
OLYMPUS E-M5 + OLYMPUS 60mm F2.8 MACRO
最近、フォトコンの入選歴を訊ねられることがあって数えてみたところ、入選回数が99回になっていた。
これまでも折に触れて写真ノートの中でフォトコンに関しては何度か書いてきたのだけど、今回総まとめとしてこれまでのフォトコンとこれからのフォトコンについて書いてみたいと思う。
ホームページを始めたのが1999年。コンテンツが日記だけでは寂しいから散策をもうひとつの柱にしようと決めて、そのお供として記録用のコンパクトデジカメを買ったのが確か2000年だったと思う。
初めてのデジタル一眼は2005年の10月。愛・地球博が終わったタイミングだったのでよく覚えている。中古のEOS D30だった。
フォトコンに応募を始めたのは2006年で、最初はまったくかすりもしなかった。正直、自分でも写真の才能がないと思ったし、入選は遠い目標でしかなかった。
初入選は2007年8月の『デジタルカメラマガジン』で、「アジサイの江ノ電を撮る人たち」が佳作に入った。選者は鉄道写真家の広田尚敬さんで、翌月も選んでもらったこともあって、広田さんは今でも恩人として感謝する気持ちを持ち続けている。まだまだ全然へたくそだった時代に唯一選んでくれた写真家だった。
これで気をよくして、自分もけっこう撮れるようになったんじゃないと思ったのは勘違いで、2008年はまったくの鳴かず飛ばずで終わる。
2009年からぽつぽつ入り始めるも、翌2010年まではたまにまぐれのように入選するだけだった。
ひとつ大きなきっかけになったのは、2011年4月の「駆ける園児」が『デジタルカメラマガジン』の準優秀に選ばれたことだった。このときは本当に嬉しくて、ひとりで部屋の中で走り回りたいくらいだった(当時は20日の深夜0時にネットで発表されるというシステムだった)。フォトコンの入選であれほど喜んだのは後にも先にもあのときだけだ。選者の中井精也さんにも本当に感謝している。
『デジタルカメラマガジン』では年度賞で2位になり、その他でもいろいろ入って飛躍の年となった。
2012年も好調は続き、雑誌以外のフォトコンにも手を広げてあちこちで入るようになる。
2013年は自信を深める年となった。それまで入選といってもほとんどが佳作だったのが、この年、入選の壁を越え、一気に優秀賞までいけるようになったのだった。どんな小さなフォトコンでも、1位になることには価値がある。1位と2位の差は2位と100位の差よりも大きい。
富士フイルムのフォトコンで「名もなき風景の声を聞け」がフォトブック部門で入選したのもこの年だった。それによって道ばた写真というものが自分の中で確立した。自分の写真の軸足が決まったのは、この入選があったからだ。
2014年になると、生意気なことに入ることが当たり前になっていく。組写真もある程度分かってきて入選するようになる。
工場夜景フォトコン入選のご褒美として北九州サミットに招待してもらったり、『工場夜景』写真集に参加させてもらったりと、いろいろ思い出深い年だった。
2015年は『PHaTPHOTO』のMVPで神戸の御苗場に出させてもらったのが大きな出来事だった。展示自体はあまり手応えがなかったのだけど、終わってからあれこれ思うところもあり、得たものも多かったように思う。
ようやく『日本カメラ』に入ることができたり、『デジタルカメラマガジン』で初の最優秀をもらったりもした。
京都の高台寺のweb写真を担当させてもらったことは、今後につながる大事な経験となった。
そして2016年。今年はあまりよくもなく悪くもなくといった感じで、ここまで来ている。
初入選から10年で100回というのが多いのか少ないのか、なんとも言えない。写真を始めた当初の自分にしたら考えられないくらいではあるけど、今の写真に満足しているわけではなく、自分ではもっともっと撮れるような気がしている。
フォトコンを始めたきっかけは、自分の写真を評価してもらいたいという単純なものだった。続けていくうちにその思いや理由、意味や方向性は様々に変化していったわけだけど、最終的な目標はフォトコンから卒業することだというのは変わっていない。フォトコンの年度賞をとることが目標ではないし、フォトコンのために写真を撮っているわけでもない。大事なことはフォトコンの先にある。
最初は自分の写真を正しく判断することができなかった。他人の評価に委ねるしかなかったときから比べれば、ある程度判断はつくようになった。ただ、自己評価と他人の評価が完全に一致したわけではなく、まだまだ開きがあるのも事実だ。なかなか自分の写真を客観点に判断するのは難しい。その写真に思い入れがあればあるほど判断は狂う。
ただ、一番変わったのは、自分の写真を信じられるようになったことだ。評価されなくても自分がいいと思える写真を撮りたいと思えるようになった。言い換えれば、褒め言葉に引きずられないようになったと言える。
何にしても、フォトコンは入らなければ意味がない。たいていの場合、落選理由を本人に知らされることはなく、落ちてもどこをどう直せばいいか分からないからだ。入ったとき初めて自分の写真に対するプロの言葉が聞ける。
一方で、フォトコンは落ちてこそ価値があるという言い方もできるかもしれない。落とされ続けることで痛みを知り、それが力になる。落ちることは恥ずかしいことじゃない。あきらめてやめてしまったらそこで負けだ。
フォトコンはやらないよりもやった方がいいと私は考える。入るにしても落ちるにしても得られるものがあるから。挑戦しなければ何も得られない。
特にプリントをやることをおすすめしたい。フォトコンをやる理由の半分以上はプリントをするためだといってもいい。プリントは経験を重ねなければいいものを作れない。いいプリントのためにはいい写真を撮らなければいけないし、せっかくいい写真を撮ってもプリントが下手では写真が台無しになってしまう。
そもそも写真とはプリントのことで、画像データのことではない。プリントして初めて写真は物として存在する。データ応募のフォトコンもあるけど、写真はプリントという完成形で評価されるべきものだ。
プリントの技術を上げるためにフォトコンをやるというのは正しい方向性だと思う。
これからフォトコンをやろうという人や、やっているのになかなか選ばれないという人に向けてかける言葉があるとすれば、フォトコンには必勝法も近道もないということだ。とにかく自分の写真を地道に撮り続けるしかない。フォトコンのために写真を撮るのは虚しいからやめた方がいい。
これは持論なのだけど、フォトコンに入選しているようなアマチュアの写真を極力見ないようにすべきだと私は考える。センスのいい写真などに変な影響を受けてしまうからだ。見て勉強するならプロの写真家の写真集がいい。そこに答えはあるのだから、真似すればいいのだ。写真の真似は盗作ではない。真似して、掴んで、そこから自分のオリジナルを見つけていけばいい。
フォトコンを続けてある程度入るようになると、コツというか傾向が分かってきて、入ること自体はそれほど難しいことではなくなる。選者が選びそうな傾向の写真を応募することで入る確率が上がるといったこともある。
ただ、やっぱり自分が本当に撮りたい写真で勝負すべきだと思うのだ。入ることは嬉しいし、落ちることは悔しい。だから入りそうな写真を撮って入選を続けたいと思うのが人情だ。その気持ちに打ち勝てるかどうかに分かれ道がある。入って嬉しい写真とそうでもない写真がある。入って嬉しい写真を撮るのが本来のあり方ということを忘れてはいけない。
最後に、選者さんに対して日頃思っていることを書いて締めくくりとしたい。
ひと言でいうなら、もっと嫌われてもいいんじゃないの? ということだ。
最近の時代的な傾向もあって、評価の言葉が甘いものばかりになっている。楽しんで撮っているアマチュアを傷つけまいという配慮なのだろうけど、そんなおためごかしの言葉では写真は上達しない。指導者的な立場でもっと厳しい言葉があってもいいんじゃないかと私は思うのだ。
プロなのだから、写真を単純に楽しんでいる人と、真剣に取り組んでいる人は写真を見れば区別がつくはずで、後者の場合は強い叱咤激励を望んでいる人も少なくないのではないか。
ひとくちアドバイスのようなものはあっても、あれは技術的な添削がほとんどで、写真を撮る姿勢や思想まで踏み込んだ批評がなされることはほとんどない。土門拳などは、担当するフォトコンの応募者たちに向かってアマチュア相手でも容赦なく罵倒していた。コメントを読んだおじいちゃんとか泣いてるんじゃないかってほどの痛烈さだったけど、あれはアマチュアに対しても対等な写真家として対峙していたからこその言葉だった。「次の一枚を人生最後の一枚という覚悟を持って明日からの写真活動をしてください」という言葉が印象に残っている。
いい写真を選んで褒めるだけなら素人でもできる。選ばれた写真の顔ぶれを見て、アマチュアだからって甘く見られてるなと思うこともある。プロがプロの写真を選んだらこういう結果にはならなかっただろうなと。
選者としての役割は、優れた写真を選ぶことだけではなく、参加している人たちの写真力を上げることもあるのではないか。選んだ写真に対しても駄目なところは駄目と言うべきだし、どうすればもっと良くなるかを伝えるべきだ。ここをこうすればもっと良くなるとアドバイスするだけでなく、撮影姿勢や写真に対する態度についても問うべきだと思うのだ。
忙しいし、そこまで時間も労力もかけていられないというのが実際のところなのだろうけど、選者になった以上、選ぶことと落とすことに責任を持つことは必要だ。フォトコン選者というものをあまり軽く考えない方がいい。責任が持てないというなら最初から引き受けるべきではない。
ときに一枚の入選、落選がその人の写真人生を左右することもある。単純にいい悪いではなく、どの作品を選ぶべきなのか、しっかり考えて決めてから選んでほしい。
フォトコンの間口は広く、奥行きは深い。軽い気持ちで参加してもいいし、ライフワークとして取り組むこともできる。あれこれ書いたけど、まだやったことがない人にはぜひやってみくださいとおすすめしたい。私ももうしばらくは続けたいと思っている。