真は共有されて初めて完成となる...

    2017/03/20

    日常写真(Everyday life)

  • 変わりたくても変われないサンデー料理

     窓から外を見ると、春霞で風景は白くけぶっていた。冬場はよく見える御嶽山も今日は姿が見ず。少しずつ春が進んでいる。日没時間が夕方6時を回って、日がずいぶん長くなったことを実感する。 来週の今頃は桜が咲き出すというのは本当だろうか。この春はなんとなく肌寒い日が続いていて、まだ桜という気分ではない。それでももう2週間もすれば桜は確実に咲いてくるわけで、さよならとはじめましてが交差する季節もすぐそこだ。 ...

    2017/03/19

    料理(Cooking)

  • 児子社が綿神社という可能性はなくもない

     名古屋市北区志賀町にある児子社(ちごしゃ)。 たまたま通りかかって寄ってみたら思いがけずいい神社で驚いた。こういう出会いは嬉しい。お気に入りの神社がまたひとつ増えた。『尾張国神社考』の津田正生に言わせると、山田郡綿神社は実はこの神社なんだそうだ。初めは半信半疑だったのだけど、いろいろ調べて考察してみると、ない話ではないと思うようになった。なにより自分の感覚として、この神社はただ者じゃないと思った...

    2017/03/18

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 東区高岳のオオカンザクラ並木風景 2017

     天白区平針の農業センターでしだれ梅を撮ったら次は東区高岳のオオカンザクラ並木というのがここ数年の決まったパターンになっている。 北の白壁交差点付近から南の桜通泉2丁目交差点にかけて、約140本のオオカンザクラ(大寒桜)とカンヒザクラ(寒緋桜)が桜並木を作っている。 昭和36年(1961年)に初めて早咲きのオオカンザクラの木が植えられ、名古屋の春の風物詩としてすっかり定着した。 今年は少し花付きがよくない気...

    2017/03/17

    桜(Cherry Blossoms)

  • 川原神社は新旧の要素が融合したきれいな神社

     名古屋市昭和区川名にある川原神社(かわはらじんじゃ)。初めて訪れたのは2006年だから、10年以上の月日が流れていた。 川原神社は弁才天のいる歴史のある神社 私が神社めぐりを始めたのが2005年からだから、最初の頃に行った神社のひとつだ。あの頃は神社について今ほど関心も知識もなく、撮影に関してもさほど自覚的ではなかった。いつかもう一度撮り直したいと思いつつ、再訪までにずいぶん時間がかかってしまった。 あら...

    2017/03/16

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 北区の成願寺のデザインはスタイリッシュで斬新

     名古屋市北区にある成願寺(じょうがんじ)が斬新なことになっている。 近代に創建されたお寺ならともかく、745年に行基が開山したとも伝わる古刹がこのデザインというのが驚く。全面ガラス張りにドーム型の屋根が乗る本堂は特にスタイリッシュだ。 仁王門もガラス張りで、中に仁王像が立っている。 建て替えられる前は普通の外観をしたお寺だった。どうしてこういうデザインで建てることになったのかは分からない。山田重忠...

    2017/03/15

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 天白の針名神社を再訪する

     久しぶりに天白区平針の針名神社を訪れた。前回は何年前だったか覚えていないくらいだ。5年は経っていると思う。 神社サイトで針名神社のことを書いたとき、もう一度行って印象を確かめ直さないといけないと思ったのが再訪の理由だった。 ちょうど農業センターでしだれ梅を撮るタイミングと合ったので、梅撮りの帰りに立ち寄ってきた。 こんな感じだったかなぁと、覚えがあるようなないような、ちょっと不思議な気持ちがした...

    2017/03/14

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 成願寺六所神社もやっぱり分からない神社だった

     名古屋市北区の成願寺六所神社を訪ねた。 住所でいうと安井2丁目になる。 近くにある成願寺から名付けられた成願寺町は、現在矢田川や河川敷、庄内川ゴルフ倶楽部などになっている。 昭和5年(1930年)に始まる矢田川の付け替え工事に伴って、昭和6年(1931年)に六所神社は現在地に移されてきた(成願寺ものちに移転)。 六所神社というと正体不明でやっかいな神社という印象が強い。この成願寺六所神社もそうだった。ここ...

    2017/03/13

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 最後は丸く収まったサンデー料理

     農業センターでしだれ梅を撮ったら、次は高岳の早咲き桜のことが気になりだす。調べたら去年は3月10日に行っている。今年は遅れているようで、まだ3分咲き程度らしい。撮りにいくのは来週の後半になるだろうか。 今日は名古屋ウィメンズマラソンが開催された。今年は行かなかった。2012年に始まって今年で6回目となった。そのうち3回は見にいっている。今年行かなかったのは、見たい選手が出ていなかったというのもある。野口み...

    2017/03/12

    料理(Cooking)

  • 道行き日常風景

     今日は道行き街の風景をお送りします。 過ぎてゆく日々の中で目に映る風景は、変わらないようでいて変わらないものは何一つないのだ。 ...

    2017/03/11

    日常写真(Everyday life)

  • 名古屋市農業センターのしだれ梅が遅れて見頃に

     この冬はそれほど寒いという印象はなかったのだけど、いつまで経っても暖かくならないというのはある。しだれ梅が見頃になるまでずいぶんかかった。 名古屋市天白区の名古屋市農業センター。しだれ梅の名所として地元ではよく知られている。 去年は暖冬で2月の終わりには満開になっていたのに、今年は3月10日でもまだ見頃が続いていた。満開は2、3日前だったのだろうけど、今週末でも充分間に合う。 しだれ梅は枝の上の方から...

    2017/03/10

    植物園(Botanical garden)

  • 大森斎穂社を訪ねていくつかのはてなが残った

     名古屋市守山区。瀬戸街道の八剣交差点を北へ入ったところに、斎穂社という小さなお社がある。 以前から何度となく前を通っていて気にはなっていたのだけど、中まで入っていって参拝したり写真を撮ったりということが一度もなかった。たまたまネットでここのことについて書かれた記事を読んで興味を持った。渋川神社の悠紀斎田に深い関わりのあるところとなればそれはちょっと重要だ。大森八剱神社の境外社でもある。 新嘗祭(...

    2017/03/09

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 川のある風景 ~季節の移ろい

     今日は川のある風景をお送りします。 まだ去年の在庫写真が残っていた。夏から秋にかけて撮ったものの入っている。 川の流れは変わらなくても、川辺の風景にははっきりとした四季がある。何ヶ月か前に自分が撮った写真を見て、季節の移ろいと流れた時間を思い知る。 ...

    2017/03/08

    河川敷(River beach)

  • 北区の大我麻神社は小さな温もりを感じる神社だった

     大井神社へ行った流れで大我麻神社にも足を伸ばした。 北区の北西の外れ、水路を一本越えればそこはもう豊山町だ。 どんな神社かよく知らないまま訪ねていって、思った以上に小さな社だったのだけど、帰るときはなかなかいい神社だなぁと少ししんみりしたような気持ちになった。じんわり温もりの伝わる神社、そんな形容がぴったり来る。 例によって詳しいことは名古屋神社ガイドに書くとして、ここでは写真中心にお届けします...

    2017/03/07

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 名古屋市北区の式内社・大井神社

     名古屋市北区の北の方にある大井神社。『延喜式神名帳』にある尾張国山田郡大井神社がこの神社とされている。 ここが本当に山田郡の大井神社なのかということに関しては、名古屋神社ガイドで書くとして、ここでは写真中心にお届けします。 さほど広い神社ではないものの、古社らしい落ち着きのある空気の中に鎮まっていると感じた。 昭和3年(1928年)に製造された石造の蕃塀。 凝った彫り物といい、なかなか渋くてカッコイ...

    2017/03/06

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 時間があってもなくてもサンデー料理

     少し暖かくなったり、日が長くなったりといったことで季節の移ろいを感じてはいるものの、今シーズンは早春の花もほとんど撮ってないし、そもそも写真を撮りに出る機会自体が減って、季節感が希薄になっている。持ち時間のほとんどを神社サイトの作成につぎ込んでいるからというのがその理由だ。今週末もそれは変わらなかった。 それに伴い、このブログも神社ネタ中心がしばらく続くことになる。写真を撮りにいくにしても、最近...

    2017/03/05

    料理(Cooking)

  • 日置神社はいい神社だけどそれだけじゃない

     名古屋市中区橘にある日置神社(ひおきじんじゃ)。 最寄り駅は、上前津か大須観音か。『延喜式神名帳』(927年)にある尾張国愛智郡日置神社がこの神社とされる。『尾張国神名帳』には従三位日置天神(貞治本に従一位)とある。 創建についての詳しいいきさつなどは分かっていない。属性としては八幡社なのだろうけど、天太玉命(あめのふとだまのみこと)という馴染みのない神を祀っている。 全国に同名の神社があり、『延...

    2017/03/04

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • 山王稲荷神社はいっときの夢幻の跡

     闇之森八幡社の北300メートルほどのところに古渡稲荷神社がある。 神社の北を走っている山王通の名称は、この神社が由来になっている。 かつてこの通りは小栗街道と呼ばれていた。それ以前は鎌倉街道だった道だ。 東西を走る小栗街道と、南北を走る美濃路(本町通)が、神社の少し北東、古渡交差点あたりで交差していた。『尾張名所図会』に描かれた古渡稲荷社は広々とした境内を持つ立派な神社だ。境内で芝居が行われていた...

    2017/03/03

    神社仏閣(Shrines and temples)

  • くらがりの森といわれた闇之森八幡社も今は昔

     名古屋市中区正木の闇之森八幡社(くらがりのもりはちまんしゃ)。 街としては古渡ということになるだろうか。金山駅と東別院駅と尾頭橋駅を結んだ三角形の中に位置している。 今回訪れたきっかけは、名古屋十名所のうちのひとつだからという理由だった。 これまでにもいくつかこのブログで紹介した。1924年(大正13年)に新愛知新聞社(現中日新聞)が選定したもので、熱田神宮、名古屋城、笠寺観音、闇ノ森、榎ノ権現、櫻田...

    2017/03/02

    神社仏閣(Shrines and temples)

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神明社・八幡社合殿よりも杉ノ宮神社といった方が通じる

神社仏閣(Shrines and temples)
神明社八幡社合殿

 名古屋市北区中杉にある神明社・八幡社合殿(地図)。
 カッコして杉ノ宮とある。近隣の人は杉ノ宮神社と呼んだりもしているようだ。
 名古屋城地図)から見て東北約1.8キロ。西を通っている旧木曾街道から少し中に入ったところにある。もともとあった神明社は1630年に尾張藩士によって建てられたというけど、その頃はまだここらあたりは屋敷も少ない城下の外れだったんじゃないだろうか。
 八幡社はここから300メートルほど西、現在の清水小学校(地図)がある場所に鎮座していた。こちらの方が少し古く、1552年に創建されたという。
 八幡社を神明社に移して合祀したのは明治39年(1906年)のことだった。
 北区は空襲で社殿を焼失している神社が多いのだけど、ここにはそういう話は伝わっていないようだから、大きな被害を免れたのだろうか。
 周囲はすっかり住宅地として開発され、神社は鎮守の森も失い、やや晒され感の強い境内となっている。
 中杉、大杉、杉栄の地名は残るも、杉林などはまったく姿を消してしまった。かつてはここらの森で天狗が暴れ回っていたという伝説がある。こんな時代のこんな街中では、天狗のすみかなどあろうはずもない。
 神明社なのにクニノトコタチを祀っているのはどうしてだろうなどいったことは、神社サイトの神明社・八幡社合殿のページで。



神明社八幡社鳥居と蕃塀




神明社八幡社拝殿




神明社八幡社拝殿屋根と額




神明社八幡社ご神木




神明社八幡社境内社

 境内社は、金比羅社、津島社、熊野社、大日社、愛宕社、秋葉社。



神明社八幡社境内社と注連縄と紙垂




神明社八幡社ご神木と注連縄


【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「清水駅」から徒歩約12分
 ・地下鉄名城線「志賀本通駅」から徒歩約14分
 ・駐車場 なし
 

上飯田六所宮も素顔の見えない神社に思える

神社仏閣(Shrines and temples)
上飯田六所社

 名古屋市北部の六所社めぐり。今回訪れたのは上飯田にある六所宮(地図)だった。
 街中にある中規模の神社で、なかなか清潔感のあるお宮という印象を受けた。
 しかし、いかんせん、ここも六所社の仲間。どういう性格の神社なのか、その正体は不明としか言いようがないことに変わりはないのだった。
 ネットやら文献やらに当たってみたけど、創建年や由緒などについてはほとんど分からなかった。お手上げと言っていい。
 神社サイトの上飯田六所宮のページに書いたことが、現状知ることができたすべてだ。
 まだ行ったことがない名古屋市内の六所社は、北区金城の六所社だけとなった。すべての六所社を回ったところでこれ以上分かるとも思えないのだけど、とりあえず早いとこ全部回って、神社サイトに書けるだけのことを書いたら六所社問題はいったん終了ということにしたい。保留にしてもたぶん分かるようにはならない。
 名古屋市内の神社で、六所社ほど分からない神社はないというのが私の感覚だ。六所という仮面を被っていて、神社の素顔が見えない。



上飯田六所宮鳥居と蕃塀




上飯田六所宮灯籠と拝殿




上飯田六所宮拝殿前




上飯田六所宮天満宮

 境内社に天満宮、貴船社、弁財天、天神社・神明社・八龍社、出雲社がある。



注連縄飾り





上飯田六所宮境内の岩




上飯田六所宮境内の木々


【アクセス】
 ・地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約9分。
 ・駐車場 なし
 

川のある風景 ~庄内川と矢田川

河川敷(River beach)
庄内川の流れ

 神社写真の息継ぎに、川のある風景をお届けします。
 今回も近所の矢田川、庄内川の風景が中心となる。



庄内川晩秋の頃




庄内川西日を受ける橋




矢田川夕景




植田川夕暮れ




庄内川の広い流れ




矢田川と夕陽




矢田川と小原橋




矢田川夜の風景




矢田川夕焼け




庄内川と王子製紙の煙突

 

江戸から引っ越してきたお稲荷さん

神社仏閣(Shrines and temples)
稲荷神社鳥居と西日

 名古屋市東区の大松町にある稲荷神社(地図)。
 ずっと前から何度も横を通ったことはあってその存在は気になっていたのだけど、鳥居をくぐって訪ねるのは今回が初めてだった。
『愛知縣神社名鑑』に江戸から18人の村人とともに移ってきた稲荷社とあって、物語を感じた。昔も今も、江戸に上る人もいれば、江戸から下る人もいる。
 18人の人たちは名古屋城下の外れに新天地を求めてやってきた。どんな暮らしぶりだったかは想像がつかないけど、300年後もこうして稲荷社は残ったのだから、名前は残らなくても足跡は刻んだと言っていいんじゃないかと思う。
 18人の子孫たちは今でもこのあたりに住んで稲荷社の世話をしているのだろうか。

 稲荷神などについては神社サイトの大松町稲荷神社のページに書いたので、よければそちらをご覧下さい。



稲荷神社全景




稲荷神社社殿正面




玉廣神社

 稲荷社の隣にある玉廣神社。
 どんな神社で、どんな神を祀っているのかは不明。
 この稲荷神社は村社になっているくらいだから、近くの小さな神社をいくつ合祀しているはずで、そのなかの一社だろう。



稲荷神社境内の風景




稲荷神社お堂

 倉庫か何かに見えたけど、お堂かもしれない。中はのぞかなかったので分からない。



稲荷神社枯れた手水舎




支那事変




稲荷神社鳥居と太陽

 街中の小さな神社にも、数百年重ねた歴史がある。

【アクセス】
 ・JR中央本線/地下鉄東山線「千種駅」から徒歩約22分
 ・駐車場 なし
 

猪子石神社と大石神社を再訪する

神社仏閣(Shrines and temples)
猪子石神社入り口

 神社サイトが完成するまではブログの方も神社ネタの割合がかなり高くなる。もう2017年は神社の年とする。やりかけた以上、途中で投げるのは気持ちが悪いから、とにかく区切りがつくまではやることにしたい。
 サイトに使う写真は一枚なのだけど、あまりにも前に撮ったものはもう一度撮り直している。そうやって久々に再訪する神社がこのところ増えている。名東区の猪子石神社(地図)と大石神社(地図)もそうだった。
 前回訪れたのは2009年だった。そのときの記事を読み返してみると、当時は車移動で、なかなか場所を見つけられず苦戦したと書いている。今回は自転車だったにもかかわらず、またも見つけられず近所をぐるぐる回ることになった。このへんだったはずなのになぁと記憶を辿るも、今ひとつ思い出せず、またも苦戦することになった。やはり見つけづらい場所にあった。
 どちらの神社の周辺も一方通行の細い道なので、車で行くと余計に難しい。近所なのに、このへんの裏道はまったく通らない。
 8年ぶりとなったわりには特に変化は感じなかった。猪子石神社の松も、そんなに生長しているふうではなかった。変わらないということは荒れていないということで、それだけちゃんとお世話をしている人たちがいるということだ。
 猪子石の地名の由来となった石のことなどについては、神社サイトの猪子石神社・大石神社のページに書いたので、それ以上のことはない。
 こちらでは写真を中心にお届けします。



牡石の猪子石神社

 牡石(おいし)があるのが猪子石神社。



猪子石神社の牡石

 猪に似てる?



大石神社

 こちらが牝石(めいし)のある大石神社。



大石神社入り口




大石神社境内と松

 ここにも松が植えられている。



大石神社牝石

 牝石は礫岩(れきがん)。
 流れた溶岩が小石などを飲み込んで固まったものだ。
 この石自体はさほど珍しいものではないのだろうけど、このあたりの近所で見かけるような石ではない。誰かが運んできたのだろう。珍しい石があると話を聞いた人がわざわざ村まで見に来たのも分かる。
 かつては今より10メートルほど高い小山の上に鎮座していた。まわりを見渡すちょっとした展望台のようになっていたようだから、風景とともに楽しめるスポットだったのだろう。



大石神社境内の碑

 猪子石神社の牡石は触るとたたりがあると昔から言い伝えられているのに対して、大石神社の牝石は安産祈願の石ということで触っても大丈夫とされている。触り間違えのないように。
 
【アクセス】
 ・駐車場 なし
 

桜が咲いても咲かなくてもサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 今日は少しひんやりした雨の一日だった。例年であれば今日あたり名古屋も桜が咲き出してくるところなのだけど、今年は少し遅れている。気候的にまだ桜の季節という感じがしない。来週は多少暖かくなってくるようだから開花宣言は出されるだろう。それでも来週末でもまだ見頃にはならないんじゃないかと思う。今年はのんびり待つことにしよう。
 季節は巡っても季節感のないサンデー料理は普段通り変わらない。
 タケノコはもう少し先になりそうだ。ツクシはもう何年も食べていないけど、そろそろどこかの土手で生えてきているだろうか。
 神社サイトは毎日休まずやっているけど、まだ全然終わりは見えてこない。このペースを続けたとしても今年いっぱいかかってしまいそうだ。



マグロ煮

「マグロのごま油風味昆布つゆ味」
 マグロと長ネギを、酒、みりん、しょう油、水、昆布つゆ、塩、コショウ、ショウガ、唐辛子のたれで煮る。
 今回使ったマグロはセイシェル産だった。松田聖子の『セイシェルの夕陽』を思い出す。アルバム『ユートピア』のジャケット写真が印象に残っている。



カボチャ炒め

「カボチャその他炒め」
 具材は、カボチャ、しめじ、タマネギ、ブロッコリー、カニかま。
 カボチャとブロッコリーはレンジで加熱する。
 オリーブオイルで炒めて、酒、みりん、しょう油、中華だし、塩、コショウで味付けをして、マヨネーズ、卵、とろけるチーズを混ぜ合わせたものを絡める。



トマトスープ

「ニンジンとキャベツのトマトスープ」
 ニンジンを下茹でして、キャベツ、トマト、シーチキン缶、ハム、酒、みりん、コンソメの素、塩、コショウ、ケチャップで味付けをして煮込む。
 

道行き日々の風景

日常写真(Everyday life)
空に浮かぶ袋

 神社ネタの間の一服、今日は道行き風景をお送りします。



曇天と洗濯物




クレーンと桜




道ばたに散らばるゴミ




街に沈む夕陽




自転車カゴの造花




街ビル




空と電線




空と電線と月




高架の隙間風景




オオカンザクラと学校

 

東区泉の松山神社は羽黒修験道由来の神社

神社仏閣(Shrines and temples)
松山神社外観

 名古屋市東区泉3丁目にある松山神社(地図)。
 高岳と白壁を結ぶ通りのオオカンザクラ並木から少し東に入った住宅地の中にその神社はある。
 外観は普通の民家っぽいので入り口に鳥居がなければ入っていくがを少しためらうかもしれない。
 南向きの神社が圧倒的に多くて、たまに東向きの神社もあるのだけど、西向きの神社は珍しい。太陽神を祀るから西向きなのだというのは後付けの説のような気がする。ここは羽黒山の修験者が開いたとされる社で、もともと太陽神とは関係がなかったと思われるからだ。
 方向に意味を持たせるのなら、羽黒山がある北東に向かって参拝者が拝めるように社殿は南西向きにしたはずだ。参拝者が東を向いては意味がない。
 いつものように詳しいことは神社サイトの松山神社のページに書いたのでよければそちらをお読みください。



松山神社拝殿

 現在の祭神はアマテラス(天照皇大神)、ホムダワケ(品陀別命)、イチキシマヒメ(市杵島姫命)という変わった取り合わせとなっている。もともと神仏習合の神社ではあるけど、歴史の流れの中で祭神が増えたり変わったりしていったのだろう。



松山神社南入口

 南側にも入り口と鳥居がある。入って進んでいくと拝殿の横にぶつかる。



松山神社神楽殿

 境内は狭いながらも神楽殿まである。



稲荷社鳥居




松山神社摂社

 わりと奥行きがあって、拝殿の横には福守稲荷社と、反対側に加茂社、猿田彦社、天神社、秋葉社、津島社をまとめた境内社がある。
 立派な楠もあって、もしかすると江戸時代からあるものかもしれない。
 松山神社の名前は、このあたりがかつて松などが鬱蒼と生い茂る山林だったところから来ているという。



松山神社楠




松山神社燭台




松山神社狛犬




鍋屋町の石柱

 橋の欄干らしきものは鍋屋町から移したものだろうか。

【アクセス】
 ・地下鉄桜通線「高岳駅」から徒歩約10分
 ・駐車場 なし
 

八王子神社春日神社がくじ引きで決まった運命

神社仏閣(Shrines and temples)
八王子神社春日神社外観

 名古屋市北区清水の八王子神社春日神社(地図)。
 八王子神社はもともと若宮八幡、天王社とともに名古屋城築城前の那古野庄今市場にあった。名古屋城ができて三の丸となったところだ。
 名古屋城築城にともない、城外に移されることになり、くじ引きで名古屋城北東の清水への遷座が決まった。
 若宮八幡は城下の南へ移り、天王社だけが城内に残されることになった。
 春日神社は昭和46年(1971年)にこの場所に移されてきて、八王子神社と合体して八王子神社春日神社という名称になった。合祀することはいくらでもあるけど、名前が合体して両社が残るというのは珍しいパターンだ。おかげでその実態が少し分かりづらくなっている。
 若宮八幡社は名古屋総鎮守として出世し、天王社は明治になってから城外に移され那古野神社となった。その二社と比べると八王子神社は地味な存在となっている。知名度も高いとは言えない。
 若宮八幡社が実は孫若御子神社ではないかという説があって、その場合、この八王子神社が鍵を握ることになるのだけど、そのあたりの詳しいことは神社サイトの八王子神社春日神社のページに書いた。そう簡単に結論が出るような説ではないのだけど。



八王子神社一の鳥居越しの拝殿




八王子神社春日神社拝殿




八王子神社拝殿正面




八王子神社額




八王子神社本殿屋根




境内社の金比羅社




八王子神社寄付者




八王子神社春日神社境内の風景


【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「清水駅」から徒歩約5分。
 ・駐車場 あり(無料)
 

旧街道沿いの風景

名所/旧跡/歴史(Historic Sites)
西日の旧街道

 今日は神社めぐりなどで出会った旧街道の風景をお送りします。
 神社はかつての旧街道沿いに建っていることがけっこう多い。なんで大通りから入ったこんな奥まったところあるんだろうと思うと、そこが昔の通り沿いだったりする。旅人たちが往来したかつての風景を想像してみると感慨深くもある。
 自転車であちこちをめぐるようになって多くの旧街道と出会うことになった。下調べしてから出向くだけでなく、どこかへの行き帰りに偶然そこを通ることもある。木曽路や美濃路といった有名な街道ではなくても、かつての名残が残る道もある。
 細い路地も好きだけど、こういう旧街道も好きだ。初めて通る道でも懐かしい。
 名古屋市内だけでも、まだまだ通ったことがない知らない旧街道がたくさんある。今後もそういう通りに出会うことを楽しみにしている。
 旧街道シリーズも、独立したひとつのシリーズになっていくかもしれない。



道ばたの観音




旧街道の光と影




お福市場




豆腐屋の跡




稲置街道の辻




アナログレコードの店




古い酒蔵




中華料理香林




バーバー




長屋商店街の跡

 

山神社が先でお福稲荷が後、白竜社は追加

神社仏閣(Shrines and temples)
お福稲荷・山神社・白竜社

 名古屋市北区安井の旧木曾街道沿いにあるお福稲荷、山神社、白竜社。こんもり茂った鎮守の杜の中に仲良く収まっている。
 戦国時代、信長の家臣として仕えた浅野長勝などがこの地に安井城を築き、その鬼門の守護として勧請したのが山神社だった。1573年頃というから、信長が足利義昭を追放して室町幕府が滅亡した時期だ。
 その室町幕府前期の南北朝時代、北朝の側にいた犬飼頼隆が所領していた土地で、浅野長勝や安井将監などはその子孫に当たる。
 浅野長勝の館城はこの神社の南西あたりにあったとされる。150メートル四方というからなかなかの規模だ。野球のグランドがレフト・ライト100メートル、センター120メートルと考えるとだいたいの広さが想像できると思う。
 その後、浅野長勝は所領が中島郡大里村(稲沢市)に移ったことで浅野城は廃城となったとされる。遺構は何も残っていない。
 山神社はそのまま残され、のちにお福稲荷と白竜社が合祀された。
 更に詳しいことは神社サイトのお福稲荷社・山神社・白竜社のページに書いたので興味のある方はそちらをお読みください。



お福稲荷入り口




境内と参道




お福稲荷下る道と鳥居




お福稲荷鳥居




お福稲荷社




山神社鳥居




山神社社




山神社の狛犬




白竜社


【アクセス】
 ・地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約33分。
 ・駐車場 あり(無料)
 ・拝観時間 終日
 

反応、共感、共有、幸福

日常写真(Everyday life)
自転車屋跡

 写真は反応だ。反射と言ってもいいかもしれない。
 何に反応してカメラを向けるかは人それぞれ。同じ風景を目にしていても意識の中で見えているものは違う。
 ときどき、自分と似た写真を撮る人に出会うことがある。それは反応するものが似ているということだ。笑いのツボが同じといった言い回しをすることがあるけどそれに近い。
 人は共感を求める。共感することや、共感してもらうことを。
 写真は共有されて初めて完成となる。
 写真を通じた共有が互いにとってささやかな幸福につながるとしたら、そこにはいくばくかの価値があると思うのだ。



ローソン看板




町の本屋さん




日本軽気球広告




IKEA建設中




紙のリサイクル




ミニバンvs植木




豆腐屋の煙




囲碁の看板




サンライズ

 日は沈み、日はまた昇る。
 

変わりたくても変われないサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 窓から外を見ると、春霞で風景は白くけぶっていた。冬場はよく見える御嶽山も今日は姿が見ず。少しずつ春が進んでいる。日没時間が夕方6時を回って、日がずいぶん長くなったことを実感する。
 来週の今頃は桜が咲き出すというのは本当だろうか。この春はなんとなく肌寒い日が続いていて、まだ桜という気分ではない。それでももう2週間もすれば桜は確実に咲いてくるわけで、さよならとはじめましてが交差する季節もすぐそこだ。
 変わらないことを望みながら変わらずにはいられないことを悲しむべきか喜ぶべきか。
 サンデー料理だけは良くも悪くも変わらない。



ナスとサツマイモの天ぷら

「ナスとサツマイモの天ぷら」
 今回は衣は上手くいった。サツマイモの方は中身もいい感じに揚がっていた。ナスは中身がちょっとべちゃっとした。温度が低かったのか、上げ時間の問題か。
 どんな料理も極めるのは難しいのだろうけど、天ぷらは特に奥が深いように思う。一度上手くいったからといっても次もそうとは限らないのが天ぷらだ。



エビとトマト

「エビとトマトのピリ辛ケチャップ卵とじ」
 今回は魚の代わりにエビをメインにした。エビは下処理に時間がかかるのが難点だ。
 オリーブオイルでトマトを炒める。
 エビは酒、塩を振って、レンジで2分ほど加熱する。
 エビを加え、酒、みりん、鶏ガラだし、塩、ケチャップ、唐辛子で味付けする。
 卵、牛乳、塩を混ぜてレンジで半熟まで加熱する。
 最後に卵を加えて混ぜ合わせる。



鶏肉とシーチキンとコーン

「鶏肉とシーチキンとコーンとカニかまとエリンギとブロッコリー」
 どんな仕上がりになるのか想像ができないまま見切り発車で作り始めて、できたのがこれ。料理名はない。
 味付けは、マーガリン、酒、みりん、しょう油、塩、マヨネーズ、コンソメの素で。
 

児子社が綿神社という可能性はなくもない

神社仏閣(Shrines and temples)
児子社

 名古屋市北区志賀町にある児子社(ちごしゃ)。
 たまたま通りかかって寄ってみたら思いがけずいい神社で驚いた。こういう出会いは嬉しい。お気に入りの神社がまたひとつ増えた。
『尾張国神社考』の津田正生に言わせると、山田郡綿神社は実はこの神社なんだそうだ。初めは半信半疑だったのだけど、いろいろ調べて考察してみると、ない話ではないと思うようになった。なにより自分の感覚として、この神社はただ者じゃないと思ったその直感を信じたい。式内どうこうは別にしても、ここは歴史と由緒ある神社と私は見た。
 そのあたりのことについては神社サイトの児子八幡社のページに書いたので、よかったら読んでみてください。



八幡社社標

 南の鳥居前の社標は八幡社になっている。
 あとから八幡社を合祀して児子八幡社などと呼ばれるようになったのだけど、現在の正式名は八幡社となっている。ただ、神社の本体は児子社だ。地元の人たちも児子社と呼んでいるんじゃないだろうか。



児子社境内を横断する道

 一の鳥居から入って参道を進み、二の鳥居の前に来ると一般道が思い切り横断している。たまにこんなふうに神社が途中で分断されているケースがある。境内を大きく削られることを思えば、道が横断する方がまだましか。
 それにしてもいったん気持ちが途切れることは確かだ。気を取り直して二の鳥居をくぐって拝殿の方に進む。



児子社二の鳥居と番塀




児子社拝殿

 空襲で社殿は焼けずに残ったというから、現在のものは江戸期に修造されたものかもしれない。



児子社狛犬と拝殿の彫り物




児子社拝殿




児子社境内社




児子社陶製狛犬

 陶製の狛犬が境内社の前の岩場に無造作に置かれていた。陶製だけに岩に固定してあったかもしれない。



児子社クスノキ

 楠のご神木。



児子社秋葉社

 境内社の秋葉社。



児子社境内の風景

 昭和以降、式内社の逆転劇といったものがあったのだろうか。決定的な証拠でも出ない限りまずあり得ないのだろうけど、そもそも式内社を名乗っている神社でも確固たる証拠を持っている神社は少ないという。ごく一部をのぞいて、ほとんどが論社に過ぎず、他に候補がないという理由だけで名乗っているところもあるに違いない。
 それはともかくとして、児子社はいい神社だから、オススメしたい。何がどういいのかと訊かれるとどう説明していいのか分からないのだけど。
 
【アクセス】
 ・地下鉄名城線「黒川駅」から徒歩約8分。
 ・駐車場 なし
 ・拝観時間 終日
 

東区高岳のオオカンザクラ並木風景 2017

桜(Cherry Blossoms)
高岳オオカンザクラ並木

 天白区平針の農業センターでしだれ梅を撮ったら次は東区高岳のオオカンザクラ並木というのがここ数年の決まったパターンになっている。
 北の白壁交差点付近から南の桜通泉2丁目交差点にかけて、約140本のオオカンザクラ(大寒桜)とカンヒザクラ(寒緋桜)が桜並木を作っている。
 昭和36年(1961年)に初めて早咲きのオオカンザクラの木が植えられ、名古屋の春の風物詩としてすっかり定着した。
 今年は少し花付きがよくない気がするのだけど、7分咲きくらいまで進んでいた。この週末も満開まではいかないだろうけど、もう見頃撮り頃といっていいと思う。来週末まではちょっと持たないんじゃないか。
 私はこれでかれこれ10年目くらいになるだろうか。ほぼ毎年訪れている。この次は春日井の覚成寺のエドヒガンで、それも毎年の恒例となっている。
 そんなわけで、一足早い桜だよりをお届けします。



大寒桜とベランダの風景




桜のシルエット




高岳BIANCARA




オオカンザクラの花




桜の影




地面で咲く桜




電線とオオカンザクラ




大寒桜と逆光




大寒桜の花ハイキー




高岳オオカンザクラ並木の風景




高岳早咲き桜と日常風景

 
【アクセス】
 ・地下鉄桜通線「高岳駅」2番出口すぐ
 ・駐車場 なし(コインパーキングあり)

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川原神社は新旧の要素が融合したきれいな神社

神社仏閣(Shrines and temples)
川原神社入り口鳥居

 名古屋市昭和区川名にある川原神社(かわはらじんじゃ)。初めて訪れたのは2006年だから、10年以上の月日が流れていた。
 川原神社は弁才天のいる歴史のある神社
 私が神社めぐりを始めたのが2005年からだから、最初の頃に行った神社のひとつだ。あの頃は神社について今ほど関心も知識もなく、撮影に関してもさほど自覚的ではなかった。いつかもう一度撮り直したいと思いつつ、再訪までにずいぶん時間がかかってしまった。
 あらためて撮ってきた写真を見ると、ここはきれいな神社だなと思う。古い部分と新しい部分が上手く融合していて、重々しくもないし軽すぎることもない。現代における古社のひとつの理想的な在りようを見る気がする。なかなかいい神社だとあらためて思った。
 ここが本当に『延喜式神名帳』にある川原神社かどうかについては、個人的に少し疑いを抱いているところがある。文句の付けようがない神社ではあるのだけど、式内かどうかはまた別の話だ。
 そのあたりのことについては神社サイトの川原神社のページに書いたので興味のある方は読んでみてください。
 ブログでは写真を中心にお届けします。



川原神社太鼓橋

 太鼓橋。



川原神社二の鳥居と番塀




川原神社拝殿と参拝風景

 平成4年(1992年)に本殿が火事で焼けて、現在のものは平成10年(1998年)に再建されたものだ。
 2006年に訪れたときはもっと真新しかったけど、いい意味ですすけてきていた。屋根のブルーがもっと鮮やかな印象があったのだけど、時間が経って渋色になっていた。



川原神社稲荷の朱鳥居




川原神社龍神社

 川名稲荷社と龍神社が並ぶ。



川原神社注連縄と社殿のシルエット




川原神社鎮守の杜




川原神社境内社

 猿田彦社、戸隠社、秋葉社などの境内社がある。



川原神社天神社の牛




川原神社天神社の鳥居と社

 川名天神社。



川名弁天

 川名の弁天と呼ばれる弁天社。
 川原神社はどこですかと訊ねるより川名の弁天さんはどこですかと訊いた方が話が早いかもしれない。
 芸能、音楽などの神として近隣ではよく知られている。私が初めて訪れたときも、この弁天社が目当てだった。

【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「川名駅」下車徒歩7分
 ・無料駐車場 あり(無料/境内)
 ・拝観時間 終日
 

北区の成願寺のデザインはスタイリッシュで斬新

神社仏閣(Shrines and temples)
成願寺本堂

 名古屋市北区にある成願寺(じょうがんじ)が斬新なことになっている。
 近代に創建されたお寺ならともかく、745年に行基が開山したとも伝わる古刹がこのデザインというのが驚く。全面ガラス張りにドーム型の屋根が乗る本堂は特にスタイリッシュだ。



成願寺

 仁王門もガラス張りで、中に仁王像が立っている。
 建て替えられる前は普通の外観をしたお寺だった。どうしてこういうデザインで建てることになったのかは分からない。山田重忠が中興して800周年の2009年(平成21年)に現在の姿に生まれ変わった。

 山田重忠が再建した際に現在の慈眼山成願寺に改めたとされる。それ以前は常観寺という名前で、安食重頼の法号「常観坊隆憲」からとられたという。
 安食重頼は平安時代の武士で、尾張国安食荘(名古屋市北区)を本拠にしていた。
 源満政から七代の孫に当たり、いくつかの合戦で武功を挙げた。
 山田重忠は平安時代末から鎌倉時代前期にかけての武士・御家人で、山田荘を本拠にしていた。山田重忠に関しては以前書いた。
 山田重忠について私が書けることのすべて
 重忠が御家人に任じられたのが1185年くらいのことで、承久の乱で命を落とすのが1221年だから、成願寺として再建したのはその間のことだ。
 一時はかなり大きな寺院となっていたようだけど、その後没落したと伝わっている。
 それでもどこかの時点で立て直したのだろう。今もこうして立派に建っている。



成願寺説明書き

 寺の由緒書きも無粋な看板などを立てず、黒壁に直接プリントしている。美術館のようなおしゃれさだ。
 ここにもあるように、昭和5年(1930年)に始まる矢田川の付け替え工事にともない、矢田川、庄内川に挟まれた川中から現在地に移ってきた。
 矢田川の河川敷などは現在でも成願寺町となっている。



成願寺本堂

 本尊の十一面観世音菩薩立像は一木造で、平安時代前期もしくは中期の作とされている。行基作と寺伝にはあるそうだけど、それだと年代が合わない。
 高さは約1メートル60センチ。
 現存する仏像では名古屋最古ともいわれ、市の有形文化財に登録されている。
 残念ながら普段は厨子が閉まっていて姿を拝むことはできない。事前に電話予約すれば見せてもらえるようだ。
 本尊の他に、山田重忠像と伝わる像も所蔵している。

 信長の伝記『信長公記』で知られる太田牛一は、この寺で育ったとも、住職をしていたともいわれる。
 幼い頃にこの寺で育ったのは確かなようで、そのまま僧侶になって還俗したのか、寺は修行だけだったのか、そのあたりはよく分からない。
 根っからの文官のようなイメージがある牛一だけど、若い頃は弓の名手として知られ、数々の戦に参戦している。
 後半生は様々な武将の下で文官として務め、数々の伝記などを著した。
『信長公記』を完成させたのは80歳を超えてからということもあり、大事なところが抜け落ちていたり、少しおかしなことがあったりするものの、信長の人となりや実績を知る上で第一級の史料となっている。
 1613年に87歳くらいで死去したと伝わる。



ニャンコ先生と石仏

 あ、ニャンコ先生。
 
【アクセス】
 ・地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約38分
 ・地下鉄名城線「黒川駅」から徒歩約48分
 ・黒川駅から市バスに乗って「中切町四丁目停留所」または「安井町停留所」下車。そこから徒歩
 ・駐車場 あり(無料)
 

天白の針名神社を再訪する

神社仏閣(Shrines and temples)
針名神社入り口鳥居

 久しぶりに天白区平針の針名神社を訪れた。前回は何年前だったか覚えていないくらいだ。5年は経っていると思う。
 神社サイトで針名神社のことを書いたとき、もう一度行って印象を確かめ直さないといけないと思ったのが再訪の理由だった。
 ちょうど農業センターでしだれ梅を撮るタイミングと合ったので、梅撮りの帰りに立ち寄ってきた。
 こんな感じだったかなぁと、覚えがあるようなないような、ちょっと不思議な気持ちがした。記憶の中の印象よりも立派な神社だった。社殿がどうこうよりも、この神域そのものがと言った方がいいと思う。特に大きく変わったところはないと思うのだけど。
 前回訪れたときはまだそれほど神社に対して自覚的ではなく、ちょっと写真を撮るために寄ったという程度だったというのもある。あらためてしっかり見てみると、これはもう立派と形容するしかないたたずまいだ。侮りではないけど、少し針名神社を軽く見ていたところがあったかもしれない。
 今回はちゃんと撮ったので、またこれでしばらく訪ねなくてもいいはずだ。次は何年後になるだろう。



針名神社参道




針名神社手水舎




針名神社神門と拝殿




針名神社拝殿




針名神社拝殿シルエット




針名神社神門裏から




針名神社稲荷社鳥居




針名稲荷社




針名神社境内社




針名神社天神社と牛




針名神社鳥居裏

 
【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「平針駅」から徒歩約15分。
 ・駐車場 あり(無料)
 ・拝観時間 終日
 

成願寺六所神社もやっぱり分からない神社だった

神社仏閣(Shrines and temples)
成願寺六所神社外観

 名古屋市北区の成願寺六所神社を訪ねた。
 住所でいうと安井2丁目になる。
 近くにある成願寺から名付けられた成願寺町は、現在矢田川や河川敷、庄内川ゴルフ倶楽部などになっている。
 昭和5年(1930年)に始まる矢田川の付け替え工事に伴って、昭和6年(1931年)に六所神社は現在地に移されてきた(成願寺ものちに移転)。
 六所神社というと正体不明でやっかいな神社という印象が強い。この成願寺六所神社もそうだった。ここは特に分からない。
 江戸時代前期の1689年に社殿を再興したという覚書があるくらいで、その他のことはほぼ分からないに等しい。いつ誰が創建したのかも、もともとの祭神が何だったのかも不明とされる。
 現在の祭神は、イザナギ、イザナミ、アマテラス、ツクヨミ、スサノオ、ヒルコと、イザナギ・ファミリー6人衆となっている。これはおそらく後付けで、本来の祭神はまったく別だった可能性が高い。しかしながら、いつの時代に創建したのかさえ分からないのでは推測のしようもない。最初から六所社だったのか、それともまったく別の神社だったのか。
 昭和20年の空襲で焼けたというけど、それ以前に記録が残っていれば当然由緒なども伝わっているはずなのに、そのあたりのこともまったく分からない。とにかく分からないことづくしというのがこの六所神社だ。

 六所神社とは何かということは、以前、矢田の六所神社のことを紹介したときに少し書いた。
 矢田の六所神社はどうして六所なのか
 名古屋神社ガイドでももう少し考察してみたので、興味のある方は読んでみてください。
 成願寺六所神社
 何にしても六所神社についてはよく分からないというのが現状で、結論はまたしても先送りとなった。



六所神社鳥居と拝殿

 神社の両隣には団地が建ち並び、南側は公園と接している。
 なかなかユニークなロケーションにこの神社はある。



六所神社拝殿

 社殿は空襲で焼けて昭和44年(1969年)に再建された。



六所神社額




六所神社本殿

 本殿はコンクリート造になっている。
 社殿建築の千木(ちぎ)や鰹木(かつおぎ)なんかも少しは勉強した方がいいんだろうなと思いつつ、興味がないので二度、三度と意味などを読んでも全然覚えられない。



六所神社本殿と太陽




成願寺六所社石碑




六所神社狛犬と太陽




六所神社境内

 公園には小さな子供連れのお母さんがいたりして賑やかだった。
 創建のいきさつがどうであれ、今は団地の守り神として地域の人たちに守られているのが見てとれる。神社のありようも時代と共に変化していく。きっとそれでいいのだろう。
 
【アクセス】
 ・地下鉄上飯田線「上飯田駅」から徒歩約34分。
 ・駐車場 なし
 ・拝観時間 終日
 

最後は丸く収まったサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 農業センターでしだれ梅を撮ったら、次は高岳の早咲き桜のことが気になりだす。調べたら去年は3月10日に行っている。今年は遅れているようで、まだ3分咲き程度らしい。撮りにいくのは来週の後半になるだろうか。
 今日は名古屋ウィメンズマラソンが開催された。今年は行かなかった。2012年に始まって今年で6回目となった。そのうち3回は見にいっている。今年行かなかったのは、見たい選手が出ていなかったというのもある。野口みずきが出たときはよかった。今年のレースでは初マラソンの安藤友香が2時間21分36秒の好記録で準優勝だったから、見にいっていればけっこう盛り上がっていただろう。
 というわけで、日曜日の今日は例によって例の如く、神社サイト作りをしたり、神社について下調べをしたり、神社についての本を読んだり、結局神社のことしかしてないじゃないかというような一日だった。そのうち夢まで神社のことになりそうだ。
 サンデー料理はいつもの通り。いつもの通りだったのだけど、いろいろ途中で予定変更などもあり、思っていたのとは違うものができあがった。結果だけ見ると普段とは何も変わってはいない。メニューなど、最初からあるようでないのだから。



マグロの刺身

「マグロの刺身」
 珍しくちゃんと名前のあるメニューだ。というか、刺身だから料理のうちには入らない。
 たまには刺身もいいかなと気分でそうした。
 たれだけはしょう油では味気ないから、自分で作った。酒、みりん、しょう油、昆布つゆ、ショウガ、塩、コショウ、唐辛子をひと煮立ちさせる。



ジャガイモのケチャップ

「ジャガイモとトマトのケチャップ炒め」
 ジャガイモはレンジで加熱して下処理をする。
 オリーブオイルとマーガリンでトマトを炒める。
 ジャガイモを加え、酒、みりん、しょう油、コンソメの素、ケチャップ、塩、コショウで味付けをする。
 とろけるチーズも入れるつもりだったのに忘れていた。



豆腐の中華味炒め

「豆腐の中華風炒め焼き」
 最初は豆腐の団子揚げを作るつもりだったのに、途中で路線変更してこんなことになってしまった。他の2品に手間取りすぎたのがその理由だ。
 結局、ニンジンをレンジで加熱して、タマネギとしめじをごま油で炒め、ニンジンと豆腐を加えて、酒、みりん、しょう油、中華の素、塩、コショウで味付けをした。
 なんだかんだで丸く収まったのでよしとしよう。
 

道行き日常風景

日常写真(Everyday life)
街の花

 今日は道行き街の風景をお送りします。



日の丸のある風景




閉鎖した店の並びと西日




積まれた土山




ガード下の生活




電柱訓練所




グラウンドにコーラ




メガマンション建設中




空き家に梅




アパートのアンテナと夕焼け空




暮らしと洗濯物

 過ぎてゆく日々の中で目に映る風景は、変わらないようでいて変わらないものは何一つないのだ。
 

名古屋市農業センターのしだれ梅が遅れて見頃に

植物園(Botanical garden)
農業センターしだれ梅


 この冬はそれほど寒いという印象はなかったのだけど、いつまで経っても暖かくならないというのはある。しだれ梅が見頃になるまでずいぶんかかった。
 名古屋市天白区の名古屋市農業センター。しだれ梅の名所として地元ではよく知られている。
 去年は暖冬で2月の終わりには満開になっていたのに、今年は3月10日でもまだ見頃が続いていた。満開は2、3日前だったのだろうけど、今週末でも充分間に合う。
 しだれ梅は枝の上の方から下に向かって咲いてくるから、8分咲きくらいのときに撮るとボリューム不足で物足りなさを感じることになる。満開を過ぎたくらいがちょうどいい。
 晴れたり曇ったりという落ち着かない気象条件ではあったものの、雲の合間から太陽が出たときはいい光が差した。曇りは曇りでホワイトバランスが変わって青っぽく写るから、それもまた悪くない。
 今年は時間もなくて行けないかと思ったのだけど、ぎりぎりでも行けてよかった。気分的にやっと春が始まった気がした。



しだれ降るように




しだれ梅と太陽




梅一輪




しだれ梅のレースカーテン




梅の幹




梅と逆光




垂れ梅




散る梅




しだれ梅前ボケ




空に梅

 土日は天気もよさそうなので、お近くの方はぜひ。
 駐車場が大変なことになりそうなので、臨時駐車場の方が早く停められると思う。
 北西から行った場合、農業センター北交差点を右折せずに直進して、中央分離帯が切れたところで右折。そのまま道なりに進んでいくと係員が立っているから分かると思う。

【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「平針駅」から徒歩約23分
 ・平針駅から市バス「地下鉄原行き」に乗り、「農業センター北」で下車。そこから徒歩約6分
 ・駐車場 梅まつり期間中1回500円(普段は無料)
 ・開園時間 9時-16時半
 ・入園 無料(月曜日定休 梅まつり期間中は月曜日も開園) 
 

大森斎穂社を訪ねていくつかのはてなが残った

神社仏閣(Shrines and temples)
斎穂社外観

 名古屋市守山区。瀬戸街道の八剣交差点を北へ入ったところに、斎穂社という小さなお社がある。
 以前から何度となく前を通っていて気にはなっていたのだけど、中まで入っていって参拝したり写真を撮ったりということが一度もなかった。たまたまネットでここのことについて書かれた記事を読んで興味を持った。渋川神社の悠紀斎田に深い関わりのあるところとなればそれはちょっと重要だ。大森八剱神社の境外社でもある。



斎穂社

 新嘗祭(収穫祭)のための稲を納める国郡を占い(卜定/ぼくじょう)で決めていた。
 天武天皇5年に占ったところ、斎忌(ゆき/悠紀)は尾張国山田郡に、次(すき/主基)は丹波国加佐郡になったと『日本書紀』にある。斎忌は東日本から、次は西日本からと決まっていた。
 その稲を作る田んぼを斎田(さいでん)という。その斎田を作ったのが印場村だったとされている。そのとき、渋川神社は現在地に移ったという。
 で、刈り取った稲穂を精選したのがこのあたりで、その跡地に斎穂社が創建されたのだという。もともとは現在地から少し南の八剱神社交差点あたりだったとされる。区画整理で今の場所に移されてきた。
 この小さな社がそんな由緒あるものだと知る人はたぶん少ない。私もつい最近まで知らなかった。



斎穂社由来の石碑

 由緒が書かれた石碑があるのだけど、ちょっと混乱があるように思う。渋川神社のwebサイトもそうなのだけど、私が勘違いしているのか、神社側が間違っているのか、気になる点がいくつかある。
 まず、天武天皇5年に大嘗祭(だいじょうさい)が行われたというのは間違っている。大嘗祭というのは天皇が即位して最初に行う新嘗祭のことで、それはもう天皇天皇2年のときに行われている。だから、山田郡が斎忌に選ばれたのは新嘗祭だ。
 それに、斎田というのは通常、大嘗祭の稲を作る田んぼのことで、新嘗祭に使う稲を作る田んぼも斎田と呼んでいいのかどうか。
 あと、年数も違っている。天武天皇の即位は673年なので、「天武天皇の御代白鳳五年(673年)」というのはおかしい。
 渋川神社の公式サイトでは「天武(白鳳)五年(西暦676年)天武天皇即位に伴う大嘗祭で」となっている。
 もうひとつ、はてな? と思ったのが、渋川神社の公式サイトにある一文だ。
「澁川神社は、延喜年間(西暦929年)に式内社となり、山田郡の総社として始まりました」とある。
『延喜式』は、905年から編さんが始まって927年に完成して、その後改訂を重ねて967年に施行された。今私たちが延喜式神名帳に載っている式内社云々というのは、927年に完成したときのものを基準にしていると思うのだけど、それ以降に改訂で神社が追加されたといったことがあったのだろうか。「929年に式内社となり」ということが本当なのかどうか判断がつかない。私が不勉強なだけかもしれない。
 彫り込んでしまった石碑は今更どうにもならないとしても、ネットの公式サイトくらいはいつでも書き換えられるのだから、詳しい人にちゃんと聞いて直すところは直した方がいいと思う。



斎穂社社殿

 祭神は、大年神、御年神、御食津神、事代主神、大宮売神。
 このあたりのことについては、例によって神社サイトで。



斎穂社大黒さんと恵比寿さん

 大黒さんと恵比寿さん。



斎穂社千手観音

 狭い敷地に神仏習合している。
 着色された千手観音。短い腕が六本しかないけど。



斎穂社から見る風景

 とりあえず参拝できてよかったのだけど、いろいろと疑問点が残って少しすっきりしない。
 
【アクセス】
 ・名鉄瀬戸線「印場駅」から徒歩約16分
 ・駐車場 なし
 ・拝観時間 終日
 

川のある風景 ~季節の移ろい

河川敷(River beach)
矢田川大森橋夕景

 今日は川のある風景をお送りします。
 まだ去年の在庫写真が残っていた。夏から秋にかけて撮ったものの入っている。
 川の流れは変わらなくても、川辺の風景にははっきりとした四季がある。何ヶ月か前に自分が撮った写真を見て、季節の移ろいと流れた時間を思い知る。



庄内川の流れ




矢田川夕空




庄内川の夕焼け秋




庄内川落日




矢田川夜景色




庄内川を行くボート




庄内川夕照




植田川と夕陽




香流川夕暮れ




矢田川の流れ

 

北区の大我麻神社は小さな温もりを感じる神社だった

神社仏閣(Shrines and temples)
大我麻神社入り口

 大井神社へ行った流れで大我麻神社にも足を伸ばした。
 北区の北西の外れ、水路を一本越えればそこはもう豊山町だ。
 どんな神社かよく知らないまま訪ねていって、思った以上に小さな社だったのだけど、帰るときはなかなかいい神社だなぁと少ししんみりしたような気持ちになった。じんわり温もりの伝わる神社、そんな形容がぴったり来る。
 例によって詳しいことは名古屋神社ガイドに書くとして、ここでは写真中心にお届けします。



大我麻神社鳥居




大我麻神社蕃塀

 小振りの石造蕃塀。
 昭和に入ってからのもののようだ。



大我麻神社拝殿

 社殿もこぢんまりしているけど、木造でなかなかいい。



大我麻神社狛犬

 全体に真面目というと言葉が違うかもしれないけど、誠実な神社と言い換えてもいい。立派ではなくてもちゃんとしている。そこに好感が持てる。



大我麻神社拝殿の彫り物




大我麻神社渡殿と本殿




大我麻神社本殿のシルエット




大我麻神社社跡

 何かの社が乗っていたと思われる跡。



大我麻神社切り株

 入り口の鳥居横に立派な椎の木があり、境内にはいくつか巨木の切り株が残されている。
 何年か前に撮られた写真を見ると、神社全体が木々に覆われこんもりしている。枯れたか何かしてここ数年で切られてしまったようだ。切られる前の姿を見てみたかった。
 それでも、かつて田んぼの中にある鎮守の杜だった頃の姿が目に浮かんだ。村の人たちに大事にされた神社だったのだろう。



大我麻神社境内の様子

 何もない沼地を開拓して新田とした頃の面影はもはやない。神社の隣にはたくさんの住宅が建ち並ぶ。今は団地の守り神となった。
 
【アクセス】
 ・城北線「比良駅」から徒歩約30分
 ・駐車場 なし
 ・拝観時間 終日
 

名古屋市北区の式内社・大井神社

神社仏閣(Shrines and temples)
大井神社入り口

 名古屋市北区の北の方にある大井神社
『延喜式神名帳』にある尾張国山田郡大井神社がこの神社とされている。
 ここが本当に山田郡の大井神社なのかということに関しては、名古屋神社ガイドで書くとして、ここでは写真中心にお届けします。



大井神社参道

 さほど広い神社ではないものの、古社らしい落ち着きのある空気の中に鎮まっていると感じた。



大井神社蕃塀

 昭和3年(1928年)に製造された石造の蕃塀。
 凝った彫り物といい、なかなか渋くてカッコイイ蕃塀だ。



大井神社参道と拝殿

 境内の幅は狭いけど奥行きはけっこうある。
 神社はやっぱり、奥行きが大切だと思うのだ。鳥居をくぐってすぐに拝殿だと気分が盛り上がる前に着いてしまう。



大井神社拝殿斜めから

 この拝殿はいい。江戸時代のものじゃないだろうか。
 しかし、横に回るとちょっと驚きの光景が待っていた。



大井神社本殿

 幣殿、渡り殿、本殿がコンクリート造になっている。このパターンは珍しい。本殿は木造で拝殿がコンクリート造というのはよくあるけど、その逆は初めて見た。デザインとしてはかなり斬新だ。本殿の老朽化でそうならざるを得なかったのだろう。



大井神社拝殿正面から




大井神社拝殿前から境内を見る




大井神社拝殿前から境内を見る

 石灯籠に吊灯籠、ろうそく立てなど、神仏習合時代の名残が少し見られる。



大井神社境内社




大井神社ヒノキ

 保存樹の立派なヒノキ。

 書きたいことがいろいろあるのだけど、続きは神社サイトで。
 
【アクセス】
 ・城北線「比良駅」徒歩約33分。
 ・名鉄小牧線「味美駅」から徒歩約37分
 ・名古屋市バス停留所「如意一丁目」下車
 ・駐車場 あり(無料/神社裏手)
 

時間があってもなくてもサンデー料理

料理(Cooking)
サンデー料理

 少し暖かくなったり、日が長くなったりといったことで季節の移ろいを感じてはいるものの、今シーズンは早春の花もほとんど撮ってないし、そもそも写真を撮りに出る機会自体が減って、季節感が希薄になっている。持ち時間のほとんどを神社サイトの作成につぎ込んでいるからというのがその理由だ。今週末もそれは変わらなかった。
 それに伴い、このブログも神社ネタ中心がしばらく続くことになる。写真を撮りにいくにしても、最近は神社くらいしか撮ってない。
 時間を見つけて来週のでどこかで農業センターのしだれ梅くらいは撮りにいきたいと思っている。そろそろ7分咲きというから、来週の前半が見頃だろうか。
 サンデー料理はいつもの通り。これは忙しいからできないといったようなものではない。料理すること自体は嫌いじゃないし、面倒とも思わない。週に一度ならという前提条件付きではあるけれど。



鯛の昆布だし煮

「鯛の昆布だし煮」
 昆布だし、酒、みりん、ショウガでタレを作り、塩、コショウ、酒を振ってしばらく置いたあとの鯛と長ネギを入れ、とろ火でコトコト加熱する。
 とろ火で温めることで汁気が逃げることなくふんわり仕上がる。



ジャガイモと鶏肉炒め

「丸ごとジャガイモと鶏肉のマヨネーズしょう油炒めチーズ和え」
 長いタイトルの料理。
 ジャガイモはよく洗って皮ごとレンジで加熱する。
 オリーブオイルとマーガリンで鶏肉、タマネギ、ジャガイモを炒める。
 酒、みりん、しょう油、塩、コショウ、マヨネーズで味付けして、終盤でとろけるチーズを加えて混ぜ合わせる。



カボチャの茶巾

「カボチャの茶巾あんかけにニンジンとブロッコリーを添えて」
 赤、緑、黄色の料理三原色が揃った。
 カボチャを薄くって、レンジで加熱して、つぶす。
 シーチキン缶、卵、塩、コショウを加えて混ぜ合わせる。
 ラップに包んでしぼり、レンジで2、3分加熱する。
 たれは、酒、みりん、しょう油、中華の素、塩をひと煮立ちさせ、水溶きカタクリ粉を加えてとろみをつける。
 

日置神社はいい神社だけどそれだけじゃない

神社仏閣(Shrines and temples)
日置神社入り口

 名古屋市中区橘にある日置神社(ひおきじんじゃ)。
 最寄り駅は、上前津か大須観音か。
『延喜式神名帳』(927年)にある尾張国愛智郡日置神社がこの神社とされる。『尾張国神名帳』には従三位日置天神(貞治本に従一位)とある。
 創建についての詳しいいきさつなどは分かっていない。属性としては八幡社なのだろうけど、天太玉命(あめのふとだまのみこと)という馴染みのない神を祀っている。
 全国に同名の神社があり、『延喜式』には7社が載っている(若狭、加賀、越中、但馬、近江、信濃、尾張)。
 一般的に「ヒオキ」もしくは「ヒヲキ」と読ませるも、加賀国江沼郡のものなどは「ヘキ」と読ませる。
 古代このあたりは荘園(地方有力者が開墾して私有した土地)の日置荘があったところで、日置は日置部(ひおきべ)から来ているとされる。日置部というのは、暦を司った人々のことだとか、太陽に関係する祭祀を担当しただとか、聖なる火をもって鍛冶や土器作りをした一族だとか、いろいろな説がある。
 全国に日置にまつわる地名などがあることから、その意味は一種類ではないと思われる。名古屋の場合は、南1.7キロほどのところに金属の神を祀る金山神社があることから、そことの関係も指摘されている。
 実際のところはよく分からない。
 分からないといえば祭神についても謎だ。
 誰か何のために天太玉命を祀ったのか。中世、応神天皇を祀ったことになっているけど、実際は大山守命だったのではないかといった話もある。詳しいことは神社サイト(名古屋神社ガイド)に書くことにしたい。



日置神社

 よくある八幡社とはどこか違っている。もっと古い神社の空気を感じる。他にあまり似ているところを知らない。いい神社というひと言で片づけてしまうのは惜しいというか、それほど単純なところではなさそうだ。



日置神社拝殿

 主祭神が天太玉命(アメノフトダマ)で、配祀は応神天皇(ホムタワケ)と天照皇大神(アマテラス)。アマテラスは明治に入ってから合祀されたものだ。



日置神社参道と境内

 1560年。桶狭間の戦いに臨む信長は、夜明け前に清洲城を飛び出し、美濃路を南下しつつ榎白山神社で戦勝祈願をして、ここ日置神社でも戦勝祈願をして敦盛を舞ったと伝わっている。そのあたりについては榎白山神社のときに書いた。
 榎白山神社と美濃路を駆けた若き日の信長の話
 神社は美濃路沿いにあって確かに寄りやすい場所ではある。ただそれだけだったのだろうか。信長にとって日置神社は特別な意味があったのではないか。信長にとってだけでなく当時の武将たちにとってと言った方がいいかもしれない。すでに八幡社という認識だったとすれば、戦勝祈願にはちょうどいいという単純な理由からだったのかどうか。
 戦に勝利したあと、お礼として信長は神域に多くの松を植えた。それが名物となり、のちに千本松八幡とも呼ばれるようになる。



日置神社ご神木のタブ

 ご神木の椨(たぶ)の木。樹齢は数百年という。平成11年(1999年)の台風でだいぶ傷んでしまったようだ。



日置神社力石

 力石がふたつ。



日置神社橘社

 尾張藩2代藩主の光友を祀る橘社。
 椿町の名付け親が光友で、この近くに橘座という芝居小屋があり、それを作らせたのが芝居好の光友だった。



日置神社西鳥居

 西の鳥居は広い伏見通に面している。かつての美濃路も神社の西を通っていただろうか。



日置神社大黒社

 大黒社、恵比寿社などの境内社がある。



日置神社廣富稲荷社

 廣富稲荷社。



日置神社境内社




高願寺

 隣接する高願寺。入り口の石柱には摩利支眞天と彫られている。
 大黒天、弁財天とともに三神のひとつとされる摩利支天(まりしてん)を祀っているのだろうか。これも武家の神だ。
 創建は明治42年(1909年)というから、神仏習合時代の神宮寺ではない。
 1664年に境内の中に町屋を作り、1683年には境内を削って寺院を建てたという。それが妙善寺だとすると、この高願寺は後釜の寺ということになるだろうか。

【アクセス】
 ・地下鉄鶴舞線「大須観音駅」から徒歩約12分
 ・地下鉄名城線「上前津駅」から徒歩約13分
 ・駐車場 なし(たぶん)
 ・拝観時間 終日
 

山王稲荷神社はいっときの夢幻の跡

神社仏閣(Shrines and temples)
古渡稲荷神社北入口

 闇之森八幡社の北300メートルほどのところに古渡稲荷神社がある。
 神社の北を走っている山王通の名称は、この神社が由来になっている。
 かつてこの通りは小栗街道と呼ばれていた。それ以前は鎌倉街道だった道だ。
 東西を走る小栗街道と、南北を走る美濃路(本町通)が、神社の少し北東、古渡交差点あたりで交差していた。
『尾張名所図会』に描かれた古渡稲荷社は広々とした境内を持つ立派な神社だ。境内で芝居が行われていたというのも分かる。



古渡稲荷神社南鳥居

 最初、南鳥居から入ったら社殿のある方に行くことができず、ちょっと焦った。本殿の裏から回り込めば行けたのだろうか。
 いったん外に出て、別の入り口を探すことにする。



古渡稲荷神社拝殿

 古渡山王稲荷社と呼ばれたのは、ここに山王社が合祀されていたからだ。
 稲荷社はもともと現在地から20キロほど北の丹羽郡石枕村(江南市石枕)にあったものだ。
 江戸の四谷で生まれた尾張藩4代藩主の徳川吉通(よしみち)は、稲荷社を産土神(うぶすながみ)として崇敬しており、尾張藩主時代に石枕村にあったこの稲荷社を古渡に移させた。江戸時代中期の1713年のことだ。
 稲荷社の創建については何も伝わっておらず分からない。どうしてこの稲荷社だったのか、何か特別な由緒のある神社だったのだろうか。わざわざ遠くから移させたのには何かしらの理由があったはずだ。
 清洲にあった山王社や、五條天神も移させて境内で祀った。



古渡稲荷神社東鳥居

 東にある鳥居の入り口が一番いい感じだ。社殿も東を向いている。



古渡稲荷神社境内

 現在はかなり狭くなってしまったものの、江戸時代はこの何倍も広かったと思われる。
 8代将軍・吉宗の質素倹約を旨とする享保の改革に真っ向反対した尾張藩7代藩主の宗春は、芝居や祭りを奨励し、遊廓も公認した。東別院から山王稲荷社にかけての地域に冨士見原遊廓、西小路遊廓、葛町遊廓と3つの遊廓があり、それぞれ30~40軒の茶屋が並び、200人以上の遊女がいたという。一時期、古渡のあたりは名古屋の一大歓楽街だった。
 しかし、宗春が吉宗によって謹慎を言い渡されたことで、それらはほどなく廃止され、名古屋の町は急に火が消えたようになったのだった。



古渡稲荷神社社殿

 祭神は、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)、伊邪那美命(いざなみのみこと)、天津彦根火瓊々杵尊(あまつひこねほのににぎのみこと)、猿田毘古大神(さるたひこのおおかみ)、菊理媛命(くくりひめのみこと)、徳川義直(とくがわよしなお)、徳川光友(とくがわみつとも)、徳川綱誠(とくがわつなのぶ)。
 明治6年(1873年)に村社に列格。
 昭和20年(1945年)の空襲で被災。
 昭和53年(1978年)に本殿などが再建された。



古渡稲荷神山王社他

 真ん中が山王社で、大己貴命(オオナムチ)を祀る。
 秋葉社では軻遇突智命(カグツチ)を、五條天神社で少彦名命(スクナヒコ)をそれぞれ祀っている。

【アクセス】
 ・地下鉄名城線「東別院駅」から徒歩約10分
 ・名鉄名古屋本線「尾頭橋駅」から徒歩約20分
 ・名鉄/JR/地下鉄「金山駅」から徒歩約20分
 ・駐車場 あり(無料)
 ・拝観時間 終日

くらがりの森といわれた闇之森八幡社も今は昔

神社仏閣(Shrines and temples)
闇之森八幡社入り口鳥居

 名古屋市中区正木の闇之森八幡社(くらがりのもりはちまんしゃ)。
 街としては古渡ということになるだろうか。金山駅東別院駅尾頭橋駅を結んだ三角形の中に位置している。
 今回訪れたきっかけは、名古屋十名所のうちのひとつだからという理由だった。
 これまでにもいくつかこのブログで紹介した。1924年(大正13年)に新愛知新聞社(現中日新聞)が選定したもので、熱田神宮名古屋城、笠寺観音、闇ノ森、榎ノ権現、櫻田勝景、圓頓寺、久屋金刀比羅、山田元大将之社、天理教々務支庁が選ばれている。
 闇之森(くらがりのもり)という響きに惹かれたというのもある。

 創建は平安時代後期の1163年と伝わっている。
 一説では、源為朝(みなもとのためとも)が石清水八幡宮から勧請して創建したといい、境内に為朝の甲冑を埋めたとされる鎧塚がある。
 ただ、源為朝はこの時期、保元の乱で敗れて伊豆大島に島流しにされているので、尾張で神社を建てるなんてことができたはずはない。
 為朝の子供が島を脱出して尾張にやってきて、あれやこれやあって鬼頭を名乗るようになったという話があるから、神社の創建はそれの絡みかと思ったりもする。
 そのあたりの詳しいことに関しては、近いうちに神社サイト(名古屋神社ガイド)で書くことにしたい。

 今回は写真を中心にお届けします。



闇之森八幡社鳥居額




闇之森八幡社蕃塀

 木製のいい蕃塀だ。



闇之森八幡社参道と二の鳥居




闇之森八幡社拝殿

 明治15年(1882年)に改造した社殿は、昭和20年(1945年)の空襲で焼失。
 昭和22年(1947年)に再建がなるも、昭和34年(1959年)の伊勢湾台風で倒壊。
 現在のものは昭和35年(1960年)に建て直されたものだ。
 新しいものにしては風格がある。



闇之森八幡社狛犬

 明治44年(1911年)の狛犬。



闇之森八幡社尾頭神社

 尾頭神社。
 このあたりの尾頭橋(おとうばし)という地名は、為朝の子とされる次郎義次が尾頭(おがしら)の姓を名乗ったことに始まるとされる。



闇之森八幡社福守稲荷社鳥居

 福守稲荷社。



闇之森八幡社福守稲荷社

 鳥居は続き、小さな奥の院もある。



闇之森八幡社御手洗池

 御手洗池に片目の鮒がいて、掴まえて祈ったら治ったので、他の2匹とあわせて池に放したら、それらの鮒も片目になってしまったという逸話が『尾張名陽図絵』にある。



闇之森八幡社弁天社

 御手洗池の中には弁天社がある。



闇之森八幡社楠黒竜大神

 楠黒龍大神。



闇之森八幡社境内社

「その昔植ゑにしきぎの年を経て月さへもらぬくらがりの森」
 江戸時代にそう歌われたという闇之森。月の光も届かないくらい暗いというくらいだから、鬱蒼と生い茂る鎮守の杜だったのだろう。
 現在も街中とは思えないほど多くの木々があり、外界とは隔絶したような静けさがあるものの、さすがにくらがりの森というほどではない。むしろ陽気で明るい神社と感じた。寄り合い所帯で賑やかだ。
 いい光が差していたこともあって、フォトジェニックな神社だと思った。撮りたいと思えるところがたくさんある。それもまた、いい神社の条件のひとつだ。
 現代の名古屋十名所として推薦できるかといえばそれほどではないとしても、ちょっとオススメしたい神社ではある。
 
【アクセス】
 ・名鉄名古屋本線「尾頭橋駅」から徒歩約10分
 ・名鉄/JR/地下鉄「金山駅」から徒歩約15分
 ・駐車場 あり(無料/境内)
 ・拝観時間 終日
 
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